道程
外の世界は危険がいっぱいだよ。
大事な子供を家に縛り付けておきたいが為に、そんな風に言い聞かせて育てる親もいることだろう。
だが、現代においてその言葉は比喩でも何でもなかった。
特に、自治地区に暮らす人間にとっては、自治地区外はすべて危険区域だった。AIに見つかれば、逃げることはほぼ不可能。捕まれば都市に連れていかれ、家畜生活を余儀なくされると言われているが、真偽のほどは分からない。
捕まって、その後帰ってきた人間はいないのだから、当たり前だ。
今、ハルとユイが歩いているのは都市の一部ではあるがかなり端に位置する場所であり、完全に廃墟扱いの区域なので監視は緩いはずだ。
それでも、ハルはここまで来たときと同様に、神経をすり減らしながら辺りを確認しているというのに……
「ねぇ、ハル。今日は満月なんだね!キレイ!」
なぜ、この少女はこんなにただただ楽しそうに散歩のように自分の隣を歩いているのだろうか…?
確かに自分から離れるなと言う約束は守っているし、体重が軽いためか足音も立てていない。声も自分には聞こえるが周りに響くような大声ではない。
ないんだが!これじゃあ気を使ってる僕がバカみたいじゃないか……。
「あ、あのさ、ユイ。見つかるとまずいって、分かってる?」
出来るだけ怒っているようには聞こえないように伝えたが、ユイはそれにきょとん、として
「分かってるよ?でも今は近くにAIはいないから、大丈夫でしょ?」
「見えないからって、いつどこから現れるかわかんないだろ!だから僕は神経を使って…」
「…?ハルは、AIが近くにいても、見えないと分かんないの?」
そんなことを言い始めた。
<ハルは>分かんないの?ってことは、ユイには分かるってことか?
「ユイ、まさかAIが近くにいたら分かるのか?」
「うん。私を中心に半径200m位は常に。頑張れば1kmくらいに居る数とおおまかな方向くらいは」
「なんっだ、その便利能力!?」
現代に生きる人間にとって、喉から手が出るほど欲しい反則技だ。もちろん、AIに追いかけられれば200mのアドバンテージなど無意味に等しいが、隠れて進むにはとても役に立つ。
「ハルの方が大声」
不満そうな声を出すユイの反論は正論すぎるがこの際は無視だ。
「じゃあ、今は見つかりそうな近場には奴らはいないんだな?」
「うん、さっき少し集中して確認したから、500m以内は大丈夫だと思う。もう一度確認する?」
「いや、いい。しっかし、それどういう理論で出来るんだよ?」
長時間のコールドスリープから目覚めたばかりのユイに、どれくらい負担がかかるのかも分からない能力を何度も使わせるのは得策ではない。
なので、今後どれくらい使えるかの確認も兼ねて聞いてみる。
「それは、私にもよく分かんない。気付いた時には出来てて、パパは機械であるが故にAIだけが発している電波的なものを感知できるから、とか言ってたかな」
「ユイの父親って…」
「セイジ・キサラギ博士。医師であり科学者であり……AIの設計者の1人」
最後は少しハルに遠慮するような声音だった。
「大丈夫、それは知ってる」
ハルは今まで以上に優しい声でそう言った。
つまり、生まれた時からAIに触れていたが故の特殊能力というわけか。
「じゃあ、自治地区のおおまかな方向を伝えるから、この廃墟区域を抜けるまでは、ユイが道を決めてくれるか?」
そういうと、自分が役に立てることが嬉しいのか、ユイはえへへーと笑ってハルの手を取って、こっち!と歩き始めた。
軽くスキップにも見えるその足どりに自然とハルに笑顔がこぼれる。
でも、少し真剣な顔と声に戻って警告する。
「ユイ、その能力のことは、しばらく僕以外には話さないで」
「どうして?」
まただ。
本当に分からないというその声と表情。
その、汚れたものを知らない瞳を濁らせたくはないと思いながら、ハルは出来るだけ冷静に伝える。
「人間にも、色々いるんだ。その能力を知ったら、ユイを利用しようって奴もいるだろう」
「…分かった」
ユイも真剣に答えてくれたことに安堵する。
「ハルは、いいひとだね!」
「…そんなことない」
その後はたいした会話をすることもなく、二人は廃墟区域を無事に抜け出した。
ハルは近くの森に隠してあったソーラースクーターを取り出す。
携帯端末を接続して起動させる。電力は自治地区までギリギリっぽいが何とかなるだろう。
スクーターにまたがり、ユイにヘルメットを投げる。ユイは難なくそれを受け取った。
が、動かない。
「何ぼーっとしてんだよ。後ろ、乗れ」
そう言って自分の背中を親指で指す。
「あー、うん。ていうか、ハル、ひねりない。定形句、定番キャラ。でも何かカッコいい。恥ずかしい。ずるい」
そんな単語をブツブツと並べながら、ユイは渋々と言った様子でヘルメットをかぶり、ハルの後ろに二人乗りする。
「ユイ、それけなしてんの、誉めてんの、どっ…ち!?」
ため息混じりのハルの台詞は、ユイが自分の腕をハルのお腹に回し、背中にもたれかかったことにより、語尾が上ずることとなった。
つまり、背中に感じた2つの柔らかい感触によって…。
「…ハル?どうかした?」
「いや、どうもしない。何でもない。朝も近い。とにかく行くぞ!」
努めて平静を装おうとする。出来ていないが。
スクーターを静かに走らせながら、ハルは後ろに問いかける。
「ユイ、お前年いくつ?」
「それは、寝てた年数はいれる?」
「いれねぇよっ!」
人生で初めて感じた柔らかさが、齢少なくとも70オーバーの女のものだとは思いたくない。
「じゃあ、16」
「16か」
見た目で判断したよりは少し上の年齢。
まぁ、女の発達は男より早いというし、ゆったりしたワンピースの下が意外と発育良くてもおかしくない。
「うん、ちゃんと結婚出来る年齢だから、安心して!」
「何の安心だ、何の!」
危険な帰路の途中だということは、すっかり忘れてしまったような会話。
ハルは、少しだけ、こんな風にふざけあえる時間だけが続けばいいのにと、思っていた。