無職のタカシさんと、それを支え続けるミチルさん
小説読み師。
私の仕事は、お金をもらって小説を読み、その作品を書いた作者に的確なアドバイスを与えてあげること。この仕事を長く続けていると、様々な依頼者に出会うことがある。
今回の依頼者は、小説家を目指す夫と、それを支え続ける妻。
夫のタカシさんは全く働こうとしない。これっぽちも!そうして、ひたすら家で小説を書いてばかりいる。
妻のミチルさんは、文句1つ言わずに、そのタカシさんを支え続けている。いえ、“文句1つ言わずに”はちょっとおおげさだったわね。なんだかんだ文句を言いながら支え続けている。
「どうですか?タカシは、立派な小説家になれますか?お金をかせげるプロの小説家に」
ミチルさんからそうたずねられて、私は返答に困る。
「ウ~ン…そうですね。プロになれるかどうかは、現段階ではわかりませんけど。でも、いい小説は書いていると思います」
それは、嘘ではない。確かに、“いい小説”は書いている。他の人たちが書く小説とは全然違っている。明らかに、独自の視点を持って書いている。けれども、まだその能力を生かしきれてはいない。
私は、そのコトを丁寧に説明していく。
「いい小説を書いているとは思います。でも、それだけでプロになれるかといえば、そういうわけでもないんです」
「では、何が足りないんですか?」とミチルさん。
「そうですね。まずは、読者にちゃんと伝わるように物語を書けるようにならなければ。今のままだと、全体的にもそうですし、部分的にも理解不能なとこが多いですね。ところどころ意味不明な文章が散見されます」
「やっぱり…」と、ミチルさん。
「オレの書く小説はレベルが高いからな。一般人には、なかなか理解できないんだよ」と、タカシさん。
ここで私は頭にカチンときたりせず、温和に対応する。
「それは言えています。一流の作家が書く小説には、いろいろと意味不明な部分が多いものです。それが、あとになってから理解される。のちの時代に…たとえば、30年とか50年とか経ってから、ようやく真意が判明する。そういうコトはあるものです」
「ほらな」と、自慢げなタカシさん。
「…とはいえ、普通の人が理解できない小説は、読んでもらえないのもまた事実。あまりにも意味不明な部分が多すぎると、途中で放り投げられて、2度と読まれなくなってしまったりもする。そういう本は、売れないわけです」
「私もそう思うのよね。正直、タカシの書いてる小説は、ちっともわかんなくて…」
ミチルさんの言葉に「なんだと!」と怒り始めるタカシさん。
「まあまあまあ…“ちっとも”ってわけじゃありませんよ。少なくとも、私にはわかります。大きな流れは理解できるし、細かい部分に関しても『こういうコトがやりたいんだろうな~』っていう意図は伝わってきます。ただ、全体的にも部分的にも不明瞭なとこがあると言っただけで」
「どっちなんだよ!」
「どっちなんですか!プロになれるのかなれないのかハッキリしてください!」
と、今度はふたりから私が怒られる。
こういうのは、なかなか難しい。実践するのも難しければ、説明するのも難しい。
そもそも“いい小説を書く”のと“売れる小説を書く”のとは、全然別のコトなのだ。もちろん、最初から両方の能力を持ち合わせている人もいるけれど、その2つの間に関連性はない。
みんな、どうにかこうにか2つの間で折り合いをつけながら、なるべくいい小説で、かつ売れる小説を書こうと必死になっているのだ。
私は、まずそのコトから説明していく。
「あのですね…いい小説を書いているからといって、売れる小説であるとは限らないんです。プロになれるどうかも同じ。ひたすらいい小説を書いているのに、一向にデビューする気配すらない人も大勢います。そのまま寿命を迎え、一生を終えてしまう人すらね」
「じゃあ、タカシは一生プロになれないと?」と、すぐに反論が飛んでくる。
「そうとばかりも言えません。ただ、今の私に断言できるのは“タカシさんは、まだ発展途上だ”ということだけです。せっかく独自の視点を持っているのに、それを上手く生かしきれていない。もしも、その能力を自由自在に扱えるようになれば、きっと今よりもずっと素晴らしい小説を書けるようになれるでしょう」
「でも、それでも、プロになれる保証はないんでしょ?」と、再びミチルさん。
「保証なんて、どこにもありませんよ!それは誰だって同じ。みんな、そうやって書き続けているんです。なんの保証もない中で、真っ暗な闇の中を進み続けるように小説を書き続けている。ただ、“この作品を書けるならば、プロになってお金をかせげる可能性は高いな”と思える人と“この人は、難しいだろうな…”と感じる人がいるだけです」
「で、オレは可能性の低い方ってわけか?」
「ウ~ン…残念ながら。このまま、この道を極めていっても、お金をかせぐのはなかなか。仮にプロになったとしても、少数の読者に熱狂的に愛されるタイプでしょうし。そうなると、生活費すら捻出するのも難しいくらいかも…」
「その点は心配いりません。この人が食べていく分くらいは、どんなコトをしてでも私が働いてかせいできますから。ただ、誰にも読まれはしない。プロの小説家にもなれはしない。そんな中で、この生活を続けていくのは辛すぎます。そうじゃないとわかれば、やる気も出ます。“もっと、もっとがんばろう!”って気になれるんです」
「なるほどね…」と、私は感心した。
正直、このタカシさんという人は幸せ者だ。
世界でたったひとりでも、こんな風に心の底から信じて支えてくれる人がいるのだもの。これは心強い。
小説を書くというのは、孤独な作業なのだ。たったひとりで、闇の中、手探りで進み続けるようなもの。それが、ひとりでも味方がいてくれることで、その意志と能力とは何倍にもなるものなのだ。
“もしかしたら、この人は成功するかもしれないな”と、私は思った。独自の視点だけじゃない。側で支え続けてくれる人がいるならば、いずれこの人は日の目を見る時が来るかもしれない。その可能性は高いな、と私には思えた。
「手は2つあります。こういうタイプの人が成功するには、2つの道があります」
と、私は解決策を切り出す。
「2つの道?」と、タカシさんとミチルさん、ふたりが同時に声を上げる。
「そうです。タカシさんのような独自の世界を形成し、ひたすらに自分の道を進み続けるタイプ。これは、完全に作者主体の小説を書く人です。素晴らしい小説を書ける可能性が高い一方で、読者には理解されづらい」
「フムフム」と、タカシさんが前のめりの姿勢になってきて、何度もうなづく。どうやら、興味を持てる話だったようだ。
「ここで、道がわかれます。ひとつは、読者にすり寄っていく道。すり寄ると言っても、決して悪い意味ではないんです。ただ、ちょっと表現方法を変えるとか、読者好みのストーリーを加えてあげるとか、読者が望んでいるキャラクターを登場させてあげるとか、そういったコトです」
「でも、それじゃあ、妥協することになるだろう?」
タカシさんの、その反論は当然だった。
「もちろん。これは、ある種の妥協です。でも、妥協にも“いい妥協”と“悪い妥協”があるわけです。たとえば、あなたに愛する女性がいたとするでしょう?心の底から愛する女性です。『この人がいなくなったら、生きてはいけない!』というくらいの」
「いるさ。ミチルだ」
「そう。あなたにとっては、ミチルさん。でも、その愛がどんなに強かったとしても、純粋であったとしても、その愛情表現が間違っていたとしたら?たとえば、その人を愛するがあまり、意地悪をしてみたり、ストーカー行為をしてみたり。それは、逆行為だと思いませんか?かえって、愛する人を傷つけてしまう結果になるのでは?」
「私は、そんな風には思わない!」と、強く抗議してくるミチルさん。
「そりゃ、今はそうでしょう。こうなってしまった今ではね。夫婦にまでなれば、お互いの気持ちもわかるでしょう。少々歪んだ愛情表現であっても理解できる。でも、もしも、初めて出会った頃からそんな風だったら?夫婦になる前に、恋人にすらなる前に嫌われてしまうのでは?別々の人生を歩むようになってしまっていたのでは?」
「ウ~ン…なるほど」と、納得しかけるタカシさん。それに対して、ミチルさんの方は「そんなコトはない!私は、どんな方法で接してきてもこの人を愛していたわ!」の一点張り。
そこで、私はこう続ける。
「そう!それがもう1つの道です!」
「え?」と驚きの声を上げるミチルさん。
「どんな方法でもいい。いかなる表現方法でも構わない。ひたすら自分の信じた道を進み続ける。それでも、愛してくれる人を見つける。それが、もう1つの方法。作家が自分の独自性を追求し、自分の世界を広げ、自分の生き方・考え方・やり方を貫き通す。それでも、愛してくれる読者というのはいるものなんです。作者と読者の関係は、ある種、恋愛にも似ている」
「わかってきたぞ。オレに、そっちの道を進めというわけだな?独自の道を貫き通せと」
私は、横に首を振って答える。
「そうとは限りません。もちろん、そちらの道を進む権利はあります。自分で『こう!』と決めたなら、きっとそれが正解なのでしょう。その方が後悔する可能性も低く済むでしょう。でも、それを私が決めるわけにはいかないんです。あくまで、私は道を示すだけ。どちらの道を進むのかを選ぶのはあなた自身。あるいは、この場合は“あなた方自身”ということになるのかもしれませんが」
フムフムと深く考えながら納得している表情のタカシさんとミチルさん。
私は、さらに続ける。
「言っておきますけど、どっちの道も大変ですよ。読者にすり寄るならばすり寄るなりに、リスクはあるし、覚悟も必要になります。多くの作者は、読者からの重圧に耐えられずにつぶれてしまいます。最初は信じてくれていた読者が、『こんな展開は望んでいない!』『このキャラクターは、このようなセリフは吐かないし、こんな態度は取らない!』などという声を上げるようになってくる。常に読者からの期待や失望と戦い続けなければならなくなります。あるいは、『これは自分の書きたかった作品ではない』と悩み、しだいに書けなくなっていく人も多い」
「その心配はないさ。なぜならオレはオレの道を進むだけだからな!」と自信満々に答えるタカシさん。
「でも、そちらの道も厳しいもの。どんなに自分の作品を信じ、自分の世界を信じ続けたとしても、ほとんどの読者には受け入れられないし、理解もされない。それはとても孤独なものです。そうして、その孤独に耐えきれずに小説が書けなくなっていく。そんな人が大勢います」
「それは大丈夫!だって、私がいるもの。たとえ、誰も信じてくれなくても、誰にも読まれなくなっても、私が信じ続ける!読み続ける!ちょっと今は意味がわからない小説を書いてるけど。きっと、私にもわかるようになってくる!」と、ミチルさんは強く語った。
「じゃあ、オレは君が理解できるように努力しよう!そう約束しよう!」と、タカシさんも答える。
「そう。その気持ちですよ。根本的には、自分を曲げる必要なんてない。でも、ほんのちょっとでいいんです。読者が理解しやすいような表現を心がける。読みやすくわかりやすい文章を書けるように心がける。そういった方向へ能力を上げてやる。それだけでいいんです。今のタカシさんに足りないのは、それだけなんです」
私は、そんな言葉でまとめた。
「きっと、このふたりならば上手くやっていけるだろうな。これだけお互いのコトを信じ合い、愛し合っているふたりならば…」と、その時の私はそう思っていたのだった。




