じゃあ、才能がない人はどうすればいいのだろうか?
世の中、様々な才能にあふれている。
誰しも、1つくらいはなんらかの才能を持ち合わせているものだ。
でも、それが自分の望んでいた才能ではなかったとしたら?
史上最高の絵を描きたい人が、絵の才能を持ち合わせていなかったとしたら?
デッサンはムチャクチャ、遠近感もまともに取れていない。空間認識能力はなく、真っ直ぐな線を1本引くことすらできやしない。
それだけならいい。そういうのは、訓練である程度どうにかなる。でも、決定的に“いい絵を描く才能”に恵まれていなかったとしたら?つまり、人を感動させるような“感性”が欠けていたとしたら?見る人を心の底から打ち震えさせたり、驚かせたり、恐怖させたり、感嘆させたりする能力に欠けていたとしたら?
あるいは、音楽の才能はどうだろうか?
やはり、同じ。オンチだとか、楽器が弾けないとか、そういうのは練習でどうにかなる。少なくとも、どうにかなることの方が多い。けど、作曲や歌や楽器の演奏で人を感動させるというのは難しい。何らかの感情を呼び起こすというのは、そう簡単なものではないのだ。
技術とは別に、何かが必要になってくる。それを人は“才能”と呼ぶ。
小説というのは、その最たるものだろう。
誰もが文字を書くことができる。ちょっとしたストーリーを思いつき、自分の考えたキャラクターを動かして、物語を空想してみせられる。
“だからこそ”というべきだろうか?だからこそ、その世界で突出した作品を生み出すのは難しい。誰もが似たようなもの書き、「またか」と思われてしまう。「またこのような小説なのか…」と。「これならば、以前に読んだことがある。似たような作品を山のように目にしてきた」と、そう言われてしまう。
それは単なるストーリーだけの話ではない。同じようなストーリー展開で、全く別の感動を与えてしまう人がいる。ありきたりのキャラクターを使って、思いもよらなかったような言動を取らせてしまう人もいる。その違いはなんだろう?
1つには、視点の違いなのだろうなと思う。世界を全く別の方向から見てしまう、普通の人とは異なる視点。これも、1つの才能だ。
あるいは、極端な確執。凄く単純なコトなのに、信じられないくらいのレベルで固執してしまう人というのが世の中には存在する。たとえば、誰かを一途に愛し続ける想いとか。現実世界では問題になるようなコトが、物語の世界ではよい方向に進んでみたりする。
誰もが、このような才能を与えられているわけではない。
「もっと、別の視点で物事を見て」とか。
「もっともっと1つのコトにこだわりなさい」とか。
「逆に、もっと世界を広げないと。あなたの世界は狭すぎる。いろいろな分野に手を広げてみた方がいいわよ」などと言ったところで、ほとんどの人は、それを受け入れられない。たとえ、頭でわかっていたとしても、行動に移すのは難しい。そんなコトが簡単にできるならば、最初からやっているだろうし。
それでも…
それでも、と私は思う。
それでも、長い時間をかけてゆっくりと成長していけば、いずれ人は変われるのではないだろうか?
長い間、変えられることのなかった“自分なりの方法”を破壊して、先に進める時が来るのではないだろうか?
私はそれを信じて、人々の書く小説を読み続け、いくらかのアドバイスを贈り続ける。




