表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

強迫性神様依存症

作者: 小野神 空

少女は神様と言う治療薬がないと生きていられなくなったとさ。

誰かを頼りに思う、気になるその心は果たして愛なのか。それとも依存なのか……。


高2の頃に書いていた話をリメイクしてみました。初投稿の「禁じられた行為」の次に書いた話なのでそんな感じの話になっています。

吐いた息が白い。必死で手をこするけれどそれは全く意味がなかった。寒い……寒い……。どうして私はこんなところにいるんだろう。気がつけば私は路地裏のゴミ置き場にいて、ずっとずっとここで暮らしていた。親の顔なんて見たことがない。名前も知らない。

……そんなことよりお腹が空いた。最後に何かを口にしたのはいつだろうか。私は凍死と餓死どっちで死ぬのだろうか。後どのくらい生きていられるのだろうか。そんなことを考えているうちに意識が朦朧としてきた。どうでもいい人生だった。思い残すことなんて、何も……。

「こんな寒空の下で何をしているのでしょうお嬢さん」

突然声が聞こえて顔をあげると、目の前に若い男性が立っていた。今まで私に声をかけてきた人なんていなかったから驚いた。今の世の中、みんな自分のことで精一杯で捨てられた子は相手なんてしてもらえないから。

「見て分からないですか?そこに立たれると目障りなので、さっさとどこかに行ってください」

「ごめんなさい。そんなつもりではなかったのですけど……。ほら、行きましょう。こんな冷たい体で大変だったでしょう?」

彼は急に私を抱き抱え、歩き始めた。周りの人たちは彼を誘拐犯か変人を見るような目でこそこそと話している。まったくメリットがないのにどうしてこんなことしているのだろうか。

「あなた、小さい子が好みなんですか?捨て子なら周りに何も言われずに自分の欲の処理に使えて、自由に捨てられるから楽ですよね」

「まだ幼いのにそんなこと御存じなのですね。あなたに危害を加えるつもりはありませんから大丈夫ですよ。と言っても、こんな大人は信用できませんか?」

「誰も私を相手になんかしませんから知りません。大人たちが話していた身体を売って生きる道はまだ選んでませんし、別にどうなったっていいです」

「そうですか。初めてが好きな人でないのはつらいことですからね。あなたは可愛らしいですからきっと素敵な恋ができますよ」

この男性が何を言いたいのか分からない。一応心配してくれているみたいだけど表面上だけかもしれない。まあ、今となっては何をされてももう構わないけれど。

「ナンパ目的だったんですか?褒めても何もしませんよ」

「率直な感想を述べただけなのですけどね。あなたはこれから幸せに生きるのですから、そんな暗い顔しないでください。女の子には笑顔が一番なんですから」

「笑顔なんて忘れました。幸せなんて忘れました。そうやって私を喜ばせてからつらい思いをさせようとしても無駄ですから」

「どうやら今のあなたには何を言ってもだめみたいですね。もうすぐ着きますよ。私の意思は今すぐじゃなくてもこれから知ってもらえばいいですからね」

それからは目的地に着くまでお互いずっと無言だった。私は特に抵抗することもせずに、彼にしがみついていた。

彼に抱きかかえられて……温かくて心地良かったと思ったのはきっと私の勘違い。



「ここです。着きましたよ」

「……教会?」

教会を思い浮かべろと言われたら100人中90人くらいが想像しそうな建物がそこにはあった。こんなところに連れてきて私をどうするつもりなのだろうか。

「私は実はこの教会で神父をしていまして、身寄りのない子どもを養護しているのですよ」

「孤児院ですか……」

中に入ると私より小さい子どもが10人ほどいた。男女比は同じくらいで、いくつかのグループに分かれて遊んでいた。一人の子が私に気づくと周りの子も一斉に私を見た。

「おねえちゃんも神父さんに拾われたの?」

「今日からお友達?」

「家族だよ家族! いっしょに遊ぼうよ!」

子どもたちが私を囲むように集まって遊ぼう遊ぼうと手を引っ張る。小さい子と話したことなんて全然ないから私はどうしていいのか分からず、神父の方を見た。

「困ります! 私にこの子たちのお守をさせるために連れてきたんですか?」

「仲良くできそうですね。みなさん、私はちょっとその子に用事がありますから遊ぶのは後ででもいいですか?」

「はーい!」

「良い子で待ってるから、後で遊ぼうね!」

「いろんなお話聞かせてほしいな……」

子どもたちは笑顔で私を見ながら周りから離れてくれた。その表情にどうしていいのか分からず、私は下を向いて別の部屋に歩く神父を追いかけた。

「そういえばまだ自己紹介をしていませんでしたね。私の名前はアドルフといいます。神父と呼んでも名前で呼んでも構いませんよ。あなたはなんという名前なのですか?」

「私は、名前を付けられる前に捨てられました。だから、名前はありません」

「なら、私がつけてもいいですか? そうですね……幸福と美の女神からとってシュリーなんてどうでしょう?」

「別にいいですけど……」

宗教に詳しいわけではないが前に、別の国の人がそのような名前を言っていたような気がする。もしかして、この国で信仰している神様の名前ではないのではないか。

私の考えている表情を見て察したのか、神父は笑っていた。

「教会といっても特に何か信仰しているわけではなく、ほとんど身寄りのない子どもたちのために作ったような場所ですから。宗教については全然気にしなくていいですよ」

「そうなんですね……。それで、私はどうすればいいんですか?」

「今日から私たちは家族です。みんなで助け合いながら生きていきましょう。」

私は朗らかに話す彼の顔をじっと見た。何か企んでいる様子はないけれど、急にそんなこと言われても、はいそうですねとは言えない。でも、どうせここを出て行ったって行く場所はないのだからしばらくここで生きていくのもいいだろう。


「ねえ、シュリー! 本読んで!」

「シュリーは私と遊ぶんだからだめー」

「みんな、独り占めしないで……」

次から次へと子どもたちが私に絡んでくる。ここに来て1週間、最初よりは小さい子たちの扱いに慣れてはきたもののずっと1人だった私に子どもとの接し方なんて分からない。てきとうにあしらって、自分の部屋に戻った。他の子たちは数人部屋だけれど、私は空いていた部屋を1人で使わせてもらっている。普通の人から見たら狭くて窮屈かもしれないが、そもそも家がなかった私にとっては快適だ。部屋まで来る子はいないため、ゆっくりできる。

だが、そうも言っていられない。このままここにずっといてもいいのか。落ち着いてきた時に、私はどうするか考えなければならない。これからのことを考えようとしているとドアがノックされた。

「夕食の時間になりました。早くしないとせっかくの料理が冷めてしまいますよ」

「そんな気分じゃないのでいらないです」

神父の誘いに私は即座に断った。みんなで食卓を囲むなんて今の私にはできそうもないからだ。あの子たちは家族のように接し合い、楽しい時間を過ごすのだろう。そんな空間に私が入って邪魔をしたくはない。いや、それはただの綺麗ごと。本心は私と同じ立場なはずなのに幸せそうにしているのが羨ましい。それが当たり前だと思っているのがおかしい。そんな場所にいるなんて私には耐えられないから、放っておいてほしいのだ。

私の言葉に彼が何を思ったのかは分からないが、ここにおいておくので食べてくださいと言い残して部屋から離れていった。今は何も考えたくなくて、私は眠ることにした。このまま何かが変わってくれたらいいのに……。

目を覚ますと私はいつの間にか布団の上にいた。体に毛布がかかっているし、部屋に夕食が置いてあるから、あの神父がしたに違いない。私なんかを助けたって何の価値もないのに馬鹿な人だと思う。でも……何かお返しをした方がいいかななんて考えている私も存在している。

私は何を考えているのだろう。寝起きだからぼーっとしてこんな変なことを考えてしまうのだ。ベランダに出て外の冷たい空気を肺に吸い込む。冬場の夜中は冷えるけれど、眠気覚ましにはちょうどいい。

彼は1度だって私に酷いことはしていないし、それどころか私のために色々してくれた。それなのに何もしないでいたら、あの場所にいた大人たちと同じになってしまう。された分だけお返しする。それは当然の行為だ。そう、人として当然のこと。だから気にすることはない。最低限のことだけはするけれど、それ以上はするつもりはないし相手だって望んではいないはずだ。私はまだ彼のことを知らない。少しずつ見ていこう。本当にあの大人たちと違うのか。


「お姉ちゃん、絵本読んで……?」

次の日の朝、女の子が部屋にやってきた。名前は覚えていないが、よく一人で絵本を読んでいるのは見る。雰囲気から察するに人と関わるのはあまり得意ではないらしい。なのに、どうしてまわりと関わろうとしない私のところに来たのかは分からない。

「あの神父にでも読んでもらえばいいじゃない。私は忙しいの」

「で、でも……神父さん忙しそうで……。他に読んでくれる人がいないの」

この寂しそうな表情、どこかで見たことある。遠い昔、物心がついて街中を歩いていたころにお店のガラスに映っていた私だ。信頼できる人が誰一人といなくて寂しくてつらくて、誰かに手を差し伸べて欲しかったころの……。

「1週間待ってて。それまで一人でも読める?」

「う、うん!ちゃんと待ってる……!」

女の子は笑顔になってくれたが、私の心は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。捨て子だった私は学びの機会なんてもちろんあるわけがなく、文字は全くと言っていいほど読むことはできない。1週間と言ったがそんな短い期間でちゃんと読んであげることができるのだろうか。そもそも、学校にも通っていないのにどうやって学べばいいのか。

不本意だけれど、あの人を頼るしかない。こうして子どもの相手をすることは彼のために繋がるのだから。

教会の中を探していると神父は朝食の準備をしていた。子どもの世話をしているのは彼一人しかいないため、忙しいのは分かっているけれど仕方ない。時間がある時に少しだけ教えてもらえばいい。後はそれを自分で反復して覚える。

「おはようございます。神父さん、突然で申し訳ないのですが私に文字を教えてください」

「ああ、おはようございます。それは本当に突然ですね。さては、チェルシーに絵本を読んでほしいと強請られましたね?」

流石、一人で世話をしているだけあってなかなか察しが良い。わざわざ丁寧にお願いするまでもなかったかもしれない。

「ですが、私が読んであげるので大丈夫ですよ。文字を覚えるのは大変なことだと思いますし、来てもらってばかりでそこまでしてもらうわけには……」

「他の小さい子たちならともかく、私はほぼ最年長ですよね? それなのに他の子と同じ扱いで甘えるのもどうかと思いまして」

「今まで甘えられなかった分、甘えていいのですよ。ここはそういう場ですから」

彼は意外と引き下がらなかった。私のことを考えて言っているのであって、悪気はないのだろう。ただ、それは私にとっては毒でしかない。と彼に言っても仕方がないから私が慣れるしかなさそうだ。

「どちらにせよ、これから生活していく上で文字が分からないというわけにはいきませんから。だからお願いします」

「それはたしかにそうですね。それでは夜に私の部屋に来ていただいてもよろしいでしょうか?」

「分かりました。その時よろしくお願いします」

子どもの相手はまだ苦手だけれど、家事なども手伝っていきたい。これから生きていく上で必要になるから。でも、文字を教えてもらう上にあれもこれもなんて言うのは大変だろう。今は彼を見て覚えるしかない。料理、掃除、洗濯くらいなら何度か見ていればできるようになると思う。

「これから少し用事があるのでお留守番お願いします。良い子で待っていてくださいね」

彼は私を何だと思っているのだろうか。そういうことは他の子たちに言ってほしい。私は彼がいてもいなくてもどっちだっていいが、子どもたちにとっては大事なことだと思うから。

神父が出かけているうちに私は今日やったことを思い出す。今行うことが出来ないことは思い出して復習するしかない。これからはメモを取った方がいいだろう。

あれこれ考えているうちに日は沈んでいて、夕食の時間となっていた。私は今回も食堂には行かず、子どもたちがみんな寝た時間になったのを見て彼の部屋に向かった。

「こちらへどうぞ」

テーブルには椅子が2つ並び、複数の本が置いてある。この場所で使っている物かと思ったがそれにしては新しく見える。たぶん、さっき出かけて来た時に買ってきたのだと思う。わざわざそんなことしなくてもいいと思ったが自分のためにしてくれたのだからそうは言えず、私は黙って席に着いた。

「それでは授業を始めましょう。シュリーはどのくらい文字を知っているのですか?」

「学ぶ機会がなかったので全く分かりません」

相手に悪気がないと分かってはいたけれど、冷たく言い放った。すると神父は申し訳なさそうな表情をしてしまったので、私は催促の意思表示として本を指で叩く。

「そうですね。勉強の方を始めましょうか」

さっきも言った通り、勉強をしたことが全くない私は神父の丁寧な指導を受けても全然文字を覚えることは出来なかった。そんな簡単に完璧にできるとは思っていなかったけれど、私くらいの年の子はみんなこの程度できているはずだ。それに、あの子との約束がある。

時計を確認するともう日付が変わっていたので、今日はこのくらいにしようということになった。私は神父に本を借りて自室に戻り、外が明るくなるまで読み込んでいた。ただの同じところに住んでいるだけの子との約束でここまで頑張らなくてもいいのにと思ったけれど、私を動かす他の要因があるような気がした。


「んん……」

勉強を始めてから数日が経った。今日も朝まで勉強をしていたせいでぼーっとするが、家事の手伝いをしなければならない。洗面所で顔を洗って眠気を覚ます。鏡を見るとどこか疲れたような表情をしていたから、もう一度顔に水を浴びせてタオルで擦る。さっきよりはマシな表情になっていて、それだけで今日も頑張ろうという気持ちになれた。

文字を勉強している間に家事も覚えてきた。掃除や洗濯は一人でもできるし、料理も簡単なものなら上手に作れる。神父さんに物覚えがいいと褒められて、私は何故だか胸の奥がむずむずするような感覚になった。人に褒められるのも……案外悪くない。


ちょうど1週間後、私は絵本くらいなら読めるようになっていた。時々つっかかったり読めなかったりするところはあるけれど、誤魔化してもあの子は怒らなかった。それどころか話に夢中になってそんなことにも気づいていない。

「お姉ちゃん、ありがとね……! 読んでもらえて嬉しかった」

「どういたしまして。えーっと……」

「チェルシーだよ」

「チェルシーね。覚えた覚えた」

そう言って彼女の頭を撫でると、嬉しそうな表情で私を見つめていた。街の人たちからゴミを見るような目で見られていた私が人の役に立って、こんな表情で見てもらえて、彼に感謝せざるを得ないだろう。ここに来てから彼は私を陥れるどころか、ずっと私のことを気にかけてくれて悪い人じゃないのは分かってた。でも、最初の関わり方のせいでなかなか素直になれなくて……。

「シュリー、ここにいたのですね。昼食の用意を手伝ってもらってもいいでしょうか?」

「神父さん、シュリーお姉ちゃんに絵本読んでもらえたの……! この本すごく楽しかった」

「それは良かったですねチェルシー。忙しくて最近全然構ってあげられなくて申し訳なかったですね」

「お姉ちゃんがいるから大丈夫。でも、これから連れて行っちゃうの……?」

「じゃあ、チェルシーも一緒に行きましょうか」

「うん! 行く!」

急に神父さんが現れたと思ったら私の前で話がどんどん進んでいく。けれど、それは悪い気はしなかった。頼りにいてくれているのはすごく嬉しいし、チェルシーも一緒にいるのも嬉しい。この状況を楽しんでいるんだ。必要とされているのがとても嬉しい。私は二人に手を引かれてキッチンに向かった。


家事の手伝いにチェルシーも加わり、彼女も家事に慣れてきた頃には私はこの環境にすっかり馴染んでいた。

「ほら、ご飯よ。みんな手を洗ってきなさい」

いつもこんな感じのせいで私のことをお母さんと呼ぶ子も増えてきた。チェルシーもお似合いだよなんて笑うせいで少し複雑な心境だけれどちょっぴり嬉しかった。私がお母さんならお父さんは――

「違う! それは違う……!」

「そんなにやにやしてどうしたの? シュリーお母さん?」

「にやにやしてない! もう、からかわないでよ」

「ふふふ。でも、お姉ちゃん前よりほんと笑うようになったよね。可愛くなったよ」

からかって笑うチェルシーのせいでむずむずしてくる。これ以上変な反応を見せたら余計にからかわれるのは分かっていたから、私はキッチンに戻った。お皿に料理を盛り付ける神父さんの後ろ姿。手を洗い終えて走って戻ってくる子どもたち。血が繋がっていなくても私たちは家族なんだと感じさせてくれる。きっと私は大人になるまで、もしかしたら大人になってからもずっとここで暮らしていくことになるのかもしれない。チラッと神父さんの方を見ると目が合って、彼はにっこりと微笑んだ。その笑顔にどきどきして……彼のために頑張ろうって改めて思えた。

昼食を食べ終え、1人で食器を片づける。本当は3人でやる予定だったけれど、これくらいもう一人でもできるし、洗濯の方にまわってもらった。今まで一人だったのに、周りに色んな人がいてくれる状況になったらたまに一人になりたいなんてちょっと贅沢な気がする。

洗い物をしている手を見ると真っ白で細くて女の子らしい手だ。これが数か月前は泥や煤に塗れて薄汚れていたなんて誰が信じるだろうか。また一人でにやにやしてしまっていることに気がついて、私は赤面する顔を抑えるために皿洗いに集中することにした。


夕飯の準備を終えてホールに向かうと子どもたちが集まってざわついている。何事かと思って近寄ると神父さんの隣に見たことのない女の子がいた。どうやら新しい子を連れて来たらしい。

「今日からみんなの新しい仲間になりました。リアといいます。仲良くしてあげてください」

「……よろしくお願いします」

リアという少女は俯き、神父さんの背中から半分顔を出してボソボソと話していた。ここに来るということは、何か訳ありなのだと思うし急にこんな環境に来たら不安だろう。私は屈んで彼女に向かって微笑むと、微かに笑ってくれた気がしたがその表情に私は何故か恐怖のようなものを感じていた。私の気のせいだと思い、気持ちを切り替えて掃除を始めることにした。

部屋を回っていると神父さんの姿が見えないことに気がついた。どこかへ行く時は必ず私に一言言うはずなのに。心配になって手当たり次第探していると、使われていない部屋から彼が出てきた。

「今日からここがあの子の部屋になりました。どうやら色々とあったみたいで、他の子たちに近づくのも難しいみたいです。しばらくは付き添ってあげた方がいいと思うので家事や子どもたちの面倒を見るのを任せてしまってもよろしいでしょうか?」

「それは……はい、お任せください」

神父さんと一緒にできないのは残念だし、あまり話せなくなってしまうのは寂しいけれど彼からのお願いなら断れない。彼が忙しい時こそ、私がしっかりしないと。そのためにできることを増やしてきたのだから。正確には最初はそのためではなかったと思うが、そんなことは気にしない。この時間は特にすることもないから他の子たちの面倒を見よう。

部屋まで行くと、みんないつも通り仲良く遊んでいて特に気にすることはなさそうだ。近くの椅子に座り、子どもたちを見守りながらさっきの子のことを思い出していた。人見知りというより、人に怯えている様子。まるで昔の私を見ているようだ。外に見せている自分と中で考えていることが一致しない感じ。あの時の彼女とは真逆で私は強気でいたが内心ではすごく怖かった。でも、彼女はその逆で見た目は怯えていたが内心では……。

私は頭を振ってその考えを脳内から消した。あれだけの会話で人の心が分かるわけがない。でも、私はたしかにあの子に恐怖を感じていた。まるで、あの笑顔は第一に好印象を与えるためのものに見えたから。

違う……それは違う……。それはただの先入観だ。私の勝手な思い込みで彼女を傷つけてしまったら神父さんも傷つけることになってしまう。いや、そうじゃなくて彼女だってどうしていいのか分からなくてなってしまうはずで――

「お姉ちゃん?」

「あっ、ごめんね。どうかしたの?」

考えに没頭しすぎたせいで目の前にチェルシーがいることに気がつかなかった。これでは私を信じて仕事を任せてくれた神父さんに顔向けができない。しっかりしなければ。

「お姉ちゃん、なんだか少し怖い表情をしてる気がして心配になったの。大丈夫……?」

「大丈夫だよ。ちょっと悩み事があっただけ。そうだチェルシー、絵本読んであげる。どれがいい?」

「じゃあ、これ読んで……!」

チェルシーは私の膝の上に乗って絵本を差し出す。私はそれを受け取って、彼女を抱える体勢で絵本を読み始めた。彼女の温もりのおかげで落ち着いてきたが、さっきの思いはまだ心の隅に残っているような気がした。

次の日も、そのまた次の日も神父さんはずっとリアの面倒を見ていて私や他の子の相手をする時間は大きく減った。あの子がいなければ、神父さんはもっと私の側にいてくれるのに……なんてことを考えてしまう。新しく来た仲間に対してそんなことを思ってはいけない。そんなことを考えてしまうということは相当疲れているのだ。掃除も洗濯も終わって、することはだいたい済んだから少し自分の部屋で休むことにした。


気がつくと私は教会のホールに立っていた。さっきまで自分の部屋にどうしていつの間にかこんなところにいるのだろうか。辺りを見回しても誰もいなくて不安になってきた。恐る恐る歩こうとすると突然明かりが消え、周りが見えなくなるほど真っ暗になった。じっとしていられず自然と駆け足になったがどこまで走っても真っ暗で、私が今どこにいるのかさえ分からなくなる。自分しかいないという焦りで自分の足に引っ掛かって派手に転んでしまった。音は教会内に響き渡り、まるでそれは私に孤独を再認識させているようだった。痛みはそこまでなかったから再び歩こうと顔をあげると、不敵な笑みを浮かべたリアが私の目の前に立っていた。

「……んて……ければ……のに」

うわ言のように何かを繰り返し呟いているが、小さな声で聞き取りにくい。私は彼女に顔を近づけて――後悔した。

「あんたなんていなければいいのに……あんたなんていなければいいのに……」

「……リア?」

「いいや、いたってあの人は私のモノ。彼はもうあんたのことなんて忘れてしまったのだから」

冷たい目で私を見下し、吐き捨てるようにリアは言った。彼女が何を言ってるのか分からず、固まっていると彼女は私の腕を掴み引き寄せ、耳元で囁いた。

「あんたの居場所は私が頂くわ。あんたはまた一人に戻るの。路地裏で大人たちに罵られる生活に帰るのよ」

「そんなことないっ……! 神父さんは私のことを見捨てないから!」

喉の奥から絞るように声が出た。しかし、私の言葉は彼女の言葉で掻き消され、私の脳内を汚い言葉で埋め尽くしていった。耳を塞いでも彼女の言葉はしっかりと聞こえてくる。どうして、どうしてリアは私にこんなことをしてくるの。私は何もしていないのに。どうして……どうして!!


目を開けると見慣れた天井が視界に入ってきた。どうやら部屋に戻った後、ベッドで眠ってしまったらしい。さっきの出来事が夢で安心したのだけれど、体の震えは止まらなかった。

結局その後、寝ることは出来ず朝を迎えてしまった。眠い目を擦りながら朝ごはんの仕度を始める。神父さんはきっとリアの部屋にいて準備に来れないだろうから、私がやらないとご飯を作る人がいなくなってしまう。別にご飯を作る時間くらい出てきてもいいじゃないか。少し過保護すぎるんじゃないかと少し思ったけれど、仕方がないのだ。それほど私たち側の住民の心の傷は深いのだから。分かっているからこそ許せてしまって……でも本当にこのままでいいのかと不安が私の心を押しつぶそうとしてくる。せっかく得た私の居場所が奪われてしまうのではないか。彼がもし、私を本当に必要としなくなってしまうとしたら私はどうするのだろうか。

「お姉ちゃん……?」

チェルシーの言葉で私は我に返った。どうやら手伝いにきてくれたみたいだ。無意識で手を強く握りしめていたみたいで、爪が食い込み、掌は血塗れになっていた。それを彼女に見られないように手を後ろに隠して私は笑顔を作った。

「ごめんごめん。ちょっと疲れてたみたい」

上手く笑えていただろうか。チェルシーの表情は不安そうで、きっと私の演技はばれているのだろう。それでも私は押し通さなければならないのだ。

彼女の頭をくしゃくしゃと撫でると、少し嬉しそうに微笑んだ。この笑顔を私が守らないといけない。神父さんとの大切な約束なのだから……。

朝食を終え、チェルシーがみんなと遊んでいるところを遠くから見つめているとリアがみんなの輪に入ろうとして戸惑っているのが見えた。私に酷い言葉を投げかけたのは彼女じゃない。夢の中の、私の想像のリアだ。なのに、私は彼女に話しかけることもみんなの輪に入れるように手伝ってあげることもできない。私は神父さんと同じように子どもたちの親代わりになっているのだから、そんな私が彼女を避けてしまったらここで暮らしにくくなってしまう。それは分かっている。分かっているのに……。

もやもやしながらここにいてもみんなを不安にさせてしまいそうで私は自室に戻ることにした。昼食までまだ少し時間がある。神父さんに新しい料理のレシピを聞こうと思ったけれど、最近話していなかったせいで何だか会いにくい。それにあの様子だとリアは神父さんの元に戻ってくるかもしれないから、その時私が神父さんといたら彼女は一人になってしまうだろう。私の中で彼女を恐れる気持ちと仲間の一人なのだから助け合わないといけないと思う気持ちが交錯する。これがもしかしたらきっかけだったのかもしれない。


日が経つ毎に私の中で私じゃない何かが囁いてくるようになった。それに耳を傾けてしまったら乗っ取られてしまいそうで、その邪悪な言葉を押し退けて抑え込んでいるうちにリアとも少しずつ関われるようになっていた。夢のせいで私の中での印象が悪かっただけで、彼女は物静かではあるが視野が広く色々なことによく気がつく子だった。幼い子たちが困っていると緊張しながらもアドバイスをしてあげている姿を見て馴染めてきているのに気がついた。神父さんも彼女に付きっきりじゃなくなって私とも接することが出来るようになり、いつもの日常が戻ってきた……戻ってきたと思っていた。

リアがみんなの輪の中に自然と混ざれるようになって、彼女は家事の手伝いをしたいとお願いするようになった。手伝ってくれる人が増えるのは悪いことじゃないし、むしろ助かる。私もチェルシーも神父さんも賛成した……が、それが問題だった。リアは神父さんにべったりとくっついていた。私が入る間もないほどに。他の人からしたら親無き子が甘えているだけに見えると思うが、私は違った。夢のせいで私の居場所を奪おうとしていると思ってしまったのだ。正確には私ではない、私の奥に潜む何かが私の心を絞めつける。彼は私を必要としなくなるのではないか。他の子たちとは違う特別な存在ではなく、その他大勢に含まれてしまうのではないか。私はいらない子……駄目な子なんだ。

その場では平静を装うことが出来たが自室へ戻ると意識が遠のいていく。おぼろげな意識の中で聞こえてきたのは激しい音。右腕が少し痛む気がした。

目を覚ますと外がやけに明るく感じた。時計を確認するといつも起きている時間より数時間遅い。朝食の時間は既に過ぎていた。私がいなくても準備には問題はなかったらしい。リアがいるのだからそれはそうだろう。だからといってこれから二度寝しようとは思えず、着替えを済ませて部屋のドアを開けるとチェルシーが立っていた。両手にご飯を乗せたお盆を持っているのを見て、運んできたのはいいけど両手が塞がってドアが開けられなくて困っていたことが容易に分かった。チェルシーは本当に変わらず彼女らしく可愛らしい。

「持ってきてくれたの? ありがとう」

自分でも驚くほどの笑顔になれた。それに安心したのか、彼女は今朝の状況を伝え調子が悪いなら休んでもいいと言ってくれた。それはいつもの優しさなはずなのに今の私には逆効果だった。

持ってきてくれたご飯には手をつけなかった。捨てようかと思ったがそれは食材に悪い。神父さんがいつも嫌いなものを避ける子に言い聞かせていた。とりあえず朝食はテーブルの上に置いて部屋を出た。そこにあったのはいつもと変わらない風景。みんな楽しく遊んでいて神父さんやチェルシーも楽しそうに家事をして、私のいた場所にリアがいて。私がいなくてもみんな幸せ。私なんていらないんだ。

教会を飛び出して私は走った。心のどこかでは誰かが来てくれる。そんな甘い考えがあったかもしれない。しかし、そんなことがありえるわけがないのだ。私が黙って出て行ったことにすら誰も気づくことはない。馬鹿らしくなって足が止まった。偶然なのか、そこは私がずっと暮らしていた場所。再び戻ってきてしまったのだ。いつもの場所に座り膝を抱える。ずっと慣れていた場所なはずなのに、冷たくて暗くて怖くて……。視界がぼやけてきて目を膝に擦りつけた。誰にも見られるわけがないのに誰に対して誤魔化そうとしているのだろう。

そうしているうちにどのくらいの時間が流れただろうか。路地裏でさえ日の光が差していたはずなのに、いつのまにか辺りは真っ暗になっていた。この時間になると治安が悪くなってくるのだが今の私には関係ない。どうにでもなればいい。

「こんなところにいたのですか。随分探しましたよ」

聞き覚えがある声が聞こえてきて顔をあげると神父さんが困った顔をして立っていた。こんな場所をそう簡単に見つけられるわけがない。目を擦ってもう一度見るが、彼は間違いなく神父さんだった。

「どうしてここを……?」

「なんとなくあなたがここにいるような気がしたのですよ」

神父さんは手を差しだし、それ以上は何も言わなかった。私は黙ってその手をとり立ちあがった。やっぱり私にはこの人がいないと駄目なんだ。だから、それを邪魔するのであれば誰であろうと……。彼と並んで帰る中で奥底の感情はもうすぐそこまできていたことに気づくことは出来なかった。


次の日の朝は寝坊することなく、それどころかいつもより早く目が覚めて朝食の下準備を始めた。せっかく早起きしたからという気持ちがあったが、それ以上に彼に褒められたいという思いもある。ずっとお手伝いをしていたおかげか今では一人でも準備をこなせるようになって、みんなが起きる前に終わってしまった。他に特にすることもないからたまには神父さんを起こしてみるのも面白いかもしれない。彼の寝起き姿を見たことがなかったから、どんな感じなのか楽しみに廊下を歩いていると理解できないことが起こった。部屋から出てきた彼がもう寝起きという雰囲気でなかったとか、いつも通りの笑顔がいいとかそういうことではない。どうして……どうして彼はリアの部屋から出てきたのだろうか。彼女を起こしに行っていたとか前の私のように何かを教わっていたとかそう考えるのが普通だけれど、もうそんな正常な考えは私には出来なかった。リアが神父さんを奪ったのだと私は確信してしまった。あの感情が……私を支配した。

お昼ご飯を食べた後、神父さんは用事があるから数時間出かけると私に声をかけた。今ここにいるのは子どもたちだけ。誰にも見つからないように気を付ければいい。どのように動くか考えながら廊下を歩いていると後ろから誰かに呼ばれた。

「シュリーさん、ここにいたんですね。私、他にもたくさんのこと教えていただきたいので是非家事の先輩として教えていただこうかと……」

「やめて!」

突然の叫び声にリアは怯えた表情で私を見ていた。でも私は知っている。それが作っている表情だっていうこと。本当は私を蔑み、居場所を奪おうとしていること。私だけは絶対に騙されない。

彼女を睨みつけ壁際に追い詰めた。それでも彼女は表情を崩さない。まだばれないと思っている。

「え、えっと……私何か気に障ることをしましたか……?」

「いつまでそんなこと言ってるの! 私が気づかないと思った!?」

「ひっ……ご、ごめんなさい……」

リアの肩を掴み壁に追いやると、彼女は弱々しそうな雰囲気で私から視線を逸らした。その姿に私の怒りは余計に高まっていった。本当はもっと恐ろしい最低な性格をしているくせに、そうやって神父さんを誘惑したのだ。

「どうしてリアは私の居場所を奪おうとするの? 神父さんに好かれようとしてどうするつもり?」

「わ、私は……みんなの助けになりたくて。優しい神父さんに色々教わろうとつい甘えてしまっているだけで」

「みんなの助け? そんな綺麗事言ったって私は逃がさない」

「ごめんなさい……本当のことを言います」

「やっぱり隠してたんだ。何でこんなことしたの」

「シュリーさんの気持ちは知っていたんです。でも、私の思いを抑えることが出来なくてあんな行動に……」

私の、ここで暮らしていたい。彼と一緒にいたいという気持ちを知っていたから居場所を奪った。彼女にだってここにいたいという思いがあったからということだろう。しかし、それでは別に私の居場所を奪う必要がない。共にここにいればいいだけの話だ。強い独占欲を持っているのか。それとも、他の理由があるのか……?

「正直に言います。私は、神父さんのことが好きなんです」

私の目を見て彼女は真剣な表情をして言った。神父さんのことが好き。別にそれは彼女の自由であって私がどうこう言うことではない。先ほどの発言から彼女は勘違いをしているようだが、私は別に彼のことなんか……彼のことなんか…………。

それを考えると心が激しく痛み、彼女に対して凄まじい憎悪が生まれた。こんな女に彼を渡してはいけない。この場所を守るために彼女を許してはいけないのだ。

隠し持っていたナイフを取り出し、彼女に刃先を向けた。もう誰にも汚させない。

「ま、待ってくださいっ……! 後から現れた私がこんな思いを持ってはいけないのは分かっています。これからはもうしません。だから、許してください!!」

リアは酷く怯えて走って逃げるがその先は行き止まり。逃げ道などない。それを私は知っていたからゆっくりと彼女に歩みを進めることが出来た。彼女をどうしてやろうか。その思考だけが脳内を埋め尽くしていく。

一歩、また一歩進める度に彼女は私に向かって叫び続ける。正気に戻れ、落ち着け、手に持ってるものをしまえと。私は正気だし落ち着いている。これをしまったら彼女は反抗するに決まっている。私は、もう2度と騙されない。そう言うだけで彼女は腰を抜かし泣き叫んだ。

「後悔するなら地獄でするといい」

私は吐き捨てるように呟いて彼女にナイフを振り下ろした。


どのくらいの時間が流れただろうか。目の前の肉塊に私は興味を失っていた。後ろを振り返るとチェルシーが信じられないような目でこちらを見つめている。足が酷く震えてその場から動けないようだった。私は安心できるように微笑んで彼女の方へ歩いた。

「来ないで!」

「チェルシー……?」

「お姉ちゃん、どうして? どうしてそんなことしてるの……? 奥にいるのはだあれ? なんでそんなに……血塗れなの?」

まさかチェルシーにそんな目で見られる日がくるなんて思わなかった。私はただこの楽園を汚すゴミを片づけただけなのに、それなのにどうして私をそんな目で見るのか……!

「いいじゃない。ここは私たちだけの幸せな場所。奪って汚そうとするやつなんていなくなればいいの」

「リ、リアお姉ちゃんはそんな人じゃなかったよ……! どうして、お姉ちゃんはリアお姉ちゃんをそんな風に思っちゃったの!? 何か誤解してるなら私、相談にのったのに……」

「チェルシーはあいつをお姉ちゃんって呼ぶような仲になってたんだ……」

まさか彼女にまで洗脳しているとは思わなかった。早く助けてあげないと。それは私にしか出来ないのだから。植え付けられた悪魔を殺して、いつもの日常を取り返さないと。

血塗れになったナイフをゆっくりと振り上げた。それを見たチェルシーは腰を抜かし後ずさる。

「やめて……やめてよお姉ちゃん! 元に戻って!」

「ごめんね。チェルシーがそんな風になっちゃってるって気づけなくて。助けてあげるから待っててね。お姉ちゃんが何とかしてあげるから」

「いや……いやあああああああ!!!」


そこから私の記憶はあやふやだった。子どもの泣き叫ぶ声、悲鳴が耳に残っていた気がする。気がつくと私は講堂で一人立っていた。周りは切り刺し傷で大量の子どもたちが倒れ、文字通り血の海になっていた。

「なにこれ……どうして……?」

私の問いに答える者などいるわけがない。自らの両腕や服が血塗れなことに気づき、近くからサイレンの音が聞こえてきて私は自分が何をしたか理解してしまった。震える両手を合わせ、講堂に飾られた女神の像に願う。これが夢であってほしいと。しかし、いくら願っても夢が覚める気配がない。これは間違いなく現実なのだ。私がみんなを殺してしまった現実。

振り返ると入り口に立ちつくす神父さんの姿があった。私は何も言えず、その場に崩れ落ちた。こんな時まで彼に嫌われることを心配している自分に嫌気がさした。ゆっくりと忍び寄る彼に体の震えが止まらない。私の目の前で立ち止まった彼は私に向かって手を伸ばす。恐怖で目を瞑るが彼の優しく温かい手が私の頭を撫でていた。

「いったい……何があったのですか?」

本当のことを言わなくちゃいけないのに震えて声が出ない。目から涙が零れ落ちるがそれでも必死に声を出そうと努力する。私のそんな様子を見て彼は手を握ってくれた。この人は……どこまで優しいのだろうか。そのおかげか少しずつ声を取り戻した。言わなければ……本当のことを。

「……がきて……みんなを……。知らない人が…………みんなを、刺し殺して……」

私の口から出てきたのは真っ赤な嘘だった。どこまで私は卑怯で最低な存在なんだ。私の格好を見てそれが嘘だと分かるはずなのに、神父さんはそっと私を抱き寄せた。

「大丈夫ですよ。もうここには私とあなたしかいません。怖かったでしょう? もう安心ですからね」

違う……! 違うの……! 本当のことを声に出そうにも彼の優しさが、温かさがそれを許してはくれなかった。もういいんですと言うかのように私を抱きしめ続けた。その代わり、私は泣き叫んだ。どうしてこうなってしまったのかと後悔しながら、もしかしたら違う結末があったんじゃないかと考えながら、私はずっとずっと彼の側で泣き続けた。

孤独で居場所を求めていただけの少女を、私を姉のように慕い甘えてきた少女を、みんなとの思い出をいくら思い返してもあの幸福な日々が戻ることは2度となかった…………。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ