いきなりたくさんの登場人物を出しすぎると…
私の仕事は、お客さんからお金をもらって、小説を読んであげること。そうして、的確なアドバイスをしてあげること。あまり否定的なコトばかり言うわけにもいかないし、かといって褒めてばかりというわけにもいかない。
同業者の中には、そういうスタイルでやっている人もいる。褒められれば、人はやる気になる。けなされれば、とたんに書く気を失う。でも、褒めてばかりだと、成長しない。自分の欠点を補おうとしなくなる。そういうのは、私のやり方ではない。
私は“もっと長い目で見た時、この人には何が一番必要なのだろうか?”と考える。そういうタイプ。
たとえば、こんな感じ。
*
ある日、新規のお客さんから依頼があった。こういう仕事を長く続けていると、常連の人から、別のお客さんを紹介してもらえたりするのだ。
今回も、そのパターン。
「え~っと…ナカムラさんのお家は、っと。あ!ここね!結構なお屋敷じゃないの」
私の前に建っていたのは、かなりの豪邸だった。今回の依頼主は、どこだかの会社の社長さんで、趣味で小説を書いているそうだ。
「思ってたよりも、ずっとお金持ちみたいね。社長さんっていっても、小さな町工場か何かの貧乏社長をイメージしてたのに…」
私は、巨大な門の横にある呼び鈴を鳴らした。すると、インターホンから「は~い」と女性の声が返ってくる。
「え~っと、依頼をいただいて来たミカミカです。小説を読むお仕事の件で」とインターホンについているマイクに向って伝えると、「お待ちしておりました。どうぞ」と女性の声が返ってくる。と、同時に、鉄格子の門がガ~ッと自動的に開き始める。
しばらく、お屋敷の敷地内を進んでいくと、ようやく大きな和風の建物までたどりついた。ゆっくり歩いてきたとはいえ、門から玄関まで1分くらいはかかってしまった。
「ホェ~、ほんっと大きなお家ね」
などと独り言をつぶやいていると、ガチャリと玄関の鍵が開く音が聞こえて、ガラガラガラと扉が横に開いた。
「いらっしゃいませ。どうぞ、こちらへ」と、対応してくれたのは、30代くらいの女性の家政婦さんだった。
なぜ家政婦さんだってわかったかって?だって、いかにもそれっぽい格好をしてるんですもの
「こちらです」と、通されたのは、小綺麗な応接間だった。
そこに、ガッシリとした体格のガウンを着た男性が座っている。髪の毛には、チラホラと白い物が混じっており、見たところ50代前後といったところだろうか?
「やあやあ、よくいらっしゃいました」と、ハスキーな声が返ってくる。どこか、人を安心させるような声だ。落ち着いていて、それでいて深みや重みがあって。
「小説読み師のミカミカです」と、私は名刺を渡す。
「これはこれは。どうもどうも」と、相手の男性も名刺を差し出してくる。
名詞の真ん中には、デカデカと“トレビアン・ナカムラ”と印刷してある。
「そっちは、ペンネームの方でして」と、ナカムラさんが補足してくる。
「ああ~、なるほど」と、私。
そこに、先ほどの家政婦さんがお茶と和菓子を持ってやってきた。
大きな湯飲みが2つと、急須、それにお皿の載ったこれまた大きなどら焼きが2皿、お盆に載っている。
家政婦さんが、湯飲みにお茶を注いでくれる。
「お口に合いますかな?それとも、洋菓子の方がよろしかったかな?」と、ナカムラさんのハスキーボイスが聞こえてくる。
「いえいえ、お構いなく。私、甘い物ならなんでも大好きですから♪」
「それは、よかった。好き嫌いがないのは、よろしいことで。では、小説の方も好き嫌いなくオールジャンルでお読みになるので?」
「ええ、まあ…こういう仕事ですので。でも、趣味で読む本は、やっぱりある程度片寄っちゃいますね」
「なるほど。こだわりがあるというのは、それはそれでよろしいことですな」
なかなか褒めるのが上手い人だ。さすがは、社長さんだけある。これだけの豪邸を建てられた理由もわかった気がした。この人は、人づきあいが上手いのだ。俗に言う“コミュニケーション能力が高い人”というわけだ。
でも、そういうのと、小説を書く能力は全然関係ない。むしろ、人づきあいが苦手な人の方が、自分の世界を構築していていい小説が書けたりするものだ。
また、小説を書くというのは、孤独な作業でもある。長い時間ひとりで執筆を続けるには、人と離れて暮らすのに慣れていた方がいいとも言える。
「じゃあ、そろそろ」とうながされて、私はトレビアン・ナカムラことナカムラさんの作品を読ませてもらうことにした。
*
原稿の束を渡され、目を通し始める私。
「あ、これは…」と、一目見て私は思った。
「これは、読みづらい!」
理由はいくつもある。
1つは、文字が詰まっていること。改行がほとんどない。会話文も極端に少ない。
でも、それはいい。さすがに、私もそのくらいの作品は読み慣れている。問題は、ここから。
この小説、登場人物が異様に多いのだ。しかも、1話ごとに新キャラクターが登場してくる。1話目で2人。2話目で、3人。3話目で、さらに5人。10話目くらいになると、登場人物は100人を越え、もう誰が誰やらサッパリわからなくなってきた。
その上、主人公もハッキリしない。「1話目に登場したどちらかが主人公なのだろうか?」とも思ったのだが、どうやらそういうわけでもなさそうだ。登場キャラクター全員に、均等に出番が与えられていて、誰が主要キャラかすらわかりはしない。それどころか、誰がどのセリフを喋っていて、どのような性格や考え方をしているのかもサッパリわからない。
「こ、これは…」と、それ以上言葉が続かない私。
「いかがですかな?」とニコニコ顔で見つめてくるトレビアン・ナカムラ。
「そ、そうですね…とりあえず、最後まで読んでみます」と答え、最後まで読み通してみた。けれども、結局、どういうお話なのか全く理解できなかった。
日本語としては、どこもおかしくはない。誤字脱字も、ほとんどない。完璧に近いくらいの言葉づかい。でも、小説としては全く理解できない。全然意味がわからないのだ。
「こ、困ったな…」と、私はつい本音をもらしてしまう。
「え?」とたずね返してくるトレビアン・ナカムラ。
「あ、いえ。その…ちょっとばかし難解な小説ですね。これは」と、どうにかその場を取りつくろうが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「そうですかな?いたってわかりやすい話だと思うのですが…」
“失敗したかな?”と、私は心の中で思う。だが、どうしようもない。嘘をついても仕方がない。難解かどうかは別としても、この小説、極端に読みづらいのだ。それだけは間違いがない。
「も、もう1度、読み直してみますね」という私の言葉に「どうぞ、どうぞ♪」と、ニコニコ顔が返ってくる。
2度読み、3度読み直してみたが、やっぱり理解できなかった。かろうじて判読できたのは、“この人は、1つの世界を描き出そうとしているらしい”ということだけだった。
それは決して広い世界ではない。狭く小さな世界。1つのお屋敷の中で展開していくストーリー。そこに次から次へと新しいキャラクターが登場してきて、最後は神様まで降りてくる。そうして、全ての事件を一気に解決する…らしいのだが、よく意味がわからない。
おそらく、“デウス・エクス・マキナ”の一種なのだろう。
ちなみに、デウス・エクス・マキナとは、いろいろな問題が起こって、事態がこんがらがっていって、最後には収拾がつかなくなってしまう。そこに、神様(あるいは、それに近い存在)がやって来て、強引に決着をつけてしまうという物語の手法だ。
たとえば、どうしようもなくこんがらがってしまった人間関係を、「あなたは、こうしなさい。そっちのあなたは、向こうの女性とつき合いなさい。こっちの君は離婚して、この人と再婚しなさい」といった感じで、警察官が交通整理するみたいに、人間関係をきれいに整理して終わらせてしまう。
どうやら、それに近いことがやりたいらしいのだが…
そもそも、何が問題なのかすら、読んでるこっちはわかりはしないのだ。
ここで、人によっては、褒めに褒めまくるのだろう。
「いや~、素晴らしい小説ですね!これは前代未聞だ!常人には到底理解できない傑作だ!まさに天賦の才がある!」などと言って、ベタ褒めにする。そういう小説読み師もいる。
あるいは、逆に本音を漏らしまくる。
「こんなものが理解できるか!これは駄作だ!世紀の大駄作!もはや、小説ですらない!根底から書き直せ!」だなんて怒り出してしまう。こっちはこっちで、需要がある。ツマラナイものは「ツマラナイ!」とハッキリ言ってもらった方がいい。そういうお客さんも、また多いのだ。
どちらかといえば、私はそっちのタイプだった。つまり、ハッキリと言ってしまうタイプ。
ただ、モノには“言い方”というものがある。あまり厳しくしすぎてもいけない。私も、この仕事を始めたばかりの頃は、それで随分と失敗したものだ。素直に感想を言いすぎて、何人も怒らせてしまった。
そこで、私は、まずこう切り出した。
「そうですね。日本語自体は、非常にシッカリしていると思います。言葉の使い方も正しいし、ミスもほとんどない。ほぼ完璧だと思います」
「フム」と、トレビアン・ナカムラの表情から笑顔が消え、真剣なまなざしでジッとこちらを見つめ、耳を傾け始める。
「ただし、小説というのはそういうものではないんです。日本語として正しいかどうかなんて、実はあまり重要じゃない。支離滅裂でもいいんです。誤字脱字があっても構わない。そういうのは、あとからいくらでも修正がきくので」
「では、私の文章は小説とは失格というわけかね?」と、トレビアン・ナカムラ。
「ウ~ン…そうですね」と、1度考えてから、私は答える。「可能性は感じます。何か素晴らしいコトをやりかけているような。オリジナリティもあると思います。正直、こういう形式で書かれた小説を読んだのは、生まれて初めてです。ただ、それが読者に伝わっていない」
ここで、トレビアン・ナカムラはショックを受け、肩を落とすかと思った。だが、そうではなかった。逆に、興味深そうにその瞳を輝かせ、前のめりになって、向かい合って座っている私の方へと体を近づけてきた。
「それでそれで?」と、うながされ、私は続ける。
「それで…そうですね。一番の問題は、やぱり登場人物が多すぎるコトだと思うんです。あるいは、人の数自体は、これでもいい。そこのところを削ってしまうと、ナカムラさんの個性が削られてしまう。せっかくのオリジナリティが失われてしまう。そうではなく、順番を変えてあげる」
「変える?順番を?」
「そう。まず、主要人物を決めてあげる。少なくとも、誰が主人公なのか、わからせる。ひとりかふたり…多くても数人の重要キャラクター。それを決める。で、最初の何話かはその人たちしか登場しない。そういう構成に変えてみてはいかがでしょうか?」
「でも、それじゃあ、せっかくの仕掛けが台無しになってしまわないか?」
「ウ~ン…かもしれません。でも、悪いんですけど、私にはその“仕掛け”がなんなのかも理解できませんでした。失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、“何がやりたいのかサッパリわからない”んです」
「やっぱりか…」と、声を落とすナカムラさん。
「小説を書くにあたって一番よくないのは、“伝わらない”ことなんです。読者に伝わらなければ、始まらない。スタートラインにすら立てていないと思ってください。“おもしろい”とか“ツマラナイ”とか“腹が立つ”とか“こんな展開にして欲しくはない”とか以前に、何をやっているか理解できないというのは、さすがにマズイ。大抵の人は、途中で読むのをあきらめてしまうはず」
「フム…」
「もちろん、『自分1人が満足できれば、それでいい』というなら、それでも構わないんです。自分で書いて、自分で楽しむ。読者は全く関係ない。それでいいならば、ね。でも、そうじゃないんだったら、まずは伝えないと!伝わらないと!そこから全ては始まるんです」
「私の書いた小説は伝わらないと?」と、トレビアン・ナカムラ。
「ええ、そうです。正直、これでは伝わりません。最大限理解しようとつとめながら読んでいる私でさえ、この小説の大部分は意味がわかりません。何がやりたいのかすらわかっていません。3度読み直しても、それです。ましてや、1度しか読んでもらえないとなると。それすら、途中で放棄されてしまうとなると…」
「なるほど、わかった。大変に参考になったよ。今の言葉を肝に銘じ、もう1度、最初から書き直してみよう」
どうやら、理解してもらえたみたいだ。
こうして、私はトレビアン・ナカムラことナカムラさんのお屋敷をあとにした。
貴重な顧客を失わずに済み、これからも指名してもらえそうな雰囲気を感じた。
でも、大変なのは、ここから。
頭でわかっていたとしても、変えるのは大変。実際に、わかりやすい小説を書くというのは、とてもとても大変な作業。それだけの能力を身につけるには、長い長い時間と膨大な量の努力を必要とするのだから…