人の心を強く揺さぶりすぎる小説
イワカベさんの書く小説は起伏に富んでいる。
そして、イワカベさんは自分を“天才”だと信じている。正確に言えば、天才だと信じたり疑ったりいそがしい人だ。
「どうだ!また傑作が書けたぞ!」
「ちょっと待ってください。今、読んでますから」と、私はイワカベさんから渡された原稿を読みながら答える。
確かに、おもしろい!
文章は荒々しく、アチコチに矛盾があったり、穴だらけだったりするのだけど、基本的なストーリーは悪くない。いや、凄くいい!
文章はシンプルで、“何を書いているのかわからない”だなんてことはほとんどない。あまり表現にこだわるタイプではないのだ。
その代わり、繊細さに欠ける。細かい状況や心理描写がされていないので、その辺は自分で想像しながら読んでいかなければならない。なので、読んでいて結構疲れる。読むのにエネルギーを必要とするのだ。
でも、そこがまたいいとも言えた。小説が、マンガや映画と違うのはこういう点。自分で想像しながら、自分なりの読み方ができる点だ。それは欠点にもなり得たが、それ以上に利点になる。
「“傑作”というには、ほど遠いですけど…」という私の言葉に、
「そうか?」と、ちょっと表情を暗くするイワカベさん。
「でも、かなりおもしろいですよ。ストーリーもいいし、キャラクターも生き生きしている。相変わらず、文章は粗いし、ところどころ細かいミスも目立ちますけど。ストーリー的な細かい矛盾は…まあ、直さない方がいいかもしれませんね。そこを直しちゃうと、おもしろ味がなくなっちゃうし、何より流れが破壊されちゃいますからね」
「そうだろう!そうだろう!なにしろオレは天才だからな!細かいコトにはこだわらないのさ!」
この人は、すぐに調子に乗る。そこがいいところでもあり、悪いところでもあるのだけど。
「それにしても、いつプロになれるんだろうな?早く自分の書いている小説で金を稼ぎたいものだが」
これが、イワカベさんの懸案事項なのだ。
正直、イワカベさんの書く小説を、私はおもしろいと思う。私が担当しているどの人の作品よりも。ズバ抜けているとさえ感じる。ただ、なぜいつまで経ってもデビューできないのか、その理由もわかるような気がしていた。
一言で言えば“需要がない”のだ。
確かに、いい小説を書く。いい小説を書く人ではあるのだけれども、書いている作品がどれもこれも読者に“強いる”タイプの小説なのだ。
今の世の中、こういうタイプの小説は、なかなか世に出ていきにくい。自分で考えて、自分でいろいろと想像しながら読まなければならない小説。それは、大変に疲れるものなのだ。
それも、有名な作家が書いたものならば、まだいい。ある程度信用がついた作家が意欲作として書けば、読者の方もがんばってついてきてくれる。無理をしてでも読んでくれようとするだろう。だが、その信用がない内にこのような作品をいくら書いても、なかなか読者がついてきてくれない。それが一番の理由だった。
世の中のほとんどの読者は、もっと気軽に読める作品を望んでいる。
日々の疲れを癒し、「ああ、これは自分の話なのだ」と共感できる。ちょっとした驚きがあったり、一瞬の怒りを感じたり、感動に涙したり。そういう物語を望んでいる。でも、あくまで“ちょっとだけ”なのだ。与えられる感情が大きすぎてはいけない。
イワカベさんの書く小説は、大幅に人の精神を揺らしてしまう。真剣に読めば読むほど、その傾向が強くなっていってしまう。そうして、読んでいる人の人生そのものをも揺るがしかねない。人はそこまで望んでいない。読者は、そこまで“強い作品”を求めていないのだ。
けれども、私はそれでいいと思っている。
この人が世間の読者に迎合して、当たり障りのない普通の小説を書いたところで、そんなによくはならないだろう。
もちろん、それなりの小説は書けるかもしれないが。しょせん、それは“それなり”の小説でしかないのだから…




