いくらでも小説は書けるのだけど…(後編)
私は、まずオサダさんのいい部分を褒めてみた。これは、決して嘘ではないし、お世辞なんかでもない。れっきとした事実だ!
「一番最初に、執筆量。そして、執筆スピード。これは、もう申し分がありません。おそらく、この日本でも…あるいは世界的に見ても、これだけのスピードと量を誇れる人は、そう多くはないでしょう。それも、日記や雑文などではない。ちゃんと小説を書いていらっしゃる。小説の形になったものをここまで書き続けている。これは、凄いコトです!」
それに対して、「はぁ…」と、気の抜けた返事が返ってくる。おそらく、このくらいのコトは言われ慣れているのだろう。
それでも、私は続ける。
「もしかしたら、この日本でも上から数えて数人かもしれませんよ!ここまでの芸当ができるのは!」
「はぁ…」と、また気のない返事。
どうにもやりづらい。なんだか、空気の壁に向ってしゃべっている気になってくる。
そこで私は、いきなり本題に突入することにした。
「次に、質です。最初の100万文字くらいまでは、まだいいとしても、その後はちょっと…褒められたものではないですね」
「質…どこが、どう?」と、口にしたオサダさんは、先ほどまでに比べると少し目が輝いてきた。どうやら、興味が持ててきたらしい。
「そうですね。誤字脱字が増えてきているのは、まだいいとしても…そういうのは細かい問題なんです。全体からすれば、大きな問題にはなり得ない。かすり傷みたいなものです。あとから、どうとでも修正がききますし」
「フム」
「会話が多いのは、ちょっと気になりますね。でも、これも一概に駄目というわけではありません。極端に会話が多いのと、極端に地の文が多いのとでは、実は大差がなかったりするものなんです」
「フムフム」と、さらに興味を示すオサダさん。
「もっといえば、地の文と会話文の割合なんて、どうでもいいとさえ言えるんです。どちらにも傑作はある。地の文ばかりの傑作も、会話ばかりの傑作も。もちろん、その中間的な作品にも」
「それで?それで?」
「では、どこが問題なのか?この小説は、決定的に手を抜いて書かれた小説なんです。少なくとも、私にはそう感じられました。おっと、勘違いしないでください。オサダさんは、一生懸命に書かれていたのかもしれません。少なくとも、自分ではそう思っていたのかも。でも、ここには成長がないんです」
「成長?」
「そう、成長です。昨日と同じ。一昨日と同じ。このままだと、明日も同じ小説を書くでしょう。なぜ、そうなったと思います?」
「ウ~ン…なぜだろう?」と、天井の方を見つめながらジッと考えるオサダさん。
「それは、ね。“楽に書いてるから”なんです」
「楽に?」と、軽く驚いた表情を見せるオサダさん。
「そうです。この小説は、完全にパターン化された手法で書かれた小説です。昨日までに身につけた能力を使って、楽な気持ちで書かれた小説」
「フム」
「もちろん、その気持ちは大切です。肩の力を抜いて、自然体で書く。そういう時にこそ、素晴らしい傑作は生まれやすいもの。けどね、それだけじゃ、先には進めない。成長はない。悩んで!迷って!苦労に苦労を重ねて!そんな時に、初めて人は成長をするんです!ここには、それがない!最初の頃はあったのに、途中から完全になくなってしまっている!この作品には、成長がないんです!」
「………」と、黙ったまま、一言も発しないオサダさん。一言も発せないのかもしれない。
構わず私は続ける。
「世の中の多くの作家は、そういうものです。小説家だけじゃない。マンガ家も、作曲家も、映画監督も、画家も。プロもアマチュアも関係ありません。みんなみんな止まってしまっているんです。ある程度まで成長したら、残りの人生はずっとそのまま。そこまでで身につけた能力を使って作品を作ってしまう。でも、それじゃ駄目なんです」
「うん。ちょっとわかりかけてきた」
「これがプロの作家なら、それでお金ももらえるでしょう。それまで身につけてきた能力を使って、それまでと同じような作品を量産し続ける。似たり寄ったりの小説ばかり書いていても、それなりに売れたりもする。でも、オサダさんの場合はそうじゃない。そこまで行くまでに安定化してしまった。成長を止めてしまった。楽な方法で書こうとしてしまった」
「そうだね」と納得してうなづくボサボサ頭のオサダさん。
「小説というのは、本来、厳しいものなんです。戦って!戦って!戦い抜いて!身も心もボロボロになりながら、それでも戦い続ける!この世界を相手にね。そうして、初めて成長が得られるんです」
「うん」
「でも、これまでオサダさんは逃げてきた。“読者の目”という厳しい攻撃にさらされることから逃げてきた。逃げて!逃げて!逃げまくって!ただ、自分が楽な方法で小説を書き続けてしまった。だから、弱くなってしまった。少なくとも、それ以上に強くはなれなかった。この1000万文字の作品は、そういう小説なんです」
「ふぅ~」と、一息大きなため息をついて、オサダさんは首を真上に向けて、こうもらした。
「そうだ。そうなんだ。自分でもわかっていたんだ。明確な言葉にはできずとも、そのコトは自分自身でもわかっていた。ただ、誰かにそう言って欲しかった。ハッキリと断言して欲しかっただけなんだ…」
*
その後も、私は話を続けた。もっと突っ込んだ話や、具体的な話ができた。最初に本音をぶちまけたことで、信頼関係を築けた気がした。
そうして、最後にこう伝えた。
「いいですか?オサダさん?」
「はい」
「小説には、その小説ごとに見合った“文字数”というものがあります。ただ、ひたすらに量を書けばいいというものではないんです」
「うん。それはわかる。自分でもわかってるつもりだ」
「でも、そうなっていない。頭ではわかっていても、実際にはそれがわかっていない」
「かもね…」
「10万文字には10万文字の。100万文字には100万文字の。1000万文字には1000万文字の小説の価値というものが必要なんです。それだけの価値がなければ、読者には読んでもらえないし、文字数に見合った価値があれば、どんなに大量の文章も読んでもらえるはず」
「文字数にあった価値…か」
「そうです。オサダさんは立派な能力を持っています。そのスピードと量は、もはや誰にもマネできない。そういうレベルにまで来ている。だったら、今度はその逆を行くんです」
「逆を?」
「そう!これまで“小説を書くこと”を目指してきたんだったら、今度は“小説を書かないこと”を念頭に置くべきなんです」
「難しいコトを言うな…」
「別の言い方をすれば、もっと考えるんです。書く前に、まず考える。必死になって考え、迷い、悩む。その先に“絶対にこれだけは書いておかないといけない!”というものが見えてくるはず。それを原稿用紙に叩きつけるんです!」
「考える…」
「そう!そうなるまでは、書くのを我慢する。ほんとに大切なコトだけ書いて、他は書かない。それができるようになったら、また執筆量を増やせばいいんです」
「なるほどね。ちょっとやってみるかな…」
「はい!がんばってください!」
「書くことよりも、書かないこと。書くことよりも、書かないこと…」と、オサダさんはひとりでブツブツとつぶやき始めた。
私はその様子をニッコリと眺めながら、オサダさんの家をあとにした。