小さな依頼者
「もういいです。今回で終わりにしてください。来週からはいらっしゃらなくて結構です」
契約の打ち切りだ。
玄関を開けるとすぐに、そう宣言された。シンジ君の母親に。
「はぁ…そうですか。わかりました」と、私は答えるしかない。
なにしろ依頼主は、この子の方じゃない。小学3年生の男の子シンジ君、お金を払ってくれているのは、この子の母親の方なのだから。そう言われてしまっては、どうしようもない。
正直、私は「残念だな…」と思っていた。
この子は鍛えればものになる。いい感性を持っている。
数年も私が横について、伸び伸びと書かせてあげれば、きっと形になる。今は、まだまだ意味不明な小説を書いているけれども、いずれは普通の読者にも理解できるオリジナリティあふれる小説をたくさん書けるようになるだろう。それどころではない。もしかしたら、将来偉大な作家になるかもしれない。そんな予感があった。
「あの~、理由をお聞かせ願えますか?私のどこがいたらなかったのでしょうか?」と、私は一応たずねてみた。
こうなってしまうと、契約解除はまぬがれないだろう。けれども、何か1つでも参考になるコトがあるかもしれない。今後の仕事に生かせるような何かが。
「どうも、こうもないわよ!」と、シンジ君のお母さんはいきなり怒り出す。「うちのシンジが学校の宿題で提出した小説。全然ダメだって!あっちもこっちも全くダメ!小説の基本からなってないって叱られたわよ!まったく、なんのために高いお金を払って指導してもらってきたんだか…」
ははぁ、なるほどね。
学校の先生におかしな指導を受けてしまったのか。こういうのは、よくあるコトなのだ。
学校の先生というのは、誰も彼もが優秀というわけにはいかない。見た目の形式や文法、正しい日本語などにこだわってしまい、せっかくの子供たちの才能をつぶしてしまう。そういうコトはよくある。
「えらく見る目のない先生ですね…」と言ってやろうかと思ったけれど、やめにした。
経験上、そのような言葉は意味を成さない。それどころか、余計に火に油を注ぐ結果になってしまう。それがわかりきっていた。
それにしても、もったいない…
“これほどの才能を持ち合わせた子が、またこの世界からひとり消えてしまうことになるのか…”
私はそんな風に思い、気が滅入ってきた。
それでも、がんばって、最後の指導をシンジ君にしてあげることにした。それが、私にできるせめてものたむけだ。
「じゃあね。これでさよならね。また、どこかで会いましょう」
最後の授業が終わって、私はそうシンジ君に告げる。
「終わりなの?もう来ないの?これで最後なの?」と、泣きそうな瞳でこちらを見上げてくるシンジ君。
残念だけど、どうしようもない。
「そうよ。これで最後。あなたのお母さんに、『もう来週からは来ないでいい』って言われちゃったからね」
しょぼ~ん…と、落ち込んでいたが、シンジ君はそれ以上何も言わなかった。きっと、この子もお母さんには逆らえないのだろう。
「でも、忘れないで。あなたには才能がある。類い希なる才能が。素晴らしい小説を書く才能が。それを大事にしなさい。誰になんと言われようとも、決して形にこだわらないで。矛盾を恐れないで。迷った時は、自分の気持ちに素直に従いなさい。それがきっと、いずれ最高の作品を生み出してくれるようになるわ」
その言葉を残し、私は少年の前から姿を消した。
*
数週間後…
1件の電話がかかってきた。新しい依頼だった。
依頼主は、まだ10歳にも満たない小さな子供。
「あの…僕、シンジです。ミカミカさんを雇いたいと思って。それで、電話しました。できますか?子供の僕でも頼めますか?」
こんなに小さな依頼者は、生まれて初めてだった。
「ええ、できるわよ。でも、お金大丈夫?」
「はい。貯めてきたお年玉もあるし。おこづかいも少しはもらってるし。どうしても足りなかったら、働いてでも払います」
電話口の向こうの少年は、そう言ってくれた。
「バカね。小学生が働けるわけないじゃないの」
私はうれしさのあまり泣きそうになりながら、そう答えていた。
「あの…いくらですか?いくらあれば、また指導してもらえますか?」
「そうねえ…500円。1回500円でいいわよ」と、私はいつももらっている数分の1の額を提示した。
「あ、案外安いんですね」
「特別料金よ。あなたの才能と未来の可能性に対するね。小さなお客様」
「はい。ありがとうございます」
そう、小さな依頼者から答が返ってきた。
その後、私は他の仕事の合間を見ては、時々、シンジ君の相手をしてあげるようになった。月に1度か2度くらいのペースで。
そのたびに、彼はメキメキと実力をつけ、いい作品を書いてくる。
正直、赤字だった。さすがに、シンジ君のお家でというわけにはいかなかったので、近所の喫茶店で待ち合わせて、彼の書いてきた原稿を読む。交通費と喫茶店代を考えると、完全に赤字。
そうして、軽く赤ペンでチェックを入れつつ、彼の才能をつぶしてしまわないように気を使いながら、なるべく自由に書かせてあげることにした。
それは、学校での文章の書き方には反するかもしれない。でも、この方法が一番この子の可能性を広げてあげる方法だと信じて、私はそれを続けた。
*
50年後…
世界的な文学賞の発表会場にて。
おばあちゃんになった私は、特別に招待され、会場に席を1つ与えられていた。
そうして、ちょこんとイスに座ったまま、壇上に立つ老作家の演説を聞いていた。
「私が、まだ少年だった頃。世界は欺瞞と閉塞感と偏見とに包まれていました。そうして、誰も彼もが形にとらわれ、見た目の美しさにこだわり、真実や、真の美しさ・素晴らしさといったものからは遠ざかってしまっていたのです」
チラリ、と壇上から老作家は、私の方に目を向けた気がした。
「けれども、そんな中にあって、ひとりの女性が私のコトを信じてくれました。まだ小さな少年である私と、ものになるかどうかもわからない私のわずかな才能とを。そうして、私に小説を書く楽しさと素晴らしさを教えてくれたのです」
再び老作家が私の方へと目を向ける。今度は間違いない。確実に私の方を見ている。
「彼女がいなければ、今の私は存在し得なかったでしょう。世界中の子供たちよ、どうか自由に物語を書いてください。小説でなくともいい。絵でも音楽でも詩でも構わない。心のおもむくまま、自由にその想像の翼を広げてください。そして、その親御さんたちよ。どうかその芽を摘まないであげてください。輝ける無限の可能性をつぶさないであげてください」
と、これはまた別のお話。現在よりも遥か未来のお話。




