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連載3、4回ぐらいで終わる予定の短編です。
(追記:結果、全6回になりました。2017/1/4)
私はその日、数年ぶりにバー・ミナトを訪れた。
「あら、探偵さんご無沙汰ね」と、ホステスのカヤコは私の職業を憶えていた。名前は忘れていたが。
彼女はちょうど頼みたい仕事があるのだという。
沖縄民謡が流れる店内でカクテルを勧められながら、私はカヤコの話を聞いた。
「弟が書いた小説を探してほしいのよ」
「弟さんが小説を?」
「ええ、弟はもう五年も前に事故で死んでしまったんだけど、高校生のころ小説を書いていたのよ。それを同人誌にして、何かのイベントで売ったりしてたらしいの。私も一度見せてもらったことがあるんだけど、その時は興味も無くて……、でも死んでしまってから、急にあの時ちゃんと読んであげればよかったって思うようになって、探したけどうちには一冊も残ってなかったの。弟の友達にも聞いてみたけど持ってないって言うし」
「小説の同人誌じゃあ、探しても見つかるかどうか」
「ううん、それはわかってる。でも当てがあるのよ」
彼女は何かをコピーした紙を持ってきた。『週刊ピース』の「コレクター探訪」という記事だった。そこには「文芸同人誌コレクションでは日本一」である塚野多々郎なる人物のインタビューが載っていた。
「常連のお客さんが、この人なら持ってるんじゃないかって、わざわざコピーして持ってきてくれたの。で、出版社に電話して連絡先を教えてもらおうと思ったんだけど、教えられないって言うのよ。それで、探偵さんなら探せるんじゃないかなって、そう思ってたところだったの。この塚野って人をさ」
私は、かなり値切った料金にボトル一本上乗せすることで、この仕事を引き受けた。
カヤコは本名を岩谷華代子といった。弟の名は岩谷文弥。彼の同人誌のタイトルは『渚のポニーテール』で、表紙にはマンガみたいな女の子のイラストが描かれていたらしい。
私はミナトを出ると、霜田という男に電話をかけた。マスコミ関係に強い情報屋である。
「コレクター探訪」の記事を書いたのが誰か調べてもらったのだが、事務所に帰り着いた頃にはもう答が返ってきた。
記者の名は佐藤七音。少し前までは女子大に通いながら、出版社でバイトをしていたが、最近、大学は中退してフリーライターになったという。
霜田から聞いた番号へ電話をかけた。塚野多々郎の連絡先を知りたいのだがと言うと、相手はそういう個人情報は無闇と教えられないと言った。こちらの事情を明かして頼みこむと、先方に聞いてから返事をすると言って電話を切った。
しばらくして、佐藤七音から電話があった。塚野はこちらと会ってもいいということだった。自分が案内するからと、彼女は私と翌日の待ち合わせ場所を決めた。
そして翌日、曇天の昼下がり。渋谷、道玄坂上のコンビニ前で佐藤七音をスカイラインGTの助手席に乗せた。彼女は小柄な痩せた身体で臙脂のスカートに白いブラウスを着て、ショートカットの髪でメガネをかけていた。
私は彼女の指示通りに車を駒場方面へ進ませた。塚野多々郎の家は世田谷区代田にあるという。
道中、彼女は私立探偵の仕事に興味を示し、いろいろ聞いてきたが、私は適当な話でお茶を濁した。
環七を少し北上して左折、住宅街に入るとすぐに目的地に到着した。そこは古びたマンションで、塚野は二階の二部屋を借りていた。一室は住居で、もう一室はコレクションを収めた書庫にしているのだった。
七音がインターフォンを押すとドアが開けられた。姿を見せたのは半ば白い髪に、日に焼けた丸顔を髭で縁取った、山猫のような大きな目と口の男だった。それが塚野多々郎で、七音が私を紹介した。
「一条寺蓮です」私は名を告げた。
塚野は、われわれを書庫へ案内した。入り口近くにテーブルと椅子がいくつかあり、あとは本棚と段ボール箱に同人誌がぎっしり詰まっていた。
「で、お探しの本というのは?」
「タイトルが『渚のポニーテール』で、作者は岩谷文弥です」
「ふむ」と、塚野はパソコンに文字を打ち込んだ。「検索しても出ないな」
「ないのですか?」
「いえ、データ化してあるのは八割程度で、まだ整理してないものも何千冊とあるのです」
「ではその中に?」
「ええ、可能性はあります。ですが、手作業で探さねばなりませんので時間がかかります」
「何ならお手伝いしましょうか?」
「私も手伝います」と七音も手を上げた。
「いえ、そうもいきません」
「一人では大変でしょう」
「助手でも雇えればいいのですが、しかしここの同人誌の中には世に出せないようなものもあるので、なるべく他人には触れさせたくないのです」
「世に出せない……と言うと?」
「何しろ同人誌というのは個人で好き勝手なことを書けるわけですからな、中にはいろいろ危険なものもあるのです」
「なるほど、闇の深そうな世界ですな」
「ええ、お探しの本は二三日中には調べられるでしょう、もしあったら連絡するということで」
私は礼を言い、連絡先の記された名刺を渡して、その場を後にした。
帰り道、七音から聞いたところによると、塚野はずっと取材などは断っていたのだが、今回は塚野の恩人ともいうべき人の仲介があって受けることになったのだった。
二日後、塚野からeメールで『渚のポニーテール』が見つかったと連絡があった。郵送するので作者の姉に渡してほしいとのことだった。
だがその翌日、塚野は病死したと佐藤七音が電話で知らせてきた。マンションの階段で倒れているのを上階の住人が見つけたのだった。死因は不明だが、外傷はないため警察は病死と判断したという。
電話を切ると、私の住居兼事務所に郵便物が届いた。塚野多々郎からの封書だった。倒れる前に発送していたのだろう。大きめの封筒にA4サイズの同人誌が入っていた。しかし、そのタイトルは『ズマガンマの帰還』というもので、作者名は平島外門となっていた。他に手紙などは入っていなかった。
一応、岩谷華代子に確認してみたが、弟はペンネームなど使っていないし、平島外門と言う名前にも心当たりはないという。
では、この本は何なのだろう。単なる封筒への入れ間違いか。だが、塚野が死んだとなると気になる。
本をよく見ると、かなり傷んでいて、一度ページがバラバラになったらしく、表紙をホチキスで綴じ直してあった。
中身をめくってみると、剣と魔法の世界を描いた怪奇小説のようだった。分量はそう長くはない短編である。私は何となく気になって、その小説を読みはじめた。