4.
今回から探偵小説に復帰します。
こうして二人の旅はつづくのであった――という一文で小説は終わっていた。その後には「あとがき」も「奥付」もなかった。
結局なぜこの同人誌が私のもとへ送られれてきたのか、まるでわからなかった。
机の上で携帯電話が鳴りだした。相手は佐藤七音だった。
「大変なことがあったのよ」彼女は言った。
「どうかした?」
「今、塚野さんのお葬式から帰ってきたところなんだけど……」
そこでのことは会って話したいと彼女は言った。私が了承すると、下北沢の喫茶店にいるとのことだった。
私は車を出して下北沢へ向かった。
喫茶店に入ると、ナポリタンを食べていた佐藤七音が手をふって招いた。
彼女は喪服に見えなくもないといった感じの紺のワンピースを着ていた。私は向かいの席についてコーヒーを頼んだ。
「で、どうだったの、葬式は?」と私は聞いた。
「寂しい感じだったわ。来ていたのは遠い親戚と友人が二三人ぐらいで、喪主は義弟さんだったけど」
「ああ、弟がいたの」
「義理の弟、妹さんのご主人ね。その妹さんももう亡くなられてて。で、私、その義弟さん、ええと名前が、そう山川信来さんていうんだけど、その人と話をしたのよ」
「それで、何だって?」
「その山川さんね。あのたくさんある同人誌どうやって処分したらいいんだろう、なんて言ってるのよ」
「まあ、興味のない人からしたらそうだろうね」
「だから私は、あれだけのコレクションなんだから、どこかに寄贈したら喜ばれるんじゃないかって言ったの」
「ああ、そうだね」
「そしたら山川さんは、ただで寄贈するより、売れるものがあったら売ってお金にしたいって」
「まあ、お金になるならねえ……」
「それでね、自分じゃ、同人誌のことなんて全くかわからないから、君が価値のありそうな本を選んでおいてくれないか、なんて言って私に書庫の鍵をくれたのよ」
「ふうん、そりゃえらく信頼されたもんだね」
「まあ、売れると言っても、そんなに期待してないみたい。最初は捨てるのにお金がかかるんじゃないかって心配してたぐらいだから」
「じっさい、売れそうなの?」
「私もそんな詳しくないから、誰かわかる人を呼んで見てもらうことになるでしょうね。今日はちょっと下見ってことであの書庫に行こうと思うんだけど、一人じゃ何か怖いから、探偵さんいっしょに来てくれない?」
「いいよ、こっちもちょうど、ちょっと変なことがあって」
「えっ、変なことって?」
と聞かれ私は、探していた『渚のポニーテール』が見つかったという連絡の後、じっさい送られてきたのが『ズマガンマの帰還』という同人誌だったことを話した。
「それ平島外門の小説じゃない」七音は驚いた様子で言った。
「そうだよ。知ってるの?」
「うん。平島外門は四冊の小説同人誌を出していて、その中の『暗闇の窓』っていうのだったら、すごく高く売れるんだけど」
「『ズマガンマの帰還』は高くないの?」
「十円とか、そんなレベルじゃない。でも『暗闇の窓』だったら、ちょっと待って」彼女はスマホを取り出すと、検索した画面を表示して見せた。「同人誌の買取をしてるサイトなんだけど、ここでは五万の値がついてるわね」
「それは、ちょっとしたもんだね」
「この『暗闇の窓』にはね」彼女は声をひそめて言った。「本物の呪文が載っているんですって。で、その呪文を使った人は必ず死ぬって、そんな噂があるの」
「本物の……呪文!?」
「ええ、どんな効果の呪文かは知らないけど。作者の平島外門も、今は行方不明らしい」
「そう言えば、塚野氏は、ここには世に出せない同人誌もあるなんて言ってたけど」
「それが『暗闇の窓』のことかもしれないわ。平島の出した小説は、『砂丘幻想』『迷宮アラベスク』『ズマガンマの帰還』『暗闇の窓』っていう四冊なんだけど、それがあの書庫に四冊そろって並んでたのを取材のときに見たの。それで、呪文のことを聞いたんだけど、塚野さんは笑ってそんなの全然信じていないようだった」
「その中の一冊がうちに送られてきたのかな? 表紙とかだいぶヨレヨレだったけど」
「私が見たのも、四冊ともわりとボロかったな」
喫茶店を出ると、助手席に七音を乗せ、車を発進させた。
しばらくして「これは噂なんだけど」と前置きして、七音が話しはじめた。
「山川さんの奥さん、もう亡くなってると言ったでしょう」
「うん」
「そのことを、お葬式に来ていた親戚の人たちが話していたのを聞いたんだけど。山川さんの奥さんは山の事故で亡くなったらしいの。夫婦二人で登山に行って、奥さんだけ崖から落ちたんですって。でね、その時、結構な額の保険金を受け取ったって。そして、今度の塚野さんも生命保険に入っていて、受取人は山川さんなのよ」
「まさか、保険金殺人……?」
「うーん、私には何とも言えないけど……」
「でも、塚野氏の遺体には外傷も無かったってことだし、殺人の可能性は低いんじゃない」
「まあ、そうよね」
車は、代田にある塚野多々郎の書庫へ到着した。
七音がドアのカギを開けた。
「一条寺さんが探してるのは、『渚のポニーテール』だっけ。それも見つかるといいんだけど」
そう言って彼女は本棚を見て回った。
大量にある同人誌のコレクションは、著者別の五十音順で並べられていた。さらに未整理の分が、段ボール箱や紙袋に詰め込まれ床に積まれていた。
私は一応、『渚のポニーテール』の作者・岩谷文弥の名を棚の〈い〉の所で探してみたが、やはり見つからなかった。
「ちょっと一条寺さん、見て」と奥から七音が呼んだ。
行ってみると彼女は〈ひ〉の棚の所で、二冊の同人誌を抜き出して見せた。
「ここにあるのが平島外門の小説なんだけど、二冊しかないのよ」
「もとは四冊あったんだよね」
今あるのは、『砂丘幻想』と『迷宮アラベスク』の二冊だけだった。
「『ズマガンマの帰還』は一条寺さんのところへ送られたとして、もう一冊『暗闇の窓』はどこへいったのかしら」
「一冊だけ高価な『暗闇の窓』か」
二人は、書庫の中をざっと探して回ったが見つけることはできなかった。
私は書庫を出る間際、机の下に小さな紙きれが落ちてるのを見つけた。
拾ってみるとそれは手書きのメモで〈大西秀継 呪術研究家?〉と書かれていた。
「知ってる?」と私はメモを見せて七音に聞いた。
彼女は首を振って知らないと答えた。
われわれは車に戻った。
「どうするの?」何か考えこんでいる様子の七音に聞いた。
「『暗闇の窓』が消えてたことが気になるな」
「書庫のどこかに紛れこんでるってことはないかな?」
「その可能性もなくはないけど、でも、前に見たときは普通に本棚に入れてあったわけだし」
「じゃあ、何?」
「だから、盗まれたんじゃないかなって」
「ドアには鍵がかかってたんでしょ」
「うん。でも、塚野さんが階段で倒れた時、鍵はたぶんポケットに入れていたはず。だからそこに誰かがいたとしたら、鍵を取り出して書庫に入り目的の本を手に入れたら、また鍵はポケットに戻して立ち去る……ってことも出来たんじゃない」
「しかしやっぱり外傷なしってところが問題だな。その人物は塚野氏が確実に死ぬってわかってないと、そんな無茶はできないでしょ」
「呪いを使ったのかも……」
「んん、つまり……」
「一条寺さんが拾ったメモ、呪術研究家って書いてあったでしょ」
「えっ、じゃあこの人が」
「その人かはわからないけど、呪術が関係してる証拠ではあるわ」
「うーん、『暗闇の窓』には本物の呪文が載ってると言われてるんだよね。それで呪術を使える人が塚野氏に呪いをかけてその本を奪ったと」
「ともかく、その大西って人に会ってみたいんだけど」
「でも住所は?」
七音はスマホを取り出して検索した。
「大西秀継だよね。この人、呪術の本を何冊か出してるみたい。ちょっと問い合わせてみるね」
彼女は電話を二本ほどかけると、住所をメモに書き留めた。
「わかったわ、狛江市に住んでるって」
「近くだね、行くか」私は車を出した。
狛江市は世田谷区のとなりで、成城を抜けて行けばすぐだった。
「しかし、わからないのは」運転しながら私は言った。「なぜうちに『ズマガンマの帰還』が送られてきたのかだ」
「そうね、それも謎だけど」
「『暗闇の窓』が送られてきたならまだわかるんだ。盗まれる危険を感じて一時的に預けるつもりだってことで」
「つまり、『渚のポニーテール』を送るために用意していた封筒に、とっさに入れたってことね」
「そう、しかしじっさい送られてきたのは『ズマガンマ』で、『暗闇の窓』も『渚のポニーテール』もどこかに消えてしまった」
「誰かほかの人にも送ったのかも」
「どうかなあ。タイミング的には『ズマガンマ』を入れた封筒をポストに投函した直後ぐらいに塚野氏は死んだんだと思うけど……」
車は、古い大きな邸宅が並ぶ一画へ来ていた。
大西秀継の家も広い庭のある古びた屋敷だった。庭は枯れ葉と雑草に覆われていて、あまり手入れをされていないように見えた。
黒い鉄格子の門に取り付けられているインターフォンを押してみたが、いくら待っても応答はなかった。
「留守かな?」
「そうね」
あきらめて帰ろうかと思ったところ、庭の方から奇妙な声が聞こえてきた。
「何だろう?」
「なんだか呪文みたいね」
「呪文か。じゃあ大西さんかな?」
「行ってみましょう」と七音が私の腕を引いた。
私たちは母屋を回り込むように庭へ入っていった。
そこに長い白髪を背中で束ねた痩せた男がいた。その人物は白い作務衣のようなものを着ていて、指を複雑な形に組みながら呪文を唱えていた。男の前には布をかけられた祭壇のようなものがあり、その上には幾何学的な図形に従って火のついた蝋燭が配置されていた。
呪文というのはこんなものである。
えるあーえあ へんぬ なーやっ
くらくる えんでんぬ らーはっ
ぱどどろはり ぱどどろはり
かくふ かくふ かくふぅぅう
われわれが近づいていくと、男は不意に呪文の詠唱をやめこちらを振り向いた。白い皮膚のしわ深い老人の顔だった。
「何だ、お前たちは!」男は鋭い目でこちらを睨んで言った。
「すみません、インターフォンで呼んだのですが、こちらから声が聞こえたものですから」
「勝手に入ってもらっては困る」
「あなたが大西秀継さん?」
「そうだが」老人は苛立った様子で答えた。
私と七音はそれぞれ自分の名と職業を告げた。
「われわれは塚野多々郎さんについて調査しているんです」
「ふん、それで?」
「先日、塚野さんが亡くなられたことはご存知でしたか?」
「知らんね、もともと親しい間柄でもないし」
「最近、塚野さんと会われたんではないですか?」
「ああ一度だけね。ある資料を譲ってもらえないかと頼みにいったんだが、他人には見せられないと言って追い返され、それっきりだ」
「資料というのは『暗闇の窓』ですか?」
それを聞くと大西は一度言い淀んでから気を取り直して認めた。「ああ、そうだが」
「その『暗闇の窓』ですが、今日われわれが塚野氏の書庫へ入ったところ見当たらなかったんです」
「だから何だというのだ。私が盗んだとでも言いたいのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「証拠もなしに疑われても困る。だいたいあの本を欲しがっていた者は私以外にもいる」
「と、言うと?」
「翻訳家の樫村真沙夫だ。ちょうど私が塚野の所から帰るときにすれ違った。どうせあいつらも同じ本が目当てだったのだろう」
「あいつらというと、ほかにも誰か?」
「ああ、若い男が一人いっしょにいた。確か、シロマとか呼ばれていたな」
「そうですか、なるほど」
ほかに聞くことはないかと七音に目を向けると彼女が質問をした。
「あの大西さん、今、何か儀式のようなことをされていたようですけど、いったい何を?」
それを聞くと、大西はまた怒りがぶり返した。「お前たちが知る必要はない! とっとと帰れ!」