小説に対する誇り
ユウキ君と決別した後のある日。
私は、トレビアン・ナカムラことナカムラさんのお屋敷へと招かれていた。大金持ちの社長さんで、趣味で小説を書いているナカムラさんだ。
そうして、ひとしきりナカムラさんの作品を読んで感想を述べた後、このような会話になった。
「ナカムラさんは、そういうコトないんですか?『小説とは別の力を使って、有名になろう』とか『高い評価を得よう』とかって思ったりしません?」
「そういうのはないな。いや、チラリと思ったりすることはあるよ。でも、そういうのは本筋じゃない。小説の評価は小説によって得なければ。すぐに、そう考え直すね。邪道だよ、そういうやり方は」
「へ~、偉いんですね」
「偉いかどうかはわからんがね。他の世界で、そういう目にはたくさんあってきた。本来の実力とは関係ないところで自分を大きく見せようとする者たちとも大勢出会ってきた。地位だとか金の力を使って無理矢理に商売を成立させようとしたり、自分の趣味を自慢してみたり。けれども、そういうのは最終的には自分を小さく見せる結果につながってしまう。長続きはせんよ」
さすがに長いこと社長業をやっている人は違う。経験値が違う。いろいろと修羅場もかいくぐってきたのだろう。
「でも、自分で本を出したいと思ったりはしません?それだけのお金があれば、1000冊程度の本の印刷するくらいはわけないでしょ?それを売りさばくくらいの人脈だって持ってらっしゃる」
「そりゃ、思うよ。いずれはそうしようと思っている。けれど、今はまだ満足できる小説が書けていない。こんな状態で出版したって、後の人間に笑われるだけだ。『ああ、あいつは金の力を使って、自作を本にしただけだ。内容的には読めたもんじゃない』とな」
「なるほど。誇りがあるんですね、小説に対する」
「そりゃ、あるよ。誇りも敬意もある。少なくとも、ミカミカ君に認められるくらいの小説を書けるようにならんとな。それまで、本を出すのはやめようと決めておる」
「そんな…」
と、私はちょっと照れてしまった。
ナカムラさんの書く小説は、どんどんレベルアップしていた。以前よりもずっと読みやすくなり、わかりやすくなっていた。それでいて、自分らしさを失ってもいない。
逆の人は多い。私が指導したばかりに、せっかくの持ち味を失ってしまう人だ。
それは、1つには私にも責任があった。欠点を補わせてあげようと、いろいろと言葉をかける。結果的に、それが悪い方向へと進んでしまう。確かに短所はなくなったが、代わりに長所もなくなってしまう。そういうコトはよくあった。
小説に限らず、人を指導するというのは難しい。指導する側も、指導される側も。
たとえば、野球。
バッティングコーチが、バッターのフォームをいじろうといろいろと指導する。すると、結果的に自分のスイングができなくなってしまい、以前よりも結果を落としてしまう。
ピッチングコーチが、「新しい変化球を覚えてみろ」とか「腕を下げて投げてみろ」とか言って指導する。すると、以前のような勢いのあるストレートが投げられなくなったり、制球力が落ちたりする。最悪、そのまま2度と元に戻ることはない。
どちらも「よかれ」と思ってやったことだ。指導する方も、指導される方も。だが、結果としては悪い方向に働いてしまう。そういうのはあるものなのだ。
小説にも同じコトが言える。
読みやすくわかりやすい文章は書けるようになった。けれども、その代わりに元々持っていた“繊細で重厚な文章を書く能力”を失ってしまう。そういう可能性だってある。
だから、お互いに常に気を使い続けなければならない。欠点は補いつつ、持ち味は失わないようにする。そういう意識を持ちながら書き続けなければならない。
それには、膨大な時間がかかる。それなりの努力も必要だろう。いい小説を書けるようになるには、長い長い時間を必要とするのだ。




