再会は別れの序なり
二人は帝都の一角で出会った。
通りの両側には多くの人垣ができている。人々は手に柏葉と旭日があしらわれた小さな国旗を手に、期待の表情で何かを心待ちにしていた。だが、再会の二人にとって通りの光景は興味を惹くようなものではなかった。
「久しぶりじゃないか」
東へ向かう者が云った。
「久しぶりかはわからぬ。だが二〇九軸時ぶりではある」
西へ向かう者が応えた。
「ふん、あの時から変わっていないな君は」
東へ向かう者はにたにたした笑いを浮かべる。
「ところで君はいまどのあたりの時代を学んでいるんだい」
「西の首都、栄洛が落ちた。抑圧されていた現地の民が帝国の遺産をめぐって衝突、新たな支配体制として台頭していこうとの機運が芽生えつつある。残された王族は離散、処刑されるか他の血に呑まれるかしているな。ただし後代の文献によると――」
「ああ、僕も結果だけは知っているよ。だけどみなまで云わないでくれ。僕は東の首都、燕京が落ちたところまでさかのぼったのだけれども、栄洛陥落との開きは二百五十年近くにもおよぶからね、結果はともかく、理由を明かされたら知る楽しみが減ってしまう」
東へ向かう者は首を振って西へ向かう者の説明を遮った。
「現代からさかのぼって調べているのか」
西へ向かう者は感情を交えぬ口ぶりで云った。抑揚のない口吻はともすれば憮然としたものを感じさせる。
「〝今〟にいたる原因を一つ一つ解き明かしていくようにね。そういう君は時間の流れに従って歴史を学んでいるのだね」
東へ向かう者はにたにたした顔のままであるが、口吻そのものは西へ向かう者と変わらなかった。見る者がいれば、表情だけ張り付けているといった印象を受けただろう。
「感情と出来事を縒り合わせた結果が歴史であるのならば、〝今〟へ向かって積み上げていくのが自然な形だ」
「ふうん、この学び方の違いがよい方へつながるといいね」
西へ向かう者は何も答えなかった。それをいいことに、東へ向かう者がつづける。
「中といったか、さっきも言ったけれど、僕は燕京なる都が落ちたところまでさかのぼった。ざっと二百年前だ。色々な人間が舞台に上がってくるけれど、みんな自分より得する者を許せないようだね。そうして許せない側が多いと、数を恃みに少数の得する側を引きずりおろしてしまう。得する側が多いとそのまま数で押しきってしまう。誰も彼も、みんなその時々の自分の都合ばかりで動く」
そのとき堵列の中を右から左へわっと歓呼が駆け抜けた。人々が身を蕩揺させる。あたかも強い風が吹いて水面が瀝々とうねり立つようだった。通りのかなたに黒い一団が現れる。石畳に靴音を響かせ、通りの中央を乱れなく闊歩してくる。軍服姿の一団が目の前にさしかかると、勝ってこいよ、西欧に負けるな、東和に勝利あれ、若者に未来あれ、などと出征兵士への礼讚が絶え間なく発せられた。当の志願兵たちは初々しい照れた表情を浮かべながら、励ましと声援に送られて駅の方へ進んでいく。
「彼らもやがて歴史になる日が来るのだね」
「しかり。だが今はまだ学ぶべき歴史にはなっていない」
「もっともだ。僕たちにはまだまだ学ぶべき事項が多い」
西へ向かう者は表情を変えず西へ歩み去った。
東へ向かう者はにたにた笑いのまま東へ去った。
どちらも新たなるものを学ぶために。こうして再会の二人は離れていく。あまりにも忽然とした再会と別れではあるが、二人はなにも云わない。
お互いにまた出会うという予覚があったから。
その二人は帝都の郊外で出会った。
人通りはほとんどなく、いくら日中とはいえ闃としすぎている。都市全体が帝のおひざ元とは思えないほど静まりかえっていた。ときどき通りかかる者もどこか気がそぞろで、地に足がついていない様子だ。そのくせ自分の足元以外には視線がいかぬように足早に通りすぎていく。もっとも、二人にとってはどうでもよいことであった。
「久しぶりだねえ」
東へ向かう者が云った。
「四十七か月と三日目の奇遇を久しぶりというのならば、その通りではある」
西へ向かう者が応えた。
「さほど変わりないようでなにより」
東へ向かう者がせせら笑う。
「あれから新たに学んだと思うけれど、どこまで進んだんだい」
西へ向かう者はやや間を置いてから、
「この国が実質的に生まれるところまでは」
「実質的に、ということは八十年ほど前、御一新により体制が革まったころだね、東も西も自国の事情に手を焼いていた時代だ。〝今〟にいたる道筋もようやく見えてきたところじゃないかな」
東へ向かう者が一気に云いきっても、西へ向かう者は黙然としていた。
「僕は一足先に勉強はおしまいだ。ラティウムの崩壊までさかのぼったからね。人間史上初の大帝国も、歴史として振り返れば実にあっけないものだ。簒奪者どものちょっかいがなければ、もう少しだけ歴史に残っていられたはずなのだけれども……」
そのとき、遠方で砲声が響いた。東へ向かう者も西へ向かう者もしばしその音に聞き入る。砲声は別の砲声にかき消されてなお響く。
「ところで君、西欧の軍隊がこの街のすぐそばまで攻めてきているじゃないか。だけど彼らは〈城壁〉に阻まれて先へ進めずにずっとこの街をにらんでいる。時々はああして大砲を打ちこむけれど、もはや習慣みたいなものだね。……この戦争はどちらが勝つと思うかね」
東へ向かう者はふんと鼻で笑って、はじめて身の回りで起こっている事情に触れた。
「未来を見る力などない」
西へ向かう者はにべもなく即答した。表情一つ変わっていない。
「つれないものだね。歴史を学んでいる僕たちだからこそ、『どれ、一つ未来を占ってやろう』ぐらいの気概を持ってもいいものじゃないかね」
「関わり合いのない事態についてとやかく云う権利は持っていない」
「ふん、昔と違って関わり合いがないからこそ、好き勝手に云える自由を得たのだよ。傍目の口出しに影響力なんてないんだ」
東へ向かう者は口をへの字にして通りを去った。西へ向かう者もそのまま歩み去る。
こうして再会の二人は離れていく。また出会うこともあるだろうと別れも告げず。
二人は帝都のとある市場で再会した。
人々がおおいに入り乱れている。商品や金を狙った暴漢が徒党を組んで押し入ってきたさなかであった。市場の側も黙って暴威に従うわけではない。互助と自衛を目的に、市場の仲間同士で組合や自警団を組んで抵抗していた。そんな騒動のなかにあって、市場の隅にいる二人に気を払う者はいない。二人もまた周囲に気を払わない。
「久しぶりじゃないか」
東へ向かう者が云った。
「二百十日ぶりだ。そろそろ学習を打ちきってもいいと考えている」
西へ向かう者がいきなり切りだしたので、東へ向かう者は意想外と頬を緩ませた。
「君がそう云いだすとはね……、なぜだい?」
「あまりにも変わり映えがしないのでな」
西へ向かう者は周囲を見回した。どこでも人が揉みくちゃになっている。殴り合い、蹴り合い、振り回し合い、印も旗もないのに敵味方の区別をどうやって識別しているのか。東へ向かう者のそばに、放り投げられた若者が転がりこんできた。近くに積んであった野菜がくずれ、乱闘のど真ん中へと転がっていき、踏みしだかれて泥まみれになる。
東へ向かう者は緩ませた頬を大きくゆがませた。
「変わり映えしないのはずっと前からじゃないか。見えるところでも見えないところでも、生まれてからずっと争いはあったんだよ」
「質が違う。あのころはまだ統制が効いていた。被害も少なかった」
「統制が効いていたのは神という理念と支配者の権威が絶対的だったからだよ。被害の少なさも技術の未熟さと争いの範囲が局所的だったからだ。こんな争闘は、それこそ数えきれないほどあった。学んできた君ならもう知っているだろう」
「学んできたからわかるのだ。神という理念は共通性を喪いかつてほどの求心力をなくした。国は四分五裂し支配者の権威も地に落ちた。統制は損なわれ、いまや科学という野放図な暴君が人々の争いを激化させているありさまだ。技術の進歩が被害と範囲の拡大を招いている」
「すべては簒奪者ジョン・ピエールの功績だね」
その名が出て、西へ向かう者は顔を押し黙ってしまう。
「まったく、〈聖櫃〉といい泥の自立といい、彼は上手くやったものだ」
衝突は収束しつつあった。暴漢の側が目的を遂げたようだ。市の売り物や売り上げは彼らのものとなった。運の良い者は蹴散らされたまま逃げだし、運の悪い者は暴力に酔った男たちに囲まれて袋叩きにあっている。往来の真ん中にはうつぶせになったまま動かなくなった者もいた。
こういった衝突はこのごろの帝都ではどこででも繰り広げられている。兵隊の引き揚げ先の問題や、帝都の受け入れ態勢の不備、書類上の手違いなど、理由は色々とある。ただ、構造としては食糧の収奪を図っての攻撃とそれに対する防御という、人類にとってもっとも原初的かつ普遍的な争いに分類されるだろう。
端に立つ二人には誰も構わないが、東へ向かう者はその結果を見て悲しそうな顔をした。
「世の中は争いばかりだ。繰り返しの中にこれ以上学ぶべきものはない」
西へ向かう者も珍しく感情をあらわにして云った。
「総論的だね。細かく見たまえよ。争いに関わったものの数だけ個々の事情、在りようが存在しているものだ。似ている場合もあれば全く異なる場合もある。似ている場合だって、全く同じものは一つとしてないんだ。それらを無視して総括してしまうのは偉大なる者への叛旗だよ、君」
「いやに肯定的なのだな」
「みんなが争いに煩わされない方法を探っているだけさ。歴史を学んできたのならば知っているだろう、君よ、これまでの歴史は常に悲しみと恐怖と争いによって綴られてきた。栄光の原初がいかに希望に輝いていようとも、結果は惨憺たるものだったじゃないか。そんな歴史を繰り返してはならない。だから歴史から学ぶのだよ」
東へ向かう者の顔は希望に満ちていた。西へ向かう者は頬をすぼませた。東へ向かう者はお構いなしにつづける。
「そうして僕はね、悲劇を繰り返さない未来を探っているんだ」
「学んできた歴史上の全ての状況において、繰り返される悲劇しか存在しなかった。これから先もこれが繰り返されていくだろう」
「未来を見通す力はないといったのはこの前の君じゃないか」
「過去の結末からの推測は可能だ」
「全く同じ状況が再現されるのならばね。しかし、歴史はまったく同じ事象の再現ではなかっただろう。科学実験のように同じ状況を再現できないのが歴史だ。だからこそ、どこかに希望への鑰が隠されているんじゃないかな」
西へ向かう者はわからないと云いたげに首を振った。
「まだ結論を出すには早いんだよ、君。僕はもっと学んでくるよ」
東へ向かう者は穏やかな笑みを浮かべて歩み去った。未来を悲劇の幕で閉じさせぬために。
東へ向かう者はその場に残り、荒れた市場を見回した。こんな争いを起こしてまで得るものにいったいどれほどの価値があるのだろうか、と疑問を浮かべながら。
こうして再会の二人は離れていく。互いに相手が決定的に変わりつつあるという認識を持ちながら。
それでもまた出会うという確信を基に、二人は再会を終えた。
次に出会うときには、相手はもう何か別のものになっているだろう。
そんな予感を胸にしまいこんだまま。