自分の意志のない書き手
私は原稿に目を通しながら、声を上げた。
「あ、ほんとに人が裸になる小説を書いてきちゃったんですね」
「すみません。マズかったですか?」と答えたのはリュウザキさん。以前に、無難な小説を書いてきた人だ。
ストーリーにもキャラクターにも文章力にも欠点はない。何もかもが及第点。その代わりに、特筆すべき点もない。そういう小説だ。
実は、この手の小説を書いてくる人が一番多い。完全に型にはまった小説。まるで、どこかで攻略法を読んで書き上げたような作品。あるいは、ほんとに攻略法を読んで書いたのかもしれない。「誰にでも書ける小説入門」とかなんとか。その手の本を。
決してそれが悪いわけではない。最初はそれでもいいと思う。でも、いつまでもそれでは困る。何もかもが攻略法通り、枠から外れていないのだ。
で、前回、「もっと大胆な小説を書いてみれば?たとえば、登場人物がみんな裸になるような小説を」などと助言したところ、リュウザキさんは、ほんとに登場人物が全員裸の小説を書いてきてしまったのだった。
「ま、まあ…おもしろいですよ。少なくとも、以前書いていたのに比べれば随分と。ただ、これだと単に人が裸になってるだけなんですよね。そこに理由づけがないと。どうしてそうなっちゃったのかっていう設定があったり、裸になった理由がストーリーに絡んだりしないと」
「はぁ。じゃあ、次からはそうしてみます」
「でも、まあ…ある意味でとてもおもしろいかも。なんの理由もなしに全員裸で、誰もツッコミを入れないっていう。そのまま淡々とお話が進んでいってしまう。これって、シュールよね。これをわざとやっているとしたら、凄いかも」
「そうですか?じゃあ、これから毎回、全員裸でいきます!」と、俄然やる気になってくるリュウザキさん。
「そういう意味じゃないんだけど…」と、私も呆れてしまう。
言われたことを素直に実行するのはいいんだけど、なんていうかこの人には、自主性が欠けている。“自分の意見”というものがないのだ。
「あのね、リュウザキさん。そうやって、『はいはい』と人の意見を聞いて取り入れるのは、いいコトよ。それは素晴らしい才能だと思うわ。でも、自分の意見っていうのはないの?『こういう小説を書いてみたい!』っていう強い想いみたいなものは」
「強い想いですか?ウ~ン、そうですねぇ…」と、思考したまま固まってしまうリュウザキさん。
それから、しばらくの間があって、こんな答が返ってくる。
「ないですね。そういうのは」
「アララ~」と、私はズッコケてしまう。
ここで私は考えて、こんな質問をしてみる。
「じゃあ、リュウザキさんはなんのために小説を書いていらっしゃるんですか?有名になりたいから?チヤホヤされたいとか、お金になるとか、そういうの?」
「ウ~ン…そういうのとも違いますね。小説を書くこと自体は好きなんです。ただ、新しいアイデアを考えたりだとか、そういうのは苦手なんです。だから、ミカミカさんが言ってくれれば、僕はその通りに書いてきますよ」
困った。困った。なんでもかんでも人の言う通り。言われた通りに実行してしまう。まるで、ロボット人間だ。
どうして、こうなっちゃったんだろう?
周りの環境だろうか?両親だとか学校の先生だとかに「大人にはさからっちゃいけません!素直でいい子になるんですよ」そんな風に小さな子供の頃から言われて育てられた人。そういう人は結構多い。
それが一般社会であれば、優秀な社会人になれたりもするのだろう。けれども、小説の世界となると、その素直さが逆効果になってしまうことも多い。作家というのは、誰しも“何かしらのこだわり”を持って書き続けているものなのだ。
「誰も読んだことのない突飛な小説が書きたい」だとか「物語の世界で、自由にキャラクターを暴れ回らせてみたい」だとか「読者を驚かせたい」「悲しませたい」「恐怖のドン底に叩き落としたい」とか「心の底に鬱積したわだかまりを吐き出したい」とか。
リュウザキさんには、そういうモノがないのだ。
でも、こういうのも1つの能力なのかもしれない。言われた通りに素直に書いてくる。もしかしたら、それも極めれば、ある種の才能になるかも。
私はそう思い直し、いろいろと課題を与えてみることにした。
「わかりました。じゃあ、リュウザキさん。次は登場人物全員裸で、その理由を考えてきてください。どうしてその人たちがいつも裸で暮らしているのか、それをストーリーに反映させてみてください」
「オッケ~イ!なんだか、急にやる気が出てきたぞ~!」と、30代後半の太った男性は、その巨体を揺らしながら机に向かい始めるのだった。




