何を目的に小説を書くのか?
イワカベさんに限らず、いい小説を書く人は大勢いる。あるいは、大勢いた。
たとえば、まだ高校生なのに、実に美しい文章を書く子がいた。
大きな盃に張られた水に1滴の水滴が落ち、その波紋が広がっていくかのごとく美しい小説を書く子だった。
あるいは、アメリカの西部開拓時代を舞台に、痛快な西部劇ガンアクションを書いていた人も。心の底からワクワクするような、とてもおもしろい小説を書く人だった。
でも、その多くは需要がない。
せっかくいい小説を書いているのに、読み手がいないのだ。
“作者が書きたい小説”と“読者が読みたがっている小説”の間には溝がある。“崖”と表現してもいい。読者と作者は、同じ地平線上に立っているのに、その2者の間には大きく大きく深い深い地割れが生じてしまっている。
大勢の読者を獲得できる作家は、この溝を簡単に跳び越えていってしまう。
“いかにいい小説を書くか?”なんて、コレッポチも考えはしない。大事なのは“いかに読者が読みたがっている小説を書くか?”なのだから。
逆に、多くの読者に恵まれることのない作家というのは、いつまで経っても読者の気持ちがわからないまま。
「世界の中心は作者様なのだ!」と、自信満々に自作を発表し続けるが、鳴かず飛ばずという状態が何年も続いてしまう。
それはそうだ。だって、読者が読みたい小説を全然書いていないのだから。その代わりに、少数の読者に熱狂的な支持を仰ぐという可能性は高い。
もちろん、その両方を同時にこなしてしまう人もいる。
これはこれで1つの才能だろう。
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大勢の読者に読まれ、たくさんの感想をもらいながら小説を書ける作家は幸せ者だ。筆の方もスイスイと進んでいくことだろう。
もちろん、その読者数が激減してしまった時には、痛い目にあうのだけど。そのまま2度と立ち直れなくなる人も多い。
逆に、読んでくれている人の数も少ない、読者からの声も全く届かない。
こういう人は孤独。孤独の中で常に戦い続けなければならなくなる。そうして、ほとんどの人は、その孤独に耐えきれずに書くのをやめてしまう。
そんな時、私はこう伝える。
「たくさんの読者に読まれたいならば、読者の望む小説を書きなさい。読者の読みたがっている小説を。でも、自分の書きたい小説を書きたいならば、そこは期待しない方がいい。自分を信じ、自分の理想を貫き通しながら書き続けるしかない」
どちらの道も、長い目で見ればイバラの道。どちらの道にも利点はあるし、欠点もある。
最初は大勢の読者にチヤホヤされながら気持ちよく書き進めていたのに、読者に合わせすぎて潰れてしまった作家を大勢見てきた。
それとは逆に、自分の書きたい小説を書いて、地味ながら一定のファンを獲得し、少数の読者に熱烈に支持されている作家もいる。細々とではあるけれど、シッカリとしたいい作品を生み出し、今も小説を書き続けている。そんな人だっている。
私は、一生懸命に小説を書きながら浮かばれない作家たちに言葉をかける時、いつも最後にこう締めくくる。
「要は、“何を目的にして小説を書き続けているのか?”なのよ。あとは、あなたの選択しだい。どちらの道を選ぶかは、あなた自身が決めるしかない」




