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Re:end  作者: STAN
征服の王国
2/2

征服の王・下





『報告します』

 どことも知れぬ薄暗い石畳の通路の中、そこを歩く男の耳にそんな声が聞こえる。

「言え」

 たった一言、傲慢な態度が見え隠れする命令に、最初の声は淡々とその報告を伝える。

『旅人は始末しました。死体も処分済です』

「そうか。丁度良いタイミングだな、すぐに戻ってこい。新しい仕事だ」

『それが……』

 珍しく言い淀むその声に、男は不機嫌そうな顔で。

「なんだ。私は忙しいのだ、無駄話は聞きたくないぞ」

『……旅人は思っていたよりやるようで、右手と右足、それと腹に甚大な被害を受けました。暫く元のようには……』

「……チッ、肝心な所で使えない奴め」

『……』

「もういい、それだけの重症だ。もう使い物にならんだろう、好きなだけ養生していろ」

 無言の相手に、男は吐き捨てるように呟いた。

「ここまでだ。貴様との契約は切らせてもらう」

 返事すら待たず、男はワイヤレスのイヤホンを取り外すと放り捨てる。

「いいんですかい、彼は手練だったでしょうに」

 ねちっこい声をあげるのは、男の前を歩いていた小男。脂っこい髪を撫で付けた、鼻の潰れた男である。

「構わんさ。代わりは幾らでもいる。この大事な時に動けない駒など必要無い」

「確かにそれもそうで」

 ヒッヒ、と気味の悪い笑い声をあげて、小男は古びた木の扉に手をかける。

「もう集まってますよ。ゴロツキ、盗賊、小悪党、よくもここまで顔を揃えたものです」

 開け放たれた先に見えるのは、酒場。

 隠れ家のような雰囲気が漂う、石畳の床に古木の大黒柱、至る所に吊り下げられている頼りない火を灯すランプ。

 だが広さは充分なようで、幾つも置かれたテーブルは半分以上埋まっており、小男の言う通りどう見ても堅気では無さそうな男たちがひしめきあっていた。

 熊のような巨体を持ち、酒を大ジョッキであおる大男や同じくらいの体格の上に全身筋肉といった風貌の禿頭、澱んだ眼で酒を嗜む老人もいれば全身傷だらけの男もいる。

 そして彼らは、突然入ってきた小男とまったくもってこの場に似つかわしくない気品の溢れる男へと視線を向けていた。

 小男の方はともかく、もう一人は男は何処からどう見ても貴族といった風貌で荒くれ者達とは一線を画している。だが、その男は少しも怯む事なく口を開いた。

「諸君、よくぞ集まってくれた。この度は私の計画の一部になってくれた事に感謝を示したい」

 優雅な一礼と共に爽やかな笑みを浮かべ、男は続ける。

「お集まりの所申し訳ないが、今しばらくお待ち頂きたい。代わりと言ってはなんだがそれまでの間、好きに呑んでくれて構わない」

 そこで、小男へ目線を向ける。

「まだ全員では無いのだろう? 後は任せたぞ、しっかり手懐けておけよ、ネクター」

「仰せの通りに、アレス様」

「私はこれから『最後の釘』を刺しに行く。ぬかるなよ」

「お任せあれ」

 深々とお辞儀をする小男――ネクターの姿に鼻をフンと鳴らすと、その男――アレスは踵を返して酒場を出て行った。

 それを確認した後で、ネクターは荒くれ者達に向かって大声をあげる。

「てめぇら! 今日はアレス様のおごりだ! 好きなだけ飲んで食って騒げ!」

 おおお、という歓声なのか雄叫びなのか判別のつかない喧騒の中、ネクターは誰にも聞こえないように口の端を歪ませた。

「……哀れな奴らよ」





 日もすっかりと落ちきった頃、ふて寝していたリアの部屋にノックの音が響く。

「……はぁい?」

 寝ぼけ眼をこすりながら曖昧な返事をすると、何の断りも無しに扉が開いた。そこで姿を見せたのは、白装束の貴族――アレス。

「失礼するよ、ミルク姫」

 その姿を見るや、リアはひどく取り乱した様子で起き上がるとシーツを引っ張り上げて身を包む。

「何しに来たのよ!」

 刺々しい言葉と態度にも大してめげた様子も無く、来訪者は影を含ませて口の端を吊り上げる。

「ちょっとした確認と……最後の、『釘』を刺しに」

 意味の分からない言葉を吐く相手にリアは背筋に冷たいものが走るのを感じながら、それでも気丈に睨みつけて腕を突き出した。銀のブレスレットが光る、その腕を。

「これ! 外しなさいよ! アンタからの贈り物なんていらないわ!」

「おやおや、随分嫌われてしまったようだ……心配しなくてもそれは、」

「外れるの?」

「外れないよ、永遠にね」

 ある意味予想していた通りの答えに歯を噛み締めていると、

「そろそろ覚悟を決める事だ。君の、未来の為にね」

「どういう意味よ」

 またもや不可解な台詞にリアは完全に警戒した目つきだ。それでも、相手はそれ以上の禍々しさを持った笑みで語りかける。

「そのままの意味さ。例えば……」

 そこで次に放たれた言葉は、リアの心を完全に捉える事となる。それは、勿論、最悪の意味で。

「……君の、母親のようにね」

「はっ……!?」

 口から出たのは、言葉では無い。ただ、喉から何か絞り出したかのようなそれは意味を為さず、そんな様子のリアを相手は実に楽しそうな表情で眺めている。

「お、お母様が……何……? なんで、あ、あんたがお母様の事を言うの……?」

「実に、実によく知っている。あれ程の奇病は中々無い。だが彼女は大いに役立った」

 何と言えばいいのかわからず、ただ口をパクパクさせるリアに相手はより一層楽しそうに。

「勘違いして欲しくないのは、彼女があの奇病にかかったのは単なる偶然であるが……とても大きな功績を遺した。それは、あの奇病を解析する事で生み出される、強力な兵器だ」

「あんた、まさか、ウィルス兵器を……」

「残念ながら今はまだそこまででは無い。けれど、それもまた激変する。私が、この国を手に入れれば」

「どういうつもりよ! それにさっきから何なのよ! お母様の事も、この国の事も、その兵器ってのも!」

 それまでの鬱憤を晴らすかのように大声をあげるが、差し出された掌に止められる。

「あまり騒ぐものではない。誰かに聞かれたらコトだろう?」

「何言ってるのよ! そんなの、あたしがいるじゃ――」

「それが、出来るのなら」

 落ち着いた声音は、絶対的な自信に満ちていた。リアが、どうにか出来る訳が無いという意思が。

「君のそのブレスレット」

 朝方に自分が無理やり嵌めたそれを見て、アレスは秘密を打ち明ける。

「それには、君のお母様が死に至った病の病原菌が仕込まれている」

「!?」

「いつでも、私の意思のままにその中に潜む針で君に打ちこめるのだ――時間の経過と共に体温が失われ、一切の保温が効かず、やがて『凍死』するという奇病のウィルスをな」

 そんな言葉に、リアは思わずブレスレットに眼をやる。美しい筈の銀色の煌きは、今では毒々しい輝きに見えて仕方がない。

 それでも、一度眼を思いっきり瞑って何事か呟くと、眼を開けると同時にアレスを睨みつけた。

「そんなもの! あたしの命であんたをどうにか出来るのなら、構わな――」

「君なら、そう言うと思った。しかしな、君が逆らえば死ぬのは君じゃない」

 リアの言葉を遮って、アレスは何処までもいやらしい表情で。

「君の、大事な人達だ。例えば、あの忌まわしい爺や、その他メイド達、そして、君の愛しい家族達……」

 そこでニタリと浮かべる笑みは、まるで悪魔のようだった。

「あ、あんた……どこまで、酷い事を、考えるのよ……! どうして、そこまで……!」

 後半は言葉にならず、ただ絶句するばかりの相手へアレスは畳み掛けるように嗤う。

「余計な事さえしなければ誰も死なないさ。少なくとも、『この国の人間』はね」

「な、なによ、それ……」

「一つ訊こう、ミルク姫よ」

 わなわなと震えるリアを見てから、その言葉を口にする。

「『征服者コンキスタドーレス』」

 そして、その瞬間リアの眼が見開いた。それまでの怯えとはまた別種の震えをその身に感じて、目の前の男を見る。

「なん、で……その名を……っ!」

「その怯えよう……と、いう事は、真実という事だな」

「あんた……!」

「史上最悪と呼ばれた、強力な兵器。『征服』の名を持つ、最強の武力。その噂は前からあった。この強大な大国、アイリントンが出来た所以でもあるそうだな?」

 答えは無く、ただ泣きそうな眼で睨んでくるリアへ仮初めの笑顔を向けてアレスは続ける。

「その昔、ただの一小国だったアイリントンは度重なる領土争いの戦争を終わらせるべく、『それ』の建造にとりかかった。やがて出来上がった『それ』は『征服者』と名付けられ、その名の通り周り国全てを征服、そして平定しアイリントンはその磐石な地盤の元建国された、と」

「そんなの、ただのお伽話よ……!」

「果たして、そうかな? 確かに最近では歴史の教科書からさえも記述が消えたそうだが……少し古い書物を漁ればいくらでも出てくるぞ。まぁ、流石に実態まで載っていたのは無かったが」

「だから、嘘よ。そんなものはこの世に無いわ!」

「下手な嘘は辞めておけ、ミルク姫。君はただ認めれば良いのだ。『征服者』の正体を。それは――」

 コツコツと歩き出した先は、城下を一望出来る巨大な窓。そこにかかっているカーテンを思い切り開いて、垣間見えるのは勿論夜景。

「超々巨大な、大砲だ」

「……っ!?」

 今度こそ、完全に取り乱したように体をビクリと震わせる。それで充分だとばかりにアレスは夜の街を眺める。

「驚くべきは、その射程範囲。嘗てこの国で実際に使われ、そして今は隠蔽されているこの大砲はなんと、ここから大陸の端にまで砲撃が届くという」

 陽が暮れたばかりの町並みは未だ賑やかで、往来をごった返す人々が一望出来る。

「それだけのサイズともなれば、破壊力も比類する物など隕石くらいなもの。そんなものに狙われたら、どんな国であろうと屈服する以外には無い。何せ、一撃で国一つを全滅せしめるのだから。それが、今もこの国にあるという」

 暗闇の中に灯る無数の火は見目麗しく、

「では、そんな巨大な物が今もどこにあるというのか」

 街の中心にあるものを照らし出しているようで、

「答えは一つ。この国において馬鹿でかい大砲を隠蔽するには、何かに偽装するしかない。どれだけ高くても不自然では無く、誰もが見ても違和感の無い建造物と言えば――」

 聳え立つ『時計塔』は、光を受けて優雅に鎮座しているようだった。

「余計な問答はやめだ、ミルク姫。私の目的は一つ。この『征服者』で大陸を制圧し、強大な軍事国家を作り上げる事。そしてゆくゆくは世界をも手中に収めるのが、私の最大の野望だ。さて、そこでだミルク姫」

 差し出された手は、有無を言わさぬ迫力を伴っていた。

「君さえ協力的になってくれれば、この国で死人は出ない。更に私という新たな王を得て、国は飛躍的に発展するだろう。その中で君は新国家の女王となるのだ」

 甘い甘い囁きは、まるで毒のようにリアの心へと染み渡る。

「全ては思いのままだ。誰も逆らう者などいない。理想国家の完成だ。さぁ、その為にも、差し出してくれ――『征服者』の、鍵を」

 沈黙が、辺りを包み込む。アレスの誘いに、リアは俯いたまま反応を示さない。

 だが、数分か経過した後で、顔は上げないままにゆっくりと返事が紡がれた。

「……お願い、少し……考えさせて」

「良いとも。結婚式までにあと3日程もある。それまでは答えを待とう」

 話はそれで終わりらしく、仰々しくマントを翻してアレスは背を向ける。

「わかっているとは思うが……君が協力的でないのなら皆が死ぬだけだ。ついでに言わせて貰えば、誰かに話しても同じ結末を辿る事になる。それでは、お互いに幸福な選択をするよう祈っているよ」

 部屋から出ていく直前、最後の最後で警告を放ってからアレスは出て行った。しんと静まり返った部屋の中で、リアはうずくまったままに動こうとしない。

「……お母様、お父様……あたしは……」

 他に誰もいなくなった部屋の中で、その嗚咽は静かに枕へと染み込んでいった。




 アレスが去った後の地下酒場。

 それから暫くは荒くれ者達が好き勝手に飲んだり騒いだり、更に銃を大量にぶらさげた男や全身を包帯で巻いた男、奇妙な仮面をつけた男など後々から合流したメンバーなども交えて宴会のような騒がしさとなっていた。

 宴もたけなわといった所で、ネクターは唐突に叫んだ。

「お前ら、よく聞け! 今から、お前らにだけこの国の『秘密』と、アレス様の計画を教えてやる!」

 そして彼が話し出すのは、アレスがリアへ打ち明けていたそれ。

「『征服者』が手に入れば、世界さえ征服出来る。今回の作戦を上手くやれば……俺たちゃぁ、この国の貴族として取り立てて貰えるんだぜ」

 拳を握り締め、力を込めて放たれた台詞は、一瞬の間を置いた後で大歓声に包まれる。

「ひゃひゃひゃ! そんな事になったらもうやりたい放題じゃねぇか!」

「酒も女も金もいつでも手に入るって事だよなぁ! 最高だぜ!」

「俺様の天下が来たんだ!」

「お前のじゃねぇだろ」

「あぁ? やるか?」

「いいぜ、一人消えればそれだけ取り分が増えるからなぁ!」

 騒ぐだけ騒いだ後で、テーブルをなぎ倒しながら立ち上がるのは熊のような巨体と全身筋肉の禿頭。

 互いに睨みをきかせ、指を鳴らすその姿はどちらも怒気に満ちている。正に一触即発という空気に、ネクターはやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。

 さりとて止めるでもなく好きにさせようといった風であったが、そこへ牽制に入ったのは全く別の声だった。

『止めろ。余計な、事に、体力を、使うもんじゃ、ない』

 ガリガリと、電波の悪いラジオのような掠れた機械音に、思わず2人は声の主へ顔を向ける。

『そんな事より、も、肝心な、事を、訊いて、ない』

 途切れ途切れな声の正体は、隅の方で今までずっと黙って座っていた、顔や腕といった露出している場所全てに包帯を巻いた奇妙な男だった。

 細身ではあるが背も高く、弱々しい印象は無いもののどうにもその包帯のせいで不気味な事この上ない。

「肝心な事だぁ?」

 訝る巨体に、包帯男は一つ頷いてからネクターへ顔を向けた。

『計画の、目的は、わかった。だが、俺たちは、具体的に、何を、すればいいんだ?』

 注目した事で、ネクターは気付く。どう聞いても人間のそれではない声の正体は、喉に巻かれた人工喉頭が出していたものらしい。

 ついでに包帯の隙間から見えた喉には大きな傷が走っているようだった。

「勿論、これから話してやるさ。しっかり頭に叩き込んでおけよ?」

『聞かせろ』

 包帯男の醸し出す妙な雰囲気のせいか、巨体も禿頭も騒ぐ気はどこかへいってしまったらしく、大人しく椅子に座り込んでネクターを見やる。

 そんな包帯男に若干気圧されつつも、ネクターは全員の注目が集まっている事を確認すると大声をあげた。

「いいか、作戦の決行日はミルク姫の結婚式当日。国中の人間が見ている中で行う」

 それを聞いて、何人かが息を呑む。

「なんだぁ、国を奪ろうってのに今更この程度のビビってんのかぁ?」

 ネクターのいやらしい声に、巨体は歯をギチリと鳴らして喚いた。

「だ、誰がそんな程度でビビるってんだよ! とっとと話を続けやがれ!」

「けっけっけ。まぁいい。お前らのやる事は単純だよ。一言で言えばただ暴れればいいだけさ。城の中にはアレス様の息がかかった守衛が何人もいる。当日はそいつらがお前達を城へ侵入させてくれる」

『それだけ、か?』

「細かい仕事は一人一人に振り当てる。それはおいおい伝えるが、まぁ要はお前達が気を引いている間にアレス様が『征服者』を手にいれればいいんだよ」

「随分といい加減に聞こえるなぁ。大丈夫かよ」

 最もらしい禿頭の反論に、ネクターはただ嫌味ったらしい笑みを浮かべるだけ。

「お前らだってわかってるだろう、この国がどれだけ平和ボケしているか。そんな国が、一大イベントをひっくり返されて大騒動になった時、何が出来る? 精々、喚く程度だろうが」

 不快感溢れる笑い声ではあるが、その内容に何人かがつられて笑い出す。

「ま、そんな訳でさっきも言ったが詳細を後で伝える。大まかな事は大体呑み込めたな?」

 辺りを見渡して、特に反論も無い事を確認するとネクターは飲みかけの酒を一気に空にした。

「なら、今日はここまでだ。歓迎会も兼ねて、後は好きなだけ飲め、食え、歌え!」

 そして再び、地下酒場に喧しい声が飛び交い始めた。

 喧騒の中で、包帯男はチビチビと酒を煽りながらふと気になった男へ目を向ける。

 自分と同じ、顔を隠している仮面の男だ。一言も喋らず、ほとんど身じろぎもせず、ただその場に溶け込んでいる仮面に、包帯男はフッと口の端を吊り上げると雑音混じりの人工喉頭から微かな声を絞り出した。

『……食えない、奴、だな……』




 翌日。リアの結婚まであと三日という時点で、ネクターは王宮の見取り図を見ながら何事か考えている様子だった。

 城下町にあるモーテルの一室は、現在ネクター以外にも数人の男が佇んでいる。誰も彼もが昨日酒場にいた面子だ。

 だがその数は酒場に集まっていた人数と比べればせいぜい5分の1にも満たない程。残りのメンバーは現在別室で寝ていたり装備の手入れをしていたりと様々だ。

 ネクターはそんな各部屋を周り、当日の配置と作戦を伝えていた所だった。あらかたの説明は終えており、残すはこの部屋に連中に指示を与えればひと段落である。

「お前らの役割は外だ。結婚式会場の外。そこを占拠して、外部からの侵入と内部からの逃亡を抑える」

「なんだ、楽勝じゃねぇか」

 ネクターの指示につまらなそうに鼻を鳴らすのは熊のような巨体。

「そうだな。丸腰の逃げる奴と哀れな弱卒兵士を狩りゃいいだけだ。しくじるなよ?」

「ありえねーよそんな事ぉ!」

 自慢げに嗤う巨体に、その他の面子も口には出さないが頷いている様子だ。

「まぁ、とりあえずは潜伏場所を頭に叩き込んでおけ。タイミングが重要だからな。お前らは絶好のタイミングで出口を塞いで、それから――」

 と、更に詳しい段取りを説明しかけた時だ。不意に、部屋の扉が勢い良く開いた。

 部屋にいた誰もが扉へと視線を向けて、そこに佇んでいた人物を見て目を丸くする。

「……なんだ、部屋でも間違えたか、ガキ」

 愛想の欠片も無いぶっきらぼうな声を出すネクターの言う通り、扉の前に立っていたのは年端もゆかぬ子供。

 薄水色の短髪に、袖や首元に青いラインの入った白い上着。それにカーゴパンツを合わせ、腰は2本の太いベルトが巻かれている。それに取り付けられる形で、2振りの剣が腰に後ろに据えられているのが見えた。

 そんな子供はどう見ても歓迎されているとは言い難い空気の中で不敵な笑みを浮かべる。

「ここに来れば、『依頼』が受けられるって聞いてきたんだよ?」

「……はぁ?」

 思わず聞き返すネクターに、子供は腰のポーチから紙切れを取り出した。それは、『B.B』と刻印の打たれた契約書だった。

「ちゃんと『裏』の方に問い合わせて、この『依頼』が良さそうだなぁって思ってきたんだ。まだ間に合うよね?」

 誰もが、固まっていた。そんな中で、最初に声を取り戻したのは熊のような巨体。

「あっはっはぁ! こりゃぁおもしれぇ、冗談のうめぇガキだなオイ!」

 バカにしたような笑い声に、その他の面々もつられてゲラゲラと笑い出す。

「ははは! 『おつかい』にしちゃちょいと危ないんじゃねーの?」

「今からでも遅くねーぜ。とっとと帰って母ちゃんのおっぱいでも吸ってな」

「こいつぁこえぇ! 俺達ぁお守りまでしなきゃならねーのか!」

 好き勝手に騒ぐ連中に、子供は笑顔は絶やさないまま、冷たい声で一言。

「……じゃぁ、試してみる?」

 バカ騒ぎの中に投じられた言葉は、再びその場に沈黙をもたらす。

「調子に乗るんじゃねぇよ、クソガキ」

 熊のような巨体が、威嚇するように肩を怒らせて凄むが子供にはまるで効いていないようで。

「あはは、それ、脅しのつもり?」

「生意気言ってんてじゃねぇよこのガキャァ!」

 ガダン、と木材の折れる音が鳴り響く。それは、巨体が手近にあった椅子を持ち上げて子供目掛けて叩きつけた音だ。

 椅子は見事に砕け、その音と衝撃からして下手をすればそれだけで死んでもおかしくない一撃。だが、地面に散らばっているのは、椅子の破片だけ。

 子供の死体は、どこにも無い。

「はい。これで一回死んだね」

 ヒヤリとした物が、巨大の首筋に添えられる。冷たいのはそれだけでは無い。その、声だ。

「い、いつの間に……?」

 とても子供のそれとは思えない乾いた声に、巨体の額に脂汗がじっとりと滲み出す。そしてそれ以上に、尋常では無い悪寒が背筋を駆け抜ける。

 首にピタリとあたっているのは、紛れもなく剣だ。子供が少しでもその気になれば、首はそのまま落とされるであろう圧迫。

 ――まるで、見えなかった……っ!

 子供がやった事は単純。巨体が椅子を掴んで持ち上げる瞬間、懐に潜り込み、体の小ささを活かして股下から背後に回って剣を押し付けただけ。ただそれだけの事が、誰にも見えていなかった。

 否、一人だけ見ていた人間がいた。ネクターだ。

 少し離れた位置にいたおかげで子供が背後をとるまでは見えていた。だが、その剣をいつ抜いたのかは皆目見当もつかない始末。

 そんな人間離れした動きを見て、ネクターは高らかに笑った。

「ハハハッ! やるなあ、ガキ! 疑って悪かったよ、お前も雇おうじゃねぇか」

「わかって貰えたようで何より」

 その言葉で、ようやく剣を引く。解放された巨体は一気に汗を吹き出しながら恐る恐る振り返った。

 やはり変わらぬ笑顔で、けれどしっかりと剣を握っているのを見て絶句してしまう。

「なんだなんだ情けねぇな! そんなんじゃぁこのガキ一人に手柄全部もってかれちまうぜ?」

「う、うるせぇ!」

 なんとか口答えはしてみるものの、腰が引けていては格好もつかなかった。そんな姿にネクターは溜息を吐きながら子供へ向き直る。

「それにしても頼もしいじゃねぇか。その歳でそんだけ動けるたぁ大したもんだ」

「鍛えてるからね。これでも旅人だし」

「へぇ。一人で旅してんの――」

 旅の話題を出した途端、子供の目にギラリとした殺意が灯る。それを目ざとく嗅ぎつけたネクターは言いかけた言葉を飲み込んで諭すような台詞を吐き出した。

「……まぁ、そんな話は野暮か。ともあれ宜しくな。腕が立つなら年齢なんて関係ねぇや。俺はネクター。お前は?」

 そんな言葉に、抜きかけていた剣を収めて子供は自分の名前を口にした。

「シルヴィって呼んで下さい」




 その日の夜。モーテルの空いていた部屋を宛てがわれたシルヴィは、狭くて汚いベッドに腰掛けながら何かを聞いていた。

 手に握られているのは手のひら大の黒い箱。長方形のそれの一片にはコードが差し込まれており、それが伸びる先はシルヴィの耳のイヤホンだ。

 静かな部屋な事もあって微かに漏れているその音は、音楽の類では無く話し声であるらしい。

 全てを聞き終え、イヤホンを外すと片付けながらひとりごちる。

「これで……良いんだよね、カイ」

 小型のレコーダーをベッド脇の小机に置くと、その隣のランプを消す。剣を帯びたベルトもそこに立てかけて、ゴロリと横たわって外を見た。

 雲は無く、幾つも星が瞬いていてとても優雅な景観にもシルヴィが吐くのは溜息。

「どこ行っちゃったんだろ。ていうか生きてるよね……?」

 最悪の想像を頭を振って振り払い、目を閉じる。

「全くもう、カイったら心配ばっかりさせるんだから」





 シルヴィがカイへの愚痴をこぼしながら空を眺めていた頃、同じように星空を見て、同じように憂いの表情を浮かべる者がいた。

 城下を見渡せる高さに位置するその部屋の持ち主は、リア。カイ達と逢った時はまるで違う、就寝用のシルクで出来た高級感溢れるネグリジェを纏って、窓のそばに立ち尽くしている。

 その眼に生気は無く、表情もどこか儚げだ。

「……言いなりにさえなれば、皆の命が助かる。でも、代わりに……」

 アレスの理想は、強固な軍事国家の建立。つまり、これまで平和的に交流を持っていた近隣国といつ戦争を起こしてもおかしくない。

 否、起こすだろう。リアはそう確信していた。ただこの国の王に収まって終わらせるような男ではないと。

「折角、争い事も無くなって平和な時代になったのに……」

 リアの聞いていた話では、先代の王、つまり祖父にあたる人物の時代はまだこの国は戦争状態だったという。

 だが祖父と現国王、リアの父の尽力によって平定され、以降は大きな問題も起きる事なく現在に至っている。

 最も、『征服者』自体はその遥か前に時計塔の『芯』にされており、平定は人の手で行われたものだ。故に軍事的な遺恨は残っておらず、このまま何事も起こらなければこの安穏の日々は保たれる筈だった。

 けれど、アレスが起こすのは、その『何事』である。

 ――『征服者』はまだ稼働する。

 それは、王族だけにひっそりと継承されるアイリントン最大の秘密である筈だった。なのに何故、アレスは知っていたのか。

 唯一の心当たりと言えば、アレスの出身が『平定相手の国であること』。

 昔戦争状態にあった国同士、スパイがいてもなんらおかしくはない。気がかりなのは、それだけで最重要機密が漏れるのかという事。

「どうして、どこから……?」

 この事実は直系の親族にしか知らされておらず、王宮で働いていたとしても、例え執事でも知らない筈だった。

 いくら考えても答えは出ず、陰鬱な表情で空から目線を外すと化粧台へと歩み寄る。平台の上にある箱を開けると、そこには小さな鍵が入っていた。

 そして幾つもある引き出しの内、一つだけ鍵のついたものに手を伸ばす。カチリという軽い音と共に開けられたその中から取り出すのはペンダント。

 卵大程ものサファイアを銀の枠で装飾した、見るものを幻惑するかのような美しい胸飾り。

「お母様……っ!」

 それをギュッと抱きしめ、嗚咽を漏らす。打開策など無く、相談出来る人物もおらず、リアは一人打ちひしがれて涙を零した。

「あたし……どうしたらいいの……?」




 王女の悲愴も貴族の思惑も旅人の行方も国民は何一つ知る事なく、その日はやってくる。

 空模様はリアの心を映したかの如く曇り模様で、しかも黒く染まったそれらは低い地鳴りのような音を響かせている。

 けれど、そんな雷雲にも負けず国民達の盛り上がり様は異様であった。多くの店が日の出と共に開店し、普段ならまだ寝ているような時間から営業を開始し始め、露店もそれに負けじと日も昇りきらない内にテントやらを立てている。

 更にそれらに合わせるように、早朝からメインストリートは買い物客でごった返していた。

 彼らの思惑は皆同じ。やるべき事は全て早くに済ませてしまい、正午過ぎから行われる披露宴を国営放送で聴く事を待ち望んでいるのだ。

 アイリントンでは、主な娯楽はラジオである。普段から各所に設置された公共マイクで色々な放送を行っている上に、様々な民間放送局が存在し多種多様なチャンネルで放送を盛り上げている。

 そして今日は、国営でも民間でも内容は決まっていた。勿論、結婚式の生中継である。

 国営は当然、民間も幾つかの大手は披露宴に参加し放送する事が決まっており、それぞれが贔屓の局による放送を心待ちにしているのだ。

 そのような理由でまだ薄暗いというのに活気漲る通りを、リアは自室から見下ろしていた。

 目元には酷い隈が出来ており、何日も寝ていないだろうという事が見て取れる。疲れきった表情に感情らしきものは浮かんでおらず、城下を見てはいるものの心ここにあらずといった風だ。

 それでも、やがて日が昇りきった頃に聞こえたノックに対しては朗らかな声をあげる。

「ミルカリア様、そろそろ起きて準備の方を」

「うん、わかった。入ってきていいよ」

 扉の向こうから響くメイドの声にそう答えて、化粧台へと赴く。

 前にもしたように鍵を取り出して引き出しから持ち上げるはペンダント。やはりいつかのように祈りを捧げるかの如く黙祷していると、軽いノックと共に部屋の扉が開かれる。

 キャスターのついたドレッサーと、その他諸々の道具が詰まった移動台を押して入ってくるのはメイド達。

 何処か無理のある笑みを浮かべ、リアは彼女達へ歩み寄った。メイド達の下、ネグリジェを脱いで下着を替え、ペティコートから純白のドレスを纏う。

 手馴れた様子のメイドから化粧も施され、隈も綺麗に見えなくなり、ほとんどの準備を終えた所で一度姿鏡を確認すべく立ち上がる。

 その姿は、正しく一国の王女と呼ぶに相応しい風貌であった。整った容姿に美しく結い上げられた髪、肩を大きく出す艶かしいドレス。

 どれをとっても気品に溢れた佇まい、リア自身も生まれ変わったかのような己の姿に感銘を受けた様子だ。だがそれも束の間、この後に待ち受ける相手を思い出して眉根が歪む。

 それをメイド達に悟られないようにすぐ様取り繕って、

「うん、すごい。あたしじゃないみたい」

「とてもお似合いです、ミルカリア様」

「ありがとう」

 精一杯の笑顔で誤魔化しつつ、移動台の上に乗っている台座を見る。そこには、純銀製のティアラが置かれていた。

「シャルメリア様もお喜びになられますよ」

 その視線に気付いたのか、年長のメイドが嬉しそうに顔を綻ばせる。

「お母様も、結婚式にコレを身に着けたんだよね」

 言いながら、そのティアラを手にとった。青を基調とした宝石の散りばめられたそれは、息を呑む程に美しい。

「お母様……あたしに力を」

 誰にも聞こえないよう小さな声で呟いて、その冠を被る。

「まぁ、見違えるようですわ……あのちっちゃかったミルカリア様も今ではこんな大きく……」

 感極まって目頭を抑え出すメイド長に苦笑しながら、リアは凛とした声を出した。

「じゃぁ、行こう」

 




 正午を間近に迎え、今や国民の活気は最高潮へと達していた。

 最早仕事をしている者はほとんどおらず、いても昼食を取りながら放送を聞こうという客の注文を受けたコックくらいである。

 誰もが手を休め始まるのを待っている中、更に緊張した雰囲気なのは王宮内の大広間だ。

 そここそが披露宴の行われる場所であり、既に関係者達がまだかまだかという面持ちで待機している。

 国内の有力貴族は勿論、特に親交の深い他国の貴族や報道関係者達で中はごった返しており、姦しい事この上無い。

 だが、それも一瞬で静かになる。広間の最奥、入口から一直線に伸びるレッドカーペットの先、緩い階段を上ってたどり着くステージに明かりが灯る。

 同時に広間全体が消灯され、より強調されたステージの端、スタンドに立たされたマイクの前に燕尾服を纏った男が姿を見せた。

「皆さん、大変お待たせしました。これより、我が国の王女、ミルカリア姫と隣国ルフォーレの貴族、アレス卿の結婚式を執り行います」

 瞬間、爆発したような歓声が上がった。

 それは広間だけでなく、国中でも同じだった。誰も彼もが叫び、歌い、呑み、再び叫ぶ。

 そんな城下街とは違い、広間にいる者達は必要以上に騒ぐ事はしなかったものの、期待に胸を膨らませているのは皆同じ。

 暫くして広間内が静かになった後で、司会の男はゆっくりと言葉を紡いだ。

「それでは、新郎の入場です」

 そしてステージ脇から姿を現したのは、真っ白なモーニングコートを纏うアレス。

 盛大な拍手に迎えられ、愛想の良い笑顔を振りまきながらステージの中央で立ち止まって賓客へと頭を下げる。

 いつも以上に白さを強調したかのような服装に、光り輝くようなブロンドを靡かせる目立ちのハッキリとした容姿。

 正にこれこそ貴族と言えるべき姿に賓客達は揃って感心したような息を漏らす。

「次に……新婦の入場です」

 その台詞と共に開かれたのは、広間の大扉。

 そこには、純白のドレスにティアラを被り、レースのベールを垂らしたリアと父である現国王の姿があった。リアの胸元には、何度も抱いたペンダントも煌めいている。

 2人は大きな声援に迎え入れられながら、広間へと足を踏み入れる。一歩一歩、父親にエスコートされゆっくりと歩を進める姿はとても優雅で、見る者全てが固唾を飲んで見守っていた。

 やがて階段の前にたどり着いた父は、娘へ上るように促して自身は脇へと身を退く。

 ベールに覆い隠されて表情こそ伺えないが、リアはしっかりとした足取りでアレスの横へと並び立つ。

 割れんばかりの拍手が巻き起こり、来賓の誰もが笑顔で2人へ賛辞を送っていた。

 そんな中、アレスはリアにだけ聞こえるようにぼそりと低い声を出した。

「……返事は、決まったかい?」

 途端、リアの体がビクリと震える。明らかに怯えたかのような仕草に、けれど会場の人間は皆浮かれていて誰も気付かない。

「あたしが……あんたに協力すれば……皆が助かる、のよね?」

 体と同じく震えた声に、アレスは前を向いたまま目線だけをリアに向ける。

「そうだ。約束しようじゃないか」

 そんな会話をしている内に、司会による2人の紹介も終わっていて、宣誓の時がくる。

 ステージの中央に据えられた高台へと宣教師が立って、2人はそちらへと振り向いた。

 それを確認して、厳格そうな風貌の宣教師は見た目通りの厳かな声で述べる。

「汝アレスは、この女ミルカリアを妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、妻を想い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」

「誓います」

 澱みなく答えたアレスに頷いて、今度はリアへと顔を向けた。

「汝ミルカリアは、この男アレスを夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、夫を想い、夫のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」

「……誓い、ます」

 多少間があった上に、か細い返事に宣教師は少し不思議そうな顔をしながらも式を続けるべく2人を交互に見据えながら婚礼の儀式を促す。

「では、誓いのキスを」

 その言葉を受けて、アレスは一歩前に踏み出すとリアのベールを捲る。

 酷く生気の失われた、化粧でも隠しきれないやつれた顔を見ても、アレスはむしろ嬉しそうに口を端を吊り上げた。

 ここにきて、一挙一動を見逃すまいと静まる場内で、アレスはゆっくりと顔を近づける。

 半ば自棄になったかのように、リアは諦めて眼を瞑り――

 やがて聞こえたのは、爆発音。

「……!?」

 やってくると思っていたキスの代わりに轟いたその音に、思わず眼を開けると、相変わらずアレスの顔は目の前にあった。

「さぁ、答えを聞かせて貰おうか、ミルク姫よ」

 突然の爆発音は何なのか、アレスが何を言っているのか、そもそもアレスは何故少しも動揺していないのか。

 色々な事が頭をぐるぐる周り、何も言えないでいる内に閉じられていた広間の扉が乱暴に開け放たれる。そこからドヤドヤと入り込んできたのは、どう見ても招かれざる者達だった。

「テメェら! 誰も動くんじゃねぇぞ! 動いた奴から皆殺しだぁ!」

 燕尾服やタキシードといった儀礼用の服を纏っている来賓達とはまるで違う、汚いボロやラフな格好をした者達は見た目通りの粗野な声を荒げて、広間を占拠すべく暴れまわり始めた。

 ある者は斧を振り回して放送局の機材を片っ端から壊して周り、またある者は手に持ったマシンガンを乱射して照明や窓に風穴を開けている。

 その他にもカーテンを破ったり壁を壊したり飾りに火を点けたりとやりたい放題である。

 そして、賓客の誰もがあまりの出来事に動けもしないまま、荒くれ者達は瞬く間に広間を占拠し終えたのであった。

 ご丁寧にも、出入り口は全て荒くれ者達に防がれ、例え動けたとしても逃げられはしないという状況だった。最も、最初の威嚇の時点で荒事に慣れていない貴族達は既に固まって動けなくなっていたのだが。

 寧ろそれが幸いして、あれだけ暴れて広間がめちゃくちゃになったのにも関わらず、死人は一人も出ていない。

 そんな中、完全に混乱しているリアへ冷静な声が飛んでくる。

「どうだ、気に入って頂けたかな、私の『歓迎』は?」

 それは、アレスの声。段々と今何が起こっているのかを飲み込めてきたリアは、掠れた声で問う。

「まさか、コレ……あんたが……」

「ハハハ、君はもうちょっと粘るかと思ったのでね、保険だよ」

 事も無さげな声に、リアの理性は弾け飛んだ。

「し、信じられない! あたしは、アンタの言う通りにしたじゃない! なんで、なんでこんな事するのよ!」

「言ったろう? ギリギリまで君は承諾しないだろうと思っててね。こんな茶番まで用意したのも、万全を期す為さ」

「だからって、こんな……こんな……っ!」

 怒りで頬を赤く染めながら、言葉も出てこないといった様子のリアにアレスは何処までも冷淡な声で。

「死人は出ていないだろう? そしてこれからも出ない。君が私の言う事を聞いている限りはね」

 今にも掴みかかりそうなリアの肩に手を置いて、更に何か言おうとしたタイミングで、

「何事だ!」

 入口を塞いでいた荒くれ者達がなぎ倒され、甲冑を着た兵士達が雪崩込んでくる。

「チッ、見張りの者達は何をやっているのだ。役立たずが……」

「ミルカリア様! アレス様! ご無事で!」

 アレスの愚痴が聞こえていない兵士達は2人の無事を確認すると武器を構え直して荒くれ者達を睨みつける。

「許さんぞ、賊め……!」

「だったらどうだと言うのだ。邪魔をするでない」

 兵士の言葉に反抗するように、全身筋肉の禿頭が巨大な斧を担ぎながら威嚇する。だが兵士達はそれに怯える事なく特攻しようとして、

『俺が、やる』

 禿頭の脇からそんな声が聞こえたかと思えば、最前列にいた兵士はもう気を失っていた。

 何故なら、細い鉄の棒で思い切り頭を殴られたからだ。気絶した兵士の傍に立つは、ジーンズにマントといったラフな格好ながら、肌が露出する場所全てに包帯を巻いた不気味な男。

 顔も眼と鼻と口の僅かな隙間以外は全て包帯で覆われており、更に先程聞こえた人の声とは思えないそれは喉に巻かれた人工喉頭のようだった。

 そんな男が、細長い棒を持って兵士達の前に立ちはだかっている。問題なのは、その男の動きが誰にも見えていなかったという事だ。

 いつの間にか飛び出し、いつの間にか一人を倒し、いつの間にかそこに立っていた。

 それがどれだけ恐ろしい事か理解する前に、包帯男は動き出す。

 流れるような動きで次に前にいた兵士の喉へ棒を突き込み意識を吹き飛ばすと、その隣の兵士へは回し蹴りを延髄へと決めて床へ叩きつける。

 それで我に返ったように剣を振り上げる後続へ足払いを仕掛け、転んだ所へ棒を鳩尾に突き入れた。悶絶する兵士を他所に包帯男は鉄棒を振り回し、取り囲もうとしていた兵士達を吹き飛ばす。

 そして前へ飛ぶと、一番後ろにいた兵士の首を鉄棒で薙いだ。

 棒故に斬れる事は無かったものの、凄まじい一撃に意識はあっという間に何処かへ吹き飛んだ。

 あれよあれよという内に、広間へやってきた兵士は、包帯男によって全員意識を失う。

「え……アイツめっちゃ強くね」

「なんだあの野郎、最初大人しくしてると思ったら目立ちやがって」

 荒くれ者達も一連の出来事に驚いているようで、口々に悪態やら何やらを飛ばしている。

「ハハハッ、素晴らしい働きだな。お前は覚えておこう」

 アレスはそんな賛辞を送りつつ、さて、とリアへ向き直った。

「話の続きといこう。君には、まだ聞かなければいけない事がある」

 見る者をぞっとさせるような冷たい笑みで、アレスは囁く。

「『征服者』の、『鍵』を教えてもらおうか」

「……っ!」

「ハハッ、何故そこまで知っているか、という顔だな。知っているさ。知っているとも」

 いよいよ青褪めた表情のリアに、アレスは何処か憎々しげな顔で吐き捨てた。

「私の故郷、ルフォーレは……一度『征服者』に滅ぼされているのだからな」

「えっ……?」

「知らないか? まぁそれも当然。君も私も生まれるずっと前の事だからな。だが、事実だ。更に言うなれば……私が『征服者』の存在を知り得たのは、君のお陰なのだよ」

 眼を見開くリアに、アレスは容赦なく言葉を叩きつける。

「君は覚えていないだろうが……幼少の頃、この城で開かれた懇親パーティで出会ったのが、君と私の始めての出会い。そこで、君が自慢したんだ……『征服者』と、その『鍵』を」

「そんな……そんな事……っ!」

「本当に小さかった頃だからな、覚えていなくても無理はない」

「でもっ、そんなの信じるなんて……」

「あぁ、信じてなんかいなかったさ。君の父と祖父が、私の国にある『交渉』を持ちかけてくるまではね」

 衝撃で口も聞けないといったリアを見て相変わらず寒気のする笑顔を浮かべながら、続きをかむ。

「その『交渉』の事は、君も知っているだろう」

 そこまで言われて、気付く。アレスの出身国との『交渉』と言えば、一つしかない。

「12年前の……?」

「そう、アイリントンと『平定』の協約を結んだそれだ」

「でも、それがなんで……」

「まだ分からないか? 敵対状態にあった相国が、そんな簡単に和睦なんて結べると、本気で思っているのか?」

 そして、思い至る。父と祖父が、何を『条件』に平定を達成したのか、を。

「つまり、『征服者』による殲滅をカードにしたのだよ、君の国はね」

 何も、言えなかった。父が、祖父が、そんな交渉をしていた事実を信じる事が出来ずに。

「祖父が忌々しげに話してくれたよ。呑まざるを得なかった、ってね。だが、むしろ私は感謝している。そこで始めて、『征服者』の存在を確信する事が出来たからね。しかし、君の親はよくやったよ。交渉自体は無理に呑ませたが、その後は基本的に私の国が有利になるような取引や政策を数多く布いたからね。おかげで誰もそれ以上は追求しなかった」

 熱く語るアレスは、誰も止める者がいないのをいい事にどんどん加速する。

「けれど、私の関心事は既に『征服者』に捕らわれていた。そして実際手に入れる為に、何れ程の労力をかけたか……まず親睦を以て君の親を取り込む事や、様々な手回し、この結婚に至るまで……語るに尽くせぬ」

 そこで一旦言葉を切って、後ろを振り向く。そこで何を見たのか、ニタァ、といやらしい笑みでリアへ問いかける。

「では、今一度問おう。『征服者』の『鍵』とは、何だ?」

 余りにも一度に多くの事を打ち明けられたせいか、震えたまま声を出さないリアへ、アレスはそれでも上機嫌なまま呟いた。

「成程、言えないか。なら……これで、どうだ?」

 その一言と共に、アレスの背後から姿を現した人物。

 それは、荒くれ者に囚われた父親だった。

「お父様……っ!」

「ミルク……!」

「感動のご対面、という奴だな」

 欠片もそんな事を思っちゃいないという表情で、荒くれ者の手に握られる分厚い剣は父の首に据えられている。

「一々言葉にする必要も無かろう。さぁ」

「待て、ミルク! 私の事は良い、『鍵』を渡してはなら――」

「うるせぇよ」

 父親の説得は、途中で荒くれ者に遮られ最後まで言う事も叶わない。しかし、そんな父の気迫に押されて再び口を噤んだリアを見て、アレスは淡々と告げた。

「言わないのなら、良い。おい、王の首を刎ね――」

「待って! 待って……お願い……教えるから……」

 必死な声をあげるリアへ満足げな表情でアレスは言う。

「聞かせてもらおうか」

 そんな言葉に、リアは唇を思い切り噛み締めながら、自身のうなじへと両手を持っていく。そこで何事かいじって取り外すのは、ペンダントの留め金。

 ゆっくりとした動作で差し出されるのは、そのペンダントである。卵程もの大きさのサファイアを銀の枠で囲った見目麗しいそれを、アレスは興味深そうに眺める。

「ほう、それが……?」

「……そう。お母様の形見……これが、『征服者』の『鍵』」

 ペンダントを受け取り、確認するように指でなぞる。

「間違いないか、王よ」

 静かに紡がれた言葉に父は答えず、ただ歯を噛み締める。

 その沈黙こそ肯定と受け取ったアレスは、ただフッと微笑んで言った。

「用済みだな、王。辞世の句はありますかな?」

 慇懃無礼な言葉の、その意味を理解したリアは思わず飛びかかろうとして、背後にいた荒くれ者に取り押さえられる。

「なっ、何言ってるの!? 『鍵』は、渡したじゃない! なんで、どうして……っ!」

「全く、君は本当に何もわかってないな」

 やれやれと、挑発するように肩をすくめてアレスはぼやく。

「『鍵』を手に入れた所で、私が王にでもならなければ『征服者』を起動させる事は出来ないだろう? それに、この場で私の計画を聞いた者を生かして帰す訳にも行くまい」

「なんっ、でっ! 約束、したじゃない……っ! 誰も、死なないって……」

「儚いな、ミルク姫。本気で信じていたのかい?」

「あんた……最初から……っ!」

 目の前の男をどうにかしてやりたいと、どれだけ頑張った所で女の腕では荒くれ者をどうする事も出来ない。

 出来るのは、ただ涙を浮かべて嗚咽を漏らす事のみ。

「後は仕上げにこの場にいる者達の『口封じ』をした後は、荒くれ者達を一旦兵士達に捕まえさせて、私の手柄とすれば良いだけ。王のいなくなった国の実権を握るのは、婚約相手の私だ」

 高く高く、不愉快な笑い声をあげる相手にリアは最早声も出なかった。

 悔しくて悔しくて、何かを言おうにも溢れ出る涙と嗚咽に邪魔され言葉を紡げない。

「それでは、ご機嫌よう。そしてさよなら、現国王よ」

 その手が首を掻ききる仕草を見せる。それを見た荒くれ者は汚い歯をむき出して嗤うと、剣を大きく振り上げ――

「……誰か……助けて……」

 絶望に満ちた嘆きと共に、何かが地面に落ちる音が木霊した。




 その頃、城下街でも異変は起きていた。

 特別何か騒ぎが起きたのではない。むしろ、逆である。

 あれ程騒がしかったメインストリートが、静まり返っているのだ。

 人がいない訳では無い。結婚式が始まる前と変わりなく、民衆は放送に耳を傾けている。

 けれど、誰一人騒ぐ者はおらずどの顔を見てもショックで固まったような表情で微動だにもしない。

 傾けたカップの中身が全てテーブルや服にかかっていても、すっかり冷めた料理を猫に食べられていても、誰もそちらへと気を向けていない。

 事は、少し前に遡る。

 結婚式が始まり、国営放送が余すことなく音声を中継し、誓いの言葉が流れる頃には最早街中に流れる大音量の放送と民衆の歓声とどちらの方がうるさいのか判別がつかない程であった。

 だが、その状況は一変する。

 誓いの言葉も終わり、いよいよキスのシーンという場面で、聞く事は出来ても見る事の出来ない民衆は広間内の歓声を聞いて盛り上がろうと待ち構えていた時。

 突然、怒号と共に音声が途切れる。

 その理由は乱入した荒くれ者達が機材を壊したからだが、それを知る筈も無い民衆はただ戸惑うばかり。

 何が起きたのか、直前に聞こえた怒号はなんだったのか、何故放送が聞こえなくなったのか。

 わかる訳もなく、ただ近くにいた人とあーだこーだ言い合っていた時だ。

 街中のマイクから、雑音が漏れてくる。

 何の音かは分からないが、とにかく音が出たという事は放送が再開されたという事だ。

 そう思って、自然と喧騒は収まり、次に何が聞こえてくるのかと耳を済ませて、流れ出したのは――




 何が起きたのか。

 アレスには、理解出来なかった。

 何故、自分の足元に転がっているのが、荒くれ者の首であるかを。

 その首の持ち主は、今まさに王の首を刎ねようと剣を振り上げた者であり、今その体は制御を失ってゆっくりと後ろへ倒れていった。その頬に吹き出した血が飛び散った事も気にせず、呆然とその死体を眺めやる。

 そして見えたのは、仮面の男。

 地下酒場で見かけた、雇った筈の男である。もっと言うなれば、その男は城内を攪乱する為のパーティにいる筈であり、この広間にいる事自体がおかしい。

 更に、そちらへ眼を向けていると今度は背後から悲鳴が聞こえてくる。

 急いで振り返って見れば、リアを取り押さえていた荒くれ者達が薙ぎ倒されている所だった。

『助けて……と、言ったな……』

 ガリガリと、聞こえるのは掠れた人口音声。つまり、今の今荒くれ者をまとめて蹴散らしたのは包帯男。

「貴様……何をやっている……っ! 裏切る気か……っ!」

 眉根を寄せ、怒りに満ちた表情で自分を指すアレスを見て、包帯男はニヤリと笑うと、鉄棒を振り回して後ろから襲おうとしていた禿頭を吹き飛ばすと空いた手で人工喉頭を引きちぎるように取り外した。

 それに連動して顔を覆っていた包帯も全て解け――

「その『依頼』、承った」

 垣間見えるは、空を映したかのような青い髪。細身ながも背は高く、弱々しい印象はまるで受けない、精悍な顔つきの青年。

「……カイ!?」

「おう、助けに来たぜ、お姫様」

 人を安心させるような明るい笑みで答える青年――カイに、リアはただただ涙を零す。今度は、嬉し涙を。

「でも、なんでカイがここに……」

「そこの貴族さんにゃ殺されかけたもんでね……ちょいと、『お返し』をしに」

「貴様、死んだ筈では……っ!?」

 そこでようやく、ショックから立ち直ったらしいアレスの指摘に、カイは不敵な笑みで答える。

「音質の悪い無線じゃぁ、ボイスチェンジャーは見抜けなかったろ?」

「なんだと……では、貴様はベースを……いや、そんな事はどうでもいい! おい、何をやってる! コイツを殺せぇ!」

 整った容姿が歪む程に顔をしかめて、アレスは残った荒くれ者達へ命を下す。

 それに応えて、雄叫びをあげながら迫ってくる集団を悠々とした表情で眺めて、カイは呟いた。

「あっはっは、どうでもいいだってさ。だから言ったろ。こんな碌でもない奴に仕える事はないってよ、『ベース』」

「人は関係無い。問題は金と契約だ」

 カイの呼びかけに、そう答えたのは仮面の男だった。

「なっ、貴様……っ!」

 毒突くアレスが再び振り返る頃には、既に仮面の男は荒くれ者達に向けて走り出していた。いや、仮面の男だけでない。カイもだ。

 2人は、鈍器も銃器も物ともせずに次々と荒くれ者を昏倒させていく。

 カイが鉄棒を的確に急所へ突き入れて気絶させれば、仮面の男はメリケンサックを嵌めた拳で顎を打ち抜いて、更にカイが蹴りを鳩尾へ決めれば、対抗するように裏拳を同じく鳩尾へと叩き込んで相手を黙らせる。

 10人以上いた荒くれ者が全員ノックアウトされるのに、5分とかからなかった。

 倒れた男どもの上で、仮面の男はアレスを向くとその仮面を外す。

 現れた顔は、紛れもないベースだった。

「何を考えている! 貴様も裏切る気か!」

「何もおかしい事はあるまい」

 激昂するアレスとは裏腹に、ベースは至って平常といった表情で返す。

「契約を切ったのは、お前自身だろう。己の今の契約主は、この男だ」

 と言って目線で示すのは、勿論カイである。

「ま、そういうこった。じゃぁ、覚悟してもらおうか?」

 鉄棒を突きつけるカイを見て、アレスは歯を食いしばるとポケットに手を突っ込んで何かの端末を取り出すとそれに向かって叫んだ。

「ネクター! 予定変更だ、外の足止め役をこちらに向かわせろ! 即刻だ!」

 指示を終えたアレスは何やら怪しい笑みで2人を見据える。

「見ていろ貴様ら……必ず後悔させてやる……この私に逆らった事を」

 威圧するように睨むアレスだが、そこでおかしい事に気が付いた。それは、ネクターからの返事が無い事。

「……ネクター? おい、返事を――」

『あ、このおじちゃんネクターって言うんだ』

 無線から響いてきた声は、いつも聞いていたねちっこいそれでは無かった。

 まだ若い、というよりはまるきり子供の声に、訳が分からずただ疑問を口にする。

「誰だ、貴様……っ!」

『僕? 僕はシルヴィ。宜しくね。あとついでに言っておくと……』

 そこで無線からもたらされた情報は、アレスを驚愕させる内容だった。

『外の足止め係はもう全滅させたよ。さっきの爆発で塞いだ道も、足止めされてた兵士さん達がもう壊して開けたから、そろそろそっちに着くんじゃないかな』

「やるねぇ、流石シルヴィ」

 思わず無線を取り落としたアレスは、カイの褒め言葉を聞きながら馬鹿な、と漏らす。

「30人はくだらない戦力を回していた筈だ……それが破られる等……」

「シルヴィならその程度なんでも無いさ。チンピラ程度が何人束になった所で敵いやしないよ」

 俄かに信じられるような話では無かったが、無線を持っているのはネクターだけであり、それを奪われているという事から信じざるを得ない。

 その事実から逃げるように何か使えるものがないかと広間を見渡して、眼に止まったのは純白のドレス。父親を連れて、アレスから離れた場所に避難していたリアである。

「は、はは……そうだ。まだアレがいたか。おい、カイとやら!」

 先程まので態度から一変、何やら勝ち誇った様子で指差すのはリア。

「一歩も動くんじゃない! あの女の手首に嵌めたブレスレット! あれには毒が仕込んである! 少しでも動けば殺すぞ!」

 言いながら、これみよがしに取り出すのは無線にも似た端末。上部にはフタがしてあり、それを開けると中にはボタンが仕込まれていた。

「即効性の神経毒だ! ひとたまりもないぞ!」

 完全に優位へ立ったと、そう思いながら相手の表情を見て、その顔が歪む。何故なら、カイは焦るどころか呆れたような目線をこちらへ向けていたからだ。

「な、なんだ……その眼は。これを押せばどうなるか、わかっているのか」

「じゃぁ、押したらどうだ?」

「なっ……!?」

 予想外の返事にアレスは束の間戸惑うものの、すぐに取り繕って嘲るように叫ぶ。

「ハハハ! 所詮は旅人、薄情な人間なのだな! ミルク姫がどうなっても良いと――」

「勘違いするなよ」

 その言葉を遮って放たれた言葉は鋭く。

「それでミルク姫を殺してみろ。そうしたらお前を守るものは何も無くなる。今お前が握ってるのはミルク姫の命だけじゃない。お前自身の、命だ」

 身を切り刻まれるような錯覚さえ覚える視線と、言葉。気圧されるように一歩後ずさって、わなわなと震えながら歯を食いしばる。

「何を戯言を……」

 ぶつぶつと呟きかけた所で、ふと違和感に気付いた。

 ベースが、何処にもいない。それを悟った瞬間、スイッチを持つ手に衝撃が走る。

「ぐあっ……っ!」

 痛みに霞む眼で辛うじて捉えたのは、黒い影。それは正に違和感の正体であるベースで、その手にはスイッチが握られていた。

「よくやってくれた、ベース」

「御意」

「き、貴様ら……!」

「俺に気を取られてたろ? 周りにも気を配らないと駄目だぜ。特に今みたいな『切り札』を使う時はな」

 先の冷たい空気はどこへやら、諭すような言葉を痛む手を抑えながら聞き流していると、広間の外が急に騒がしくなる。 

「お、兵士達の登場かな」

 その通り、壊れた広間の入口に殺到するのは王宮の兵士達。

 その姿を見たアレスはしめたとばかりに口を歪ませると、カイが何か言う前に叫び声をあげる。

「間に合ったか! その2人が賊だ、引っ捕えろ!」

 状況的に見れば、兵士達は自分を信用する筈だと考えての発言。だが、何故か兵士達はまっすぐにアレスを見つめて、苦々しい表情で呟いた。

「言い訳は、通じませんよ。アレス卿」

「な……っ?」

 思いもよらなかった兵士の叛意に驚いた様子を見て、カイはニヤッと笑う。

「してやったぜ、アレスさんよ」

「どういう事だ! 何故どこの馬の骨ともわからないような奴らに……」

 怒りと焦燥の余り髪を振り乱して喚くアレスへ、兵士は静かに告げた。

「貴方の企みは、全て放送されていたんですよ。街中のマイクを通して、何もかも」

「ついでに言うと、4日前にお前がミルク姫を脅していた所を盗聴した奴だ。今頃国民はお前の悪行全てを知って怒り狂ってるかもな」

「盗聴だと……!?」

「そ。お前と初めて逢った時、肩叩くついでに仕掛けておいた。気がつかなかったろ?」

「ぐ……許さん、絶対に許さんぞ……まだだ、まだ城内にも手駒が……」

「そいつらは、己が全て仕留めておいた。呼ぶだけ無駄だぞ」

 諦め悪く呟いた手段も、一瞬にしてベースによって潰える。

「そういや放送室に流すよう頼んだのベースだよな」

「ああ。占拠していた賊を排除した後は頼まれた通り職員へレコーダーを渡しておいた」

「完璧」

 2人してあまり緊張感の無い会話を交わしている内に、広間に閉じ込められていた賓客達の避難も終わっていた。

 残るは、壇上に立ち尽くすアレス一人である。いつの間にか、リアは父親を連れて離れた所で兵士達に周りを固められている。

 気付けば、何も残っていなかった。あれだけいた荒くれ者は誰一人として残っておらず、無線の内容からして外も全滅。更には、城内に侵入していた者達もベースが仕留めたという。

 わなわなと体を震わせ、眼を見開いて唖然とする姿は普段の気品溢れる佇まいからは程遠かった。

 それでも、その最たる原因であるカイへ憎悪を籠めた視線を向けると、首の無い荒くれ者の手に握られた剣を奪い取る。

「殺す……殺してやる……っ!」

 地鳴りのような低い声で呟いて、走り出す。

 呆れたように肩をすくめるカイへ、横から差し出されるのは白い剣。

「お前の物だ。いるだろう?」

 何処から取り出したのか、ベースが持っているのはカイの愛剣だ。

「お、ありがとよ」

 至って軽い雰囲気で受け取って、即座に抜いて受け止めるのは目の前で振り下ろされていた剣。上段からのそれを、事も無げに横へ逸らす。

 バランスを崩してよろめくアレスだが、すぐに体勢を立て直して次に狙うは首。けれど、真横に薙いだ剣撃は上からの振り下ろしに潰される。

 叩き落された剣と一緒に膝をついて、それでも雄叫びをあげながら剣を振り上げようとした手を蹴飛ばされて剣が吹き飛んだ。

 宙を飛んだ剣は誰もいない床に突き刺さり、武器を失ったアレスは痺れてまともに握れもしない拳で殴りかかる。それはあっさりと手のひらで受け止められて、同時に足を払われた。

 重力のままに尻餅をついた瞬間、その喉に白い剣が突きつけられていた。

「動くな」

 口調だけは軽いものの、見上げた相手の眼に宿る殺気は身も凍る程の冷たさで。

 全身に寒気が駆け巡り、それでもアレスは声にならない声をあげながら剣を避けて立ち上がり、拳を振りかぶった所で、

「終わりだ、お坊ちゃん」

 言葉とほぼ同時、鼻の下辺りに爆発したような衝撃が走る。

 それは、見事に急所を打ち抜いたカイの拳で――ついに、アレスは意識を吹き飛ばされてその場に倒れ伏したのだった。




 アレスの逮捕という国民にとっては衝撃の出来事から、一夜が明けた。

 街中で噂される話のネタはただ一つ。国中に響き渡るマイクから流された、アレスがリアを脅しているという内容についてだ。

 但し、その内容は幾らか編集されていた。国家機密である『征服者』についてのシーンはわざと雑音を混ぜて聞き取れないように細工しており、国民が知り得たのはアレスがリアに対して『何か』を強要しているという事のみ。

 それでも効果は充分に発揮され、アレスの悪行は知れ渡る事になる。結果、投獄される運びとなり、そして今現在、その立役者であるカイはというと。

「うわーん! もう、カイ大好き!」

 子供のような叫びと共に、リアに背後から抱きつかれていた。

 そんな様子を、豪勢な丸テーブルの向こう側から眺めるのはアイリントンの現国王。

「この度は誠にご苦労だった。君がいなければ我が国は乗っ取られていたかもしれない……感謝してもしきれないよ、カイ君。ところで殴っても良いかな?」

 表情は笑顔に口調も穏やか、台詞も感謝のそれといった様子ではあるがこめかみだけはピクピクと動いている奇妙な顔の国王に、カイは苦笑しながらリアをゆるりと引き剥がす。

「勿体無きお言葉。謹んでお受けしますが、拳骨は勘弁して下さいな」

「まぁ固い事言わずに。愛娘の抱擁なんて俺だってもう何年もされてねーってのにこの野郎やっぱ許さねぇ」

「口調変わりすぎだと思うんだが……ていうかそれは俺の意思じゃ」

「おいテメーミルクちゃんの抱擁受けといてなんでそんななんでもねーって面なんだもっと喜べよ!」

「いや、だから」

「んだぁ? ミルクちゃんに魅力ねーってのか!?」

「おいコイツめんどくせーぞ!」

 最初の一言の時点で大分おかしな方向へとそれていたが、最早完全に話題がズレている事にカイも思わず相手が国王だと言うのに普段の口調で突っ込みをいれる。

「あー、お父様認めた人には大体こんな感じだから許してあげて」

「そうなのか……」

「ねー、それよりも話って何?」

 一連の漫才じみたやり取りを黙って見ていたシルヴィのそんな声で、カイも我に返ったように咳払いする。

「確かにそれを訊くのが先だったな……俺たちみたいな根無し草をこんな場所に招いた理由、教えて貰えるかい?」

 カイがこんな場所、と言ったのには訳があった。何故なら、今いるのはそんなに広くないながらも隣にキッチンを据えた食堂であり、更に言うならばその場所は王族の団欒に使われる部屋である。

 つまり、本来なら家族で食事をとる為の一室なのだ。リアからそう聞いたカイはまずそこから疑問に思う。

 いつもリアに張り付いていた執事の姿すら無く、すぐ外には何人か兵士が待機しているのはわかったが、室内には王とリア、そして旅人2人という状況だ。

 そこが、まず有り得ない。故の、疑問である。

「んーとね、それは幾つか理由があるんだけど……ま、一番の理由は信用してるから、って事で納得してくれない?」

 カイから名残惜しそうに離れて、自分の椅子に座りながらの言葉に答えるのはシルヴィ。

「だってさ、カイ」

「へぇ。そりゃありがたい事だが……」

 そう言いながら、鋭い目線を国王へと送る。

「勿論それだけでは、ないですよね?」

「あぁ、普段の口調でいいよ。君は旅人だろうし、堅苦しいのは嫌いでな」

 随分とフランクな言葉遣いで話す国王に、カイもまたひとつ頷いて口を開く。

「なら、仰せの通りに。それで、俺らに訊きたい事があるんだろう?」

 そんな台詞に、国王はようやく真面目な表情を浮かべると低い声を出した。

「君は、『征服者』の秘密を知った。その処遇について、決めなければならない」

 先程までのおちゃらけた雰囲気は何処へやら、顔の前で手を組んでコチラを見るその姿は王と呼ぶに相応しい威厳とそれに伴った威圧を放っている。

 思わず緊張したように唇を結ぶシルヴィとは対照的に、カイは普段通りの声で。

「それで、どうするんだい?」

 少しも恐れていない様子のカイを見て、国王はフッと笑った。

「ウチで働かないか、カイ君」

「働く、ってのは?」

「君の戦いぶりはこの眼で見させてもらった。是非兵士長、そして兵士の教練役に就いてもらいたいんだが……どうかね?」

「……成程、そりゃ確かに良い話だ」

 一介の旅人が、国王から城に召抱えられないかと提案されている。

 普通の人間ならなら二つ返事で承諾しそうな言葉にも、カイの答えは、

「だが、申し訳ないが……遠慮させてもらうよ」

「はぁ、やっぱりダメか。そう言うと思ったけど。脅しも効きやしねぇのな」

「有難い申し出ではあるさ。でも俺の性には合わねぇ。というか、断るのわかってて訊いたろ?」

「君が欲しいのは事実だからな。受けてくれれば儲けものってトコさ」

 そして2人してニヤリとしている所へ、割り込んでくるのはリア。

「お父様、そんな話する為に呼んだんじゃないんでしょ。早く本題に入ろうよ」

「おぉ、そうだな。とりあえず食事でもしながら話そう」

 食事と聞いて途端に眼を輝かせ始めるシルヴィを微笑ましげに眺めながら、国王は言う。

「大した事では無い。ただ、君の話を聞きたいんだ。どうして、『彼』の野心に気付いたのか、どうして、直前まで君は『彼』側に着いていたのか、諸々とね」

「あぁ、その程度ならお安い御用さ」

 一つ頷いて、事の荒筋を順に語っていく。

 国の外での出会い、リアの突然の訪問、アレスとの邂逅、そこでの戦闘。

「じゃぁあたしの依頼を断ったのって盗聴されてたからだったのね」

「俺はそれよりもリアがそんな事を依頼に行ってた事に泣きそうなんだが……」

「でもアイツ碌でなしだったじゃない」

「それもそうだな」

「態度変えるの早っ!」

 親子のやり取りに突っ込みを入れるシルヴィに苦笑しながら、やがてベースとの戦闘が佳境に入った辺りで、前菜のスープを口に運んでいたシルヴィが少し怒ったような声をあげた。

「そういえばカイ! あの時どうなったのかまだ聞いてないよ。突然いなくなっちゃうしメモしか残ってなかったし、何やってたの? いつの間にかアレスに雇われてたしさ!」

「悪い悪い、あいつを騙すには色々隠してないといけなかったからな。でも言うだろ、敵を騙すにはまず味方から、ってね」

 プウ、と頬を膨らませるシルヴィだったが、後続の料理が運ばれてきて眼を反らした隙にカイは続きを語る。

「あの時はな――」




 カチリ、という音の正体。

 それは何かの起動スイッチの音。その『何か』の正体は、ベースの腹付近に仕込まれていた手榴弾の為のもの。

 ほぼ密着した状態で起爆。言葉通り、道連れにする最後の手段であったその作戦は――結果を言えば、失敗に終わった。

 何故なら、その音が聞こえた瞬間、カイは剣を引き抜くと同時にベースの腹部に掌底を喰らわせほんの少しの距離を開けたかと思えば、

「そこだな」

 という言葉と共に剣を真横に薙いだ。その一閃は、手榴弾を括りつけていたベルトを斬り裂き、尚且つ手榴弾そのものを弾き飛ばした。

 数メートル先まで飛んでいった手榴弾はそこでようやく爆発し、熱風と幾つかの破片を2人へ押し付けたものの、致命には至らない。

 ベースが仰向けに地面へ倒れた時には、もう全てが終わっていた。起爆から爆発までの一瞬、カイはその間にそれだけの事をやってのけた。

「き、貴様は……一体、何なのだ……ぐっ」

 倒れた勢いからか胸の出血が激しく、更に言うならば腹部にも違和感を感じる。

「あんまり喋るな。手榴弾を斬った時、ついでにお前の腹も少し裂いちまった。下手に動いたら内蔵がはみ出るぞ」

「……心配せずとも、動けはせん……」

 ベースの意識は、最早限界に近づいていた。

 カイが何かを言っていた事も聞き取れはせず、ゆっくりと、深い闇に沈むようにベースは気を失った。


―――


 何処かから聞こえた話し声に眼を覚ました時、まず目に入ったのは見たことも無い天井だった。不思議に思い体を動かそうとするも、胸と腹に鈍痛が走り動きが止まる。

「無理すんなよ。急所は外してるけどそんな気軽に動ける傷じゃないからな」

 そんな声に眼を向けてみれば、見えたのは青い髪の男。

「……どういうつもりだ、これは」

 冷静に周りと己の体を見回して、至る所に巻かれた包帯や白いベッド、清潔感漂う部屋からして今いる場所が病院である事を悟る。

 加えて、生きてる上にカイが隣にいるという事は助けられたという事だ。色々と疑念を持たせたその問いに、当の本人は悪気の無さそうな笑みで答える。

「勿論、タダで助けた訳じゃねぇ。ちょっとした『仕返し』を手伝ってもらいたくてな」

「馬鹿な、そんな事に己が……」

 痛む体を抑えながらの反論へ、カイは脇に置いてあった小さな黒い箱を突き出して黙らせた。

「とりあえず、コレを聞け。今の今録音したトコだぜ」

 返事も待たないままに側面のボタンを押すと、音質の悪い会話が流れ始める。それは、紛れもないアレスと――自分の声だった。

 いや、よく聞けば少し違いはあるものの、アレスは気付いた様子も無く事の次第を報告したベースの声に対しての返答は契約の打ち切りだ。

「これはレコーダーだ。ボイスチェンジャーで報告して見たらクビだとよ。ひでー雇い主だな」

「……随分と、内容が違うみたいだが?」

「半分くらいは嘘だしな。でも今お前が怪我して動けないのは事実だろう? どちらにせよ答えは変わらなかったと思うぜ」

「何故そんなものを聞かせる? 惨めな己でも笑いたいのか」

「まさか。言っただろう、手伝って欲しいってな」

 黒い箱――シルヴィに渡したものと同じレコーダーをテーブルに置いて、真剣な声で語る。

「これだけ熱烈な『歓迎』を受けたんだ。相応の礼が必要だろう?」

「……己に、裏切れというのか」

「おいおい、もう『契約』は切られてんだぜ。契約主自身の手でな」

 そんな言葉に、ベースは幾らか間を置いた後、口の端を吊り上げた。

「それも、そうだったな」

「まぁね」

「……それで、貴様は己と契約したいと、そう言うんだな」

「あぁ、その通りだ。アレスに比べれば金はあんまり払えねぇけど……そうだな、代わりに……」

 そう言いながらコチラを見る眼は、普通のそれであった。

「俺の『能力』を教えてもいい。知りたいだろう? ……根っからの武人っぽいしな、お前」

 そんな提案に、ベースは一つ息を吐いてから、

「了承した」

「よっしゃ。じゃぁ教えるよ、俺の秘密を」

「待て、それは報酬だろう。先に言うものでは」

「いいじゃねぇか。どうせ今動けないんだし結婚式までもまだ時間あるし、先払いって事で」

 軽い返事にベースは頭を振りつつ呆れたような声を出す。

「……全く、貴様といると気を乱されてばかりだ」

「お堅いな、ベースは。もっと気楽でいいんだぜ」

「貴様喧嘩売っているのか?」

 鋭い目つきで睨まれて苦笑しながら、カイはゆっくりと問う。

「『異端の子供』自体がなんなのかは、知ってるな?」

 ベースは一つ頷いて、その答えを紡ぎ出した。

「人間の限界を超える為の計画。脳や細胞に手を加え、子供を実験台にして人工的に『超人』を作り出そうとした研究の通称だ。正式名称は……『Children of Advance』、『C.O.A』だったか」

「あぁ、その通り。『進化の子供』どころかその異常さから『異端の子供』呼ばわりだけどな」

「度重なる人体実験の末に、それなりの結果を出したと聞いたが……貴様が、潰した」

「どちらかと言ったら暴走してたんだけどな……ま、その辺は聞いてもつまらないだろ。肝心なのは、俺がどんな風に改造されたのか」

 言いながら、カイは人差し指で自分の頭を指す。

「俺がいじられたのは、脳だ」

「脳?」

「そうだ。実際に開けたって訳じゃないけどな。寧ろそれで培った結果から作られた薬がメインだった。何回も投薬されたよ。飲んだり、注射されたり、ひでーのは頭に直接刺したりね」

「……だが、貴様は成功したのだな」

「そういう事になる。最終的に、俺の脳みそはな……」

 少しだけ間を開けてから、結果を打ち明ける。

「常人の10倍近い速度で思考が出来るようになった。これがどういう事か、わかるか?」

「それが、あの異常な動きの正体なのだな」

「正解だ。俺はな、普通の人なら1秒に感じる事を、10秒近くまで引き伸ばして見れる。簡単に例えるなら銃弾かな。止まって見えるぜ、あんなもん」

「……成程、似たような話を聞いたことある。剣術を極めた者は、極度に集中すると相手の剣筋が止まったように見えると言うが……貴様のは、その『極度の集中』を人為的に引き起こすのだな」

「正に、その通り。とはいえ、そこまで『引き伸ばす』には本気で集中しないと出来ないけどな」

「通りで、手榴弾の罠も、己の自爆もあっさり切り抜ける訳だ……」

 ぼやきながら、戦っていた最中の出来事を思い返す。上から落ちてくる手榴弾を一瞬にして弾き飛ばした事や、体にベルトで固定しておいた手榴弾の場所を即座に看破して斬り飛ばした事を。

「大したものだ。見えていても、それについてくるだけの鍛錬が無ければあんな芸当は不可能だろう」

「欠点もあるけどな。それも、重大な」

 そう言って、親指で示すのは眼。

「見ただろう? 真っ赤な眼を」

 頷くベースに、カイは肩をすくめて言う。

「さっきも言ったが、普段からそんな風に見えてる訳じゃない。本気で集中しなけりゃ発動しない。そんで、能力発動中は眼と脳を酷使する。つまり、そこに血が集まって……」

「眼が、紅く染まるのだな」

 補足するように呟いて、ベースは納得したように眼を細めた。

「思考速度を10倍程に加速させる能力か……己が負けるのも当然だ」

「それほど良いものでもないけどな……」

 どこか自分を嫌悪するように呟いて、けれどすぐに取り繕ったような声を出す。

「わかって貰えたかな、俺の力」

「充分だ。では、仕事の話といきたい所だが……己はこんな有様だ。これでどうしろと?」

 言いながら見やるは包帯だらけの体。

「まだいいさ。今はシルヴィに任せてゆっくり養生しといてくれ」

「シルヴィ……?」

「俺の相棒。多分、今頃は俺とお前が戦ってた場所でも見つけてメモを見てる筈だ」

「……何をさせる気だ」

「さっき聞かせたレコーダーと同じものを、渡してある。ついでに言うと、それと繋がる盗聴器をアレスに仕掛けといた。それを使って『ボロ』を出すのを待てってメモしといた」

「いつの間にそんなもの」

「肩叩いた時さ」

 抜け目のない奴だ、とでも言いたげな眼でカイを見てから、ベースはフッと息を吐く。

「準備万端だな。最初から狙っていたのか?」

「お前が屋根裏で盗み聞きしてた時からどうにも怪しいって思ってたからな。用心って奴だよ。……さて、俺は少し出かける」

「待て」

 背を向けたカイを引き止めるのはベース。

「己も行く」

「おいおい、無茶すんなって」

「この程度どうという事はない。縫合は済ませているようだし、急所も見事に外してある」

 さりげなくカイを褒めつつ、少々顔をしかめつつもベースは立ち上がった。

 そんな姿に頭を掻きながら、カイは感心したような呆れたような声を出す。

「全く律儀だね……まぁいいか。なら行こうか。ちょっくら、変装しに」




「後はシルヴィも見ての通り、ベースと2人で変装してアレスの軍隊に紛れ込んでタイミングを測ってたのさ」

「そうだったんだ……」

 事の次第を聞いて、シルヴィは料理も詰め込みつつそんな声を漏らした。

「全然気付かなかった……というか一瞬だったけどカイ変な声だったよね。何アレ」

「あぁ、アレスにバレないように傷跡っぽく見えるシールと人工喉頭使ってたんだよ」

 身を乗り出しながら疑問を口にするリアへそう答えると、彼女は納得したように息を吐いてからシルヴィへと眼を向ける。

「シルヴィちゃんもすごい活躍だったって聞いたわよ。兵士達が話してたけど、あっという間に賊達をやっつけちゃったって」

「うん、頑張ったよ!」

 口一杯に頬張っていた料理を飲み込むと、シルヴィは楽しそうに笑みを浮かべる。

「おう、よくやったなシルヴィ」

 頭を撫でられて嬉しそうな顔のシルヴィをリアは羨ましそうに眺めながら、少し拗ねたような声をあげた。

「いいなぁ……じゃなくて! カイ、この国にはいつまでいるつもりなの?」

「あー、そうだな。色々あったせいであんまり観光もしてないから、2~3日くらいいると思うぜ。シルヴィもいいだろ?」

 問いかけられたシルヴィは先程以上に料理を掻き込んでいたせいで声を出す事も出来ず、けれどうんうんと頷く。

「ならあたしに任せてよ! 美味しいご飯出すところとか見所いっぱいの場所とかいっぱい知ってるから! ね! ね!」

「お、おう。そういう事なら任せた」

 最早眼前まで迫る勢いに、押し切られるような形で承諾するとリアはガッツポーズを取りながら笑う。

「いいわよね、お父様!」

「ダメだ」

「えっ?」

 思い出したように国王へ許可を求めた途端、返ってきた言葉にリアの顔が青ざめる。そんな国王は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がりながら、力いっぱい叫んだ。

「デートじゃねぇか! 父さんそんなの認めん! 断じて認めんぞ!」

 ガタッ、とテーブルについていた肘を滑らせかけるのはカイ。ついでに、シルヴィもつっかえたらしくゴホゴホと咳き込んでいる。

「い、いいじゃない! それくらい許してよ!」

「嫌だぁ! 娘は渡さん!」

「じゃぁなんで結婚は許したのよ!」

「あれは……うん、その、なんだ……ほら、酔ってたから……勢いで……」

 痛い所を突かれたのか、急に勢いを失って人差し指同士を付きつつゴニョゴニョと言い出した国王にリアは呆れと怒りの混ざった声で。

「もう! お父様嫌い!」

 とそれだけ言ってそっぽをむいてしまったリアに国王は慌てて手を振り回す。

「ま、待ってミルクちゃん! 父さんそんなつもりじゃ」

「じゃぁどういうつもりよ!」

「うっ」

 娘の剣幕に詰まって何も言えない国王を微笑ましげに見ていると、隣のシルヴィも何やらおかしい様子で。

「カイとデート……デートなんて……」

 何やらぼそぼそとぼやいてるようで、なんとも話しかけづらい空気の中カイは呟く。

「……楽しい食事会だよ、全く」



 結局国王が折れる形となり、残り数日を条件付きでリアが案内するという事に決まった頃にはデザートも運ばれてきていた。

 冷たい氷菓を目の前にして、顔に幾つかの引っかき傷を作った国王は改めて咳払いをする。

「色々とあったが……カイ君。一つ君に『依頼』したい事がある」

「聞きましょう」

 そう応えて姿勢を正すカイへ、国王はゆっくりとその内容を口にする。

「……どうか、『征服者』の事を誰にも言わないで欲しい」

「お安い御用です、陛下」

 優雅に頭を下げる姿を見て、国王は表情を緩める。

「済まないな、無理ばかり言って」

「構いません。相応の見返りは貰いましたから」

 


 それから三日後の朝、カイとシルヴィはアイリントンの城門前にいた。

 出国の手続きをしつつも振り返ってみると、時計塔は入国した時と変わらず悠然とそびえ立っている。

 その中に何が内包されているのか、知って尚口を噤む事を約束したカイは『依頼』通り誰にも話す事なく書類の空白を埋めた。

「お預かりします」

 それを係員に提出して、一つ伸びをする。

「波乱づくしだったけど、最後は楽しかったね」

 真似して体を伸ばすシルヴィの言葉にカイは頷きながら欠伸を漏らす。

「そうだな。リアのおかげで色々見て回れたしな」

「いっぱい美味しいものも食べれたし!」

「……まぁ、シルヴィはそっちのが重要か」

 無邪気な笑みに苦笑していると、小窓の向こう側の係員が何かを差し出してきた。

「確認がとれました。これより開門致します。それと、こちら手紙です」

「手紙?」

 受け取ってみると、一通の封筒。その差出人は、

「バルカディオ……って、これ国王の名前じゃ」

 驚いている間に、巨大な門が重厚な音を立てて開かれていく。

「あと、その手紙はある程度進むまで開けるな、との事です」

 やがて人が通れるようになった所で、係員がそんな事を言う。

「嫌な予感しかしないが……ありがとう、わかったよ」

「それでは、来国誠に有難うございました。貴方でしたら、またいつ来られても歓迎致します。良い旅を」

 深々と頭を下げる係員に見送られて、2人はついに国を出る。

 真っ直ぐ伸びる街道は太く、空は快晴、正に旅日和。

 とりあえずは何事も無く、このまま2人の旅が再開される――筈かと思いきや。

「はぁ~い、元気ィ~?」

 ある程度歩を進め、アイリントンの城門が大分小さく見える頃になって、脇の茂みから唐突に女性が飛び出してきたかと思えばそんな事を言い出した。

 大きめのキャスケット帽に白いワイシャツ、黒いジーンズといったラフな格好ながら腰に巻かれた太いベルトには銃やらナイフやらが吊られていて中々に物騒である。

 しかし、その女性には見覚えがあった。むしろ、見覚えがありすぎた。

「……何やってんだ、リア」

 帽子に隠れがちではあるがその豊かな桃色の髪、そして端正な顔立ちは、アイリントンの王女、ミルカリアその人で間違いなかった。

「やだ、ミルクって呼んでよ。あたし達もう家族みたいなもんだし!」

「いや、質問に答えろよ」

「ところでこれからどこ行くの? あたし近隣以外の国に行った事ないから楽しみなんだよね!」

「聞けっての」

「旅って色々大変なんだよね! 野宿したり食べ物だって野草とか動物仕留めたりするんでしょ? もうホント体験した事ないばっか痛たたたたた」

 まるで話を聞かずに一人騒ぐリアにカイはいつかの宿のように頬を抓って黙らせる手段をとる。

「いたたたごめんなさい真面目に話しますから離しててて」

 素直に謝って解放されたリアは頬を摩りながらブーブー文句を垂れる。

「もう! 女の子の顔をつねるなんて! しかもこれで二回目だよ!」

「手刀の方が良かったか?」

「すいませんでした」

 爽やかな笑顔が逆に不気味なカイを見てリアは再度謝ると息を吐く。

「正直に言うわ。あたしを旅に連れてって下さい」

 真っ直ぐにコチラを見る目は、冗談ではないということを語っていた。

「……本気みたいだな」 

「えぇ。本気よ」

 そんな言葉に、どうしたものかとシルヴィへ眼を向ける。

「シルヴィは、どう思う?」

「僕は構わないけど……あっ、でもライバルが……」

 後半はゴニョゴニョと聞き取れない程に小さい声だったせいで聞き取れなかったものの、反対では無かった事にカイは難しい顔をしながら腰のポーチへ手を伸ばす。

「訊きたいんだが、リア。お前ちゃんと親に許可とってきたか?」

「うっ」

 正に痛い所を突かれたという表情丸出しのリアに溜息を吐きながら、カイは一通の封筒を取り出した。

「そんな事だろうと思ったが……国王も、お見通しだったみたいだぜ」

 そこで初めて開けて見ると、それは正にリアの事を頼むという内容だった。

「『アレスを捕まえた事でルフォーレとの関係が悪化するかもしれない。というより、向こうは最初から『征服者』狙いだった節がある。ならば次はどんな手段をとってくるかわからないし、ミルクを誘拐する可能性も充分にある。ウチのお転婆は言ってもききやしないから、それならゴタゴタが収まるまで君に託した方が安全と考える』」

「お父様……っ!」

 手紙の内容に、リアは嬉しいやら悲しいやらよくわからない顔で父を呼ぶ。

「参ったな……国王直々の『依頼』じゃねぇか」

 言葉とは裏腹に別段嫌そうでもない顔で、続きを見る。

「後は……うん、俺に対する罵詈雑言ばっかじゃねぇか……」

 最初の真面目な文章はどこへやら、後半はリアと一緒に旅する事への嫉妬だったり愚痴だったりと正直に見るに耐えないものばかり。

「全く、愉快な国王だ。……追伸もあるな」

 今日日小学生でも使わないような悪口の最後、追伸と銘打たれた後には今までより大きくて太い文字でこう書かれていた。

 ――ミルクを泣かせるような真似だけは、絶対にするな

 そこで、手紙は終わっていた。途中からアイリントンの方へ向いて黙ってしまったリアは、どうやら涙をこらえているらしい。

「……これは、アンタが泣かせた、でいいよな。良い親子だね、どうも」

 リアに聞こえないように呟きながら、カイはふと近くの茂みへと声をかける。

「つー訳で報告は勘弁してくれよ、ベース」

「……流石、気付いていたか」

 すっと、木の陰から姿を現すのは意外にも旅人らしい格好に扮したベースであった。

「なんとなく見られてる気はしてたからな。次の雇い主は国王だな?」

「ご明察」

「なんとも、頼もしいね」

 お互いに不敵な笑みを交わしつつ、カイはリアの隣に並び立つ。

「準備はいいかい、お姫様?」

 そんな言葉に、リアはハッとしたように涙を拭って元気な声を出した。

「うん、大丈夫」

 その眼に最早憂いは無く、見えるのは強い意思。

「……ならいい。じゃぁ、行こうか皆」

「うん!」

「カ、カイは渡さないよ!」

「御意」

 それぞれの答えを聞いて、カイは歩き出した。

 問題は色々抱えつつも、ひとまずはひと段落。空は晴れ、旅路は順調、徒然なるまま世は事もなし。

 


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