何も知らない
地下に降りると、そこには決して広くは無いが、十分な設備の生活空間が広がっていた。
間取りとしては、3LDKと言ったところ。一部屋ずつはそんなに広くないようだが、必要最低限の物しか置かれていない為、十分なスペースに思えた。
螺旋状の階段を降りて正面に見えるダイニングキッチンには、4人掛けのテーブルがあり、今は二人分の朝食が置かれていた。
トーストにオムレツ、ポタージュスープは出来立てで湯気がたっている。
「色々説明もしたいけど、とにかく冷める前に食べようか」
「うんっ!」
ハルに促されて、ユイはハルの正面の席に着く。
『いただきます』
二人は声を揃えて手を合わせてから、料理に手をつける。
空腹もあったが、その料理はどれもとても美味しかった。
半分くらいまで一気に食べたところで、ユイは隣から視線を感じてそちらに目を向ける。
すると、少し戸惑うように首を回しているアキがいた。
「どうかした?」
「アノ、美味シイ、デスカ?」
さっきハルと話していた時より、小さめの声で聞かれる。そこに不安そうな感情を感じ取ったユイは、とびっきりの笑顔で答えた。
「すごく美味しいよ。アキが作ってくれたんだよね。ありがとう」
「ドウイタシマシテ」
それだけ言うと、アキはユイの側から離れて、どうやら部屋の片付けや掃除を始めたらしい。表情がないので分からないが、動きがやたらクルクルしているので、嬉しそうに見える。
「ユイの口に合って良かった。実は、今はそんなに豊富に食料が手に入る訳じゃないし、昔の料理がどんなだったかもわからないから、少し不安だったんだ」
「んー、実はまだ起きたばっかりだからか、眠る前のことは細かく思い出せないんだけど……。このご飯は美味しいと思う」
そう言って、ユイは残りの朝食も綺麗に平らげた。
朝食を食べ終え、部屋を見渡していたユイは、棚のすみに飾られている写真立てを見つけた。
そこには、今より少し幼いハルと、中年の男性、そして若い女性が写っていた。
「ハル、この人たちは、ハルの家族なの?」
「そうだよ」
「アキガ、コノ写真撮リマシタ」
「今は一緒に住んでないの?」
ユイは深く考えずに聞いたのだが、部屋には重い沈黙が訪れてしまった。
質問を取り消そうと言葉を発しようとしたが、それはドアを叩く音にかき消された。
「……誰ですか?」
「ハル!ちゃんと帰ってたのか。俺だ、レイだ」
「今開けます」
扉に近づいて小さく答えたハルとは裏腹に、レイと名乗った男は大きな声で答えた。
ハルが扉を開けることにした以上、よく知っている相手なのだろう。
入ってきたのは、ハルよりかなり身長が高く、がっしりした体型の男性だった。年齢は二十歳をいくらか過ぎたくらいだろうか。日光をあまり浴びない生活の為、肌の色は白かったが、精悍と言っていい様子だ。
「ハル、夜中の内に帰らないから心配した。もうこんな危ないことはやめるんだ」
「大丈夫ですよ、レイさん。今回で、終わりですから」
そう言って、ハルが半身避けたことにより、レイとユイは正面から向き合う形になる。
「まさか……本当に?」
「本当です。地下にまだ稼働中の研究室がありました」
「信じられない。だが、確かにここで見たことない顔だ。都市から抜け出せる人間なんて居るわけがないし……」
レイは、しばらく考え込んでいたが、ユイに直接質問することにしたらしい。
「君は、本当にあの都市がまだ人類のものだった時代を知っているのか?」
「私の記憶が確かなら、覚えてる。私の父親はAIの開発者の一人でで。私は、AIがこのような反乱を起こしていることの方が、信じられない」
「……名前は?」
「ユイ・キサラギ」
名乗ると、レイの表情は急に明るさを帯びた。
そして、今度はハルの方を向いてお手柄だ、と言った。
「これで、俺たちは解放されるかもしれないんだな!ユイちゃん、いや、ユイ様。よろしく頼むよ」
右手を差し出されたが、ユイはレイが言っている意味も分からないし、その手を取ることを躊躇った。
様子を見ていたハルが助け船を出す。
「レイさん、待ってください。ユイは起きたばかりでまだ本調子じゃありません。説明は僕が追ってしますから、今は帰ってくれませんか?」
「あぁ、そうだな。また落ち着いた頃に、美味しいものでも持ってくるよ」
レイはそれだけ言うと大人しく帰って言った。
ハルは扉に鍵をかけ直して、深く息を吐いた。
そしてユイに向き直る。
「突然でごめんね。実は、僕たちはもう何年もユイのことを探してたんだ」
「私を?どうして?」
「ユイの父親、キサラギ博士が残した記録データが見つかったからだ。今、ユイにも見せるよ」
ハルは、自分の携帯端末を操作し、簡易の映像出力装置にそれを繋げる。
液晶に映し出されたのは、確かにユイが覚えている父親の顔だった。
「私は、人類が豊かになるため、人類の悲願を達成するために、AIの開発に取り組んできた。しかし、今となってはこれが正しいことだったのか、分からない。もしも、この映像を見ている者が、AIの居ない世の中を望むというなら、私の娘のユイを探すといい。あの娘は、君たちを救うだろう」
映像はそこで途絶えた。
ただ、これを見てもユイには何が何だか分からなかった。
分からないのに、さっきのレイの反応から考える限り、ここの人類はユイが何かをしてくれると期待している。
「僕らはこれを見て探してたんだ。僕らの、救世主様を」
「……や、めて」
『救世主』その単語にすごく嫌なものを感じて、ユイは耳を塞ぐ。塞いでいるのに、声が聴こえる。
「ユイは、人類の救世主になるよ」
そんな言葉を前にも言われた気がする。
そんなものじゃなかった。私は、私は、ワタシハ……!!
「救世主なんかじゃ、ないっ!!」
叫んで、ユイの意識はブラックアウトした。