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Re:end  作者: STAN
征服の王国
1/2

征服の王・上

 暗い、夜だった。

 分厚い雲に月明かりは遮られ、辺りは一寸先も見えぬ暗闇に覆われている。

 更に夕方からシトシトと降り始めた雨は止む様子を見せず、より視界を鬱蒼としたものにしている始末。

 そんな闇の中、周りを森林に囲まれた場所にひっそりと佇む巨大な建造物の中で、2人の男が慌ただしく言い争っていた。

「馬鹿な! そんな事がありえるなどと……!」

「しかし、最早我々だけでは手に負えず、今どこにいるのかも……」

 共に白衣の、黒髪を全て後ろに撫で付けた年寄りと黒い短髪に眼鏡をかけた若い男だ。

 幾つもの机が居並ぶ事務所の中で、身分を示すように1つだけ別配置の机を挟んだ格好で向かい合っている。

「なんとしてでも捕縛するのだ! それが叶わぬのなら、殺せ!」

 苛立っているのだろう、力の限り机を殴りつけつつ吐き出された言葉に若い男も苦々しい声を搾り出す。

「ですが、あの『シリーズ』は」

「貴重なサンプル体なのはわかっている! だが、我々に牙を剥いたのならば処理せねばならん!」

「いえ、貴重なのは重々承知しています。問題は暴走しているのが……」

 若い男の深刻な表情を見て、年寄りは悟ったような声を出す。

「まさか、暴れているというのは……!」

「……はい、検体22号、です」

 その知らせを受けて、年寄りの顔が歪む。あからさまな恐怖を浮かべ、震える声で嘶いた。

「な、なんとか、しろ! どんな手を、つ、使ってもいい。『アレ』が来る前に……!」

「なんとかと言われまして……も?」

 無茶な指令に困り顔だった若い男の、その眼が見開く。

 その原因は、重苦しい音と共に突然若い男の胸から生えた銀色の物体である。

「ひぃっ!?」

 紅い液体がテラテラと光る、その銀色の物を見て年寄りは情けない悲鳴を上げた。

 その一方で、一寸違わず心臓を貫かれた若い男はそれ以上何も言うこともせず、白目を剥いてその場に倒れ伏した。

 銀色の正体、胸を貫通しているサバイバルナイフを見て年寄りは腰を抜かしてしまう。

 そして、目の前の若い男がいなくなった事で、見た。

 ナイフを投げた張本人の姿を。

「う、あ、ああああああああぁぁぁぁ!!」

 今度こそ大声で悲鳴を上げながら、年寄りは真横にある扉から部屋を飛び出した。

 隣の部屋へと逃げた後は、そこから廊下へと駆け込む。

 恐怖に頭を支配され、覚束無い足取りのまま懸命に走り、階段を駆け下り、灯りの消えた踊り場で何かに蹴躓いて勢いよく転んでしまった。

 もんどりうって階段を転げ落ち、廊下へと叩きつけられる。胸を打ったのだろう、肺の空気が全て押し出され呼吸もままならぬ状態で、なおも逃げようと手をついて気付いた。

 床が、濡れている事に。

 薄く水たまりのようになっている液体から手を離し、むせ返るのは鉄の臭い。

 それが何なのかを理解した年寄りは、若干ではあるが暗闇に慣れてきた眼で辺りを見回す。そして、後悔した。その惨状を、見てしまった事を。

 地獄絵図。

 その場を表現するのに、それが最も相応しい言葉だろう。

 目の前に階段。左右に伸びる廊下。

 そこに転がるのは、人、人、人。否、人だったもの。 

 辺りの壁を埋め尽くすように飛び散った紅い液体。

 年寄りが触れたように、床は大量の水たまりが出来ていた。

 もうそのどれもが息をしていない事は、一目瞭然だった。更に言うなれば、自分が何に蹴躓いてしまったのかも。

「あ、ああ、あああ……」

 声にならない声を上げ、現実を否定するかのように頭を振りながら後ずさる。

 そこで、聞こえた。ひたり、という足音を。

 我に返り、立ち上がろうとして無様に崩れ落ちる。足が、折れていた。

 そうこうしている間にも、水たまりを踏みしめる足音とカラカラという異音が近づいてくる。間もなく、それは踊り場に姿を現した。

 その姿を見た瞬間、年寄りは叫ぶ。

「ま、待て! 落ち着け! もうだいぶ時間が経ったろう? 正気に戻っただろう? 今! 今素直に戻れば貴様の罪は問わん! 仲間達も誰一人処分しないでやろう! どうだ?」

 余程焦っているのだろう、早口でまくし立てるも、相手は聞こえているのかいないのか歩みを止める様子は無い。

 水溜りを踏み抜く水音と、もう一つのカラカラという異音は、白い剣を引きずっているからだ。

 身の丈に合わないように見えるそれは、剣自体が長い訳では無かった。

 そこで、唐突に雷が落ちる。

 刹那の光の中、垣間見えたのは子供の姿。

 肩まで伸びた荒れ放題の髪にボロボロの衣服を纏った、紛れもない子供。

 再び訪れた闇の中、ひとつ輝くものがあった。

 それは、表情を覆い隠す長い前髪の隙間から覗く、眼。

 眼が、紅く光っていたのだ。

「おい……冗談はよせ、もう正気に戻っているのだろう? 何をしでかしたのか、わかっているだろう?」

 嘆願にも似た呟きに効果は無く、子供はゆったりとした足取りで階段を降りる。

「こ、ここで私をも殺してみろ! き、貴様は永久に我が機関から追われる身になるぞ! 一生! 一生だぞ! 考え直せ!」

 これ以上無い程にガタガタと声を震わせての言葉に、初めて返事が返ってきた。

「嘘」

 たった一言。子供らしい輝きがまるで失われた、感情の無い声。

「僕たちは、実験動物。このまま此処にいて、待っている未来は死ぬ事だけ」

 再び、雷鳴が轟く。

 手術前に患者が着るような衣服の、破れた袖から覗く右肩。そこには、刺青が施されていた。

 逆三角形の中に、正三角形。更にその中に、『22』と数字が刻まれている。

「だから、潰す。僕が、全部無かった事にする」

 年寄りは、もう動けなかった。見たこともない程に冷たい視線を向けられ、凍りついたかのようにその場を釘付けとなっている。

 弁明するようにパクパクと口を動かすも言葉は何も出てこないまま、ついに子供が目の前にたどり着いた。

 白い剣を振り上げ、子供は叫ぶ。

「こんな事、2度とやらせない。『C.O.A』はここで終わらせる!」

 堂々とした宣告の後――、その剣は、振り下ろされた。



―――



 空は、何処までも青かった。

 雲一つ無い青空は見渡す限りに広がり、太陽の光が燦々と降り注いでいる。

 心地よい春の日差しは暖かく、ともすれば草原に寝転ぶだけですぐさま寝てしまえるのではないかと思える程に穏やかな日だった。

 それは森の中でも例外では無く、木漏れ日が差し込むそこはとても穏やかな場所だ。

 最も、穏やかなのは場所だけであり、現在その場に流れる空気は凍りついていた。

 何故なら、たった一人の青年を囲んで汚らしい格好をした集団が円を描いているからだ。

 どう考えても山賊に目をつけられた挙句取り囲まれてしまったという状況の中で、円の中心にいる青年は溜息をひとつ吐いてから気怠そうな声を出す。

「で、返事は?」

「ざっけんじゃねぇぞコラ!」

 それに答えたのは、周りの集団の中でも一際目立つ巨躯を持つ男。無骨な棍棒を振り上げて、威嚇するように振り回す。

 だが、そんな大男を遮ったのは一人だけ纏う空気の違う男だ。

「まぁまぁ、少し落ち着いて」

 物静かな印象を与えるその男は、縁なしの眼鏡を押し上げながらゆっくりと問う。

「『もう村に手を出すな』、ですか。なんとまぁ、横暴な意見です」

 周りがただ布を切り貼りしただけのような簡素な格好だらけの中、その男だけは経済的に発展した国の中でしか見られないような背広を着込んでいる。

 あからさまに場違いではあるものの、その眼鏡の男こそがこの野盗の頭であるらしく、値踏みをするように青年へと目線を向けた。

「何か勘違いしていらっしゃいませんか? 我々は村の人々と『契約』したからこそ護衛の任に就き、そしてその労働に見合う対価を頂いているだけです」

「その『契約』そのものが無理やり作られたもので、村人が誰一人納得していなくても、か?」

 ピクリ、と眼鏡の男の眉が動く。

「言ってくれますね」

「そう言われて『頼まれた』からな」

「成程、『風人』という訳ですね」

 納得した様子で、眼鏡の男は改めて青年を見る。標準より少しばかり背が高く、細身ではあるが弱々しい印象は受けない。

 その原因は、空を映したかのような青髪の下、精悍な顔に浮かぶ鋭い双眸のせいだ。

 黒い長袖の上に灰色の半袖を纏い、ジーンズの腰を太いベルトで締めている。そのベルトには、両脇に剣と銃がそれぞれぶら下がっていた。

 全般的に無彩色な中で、一つだけ特徴的なのは、その首元に巻かれた紅いスカーフ。

 そんな、剣を思わせる眼光を持つ青年は、眼鏡の男へ冷めた答えを投げつける。

「そういう事だな。で、どうする?」

「当然、承服出来かねます」

 即答した眼鏡の男は、不機嫌そうにまた眼鏡を押し上げる。

「まず、我々に何のメリットも無い要求をはいそうですかと呑む訳にも行きませんし、何よりたった一人でどうするつもりだったのですか?」

 そうだそうだと、周りの集団が野次を交えてゲラゲラと笑い出す。だが、それも当たり前の話だった。

 青髪の青年は、ただ一人。対して、野盗達の人数は30を下らないという数である。多勢に無勢なのは目に見えている。

 それでも、青年に焦りといったものは見られなかった。

「メリットならあるぜ」

 意外な台詞に、笑い声が止む。

「ここで死ななくて済む、っていうメリットがな」

 一瞬、その場が静かになった。だが、すぐに爆笑の渦へと変化する。

「たまんねぇぜこりゃ!」「勝てるとでも思ってんのかよ!」「馬鹿だ、馬鹿がいやがるぜ!」

 などと罵詈雑言が飛び交う中で、青年はもう1度呟いた。

「で、止めるのか止めないのか、返事は?」

 それに答えたのは、眼鏡の男。

「愚問にも程がありますね」

 馬鹿にされたとでも思ったのか、こめかみの辺りをひくつかせながらただ一言、命令を下す。

「身の程知らずの浮浪者如きが……殺せ」

 そこまで言って、身を翻す。戦いに巻き込まれないようにという事もあるが、最早結果はわかりきっていたからだ。

 間もなく、集団でリンチされいいように弄ばれる男の悲鳴が聞こえる筈だと、そう思っていた。

 しかし、背を向けた瞬間、聞こえてきたのは悲鳴では無かった。

 それは、乾いた破裂音。そして、それまで散々に汚れ仕事をやらせてきた野盗の棟梁の、弱々しい声。

「そんな、いつ、抜いた、んだ……?」

 そして、倒れこむ音。

 弾かれたように振り返って見れば、心臓を撃ち抜かれて死んでいる男がいた。

 つまり、先ほど聞こえた破裂音は銃声。確かに、青年は銃を持っている。だが、死刑宣告を下すまでその手はグリップにかかってすらいなかったのも確か。

 けれど、銃口の先から漂う白煙が事実を告げている。青年が、目にも止まらぬ速さでその回転式拳銃を抜き、撃ったのだと。

 周りでそれを見ていた野盗達も何が起こっているのか理解出来ていない様子で、その場に固まっている。

 その中で、眼鏡の男はすぐに状況を理解し大声をあげた。

「怯むな! 確かにそいつは手練のようだがこの数に勝てるものか! 畳み掛けろ!」

 そんな声で我に返った野盗達は、口々に雄叫びをあげながら青年へと迫る。

 各々手に持った棍棒やらナイフやらが青年に届くという段になって、ふと気が付いた。

 既に、銃がホルスターに収まっている事に。抜いた瞬間すら見えなかった手が、今度は剣にかかっているという事に。

 その後は、もう何も考える暇すら無く、野盗達の視界は真っ赤に染まる。

「な、な……」

 何が目の前で起こっているのか、眼鏡の男はまるで分からずにただ呆然とその場に立ち尽くす。

 飛びかかった筈の3人程が、瞬きする間に体の中ほどから真っ二つになっていた。

 何か白い光みたいなものが見えたかと思えば、後続の2人が倒れ臥す。

 青い影が横切った直後には、首なしの体がゴロゴロと横たわっていた。

 気付いた頃には、紅く血に塗れた剣が自分の喉元に突きつけられていた。反りの無い、真っ直ぐな刀身を持つ白色の剣が。

「ちっとばかしやりすぎちまったが……これでもまだ、俺の要求は呑めないか?」

 その剣の持ち主が青年だと悟り、眼鏡の男は情けない悲鳴をあげて踵を返した。

「返事しろよ……まぁいいか。俺は残りの相手をしよう。そいつは任せたぜ、『シルヴィ』」

「はぁい」

 突然、眼鏡の男の前に子供が現れた。薄水色の髪を持ち、青いラインの入った上着と、カーゴパンツといった格好の子だ。

 青年と同じく太いベルトをしており、腰の後ろで2本の剣を交差させて吊っているという物騒な装備だったが、眼鏡の男にそんな事を構う余裕は無く。

「邪魔だ! 消えろ餓鬼が――」

 形振り構ってられぬという表情で懐に手を伸ばし、黒光りする物体を取り出して突きつけた直後。

 子供は、既に懐に入り込んでいた。同時に感じる、腕を貫く衝撃。

「そんなもの振り回しちゃ危ないよ、おじさん」

 子供らしい笑顔を浮かべながら、その手に持つは白い剣。青年と同じく、いつ抜いたのかさえ見えなかったそれは黒光りする物体、つまり銃を持つ右腕に突き刺さっていた。

「まさか、こんな餓鬼にまがぁっ!?」

 うろたえる間も無く、子供の肘鉄が鳩尾へと決まる。体をくの字に折り曲げる程の勢いを持った一撃、眼鏡の男はあっさりと気を失って倒れ込んだ。

 その腕から白い剣を引き抜きつつ、シルヴィと呼ばれた子供は青年の方へと向き直る。

「終わったよ。そっちは?」

「あぁ、こっちもだ」

 無残な死体があちこちに散らばる中で、青年は生き残りを縛り上げていた。

「流石カイ、仕事が速い」

「お前こそ、度胸がついたな」

「えへへ」

 照れ笑いをしつつ、シルヴィは縛るのを手伝いながら青年――カイへと顔を向ける。

「これで依頼は完了かな?」

「あぁ。頭は生け捕ったし、コイツらは『説得』に応じてくれたし一人も逃がしてない。十分だろう」

 最後の一人を拘束し終わって、カイは汗一つかいてないままで息を吐いた。

「じゃぁ戻るか。村長に事の次第を報告しなきゃな」

「うん!」




―――




 森に隣接するその村は、とても長閑な場所だった。見渡す限りに田んぼが広がり、所々に立つ木造の家の横では水車がのんびりと回っている。

 入り組んだ水路の傍らでは様々な作物を育てている畑もあり、今も青年から老人まであくせくと畑作を行っていた。

 そんな穏やかな昼下がり。村の中心近くにある建物の中で、カイとシルヴィは村長を名乗る老人と向かい合って座っていた。

「野盗達は無力化した。半分くらいは殺っちまったが、残りは生け捕りにしてある。頭もな」

「おぉ……なんという……」

 カイの報告を聞いた村長は、顔をくしゃくしゃにしながら笑った。

「ありがたい事ですじゃ……まさか、本当に成し遂げて頂けるとは!」

「『依頼』だからな。これで、達成したと見ていいのかな?」

「勿論ですじゃ」

 言いながら村長は立ち上がり、近くにあった棚から何やら書類を2枚引き出すとそれに何事か書き込んでからカイへと差し出す。

 その中身に目を通して、頷く。

「確かに、受け取った」

 『報酬』に満足したのか笑みを浮かべるカイに対して、村長も嬉しそうに一つ提案を持ち出した。

「お祝いとして今宵は村中の者を集めて宴会にしようと思うのじゃが、旅人さんはどうかの?」

「願ってもない事だ。シルヴィも良いか?」

「ごちそういっぱい?」

「うむ、腕によりをかけてもてなさせてもらおうぞ」

 村長の返事に眼を輝かせるシルヴィを見て微笑みながら、カイは書類を畳んでポーチにしまいつつ言う。

「じゃぁ、お言葉に甘えさせて貰おう」



 翌朝、陽もまだ昇り始めたばかりだという頃、カイとシルヴィはもうすぐ冬になるだろうという冷たい風の中、それぞれナップザックとリュックを背負って村の入口に立っていた。向かい合うは、村長や村の若い衆である。

「もう行かれるのですな」

「あぁ、世話になった。今日でお暇させてもらうよ」

「とんでもない。野盗を捕まえていただいてこちらの方こそ礼を言い足りないくらいじゃ」

 恭しく頭を下げる村長の横で、若者衆からも女性が一人前に出てきて小包を差し出してきた。

「数日なら保存の効く食料です。受け取って頂けますか?」

「ありがたい。助かるよ」

「うわぁ、ありがとう!」

 2人からそれぞれの言葉を受けてニッコリと笑って、女性も頭を下げた。

「それじゃ、俺たちはこれで」

「またいつでも来てくれよ!」

「どんな時でも歓迎するからな!」

「今度来たら剣術を教えて下さいね!」

 各々若い衆らの声援を受けて、2人は村を後にする。ぶんぶんと手を振る村人が見えなくなった頃、シルヴィかふと疑問を口にした。

「そういえば報酬で何を受け取ってたの? お金じゃないよね」

「あの状態の村からお金をとろうとは思えないからな……代わりに、道中で楽出来るものさ」

「ふーん……それって?」

「次の国の入国許可証と、もう1枚魔法の紙だ」

 意味ありげな含みを持たせた言葉にシルヴィは頬を膨らませる。

「またそうやって自分だけ! どういう意味?」

「行ってみてからのお楽しみ、さ」

「むぅ……」

 口ぶりからして教えてもらえない事を察したのだろう、それ以上の追求は無く代わりに思い出を話題にし始めた。

「昨日のご飯とっても美味しかったよね」

「そうだな。暖かいご飯ってだけでも有難いもんだが……質素ではあるがあれはあれでご馳走だ」

「質素なのかなぁ。鶏を油で揚げたのとか、色んな野菜を煮込んだのとか、他にもじゃがいも焼いたり茹でたりとか色々美味しかったよ? あ、言ってたらお腹が……」

 よだれを垂らしながら宴会で出された料理の妄想に浸るシルヴィのお腹から、空腹を主張する音が鳴る。顔を真っ赤にしてお腹を抑えてみるものの、相棒には既に聞こえていたようで苦笑を浮かべている始末。

「……ま、保存が効くとは言え早く食ったほうがいいか。少し休憩にしようぜ、シルヴィ」

「うん……」

 道端の開けている所に腰を下ろし、包みを開く。その中には笹の葉で包んだちまきとおにぎり、それに漬物と塩漬けにした干し肉が入っていた。

「美味そうだ。ほら、シルヴィも」

 まだ先ほどの事が恥ずかしかったのだろう、若干顔が赤いままだがしっかりとちまきを受け取って口に運ぶ。

「うわぁ、これすっごく美味しい」

 一口食べて気に入ったらしく、パクパクと食べるシルヴィを見ながら、カイもおにぎりを一口かじる。中には梅干の種を抜いてほぐしたものが入っており、白いご飯によく合っていた。

「いいね。あの村の人達は料理が巧い」

「ねー!」

 それから暫くは食事に夢中になっていたが、ほとんどを食べ終えたところでシルヴィは指についた米粒をなめながら言う。

「そういえば次はどんな国に行くの?」

「かなり大きいトコさ」

「今までで一番?」

「そうかもな」

「本当に? 前立ち寄ったほとんど全部機械がやってくれるあの国よりも? それとも何個も高層ビルが立ち並んでたあの国よりも?」

 興奮してまくし立ててくるシルヴィに苦笑しつつもカイは楽しそうに言う。

「少し毛色が違うが、豊かさという面では負けずとも劣らずって所かな」

 そこで取り出したのは、報酬で貰った2枚の内の1枚、入国許可証の方だ。

「あそこはとある王族が取り仕切っている国でな。かなり昔からあるんだが、その歴史に1度も反乱という文字は無いのさ」

「えっ、それってすごくない?」

「あぁ、凄いな。それだけ王族がしっかりしてるってこった。現役の王も例に漏れず厳格ながらも公平な素晴らしいお人って話を聞いてる」

 多少もったいぶって、許可証をヒラヒラと振る。

「それだけ、どこの馬の骨とも知らん俺ら旅人は入国検査がやたら面倒なんだが……今回はこれがある」

「成程、それで。でも、あの村によく繋がりがあったね」

「体験してきた通り、良質な作物を作る村だからな。向こうの国でもかなりの需要があるのさ」

「じゃ、もう一枚は?」

「『お楽しみ』、ってやつさ」

 そこまで言うと、すっかり中身の無くなった包やら残った笹の葉を片付けて立ち上がる。

「そんなに遠くない。このまま進めば昼前にはたどり着くだろう」

「じゃぁ、すぐ行くの?」

 服を叩きながら釣られて立つシルヴィに、カイは首を横に振った。

「いや、折角時間があるからな。『アレ』をやるぞ」

「わかった、『アレ』だね!」

 かなり抽象的な提案であったが、シルヴィには通じたらしく元気良く声を張り上げた。続けて、カイもにやりと笑って周りを見渡す。

「じゃ、まずは広い場所を探そうか」





 広い湖畔のほとり。晴天の空の下、キラキラと光る水面を岸にしゃがみこんで覗き込む女性がいた。

 緩くウェーブのかかった桃色の長髪に均整の取れた顔つき、身に纏う純白のドレスからして気品の漂う女性だ。

 だが、現在その表情は憂いに満ちており、水面に映る自分の顔を見ながら溜息を吐くばかり。そこへ、背後から老人の声がかかる。

「お嬢様、そろそろ行きませんと」

 より深く息を吐いて、女性は憂鬱な声を吐き出す。

「はぁ、嫌だなぁ」

「お嬢様、これは大事な事ですぞ」

「嫌なものは嫌なの! 嫌、嫌、嫌!」

 老人の答えに、女性は立ち上がって頬を膨らませる。先ほどまでの気品はどこへやら、ひたすら駄々をこねる子供のように。

「我々にはどうしようも出来ませぬ。ひとまずは帰りましょう」

「……そうだね、爺やに言ってもしょうがないものね……」

 粛々と諭す老人に女性も諦めたのか更に気落ちした様子ながら、トボトボと歩いて近くに停まっていた馬車へと乗り込む。

 よく見れば周りには武装した兵士が何人も佇んでおり、身分の高さを示しているようだ。

 間もなく出発した馬車に揺られながら、一人きりの車内で女性はひとりごちる。

「なんで、なんでよりにもよってアイツなのよ……最低だわ……」

 誰にも聞かれる事の無い愚痴を垂れ流していると、不意に馬車が止まった。何事かと不思議に思っていると、窓が開いて兵士の一人が顔を出す。

「申し訳ありません。この先にて、妙な音が聞こえてきまして、確認して参りますので少々お待ちを」

「うん、気を付けてね」

 特に気分を害した様子も無く女性が頷いたのを見て兵士は窓を締める。大した様子でも無いと思って壁にもたれかかっていると、俄かに外が騒がしくなった。

 嫌な空気を感じて耳を傾けていると、兵士達が行くか行くまいかとの話し合いをしているようだった。

「ねぇ、何の話?」

 思っていたよりも不穏な空気にドアを開けて訪ねてみると、そぐ外にいた老人がやや困った様子で事の次第を報告し始めた。

「それが、この先、少し開けた場所で男と子供が斬り結んでいるという事でして。助けに行くか収まるまでなりを潜めるかをですね」

「そんなの決まってるよ! 助けに行かないと!」

 即答した女性に老人は溜息を吐きながらも、その表情は嬉しそうで。

「やはりそう言われますか。あの方の血を引いているだけあります」

「ごちゃごちゃはいいから! 早く!」

「御意」

 本気で心配している様子の女性を見て、老人は微笑むと兵士達へ呼びかけた。

「編隊を組み直せ。両方を護れるように!」

 兵士達は一様に頷いて、すぐさま馬車の護衛に半分残して残りは男と子供が殺し合っているという現場に急行した。

 未だ剣と剣が弾き合う音が聞こえ、つまり子供はまだ無事という事を確認しつつ兵士達は回り込む。

 やがてその場を完全に包囲するという時になって、1本の剣が飛んできて目の前に刺さった。様子を見るに、子供の剣が弾かれて飛んできたようだった。いよいよもって危険だと判断した兵士達は一斉に武器を構え、男に向かって口上をあげた。

「そこの男! 大人しく武器を捨てて子供を解放せよ!」




「は……?」

 それは、正に青天の霹靂とでも呼ぶような出来事だった。食後、適当な空間を見つけたカイとシルヴィは『アレ』と呼んだ事、つまり剣術の修行を始めていた。

 最初は落ちていた木の棒を使っていたが、あっさりと折れてしまった事もあって結局は2人して抜刀してぶつかりあっていた所である。

 2本の剣から次々と繰り出される連撃に対しても1本のみで全てを受け流し、やがて一瞬の隙をついて片方を弾き飛ばした時だった。突然現れた謎の兵士集団に、取り囲まれた上で剣を捨てろと宣告されたのは。

「もしかして、俺に言ってるのか?」

「当たり前だ! すぐに武器を捨てろ! さもなくばこの場で断罪してくれる!」

「あー、これは誤解だと思」

「いいから早く捨てろ!」

 威勢の良い声に、カイは頭が痛いといった表情で弁明してみるも、相手は聞く耳を持たず。たまらずに今度はシルヴィが何かを言おうとしたが、その前に兵士の一人に後ろから羽交い絞めにされてしまった。

「ちょっ、待っ……むぐぅ」

「子供、確保しました!」

「よくやった! さぁ、後はお前だけだ、観念しろ」

 流石に力では叶わないらしく、もがいたまま何処かへ連れてかれてしまったシルヴィを見送りつつ、カイは頭を抑えた。

「なぁ、俺の話を聞く気は?」

「話は牢の中で聞いてやる」

 どこまでも真面目な表情でがなる相手にこれ以上の対話は無駄だと思ったらしく、カイは手にしていた剣を収める。ついでに両手を上げて言った。

「わかったわかった。ホラ、連れていけよ」

 諦めた様子のカイを見て、兵士達は満足といった表情でカイの両手を後ろ手で縛り連行し始める。大人しくお縄についた事で安心したのか、兵士達は次々と説教なような言葉を吐き始めた。

 やれ何を考えて子供を襲うのか、やれ人として最低の行為だ、これからは悔い改めて過ごすように、といった風なありがたいお言葉を聞き流していたカイの、その双眸がふと鋭くなる。

「……こりゃ、めんどい事になりそうだ」

 ほとんど口を動かさないまま放たれた台詞は、誰にも聞かれる事なく消えていった。




 数分後、武器や荷物その他諸々を全て没収されたカイは荷馬車の前まで来ていた。隊列を組む兵士達と、それらに囲まれる格好で佇む馬車を見るにどうやら身分の高い御仁の護衛か何かの最中だった事が見て取れる。

「不味いな……」

 今度の呟きは聞き取られたらしく、すぐそばにいた兵士が声を荒げる。

「今更自分が何をやったのかわかったのか?」

 睨みつけてくる兵士へ曖昧な表情を向けてごまかしていると、前方の馬車の扉が開いた。そこから、純白のドレスを纏った女性が降り立つ。

 執事らしき老人の静止を振り切ってこちらへ向かってくる。やがて、非難するような表情でその女性はカイの前へたどり着いた。

「お嬢、どうしたのです! この男は危険です、すぐお離れ下さい!」

 兵士も危険を訴えるが、仁王立ちの女性はただただカイを真っ直ぐ見つめていた。その意図が分からずに見つめ返していると、ふとその口が動く。

「貴方が、子供を殺そうとしていたの?」

 女性ながらも力強い、意思を持った言葉にカイは答えず明後日の方向を見ていた。

「答えなさい!」

 無視された事に我慢ならなかったのか、より声に力を載せて放たれた言葉に返ってきたのは奇妙な台詞。

「不躾で済まないが……ゆっくり話してる暇は無さそうだ」

 途端、カイは動く。さっきまで微動だにしていなかった故完全に不意をつかれた兵士を振り切り、両手を縛られたままカイは目の前の女性へと飛びかかった。

「きゃぁっ!」

 思ってもみなかった展開に、女性は為す術も無いまま押し倒され――ドス、という音を聞いた。

 刺された、のかと思った。だが、体のどこにも突き刺さっているような感覚は無い。周りの誰もがあまりの事に絶句している中、その頬に何やら暖かいものが一滴落ちてきた。

 そして、気付く。それは、血。その持ち主は、目の前に覆い被さる男。眼を見開いてよく見れば、男の右肩に細い矢が刺さっていた。貫通している矢尻の先から、生暖かい血液が垂れている。

「気を付けろ! 囲まれてるぞ!」

 カイの出した大声に、兵士達は我に返ったように動き出し、まずは女性の周りを固める。とりあえずの安全を確保してから、カイは転がるように女性の上から退いた。

「悪いな、血で汚しちまった」

 矢尻から垂れる血は頬だけでなくドレスにもかかってしまっていて、紅い斑点を残している。だが、女性はそんな事より、と焦った様子だ。

「だ、大丈夫?」

「これくらいなら問題無い。急所でもねぇし。当面の問題は……」

 一つ微笑んで見せてから、鋭い目線で辺りを見渡す。

「見たことあるな……この前の野盗に別働隊でもいたのか」

「お前、知っているのか?」

 その口ぶりを聞いた兵士に疑問に、頷く。

「この前『依頼』を受けて壊滅させた野盗の残党だと思うぜ」

 その言葉を聞いて、女性は首を傾げる。

「『依頼』……貴方、『風人』だったの?」

「そういう事だな」

「じゃぁ、子供を襲っていたのも『依頼』だったの?」

「だから、それは誤解だって言ったんだがな……」

 困ったような表情をしている間に、木々の隙間から何本もの矢が飛来する。大半は兵士達の盾に塞がれてはいたが、幾つかは足や肩に突き刺さる。

 遠距離攻撃に業を煮やした兵士は数人で突撃をかけるが、木々の向こうに消えてからは何の音も無い。そんな状況にカイはぼそりと呟いた。

「不利だな。向こうは狭い場所での戦いに手馴れてる。まともに戦えばこの人数でも負けるぞ」

「ならばどうする。突っ切るか」

「馬鹿言うな。とっくに進行方向には罠が張られてるよ。足を取られた所で袋叩きだ。そこで、一つ提案がある」

 兵士の言葉をバッサリ切って、カイは言う。

「俺を、雇わないか?」

 その言葉に、全員が押し黙った。だが、見ている間にも今度は火矢までもが飛んできて、馬車に突き刺さって炎上し始める。

「くっ、貴方、これでもどうにか出来るの?」

「あぁ、出来る」

 苦々しげな表情で問う女性にカイは事も無げに答えた。

「野盗の討伐と、君の護衛。報酬は先払いだ」

「先払い、って?」

 その質問に、カイはニヤリと笑って見せた。

「この縄を解いてくれる事、かな」

 女性は一瞬キョトンとした表情を浮かべた後で、吹き出す。

「あははっ、わかった。ちゃんと仕事はしてよね」

「お嬢! そいつは……!」

「大丈夫だよ。縄を解いた瞬間に殺す気ならさっきあたしを庇わないで見過ごせば良かっただけだし」

 兵士の言葉も虚しく、女性はカイの縄を解く。解放されたカイは立ち上がって、準備運動のように手足を動かし始めた。

「50点だな……さっきも言った通り野盗の仇だぜ、俺は。あのまま放っておいた所で縛られたまま殺されるだけさ。だから、恩を売って解放させようって魂胆かもしれねぇ」

「で、本当は?」

「勿論、『依頼』はキッチリこなす」

「ほら、やっぱりね」

 唖然とした表情の兵士を置き去りにして微笑む女性の横で、カイは肩の矢を折りつつ兵士へ問いかける。

「ところで、俺の武器は?」

「あー……子供と一緒に荷馬車に置いてあるんだが、いくらこんな状況とは言え返すのは……」

「まだ言うか。アンタらにゃ何もしないって」

 と、そこまで言った時だ。ゴキンという音と共に荷馬車の扉が内側から開く。思わず眼を向けると、そこには剣を構えたシルヴィが立っていた。その後ろには、驚きのあまり口を開いたまま呆然としている兵士。

 真っ先にカイを見つけたシルヴィは、眼を細めて動くに邪魔な部分は折られているもののその右肩に刺さったままの矢を見る。

「この人達、話聞いてくれないもんだから壊しちゃった。話も聞こえてたし」

 荷馬車から飛び降りて、カイへと投げ渡すのは剣と銃を吊ったベルト。

「おう、ありがとな」

「ねぇ、カイ。その矢は、誰が?」

「俺らを囲んでる誰か、だな。それより『依頼』だ」

「その誰か達を無力化すればいいんだね」

 静かに放たれる言葉は、誰がどう聞いても怒っていた。だが、カイはなだめるようにシルヴィの頭に手を置く。

「落ち着けよ。怒りは周りを見えなくする」

 そんな台詞に毒気を抜かれたらしく、シルヴィは表情を緩めて呟いた。

「……わかったよ。でも、『依頼』はそういう事でしょ?」

「まぁな」

「じゃぁ」

『行こう』

 2人が声を合わせて言った後、その場から飛ぶ。カイは馬車の方に、シルヴィはその逆方向に。

 走りながら、カイは銃を抜いて木々の隙間へ向けて撃つ。途端に聞こえた悲鳴を聞き流しつつ、前方で兵士達と揉み合っている野盗へ蹴りをかました。

「お前らはあのお嬢とやらの周りをしっかりと固めてろ」

 すれ違い様にそう言って、倒れた野盗を踏みつけて木立の中へと飛び込む。

 あちらこちらから聞こえるザワザワとした声に、カイは立ち止まってゆっくりと辺りを見た。

「7人、って所かな」

 呟くと同時、背後から殴りかかってきた野盗の一撃を体を横に流して躱してカウンターで裏拳を叩き込む。口から涎を吐き出す野盗をそのまま投げ飛ばす。

 丁度その方向から飛びかかろうとした一人にぶつかり、纏めて倒れた所で鳩尾へ踵落としを決めた。すかさず、その場にしゃがみこむと、その頭スレスレの所を棍棒の一撃が掠める。

 即座に後ろ足で蹴り上げて股間を強打し、泡を吹いて倒れた男を見向きもしないまま前へ飛んだ。そこにいた男へ低い体勢から顎へ拳を放ち、少し浮いた所でその男の下へ潜り込む。

 直後、顎を殴られた男に矢が突き刺さった。その男を盾にしなければやられていたであろうその攻撃に、カイはすぐさま銃を抜いて引き金を引く。顎を殴られた男と、木の上から弓を引き絞っていた男が、ほぼ同時に地面に落ちる。

「テメェッ!」

 雄叫びを上げて、左右から短刀と棍棒の一撃が迫る。だが、その武器達が捉えたのは仲間でありカイに倒されて地面に横たわっていた男。

 不思議に思う間も無く、2人は空から降ってきた何かに頭を踏み潰されて地面に激突した。勿論、それは瞬時に枝を掴んで2人の頭上へ飛び上がっていたカイである。

 あっという間に7人を仕留めて、荷馬車へと駆け出した。その向こう側では、既にシルヴィに『のされた』野盗達があちこちに散らばっていた。

 見える限りで最後の1人の首筋に剣の峰を打ち込んで流れるように気絶させる。だが、その背後で木の影に隠れてもう1人が剣を振り上げていた。

 それに気付いた女性は声をあげようとするも、間に合わない。剣は、振り下ろされた。その瞬間を見たく無いと眼を瞑るが、次に聞こえてきたのはカイの声。

「安心しなって。あんな程度どうって事ないさ」

 言われて眼を開けてみると、そこには確かに剣を振り下ろした野盗がいた。だが、対するシルヴィは斬られてもいなければ振り向いてもいない。ただ、シルヴィ自身が剣を振った後のように腕を伸ばしていた。

 よく見れば、野盗の剣は半ばから折れており、相手まで届く長さでは無くなっていた。更に言えば、野盗の頭頂部も斬り取られたように禿げていた。

 つまり、振り下ろしている途中に割り込まれた横の斬撃で剣も髪も持っていかれたという事である。振り向きもしない、子供相手に。

 それを理解するより早く、その顔面にカイの膝蹴りを喰らって意識ごと刈り取られた。

「これで全部かな?」

「そうだな。もう気配は感じない」

 2人の会話を聞いて、一瞬静まり返ったのは束の間。爆発するように、兵士達の歓声が上がった。




 気絶した野盗達を片っ端から捕らえ、燃える馬車を消火しつつ一息ついていた所で、肩の治療を受けているカイへ女性の声がかかる。

「貴方、すっごく強いね」

「そうでもない」

「またまた。あんな動き見たこと無いもん」

「旅してりゃ、鍛えられるってだけさ」

 素っ気ない返事にもめげず、女性は話しかける。

「そういえば、結局あの子供とは何やってたの?」

「修行みたいなもんだ。定期的にやらないと腕が鈍るしな。組手もよくやる」

「あんな子供に?」

「だからこそ、だな」

 そこでチラリと見やるは、兵士達と焚き火を囲んで美味しそうにご飯を頬張っているシルヴィ。

「危機回避の為に戦う技術は身につけて損は無い」

「……うん、そうだね」

 何故か一瞬言葉に詰まった様子ではあったが、女性は納得したように答えて執事の老人へ歩いていった。そこで何事か話してから、カイの元へ戻ってくる。

「ねぇ、旅人さん達はこれからどこへ向かうの?」

「アイリントンって所だ」

 その台詞を聞いた瞬間、女性の顔がパァっと明るくなった。

「あたし達もそこへ向かう途中だったの。折角だから一緒に行きましょ!」




 屋根が少し焼けるだけで済んだという事もあって、一行は馬車に乗り込んでその場から出発した。

 女性たっての願いでカイとシルヴィも、そして万一の事もといって老人まで一緒に馬車に詰め込んだため少々狭苦しい事になっている。その有様に女性は文句を垂れていたが、

「いや、用心は大事だぜ」

 とのカイの声もあって渋々承諾するに至った。行進が始まって間もなく、カイは窓から身を乗り出して呼びかける。

「その先、馬用の罠と落とし穴があるぞ」

 言われて警戒しながら進むと、確かに尖った木片が大量に編みこまれた縄が張られており、その先は不自然に土の色が変わっていた。

 縄を切り、落とし穴を埋める作業を眺めつつ、カイは自分の席に腰掛ける。その間もチラチラとカイを見ていた女性が声をあげた。

「よくわかるね。見てもいないのに」

「見てきたさ。さっき何人かを倒した時に」

「あんなちょっとの間に!?」

「罠が張られてるだろうってのは予想してたからな」

「流石カイだよね!」

 そこで何故か自慢げに言うのはシルヴィで、その顔もどうだすごいだろと言わんばかりの表情である。

「すごいすごい!」

 女性も眼を輝かせながら同意して頷き始める始末。どうしたものかと視線を彷徨わせていると、老人と目が逢った。値踏みしているようなその目線に、カイも不敵な笑みを浮かべる。

「そこの執事さんは、仕え始めて長いのか?」

「えぇ、かれこれ50年程は。お嬢の父上が産まれた頃も知っています」

「へぇ、そりゃすごい」

「そちらこそ、あの国には何用で?」

 無難な質問ながら、カイは困ったように外を見た。

「何を、と言われるとキツイな。旅の途中でたまたまとも、路銀稼ぎの為とも言える」

「旅人らしい答えです」

「あ、おねーちゃん達あの国の人みたいだし、何か名物とかあったら教えてよ。特に食べ物!」

 そこで割り込んできたシルヴィに、何故かカイは安堵するような息を吐く。

「ウチは美味しいもの盛りだくさんよ! まずは馬鈴薯でしょ、それにパン、お菓子なんかも」

「どれも好き!」

「それになんてったって、鹿肉よ! 見ての通り周りに森が多いからよく捕れるんだけど、美味しいわ。一番はステーキね!」

「!!」

 涎をこぼしかけながら眼をキラキラさせるシルヴィを見て苦笑していると、視界の端に灰色の物体を捉える。

「見えてきましたね」

 老人の言葉通り、それは高い城壁だった。遠目から見ても分かる程に巨大で、その国の規模が伺える程だ。

 だが何よりも目立つのは、その城壁越しでさえ見える巨大な時計塔。

「アレが一番の観光名所よ! ウチで一番の高さの時計塔! っと、それよりも美味しいものもいっぱいあるわ!」

 女性とシルヴィの名物、というより最早好物談義を聞き流している内に壁はどんどんと大きくなり、やがて高さにして5メートル程はある門にたどり着いた。

 門の脇には詰所があり、老人はおもむろに馬車を降りると何事か話し始める。程なくして、軋む音を立てながら門が開いた。

「到着よ!」

 元気いっぱいに女性が言うと、再び馬車が動き出す。門をくぐってみると、そこはまるで別世界のようだった。

 視界いっぱいに広がる、石造りの通路とその上に並び立つ煉瓦の家々。目の前に伸びる大通りは広く、十分な幅を持った中に様々な露店が開かれている。

 それだけで無く、左右の建物も商店のようで軒先では幾つも並べられたテーブルの上で優雅にお茶を楽しんでいる人や談笑しながら建物へ入っていく人々、買い物を終えたらしき紙袋を抱えて出てくる家族なども見える。

 何より眼を見張るのはその人の多さだ。露店も商店も人でごった返している上に、通りで右往左往している人々の量も尋常ではない。

 それは目の前だけに留まらず、左右に伸びる通りも同じで大道芸で通行人を魅せる集団や軒下でちょっとした音楽会を開いている者達もいる。

 どこまで行っても人、人、人。活気に溢れた国だった。

 そして何より、国外からでも見えた時計塔が更に大きく聳え、人々を見下ろしているようだった。

「ここまで賑わってる所を見るのは久しぶりだな」

「い~い匂い!」

 2人して驚きながら、シルヴィに至っては窓から身をのりだして鼻をヒクヒクさせていると、女性が声をあげる。

「今は特にお祭り騒ぎだよ。……ちょっと、理由があってね」

 何故だか少しばかり含みをもったような表情だったが、すぐに取り繕って元気に笑う。

「2人とも、ウチに来ない? 歓迎会を開いても良いよ!」

「ホントに!?」

 飛び上がらんばかりに喜ぶシルヴィであったが、カイは首を横に振った。

「いや、遠慮しておこう」

「えっ!?」

「カイ!?」

 ほぼ同時にあげられた抗議の声に若干怯みながら、弁明を口にする。

「いや、もう報酬は貰ったし、これ以上世話になる訳にも」

「そんな事気にしなくていいのに!」

「そうだよ! 行こうよ!」

 更に非難の色を増す反論を喰らうが、カイの方も譲らない。チラリと外を見ながら、結論は変わらないようで。

「も一つ理由があってな。これからすぐに寄らなきゃならない場所がある。また街中で逢えたら、その時はご一緒させて貰うさ」

 納得はしていないようではあったが、女性はしおらしく、シルヴィは頬を膨らませつつ諦めたようだった。

 動きを止めた馬車から、シルヴィを連れ立って降りる。

「本当にいいの? 豪華にやろうと思ってたのに……」

「気持ちは有難い。答えられなくて済まん」

 あまり諦めきれていないという様子ではあったが、女性はゆっくりと動き出した馬車から手を振りつつ叫んだ。

「また会おうね!」

 パタパタと手を振り続ける女性へ、涙目のシルヴィと一緒に手を振り返しながら見送っているとその背後から神妙な声がかけられた。

「お気遣い、感謝致します」

「いいよ、それくらいは」

 振り返りながら答えた先には、執事の老人が何やら封筒を持って佇んでいた。

「これは報酬です」

 差し出された書類にカイを肩をすくめる。

「もう貰ったと思うんだがな」

「では、これは『歓迎会』を断って頂いた事への、と申しておきましょう」

 意味深な台詞にシルヴィは首を傾げていたが、カイは少し逡巡した後で微笑む。

「そういう事なら。さっき散々聞いた名物でも食べさせてもらうよ」

「是非そうなさって下さい。紹介文も同封しておきましたので。満足をお約束しましょうぞ」

「あぁ、楽しみにしとく」

 そう言ってカイが封筒を受け取ったのを確認すると、老人は深々と一礼してから去っていった。その後ろ姿を見送りつつ、終始意味を捉えきれていなかったシルヴィが口を開く。

「えっと……どういう事?」

「つまり、あの娘は王族って事さ」

「えぇっ!?」

「名乗らなかったろ、ずっと」

「それは、そうだけど」

 それだけではわからない、とばかりに見上げる視線を受けてカイは補足し始めた。

「あの護衛の量からして身分が高いのはわかっただろ? ついでに終始名乗らなかったのは極力関わりを避ける為だろう。旅人と王族だ、身分が違いすぎる」

「でも、さっき歓迎会って」

「あの娘はそれくらい俺らを信用してくれたって事さ。多分、そこで明かして驚かそうって思ってたんだろうよ」

 で、と続ける。

「あの爺さんはそのへんを弁えてた。いくら信用出来そうな人物とは言え、易々と家――つまり、王宮にあげちゃダメだってね。馬車の中ん時からずっと睨まれてた訳よ」

「全然気付かなかった……」

「まぁ、シルヴィは話に夢中になってたしな」

 その様子を思い出してクスクス笑っていると、何処かからグルル、と音が鳴る。その犯人は、いつか見たようにまた顔を真っ赤にしながら抗議した。

「……だって、楽しみだったんだもん……」

「ははっ、安心しろよ、シルヴィ。あの爺さん、ただ厳しいだけじゃなかったからよ」

「えっ」

「言ってただろ、『満足をお約束しましょうぞ』、ってな。さ、行こうぜ、シルヴィ」

 何やら微笑みながら、手に持った封筒を見せつけるように揺らしてカイは歩き出す。一瞬呆気にとられていたシルヴィも、すぐさまその後を追いかけた。

「ま、待ってよぅー!」




「はぁぁ……幸せ……」

 小奇麗な個室の中、白いテーブルクロスの敷かれた巨大な円卓の上に様々な料理が並べられている前で、シルヴィは満面の笑みを浮かべていた。

 蒸かしたじゃがいもにはバターがたっぷりとかけられており、小麦から作った麺にはクリームソースがかかっている。よく炒められたご飯の上にはデミグラスソースが盛られており、その隣の大皿には新鮮の野菜が詰め込まれていた。

 何よりも目を引くのはテーブルの中央に配置された皿だ。その上にはしっかりと火を通した鹿肉の塊が鎮座しており、とろりとした紅いソースが垂れている。

「頂きます!」

 両手を合わせて一礼した後、シルヴィは勢い良く料理を掻き込み始めた。

 近くにあった白い饅頭の中には豚肉のあんが入っており、感激しながら口に放ばると野菜に手を出す。パリッと音を立てて弾ける程に水々しく、次に手を伸ばしたじゃがいもとバターの塩気の相性は抜群であった。

 次々と料理を攻略していきながら、やがて行き着くは鹿肉のローストである。期待に胸を膨らませながら口にしたそれは、口一杯になる程の大きさにも関わらずあっさりと噛み切れ、肉汁が溢れだす。噛めば噛む程に味わい深く、程よくのった脂が口の中でトロリととろけるようだった。

「美味しい……」

 最早それ以上の言葉も無く、その小さい体のどこに入るのかという程に食べる有様に料理を運んできた給仕は唖然としていた。

「ビックリしたろ、ウチの大食いには」

 そんな様子を見て、からかうのはカイ。

「一回お預けを喰らいかけたもんでね……そうでなくてもたくさん食べるんだけどさ」

 自身もパスタを口に運びながら、相棒へのフォローになっているかよくわからないフォローを続ける。

「余程ここの店が気に入ったみたいだ。全然止まる気配が無ぇからな」

 そんな言葉に給仕は苦笑する他なく、しかし気分を害した訳でもないようで。

「これは厨房に急ぐよう申し付けなければなりませんね」

「あはは、頼むわ」

 それから暫くして、食べるだけ食べた後に出されたデザートを口に運びながら、シルヴィは緩んだ顔で呟く。

「美味しかった……」

「そりゃ良かった。王族御用達みたいだからな、ここは」

「えっ、そうなの? それじゃ値段もすごいんじゃ……」

「心配無用」

 氷菓を口にしつつ、カイは老人から貰った封筒を取り出す。

「コレの中に入った内の1枚が、この招待状だったのさ。爺さんから、フルコース丸ごと奢りだよ」

「あ、『満足』ってそういうことかぁ。って、1枚ってまだあるの?」

「そうだな、もう1枚。こっちは金だな。どっかで金塊と引換出来るらしい」

「お、お金持ち……!」

「そりゃ王族だからな」

 何故か緊張したような面持ちのシルヴィに、カイは水で喉を潤しながら立ち上がる。

「あの爺さんも、体裁こそあれど俺らを信用してくれたって事かな。さぁ、食べ終わったろ? まだ寄らなきゃいけない所がある」

「ふぁい」

 氷菓の最後の一口を飲み込んで、シルヴィも席を立った。




 通りに出てみると、やはりというかお祭り騒ぎは健在だった。人の波に流されぬよう、しっかりと手を繋いで歩きながらシルヴィはぼやく。

「もー、なんでこんな混んでるんだろ」

「お、お前さんら旅人かい?」

 それを目ざとく聞きつけたらしい露店の商人が声をかけてきた。

「普段はここまでじゃねぇんだよ。ところで、どれくらい滞在する気だ?」

「仕事があるかにもよるが……一週間くらいはいるかもな」

 足を止めたカイの答えに、商人はニカッと笑う。

「そりゃいい、是非そうしろ。良いものが見れるぜ!」

 そう言いながら、ごそごそと取り出したのは新聞。

「……あぁ、だからこんな騒ぎなのか」

「そういうこった」

「え、何々?」

 少しばかり目を通しただけで納得したように頷くカイと相槌を打つ商人に、シルヴィはその場で飛び跳ねながら手を伸ばす。

 商人から新聞を受け取ってみると、その答えは一面大見出しに書かれていた。

「『ミルカリア姫、ご成婚』?」

 一面に大々と太文字で書かれていたのは、シルヴィの呟いたそれだ。相手は近隣の国の貴族、アレス=オルアステイツという人物らしい。

「そうだ、この国の王女が結婚するんだ。当然、国民総出でお祭り騒ぎよ」

「合点が行ったよ。俺らも楽しませてもらうさ」

 言いながら、カイは腰のポーチから銅貨を取り出して商人へ渡す。

「毎度ー!」

 新聞の代金を払った2人は笑顔の商人に見送られてその場を後にした。

「それにしてもここまで盛り上がるってすごいね」

「それだけ素直に祝いたくなる程尊敬を集めているんだろう」

 幾度も肩や足をぶつけられつつ人の合間をぬって進みながら、シルヴィはふと疑問を口にする。

「もしかして、あのおねーちゃんかな」

「さぁな……結婚は5日後らしいし、そんな時期に国の外に出かけるのもおかしいからなぁ。姉妹辺りだと思うが」

「写真あればわかるんだけどねー」

「折角だから当日には少し行ってみるか。シルヴィ、こっちだ」

 相棒の手を引いて、入っていくのは路地裏。先ほどまで大通りとはうってかわって細く、人通りも少ない。

 かといって寂れているわけでもなく、そこかしこに看板がぶら下げられ、幾つも営業中の店も見えた。

 だがそれらは無視して奥へと進み、大通りの喧騒も届かなくなった頃。ひっそりと下がる黒い看板の下で足を止めた。

 『B.B』と書かれた薄汚れた看板、その真下にある軋みのひどいドアを開けるとそこは喫茶店らしかった。年季の入った店内は存外よく掃除されており、あまり汚いという印象は受けない。

 所狭しと並べられているテーブルの合間を抜け、気難しそうな顔でコップを磨いていた店主の目の前のカウンター席を陣取る。

 シルヴィが隣に座る頃、カイはポーチを探って紙切れを取り出した。

「あ、それ」

「そう、『お楽しみ』だ」

 村長から渡された2枚の内のもう1枚。それを店主へと差し出す。無言で受け取った店主はそのまま店の奥へと引っ込んだ。

 やがて戻ってきて2人の前に置いたのは、『依頼事』のリストだった。

「『お楽しみ』ってこういう事ね……」

「『依頼』探しはお宝探しみたいなもんだろ?」

「もう、カイったら」

 今回ばかりはカイの方が子供っぽい笑みを浮かべ、シルヴィはなんとも言えない表情のまま一緒にリストを覗き込む。

「んー……今日はそんなにいいのが無いな」

「この警備の仕事は?」

「割に合わんな。それに面白くも無いと思うぜ」

「そだね……こっちは?」

「悪かないが、それもあんまり気が乗らないな」

 あーだこーだと暫く議論しあっていたが、やがて結論が出たらしくカイは顔をあげる。

「済まんねマスター。今日の所は止めとくよ。『鍵』をくれ」

 そんな台詞に店主は頷いて、背後の食器置き場の片隅から汚れた木片のような物を取り出した。四角く、その一片には手が加えられて独特な形となっている。

 木片を受け取って、2人は立ち上がった。

「それがあればまた来れるんだっけ?」

「正解だ。今日の所は宿に戻ろう。久しぶりの大きい国だ、ゆっくり休もうぜ」

「うん!」

 終始無言だった店主の一礼に会釈を返しながら、2人は店を出て行った。





 道すがら老人から貰った『報酬』で金塊を引換えつつ、適当に宿を見繕った2人はそれなりに広い部屋の中から夕焼けを眺めていた。

「もうすぐ日が暮れるっていうのにまだ賑わってるな」

 陶磁器のカップに紅茶を注ぎながら感心したように呟くカイへ、シルヴィも何処か羨ましそうに倣う。

「楽しそうでいいなぁ」

「シルヴィはあちこちで開いてた露店の食べ物の方に興味津々だったしな」

 痛い所を突かれたのか、ごまかすように淹れたての紅茶を飲もうとしてその熱さにしかめっ面になっていた所へ。

 唐突に、ドアがノックされる。ルームサービスを頼んだ覚えは無く、また旅人に来訪する者など従業員以外には心当たりが無い。

 だが、ドアの向こうの人物は何も言わず、誰なのかもわからないままに再びコンコンと音を鳴らした。

「誰だろ」

 キョトンとした表情のシルヴィを尻目にカイはカップを置いて立ち上がる。

「さぁな……とりあえず出てみるか」

 さりげなく警戒した眼をしながら、ドアノブを回す。ゆっくりと引き開けて、その向こうにいた人物はノックの時と同じくらい唐突に叫んだ。

「ハァ~イ、元気ィ?」

 頭をすっぽり覆うキャスケット帽にサングラスをかけた女性である。

「……。……誰だ」

 呆気にとられつつ、冷静に呟くカイの言葉に女性は納得いかないように頬を膨らませる。

「あ、ひどーい! もう忘れたの? あたしよ、あ・た・し」

 白いシャツの上に薄黄色のカーディガンを羽織り、黒いスキニーのジーンズといったかなりラフな格好の女性はひとしきりカイの反応を伺った後、楽しそうに微笑む。

「ふふーん。困ってる困ってる。でも、これならわかるかな?」

 言いながら、帽子とサングラスを外す。そこで露わになるのは、かなり整った容姿とシニョンに纏めた桃色の髪。

「髪型変えただけでそんなに違うかなぁ」

 と、そこで気付く。確かに、目の前の女性は知っている人物だった。しかも、つい先ほど知り合ったばかりの。

「宣言通り、また会いに来たわよ」

「……いいのかよ、それで」

「いいの!」

 呆れてものも言えないといった様子のカイを気にかけず、女性は勝手に部屋の中へと押し入る。

「お邪魔しまーす」

「え、えーっと、いらっしゃい?」

 突然の事に驚いて固まっていたシルヴィも明らかに一人だけテンションの違う女性についていけずしどろもどろになっている始末。

「お邪魔するわよ、シルヴィちゃん」

「勝手にあがるな」

 興味深そうに部屋の中を見回していた女性の頭に手刀を喰らわせるのはカイ。

「痛っ! ひどーい! 女の子に手をあげるなんて!」

「不法侵入はいいのかよ……」

 どうにも昼前に出会った女性と目の前の女性の人物像が繋がらず、敬意を払うべきか追い出すべきか迷っていると女性の方から声がかかる。

「いいの! そんな事よりカイ、事態は急を要するのよ!」

 ビシリと人差し指でカイを指し示す女性へ、カイは一つ溜息を吐くと根本的な質問を口にした。

「まずどうやって俺らの部屋を知ったんだよ」

「えーっと、企業秘密」

「……名乗ってもいない筈なんだが、何で名前も知ってる?」

「秘密」

「……。……そもそも、お前誰だ」

「ひ・み・つ」

「よし、帰れ」

「わー待って待って! 冗談だってば!」

 本格的に追い出しにかかってきたカイに女性は慌てて付け加える。

「カイって『風人』なんでしょ? だから、依頼に来たの!」

 そんな言葉を聞いて女性へ伸ばしかけていた手を引っ込めると、すっかり冷めていた紅茶を一口啜ってから息を吐いた。

「何をしに来たかと思えば、そういう事か。随分振り回されたな」

「雰囲気を和ませようかと思いまして」

 悪びれた様子の無い女性に、諦めたのか何も言わずただ座るように促す。近くにあったベッドに腰掛けたのを見て自身も椅子に座ってから、話を切り出した。

「依頼の話をする前に、名前を聞きたい」

 女性は少し躊躇っているようだったが、やがて覚悟を決めたように顔をあげると名を名乗る。

「あたしの名前は、ミルカリア=アイリントン。リア、って呼んでね」

「……やっぱり、な」

 つい先程も目にした名前を聞いて、シルヴィは眼を見開いたがカイは納得したようで。

「和ませようって言ったのは、自分の身分をかい?」

「そうでもないわ。爺や達の前では良い子にしてなきゃいけないけどね」

 何処か誤魔化すような言葉に、カイは何でもないと言うように手を振る。

「気にしなくていいぜ。わざわざドレスも身分を脱いで来て貰ってんだ。おだててへーこらなんかしねぇよ。……それとも、した方がいいか?」

「遠慮しておくわ。実は性に合わないのよ」

 お互いの冗談にニヤリとした所で、カイは魔法瓶から新しいカップへ紅茶を注ぎつつ言う。

「それにしてもよくこれたもんだ。普通バレるだろ」

「木を隠すなら森の中。人を隠すなら人ごみの中よ。ウチの国民って皆お祭り大好きでさ、何かイベントあると毎回あんま感じなのよね。だから、ちょっと服装変えて紛れ込んじゃえば誰も気付かないの」

「それもそれで問題だろ……」

 リアへカップを渡しながら何度目になるだろうか呆れていると、シルヴィが割り込んでくる。

「でも、なんでこんな時期に外出してたの? それにもうすぐ結婚式なんだし、僕らの部屋に来てちゃ不味いんじゃ」

「うっ」

 結婚式、という言葉を聞いた瞬間、リアの表情が曇る。

「それは、その、気分転換というか、なんというか……」

 あからさまに動揺している相手にシルヴィは不思議そうに続ける。

「どーしたのおねーちゃん。何かヘンだよ?」

「そっ、そんな事より! 自己紹介も終わったし、依頼の話しましょ!」

 話の逸らし方にしてはかなりお粗末なものではあったが、それ以上追求するのも無意味だと思ったらしく。

「そうだな。じゃぁどんな依頼がお望みなのか、聞こう」

 ようやく本題に入るという所で、リアは少しばかり逡巡してから依頼を口にした。

「結婚前に、お忍びで行きたい所があるの。でも、この前は失敗したし、もう公に国からは出れない。だから、そこまであたしを連れていって欲しい」

 その内容を聞いて、カイは何か考えているように黙り込む。何処か緊張感の漂う沈黙の後で、返ってくる言葉は疑問。

「それ、本気で言ってるのか?」

「えぇ、勿論」

 即答するリアの眼をじっと見て、どうやら冗談では無いという事を悟ると深く息を吐いた。

「こりゃまた、難題だね」

「え、そうなの?」

 事も無さげに訊くシルヴィだが、カイはそう思ってはいないようで。

「国のお姫様を連れて国外へ行くって事だぜ。その国の許可無しで、だ」

「うわぁ、確かに」

 事の重大さを理解したように不安げな顔を浮かべたのを見て、リアへと向き直る。

「そこまでして行きたい場所は……いや、理由は何だ?」

「え? えーっと、それは」

 その問は予想外だったらしく、急に口ごもるリアにカイは厳しく。

「言えないなら、依頼は受けねぇ」

「うっ」

「さぁ、どうする?」

「お金なら、いっぱい払うわよ?」

「聞いてねぇ」

「事が終わったら、特別待遇でお城に迎えてもいいわよ? あたし付きの護衛とか」

「いらん」

「お金でも、特別待遇でもダメ?」

「駄目」

「じゃぁ……体?」

 丁度紅茶を飲んでいたシルヴィが盛大に吹き出してむせ返る。

「怒るぞ?」

「やぁねぇシルヴィちゃんったら本気にしちゃって可愛い!」

「もっかい言うが、怒るぞ?」

「痛い! いたたた! もう怒ってない!? ほっぺをつねるのは止めて!」

 素直に謝り始めたリアを見てカイはその手を放す。

「なによぅ、ちょっとした冗談よぅ」

 若干赤くなっている頬をさすりながら口を尖らせる相手に、カイは至って冷静な表情のままで話を続ける。

「話が逸れたな……で、答えは?」

「……うぅ」

「じゃぁ、言ってやろう」

 未だ諦める様子の無いリアに、カイはある予想を告げた。

「お前、もしその場所とやらに行ったとしたら……そのまま、逃げる気だろう?」

 瞬間、リアの眼が見開いた。完全に不意をつかれたという表情である。それから、負けましたと言わんばかりに両手を上げて首を振る。

「わかったわよ。言えばいいんでしょ」

 そして、力を込めて握りこぶしを作ると、心底嫌そうな表情で叫んだ。

「結婚なんて真っ平御免なのよ!!」

「……は?」

 怪訝そうに聞き返すカイを半ば無視して、リアは力説する。

「嫌なのよ。勝手に婚約を決められて! あたしは何度も嫌だって……いいや、駄目だって言ったのに」

「政略結婚ってやつ?」

 ようやく咳も収まったらしいシルヴィの言葉に、答えは首を横に振る事。

「んーん、お父様ったら能天気であんまりそういう事深く考えないから……謁見に来た貴族の男と何度か会う内にすっかり気に入っちゃって娘をあげるとか言い出しちゃって。あぁぁ、あたしアイツ大っ嫌いなのに!」

「え、知り合い?」

「そうよ。前にパーティで話しかけてきて、君のことは知っていただの前から見ていただの言って求婚してきたのよ。断ったけど」

 思い出すだけでも嫌なのか、言いながらその身を震わせる。

「見た目だけなら別に悪くない、というよりかなり良い方だけど、性格が嫌。何でも思い通りになると思って……いや違うわ、何でも思い通りにしなきゃ気が済まないんだわ、あの男は。それに……」

「それに?」

「眼が、駄目。見ればわかるわ。アイツの眼は、人をまるで信用してない。だから、その場でビシリと言ってやったんだけど、あたしが駄目ならお父様を懐柔する気になったみたい。口だけは上手いんだから」

 憎々しげに顔をしかめるリアにシルヴィも同意のようで。

「うんうん、何にしても本人が嫌なら嫌だよね」

「わかってくれるのね、シルヴィちゃん! そういう事で、受けてくれる?」

 暫く黙って会話を聞いていたカイだったが、そこでようやく口を開く。

「事情は、わかった」

「む! それなら!」

「あぁ……」

 期待に上ずる声を聞きながら、カイはリアとしっかり眼を合わせて答えた。

「依頼は受けない。日が落ちきる前に城へ帰れ」

 一瞬、その場の空気が凍りついたかのように静かになった。特にリアの動揺は激しく、わなわなと震えているようだったが、やがて落ち着いたようにフッと微笑む。

「そう、だよね。知り合ってばっかなのにこんな事頼む方がおかしい、よね」

 声の調子を落としたまま笑うリアに、カイは突き放すように忠告する。

「あぁ。暗くなる前に戻ったほうが良い。危ないし、何より家族が心配するだろう」

「……そうね。わかった。お茶、ご馳走様」

 陰りを含んだ笑みのまま、リアは手近なテーブルにカップをおいて立ち上がった。

「あ、待っ」

 今にも泣き出しそうな表情を見たせいか、思わず呼び止めようとするシルヴィをカイの手が制す。

「いいのよ、シルヴィちゃん。あたしが間違ってるんだから。それじゃぁね」

 それ以降は何も言う事も無く、リアは踵を返して部屋から出て行った。それから、ハッとしたようにシルヴィはカイへ非難の声をあげる。

「ちょっと! 今のは酷いんじゃな、い?」

 憤るその声が途中で勢いを無くしたのは、カイが人差し指を唇にあてていたから。何故ここで静かに、と示す意味を理解出来ずにいると不意にカイが顔を寄せてその耳元で囁いた。

「……見られてるし、聞かれてる」

 予想外の言葉に、シルヴィも小声で聞き返す。

「え、本当に? ていうか、誰に?」

 答えは無く、ただ肩をすくめてわからない、といったポーズだ。

「ま、そんな事より、ちょいとめんどくさいがもう一回出かけよう」

 声のトーンを元に戻し、立ち上がってポーチを漁り出すカイにシルヴィは首を傾げる。

「今度はどこに行くの?」

「ちょっと忘れもんをな。さぁ、もたもたしてると遅くなっちまうぜ」

 そう言いながら取り出したのは、奇妙な形をした木片の『鍵』だった。




 すっかり日も暮れたアイリントンの城下町。その中で、一際巨大なホテルの最上階、ポツポツと灯りが付き始めた町並みを見下ろすのは男性。

 革張りの豪華な椅子に深く腰掛け、長い足を組みながらワイングラスを片手にする姿は尊大ながらも気品が漂っていた。

 部屋自体も広く一目で高価と分かる調度品が並び、ゆっくりとワインを嗜んでいた時。男性は、振り返る事も無く呟く。

「ベースか」

 その台詞と同時に、黒い影が舞い降りた。突然現れた影に驚くでもなく、優雅に佇む男性に影は淡々と告げる。

「例の旅人は姫の依頼を拒否しました。次いで、姫も無事自室にお戻りになられた所です」

 その報告にふむ、と一息満足そうに吐いてから次の命令を口にする。

「ならいい。姫の監視に戻れ。旅人にも気をかけておけ。そして怪しい動きをするようならば、消せ」

「仰せのままに」

 ベースと呼ばれた黒い影は男性に向かって深々と頭を下げると、現れた時と同じように突然その場から消えた。

 再び一人きりになった所で、何がおかしいのかクツクツと笑い出す。

「もう少し、もう少しだ。誰にも、邪魔はさせないぞ……クク、ハハハ」




 翌日、アイリントンの中に鎮座する巨大な城の中、朝から自室で憂鬱な息を吐くのはリア。

「はぁ、断られちゃった。やっぱり、あたし一人でなんとかするしか無いのかな」

 沈痛な面持ちのまま、聞かれる事のない独り言を続ける。

「でもどうせお父様に言っても信じて貰えないだろうし、やっぱ家出するしか……お母様が生きてたらなぁ……」

 夢見るように嘆いていたその時、ノックの音と共に老人の声が聞こえてくる。

「お嬢、お客様が見えております」

「暫く一人にしてって言ったじゃない。帰ってもらってよ」

 素っ気のない返事で追い返そうとはするものの、老人も譲れない様子で。

「いえ、大事なお客様ですので。お嬢、是非謁見を」

「えぇー……誰?」

「アレス=オルアステイツ様で御座います」

 その名前を聞いた瞬間、リアの顔が歪む。これ以上無い程の嫌悪を浮かべながら、引きつった声を出す。

「げっ、あ、アイツ? で、出来れば、あたしはちょっと出かけてていないって事に……」

「夫に向かってそれは無いんじゃないかな?」

 だが取り繕うには既に遅く、その相手は老人の背後に立っていた。

「全くお嬢は素直になりませんな……それでは、ごゆるりと」

 何を勘違いしているのかそんな台詞を言いながら、老人は一礼して去っていく。それを見送って、その男性――アレスは部屋へと足を踏み入れた。

「乙女には恥じらいも必要だ。だが、夫の前ではそんな事しなくていいんだよ?」

 爽やかな笑みで歯の浮くような事を呟くアレスに鳥肌を立たせながらリアは抗議する。

「まっ、まだ夫じゃないもん! それに、あたしは……」

「あんまりじゃないか。もう数日後には夫婦になると言うのに」

 詠うように言うアレスを、リアは敵を見るような眼で睨みつける。

「うるさい……! あたしはアンタなんか認めてない!」

「フフ、酷い嫌われようだ。でもねミルク、君との結婚は君のお父様が決めた事だ。僕が決めたんじゃない」

「貴方がその愛称で呼ばないで! それに嘘よ、貴方がそうなるよう仕向けたんじゃない!」

「おや、人聞きの悪い。確かに君のお父様とは仲良くさせてもらっているが……王と良好な仲を作るのは貴族としては当然の事じゃないかな?」

「それは、そうだけど……って、相変わらず口だけは上手い奴!」

「どうも、お褒めに預かり光栄ですよ」

「褒めてない!」

 先程から興奮しているせいか、肩で息をしながら荒い呼吸となっているリアにアレスは更に挑発するような台詞を投げつける。

「慌てる姿もお美しい。やはり、君は僕が見てきた中でも最高の女性だよ」

 何度否定してもまるで堪えた様子を見せず、尚且つ擦り寄ってくる相手にリアは寒気を覚える。

「何考えてるのよ、貴方は」

「どういう意味かな? ただ僕は嬉しいだけさ。見初めた女性と婚約を結べた上に王との繋がりも出来る。我が国にとってもとても喜ばしい事だ」

「違う。違うのよ」

 否定の言葉を繰り返し、リアは何かを決意したような眼で問いかける。

「貴方が見据えているのはその先。あたしと結婚してアイリントンと繋がりを持って、何をしでかす気なのよ」

「おかしな事を聞くね。君と僕との婚約は双方にとって得だ、そう言っただろう。所謂政略結婚というものだが、僕は君と一緒にいれるのならそれで満足だよ」

 一見裏表の無い、完璧な笑顔を見ても、リアにはまるで響かないようで。

「嘘よ! 貴方の眼を見ればわかるわ! その眼は、ろくでもない事を考え――」

 そこで唐突に言葉が途切れたのは、アレスの顔が目の前にあったからだ。驚く程に整った容姿に笑みを浮かべ、文句のつけ所のないその表情だが、だからこそ、不穏な陰りがより不気味に映る。

「ミルク姫、君は美しい」

 もう少しで唇が触れ合うのではないかという程の近距離で、思わず身を引く前にその腕を掴まれた。

「嫌っ、止め……」

「だから、君にこれを捧げよう」

 聞こえるのは、金属同士がはまり合うような接続音。そこで、アレスは急に身を翻した。強引なキスを免れたと思ったのも束の間、よく見ると右手首に銀色のブレスレットがつけられている。

「え、何これ……とれない!?」

 よく磨き上げられ光を反射するそれは、手首に丁度良く嵌る大きさで抜く事は叶わない。加えて、幾ら眺めても何処かに外れそうなギミックも無かった。

「今日の用事はこれだけだ。また会いにくるよ、ミルク姫」

「だからその愛称は、ってそんな事より何よこのブレスレットは!」

 外す事の出来ない銀色の腕輪に嫌なものを感じながら言うが、アレスは振り向くこともせずに言い放った。

「あ、そうそう。もうひとつ言っておくよ」

 そして聞こえてきたその声は、驚く程に冷たかった。

「長生きしたければ、余計な事は考えない方が良い。まぁ安心してくれ給え。詮索さえしなければずっと君を大切にするよ。なんて言っても、愛しているからね」

 声に込められた迫力と、背筋を走る悪寒に何も言えないでいる間に、アレスは部屋を出て行った。

 静かになった部屋の中で、リアは唇と噛み締めながら唸るように呟く。

「……絶対に、貴方の思い通りにはさせないんだから……!」




 秋晴れの空、日もほぼ昇りかけた頃。カイとシルヴィは城の正門から真っ直ぐ伸びる大通りを歩いていた。

「この国のご飯は本当に美味しいね」

 両手いっぱいに焼き鳥やらたこ焼きやらじゃがバタを器用に持ちながら、笑顔を見せるのはシルヴィ。

「どれもこれも美味しそうで目移りしちゃう……」

 満面の笑みを浮かべて、幸せそうに口をもごもごさせる姿にカイは若干呆れ声だ。

「ほどほどにしておけよ」

「んーふぁい。……でも、まだ腹2分目くらいだよ?」

「そういう問題じゃ無くてな」

 ありったけ頬張った食べ物を飲み込みつつ返ってくる趣旨のズレた解答に最早突っ込みも諦めた様子でふと城を眺めやる。

 随分と離れた場所からでもその存在感は大きく、見上げる者皆圧倒させる荘厳な造りの城である。

 そんな目線を知ってか知らずか、シルヴィは一旦口を止めてカイを見つめた。

「そういえば昨日貰ってきたコレ、何に使うの?」

 言いながら、ポケットから取り出すのは手のひら大の黒い箱である。長方形の一辺にイヤホンが差し込まれていて、一見すると小型のラジオのようにも見える。

「まだ秘密だ。まず使うかもわからないしな」

「え、じゃぁ何の為に買ったのさ」

「用心するに越した事は無いから、って所だ。もしかしたら、役に立つかもしれない」

「むー……いつも思うけどそういう時は教えてくれてもいいじゃん」

 口ではそう言いつつも答えは期待していなかったらしく、今度はたこ焼きを詰め込み始める。

「あははすまんすまん、でも無くさないように」

「りょーかい」

「ま、代わりといっちゃぁなんだが久しぶりに安全な場所で、これだけのお祭りだ。楽しんでこうぜ」

「やった! あ、あの肉まん美味しそう!」

 あっという間に両手に持て余していた程の食べ物を食べ尽くし、次の興味は通りに面するよう作られた調理場に置かれた湯気立つ蒸籠の中身のようだ。

「はいはい、仰せのままに、ってね」

 既に5個程注文をかましているシルヴィへ茶化すように言ったその時だ。

 元々騒がしかった通りが、更に姦しくなる。それまでは単純に人の雑踏や交わされる会話などのざわめきであったが、そんなものではない、更に熱狂的な声だ。

 よく聞くとそれらは黄色い歓声であり、眼を向けてみればその通り老若様々な女性の人だかりが出来ている。その原因は、爽やかな笑みを浮かべながら通りを堂々と歩く青年貴族。

 目にかかる程度の長さのブロンドは太陽の光を受けて輝いており、風に靡く様はまるで絵画。その上に背も高く、均整の取れた顔は名工が作り上げたかの如く。

 片方のショルダーガードが特徴的な白く短いマントに、同じく純白の燕尾服を纏っておりスタイルの良さも相まってより一層気品の良さを際立てている。

 どこをとっても非の打ち所が無い、正に完璧という言葉が似合う男。

「あの男は……」

 ふと眼を引かれたのかその男を見るカイへ、肉まんを袋に詰めてシルヴィへ渡していた中年の女店主が熱っぽい声をあげる。

「あら、アレス様はいつ見ても素敵ねぇ。全くミルカリア姫ったら羨ましい」

 うっとりした表情で貴族の青年――アレスを眺める店主に曖昧な返事を返しながら、カイもそちらへ目線を向けた。

 昼間だからか、それともこの国の中故か護衛の1人もつけずにいるアレスは多数の女性に囲まれながらもにこやかな笑みを浮かべて手を振るなどして応えている。

「街の視察にでも来てるみたいだな」

「えぇそうよ。あの人、結婚が決まってからは定期的に町民と交流しにああやって姿を見せるのよ」

 よく出来た人だわ、と惚気るような声を出す店主を尻目に、愛想を振りまくその姿は好青年そのものといった所である。そんなアレスを冷めた眼で見ていると、ほんの一瞬だけ、こちらに眼を向けた。

 それに気付いたカイは、隣で肉まんにかぶりついている最中の相棒の頭に手を乗せる。

「悪いけどシルヴィ、ちょっとした野暮用が出来ちまった。すぐ戻ると思うから、その辺で買い食いでもして待っててくれ」

「ふぇっ、ひょっとはっ」

 口いっぱいに頬張っていた為止める間も無く、まともな返事を返すよりも早くカイは人ごみに紛れて消えてしまった。ようやく肉まんを飲み込んでから、シルヴィは不満そうに呟く。

「もう、勝手なんだから」




 街の視察という名目で城下町の大通りを歩くアレスは、黄色い声に会釈を返したり手を振りつつ周りを見回していた。

 何かを探しているようなその目線は、とある一点で止まる。それは、商店の前で子供と一緒に買い物をしているらしき青髪の男だ。

 この国の標準的な服装とは少し違ったラフな格好のその男もまた、アレスを睨むような目つきで見ている。

 だがすぐに眼を逸らし、再び歩み始めた。30分程も歩いただろうか、相も変わらず女性に囲まれながら、ふいに低い声が耳元に届く。

「尾行されています」

 物騒な報告に、けれどどこか楽しそうな笑みを浮かべて周りの女性へ向けて声をかける。

「今回の視察はここまでにしようと思う。案内ありがとう、この国は良い所だね」

 解散の旨を聞いて女性達は不満そうな表情をしていたが、アレスがくるりと踵を返すのを見て各々物惜しそうに手を振りながら散っていく。

 1人になった所で、アレスは手のひらを口元にあてて囁く。

「やはり、あの男か」

「恐らくは」

 返事は即座に、しかし近くにその姿は見えず。アレスは脇目も振らず歩いているような素振りで口元だけを綻ばせた。

「良いだろう……誘いに乗ってやる」

 そして、路地裏へと足を向ける。わざと、人気の無いほうへ。わざと、より寂れている場所へ。やがてたどり着いたのは壊れて朽ちた遊具ばかりが目立つ公園だ。

 その周りも廃墟ばかりのようで、人の気配は感じられない。だが、アレスは誰もいない空間へ呼びかける。

「出てくるがいい。わざわざ話のしやすい所まで来てやったのだからな」

 返事は無かった。だが、アレスはフンと鼻を鳴らして尊大な態度で口を開く。

「もう一度だけ言う。ここで出てこなければもうチャンスは無いぞ」

 それは、唐突だった。先程まで人影の無かった建物と建物の隙間。瞬きする刹那の間に、その男は現れた。つい先程も眼の逢った、青髪の男。

「やれやれ、バレてたとはね」

「戯言はよせ。それを承知でつけてきたくせに」

 肩をすくめる男にアレスは再び鼻を鳴らす。

「前置きも聞く気は無い。さっさと本題に入るがいい」

 何処までも自分勝手な態度に青髪の男は少しだけ口を噤むも、要件を口にした。

「噂のミルカリア姫とやらのご結婚相手をちょっくら見たかっただけさ」

「茶番は止めろ。言った筈だ、余計な話をする気は無い、とな」

 切り捨てるような台詞へ、青髪の男はやれやれといった表情でアレスへと歩み寄る。その肩へと手を置いて、すれ違うような格好で囁いた。

「『飼い主』は、お前だろ?」

 そんな台詞を聞いて不機嫌だった表情が一変する。人を嘲笑うかのような、暗い笑み。

「ははっ、やはり貴様、報告にあった旅人だな。監視されていたのがそんなに不満だったかね?」

「いや、ハッキリさせておきたかっただけだ」

「そうか。まぁいいだろう。用はそれだけか?」

「あぁ、終わったよ」

 その言葉を聞いて、アレスは青髪の手を振り払うとそのまま歩みだす。幾らか歩を進めた所で、振り返る事無く呟いた。

「では、消えるが良い。この世から」

 刹那。青髪の男は腰に帯びていた剣を抜き放ち、振り切った。ほぼ同時、軽い金属音と共にその剣に弾かれたものが地面に落ちて突き刺さる。

 それは、柄の無い無骨な短剣。何処かから投擲されたそれは、弾かなければ間違いなく男へと突き刺さっていた事だろう。

 何処から投げつけられたのかは確認出来なかったが、誰が投げたかは一目瞭然だった。何故なら、青髪の男とアレスの間に、いつの間にか全身黒い装束に身を包んだ男が立っていたからだ。

「ふむ、中々やるな」

 殺伐とした空気の中、アレスの声は何処か楽しげで。

「初撃で死なないとは。見所があるぞ、旅人」

 ゆっくりと振り返って、改めて青髪の男へと向き直る。

「名を聞いておこう」

「……カイだ。姓は無ぇ」

「では、カイよ。一つ提案がある」

 一度殺しにかかっておいて、平然とアレスはその提案を口にした。

「貴様は『風人』であろう。どうだ、ひとつ私に雇われないか。命の保証はせんが……目も眩むような報酬を用意出来るぞ」

「……中々ありがたい話だな。報酬ってのは?」

「金なら幾らでも、働き如何によっては召抱えても良い。そうなれば多大な名誉も手に入るだろう。何せ大国の騎士となれるのだから」

 それだけを聞けば、確かに魅力的な話であった。富と名声、人間が欲しがる最多のものが同時に手に入るというのだから。

 だが、だからこそ青髪の男――カイは目つきを鋭くする。そんな美味い話がある訳が無い、というだけではない。その話には、一つ決定的な違和感があったから。

「なぁ、聞きたいんだが……」

 自信満々といった様子のアレスへ、告げるは疑惑。

「王宮お抱えってのは、これから結婚して王族の仲間入りするんだからわかるが……ただの浮浪人が騎士になるってこたぁ、よっぽどの事が無い限り無理だ」

「何が言いたい?」

 少しばかり機嫌の悪い表情を浮かべる相手に、カイは本命を口にした。

「この国で、何をやらかす気だ? いや違う……どういった、戦争を起こす気なんだ、お前は?」

 アレスの顔に、驚きの色が浮かぶ。続いて口から漏れたのは、笑い声。人を不愉快にさせるような哄笑である。

「良いだろう。あのやりとりだけでわかるのなら、『目的』だけは教えてやろう。私の計画はな……」

 何処か狂気がかった笑みを携え、アレスは言った。

「国獲り、だよ」

「……成程、納得した」

 若干たじろいだ様子のカイを気にせず、アレスは計画の一部を語りだす。

「私は、この国が欲しい。その為の結婚、そしてその為の来訪だ。計画は間違いなく上手くいく。だが、保険はかけておいても損は無い。カイ、貴様はミルク姫の護衛に就いてもらいたいのだよ」

「国を奪うんだ、王族は殺すもんじゃないのか?」

「ハハハ、正確には、国が欲しいのでは無い。この国にある『代物』が欲しいのだよ。それにな」

 そこで見せるのは、どこまでも歪んだ笑み。

「ミルク姫も、是非欲しい」

「全く、貴族らしい答えだ」

「民衆には手を出さん。城を掌握出来れば済む話だ。そこは多少の死人は出るだろうが……貴様は先程断ったミルク姫の依頼を受けるふりをして密偵となり、その身辺を警護するのだ。それが私の依頼」

 つらつらと内容を述べて、カイへ向けるは自信に満ちた眼差し。

「それで、莫大な富とこの私に帯同出来る権利をくれてやろう」

「……」

 答えは、すぐには返ってこなかった。カイは一旦眼を閉じ、束の間考える様子を見せてから、ゆっくりと口を開く。

「断る、と言ったら?」

「馬鹿な考えはよせ。この計画が成功した暁には、世界さえ奪える程重大なものだ。大人しく私に下る事こそが懸命だぞ」

 尊大な態度を微塵も崩さず、半ば強要するような口調で迫るアレスへカイの答えは溜息だ。

「……遠慮させて貰おうか」

「何を馬鹿な事を」

「具体的な内容をきかせて貰ってねぇってのもあるが……単純に理由を答えよう。お前の眼が、その欺瞞に満ちた眼が、気に入らねぇんだよ。その依頼はお断りだ」

 真っ白な剣を突きつけて、堂々と宣言をするカイへアレスは深く息を吐いた。

「賛同さえすれば教えてやらんでもないが……否、もういい。貴様の答えはわかった」

 驚く程に冷たい声を出しながら今度こそ踵を返して、別れの言葉を口にする。

「殺せ、ベース」

「御意」

 それまで一言も喋らず事態を傍観していた黒装束――ベースが、俄かにカイへと斬りかかってきた。逆手に構えた短刀が、白い剣と火花を散らす。

 鍔迫り合いには発展せず、ベースはすぐさま後ろへ飛んだ。その動きの流れのままに、手裏剣を投げつける。カイがそれを叩き落としている間に、何処からともなく先端の尖った棒状のものを取り出していた。

 容赦なく投げつけられた幾本ものそれを、カイは造作も無いといった様子で弾いて――地面に落ちて突き刺さったそれを見て、気付く。柄尻に備え付けられている丁度指が入りそうな穴に、何かが紐で結えられている事に。

 すぐさまにその場を飛び退いて、直後にそれは爆発する。サイズの問題だろう、爆発自体は大したものでは無く特に怪我も負わなかったものの、巻き上がった粉塵が晴れる頃にはもうベースの姿は消えていた。

「そこまで計算づくって訳か……おっと」

 見失ったというのに呑気な声を上げて、そのまま身を低くする。そうしなければ、今頃は背後から突き出された短刀に首を刺されていただろう。

 音も無い奇襲をあっさりとよけられたせいか、元々鋭いベースの目つきが多少険しくなった。

「そんなに驚くなよ。お前らの戦い方を少しばかり知っているだけさ」

 未だ緊張感の無いカイへの返事は無い。代わりに飛んできたのは短刀だ。首を傾けるだけの動作で躱しつつ、再三無言の相手へ語りかける。

「容赦無いな。流石、『夜の一族』なだけはある」

 そこで始めて、反応があった。

「……知っていたか」

「まーな。例えどんな人物であっても、金と契約の続く限り護衛と露払いを全うする、戦闘のプロ集団。それが『夜の一族』」

「貴様のような木っ端がよく知っているものだ」

「友達が一人、いるんでね」

「随分と口の軽い奴だ……処罰しなければならんな」

「出来るかな、お前に」

 何故か挑発的なカイに、ベースはフンと鼻を鳴らして短刀を構える。上体を低く、豹のような動きで斬りかかった。

 対してカイは上段からの斬撃を弾き、続いて繰り出された回し蹴りを退いてやり過ごすとお返しに言わんばかりにリヴォルバーを抜き放つ。

 だが、撃つよりも早くベースは爆弾付きの棒状をバラまいていた。今度はカイを狙うでもなく、直接地面に。間もなく轟く爆発音に顔をしかめ、再び相手を見失う。

「またこのパターン……っ!」

 噴煙を見てぼやいていたカイだが、何かに気付いて一歩退がる。瞬間、煙の向こう側から飛来した短刀が元いた場所に突き刺さった。続けて飛来するそれを避けるべく更に退がって――踵の辺りで、糸のような何かが引っかかるのを感じる。

「しまっ……!」

 それが設置式の罠だと悟った頃には、その糸が結ばれてあった枯木から幾つもの手榴弾が落ちてきて――先程のそれとは比べ物にならない程の轟音が、その場に鳴り響いた。




「むぅ……カイったらいっつも肝心な事を言わないんだから」

 ありったけ買った肉まんを食べ終え、ベンチで休んでいたシルヴィは一人頬を膨らませる。

 既に30分程経過しているものの、カイの姿はどこにも見えない。そもそも、人が多すぎて見つけるのも至難ではあるがそれらしい人影すら見えないのである。

「いつまで待ってればいいのかなぁ。まだ待てって言うのなら全財産使って買い食いしちゃうぞー」

 冗談混じりにぼやいていた時だ。喧騒に紛れて、異音が聞こえてきたのは。通りをゆく人々は気にも留めた様子は無く、シルヴィ自身もかすかに捉えた程度である。

 だが、それが何の音であるか――シルヴィはすぐに勘づいた。聞きなれたものではないが、これまでの旅の経験からくる危機察知の勘が告げている。

 これは、手榴弾による爆発の音である、と。

「気のせい……じゃないね。カイもまだ戻ってこないし……嫌な予感」

 両手で頬を張って気合を入れて、立ち上がる。

「どうか何事もありませんように!」

 願うように呟いて、シルヴィは音のした方へ向けて走り出した。




 広がる黒煙、なぎ倒された枯木、半壊した遊具。どれをとっても、爆発による被害の大きさが垣間見えるその惨状を見て、ベースは目を見開いていた。

「バカな……!」

 一点へ釘付けとなっている視線、その先にいるのは、

「危なかったな……下手すりゃ死ぬ所だった」

 手榴弾の爆発に巻き込まれた筈なのに、特に致命傷を受けたという様子もないカイ。ただ、完全に被害を免れたという訳ではなく焼け焦げた袖や所々に見える擦り傷が爆風に巻き込まれた事を物語っていた。

「なんだ、今のは……!」

 ベースには見えていた。カイが何をしたのかを。それ自体はとても単純な事だった。ただ単に、爆発するより早く手榴弾全てを致死の範囲から弾き飛ばしただけ。

 但し、1個や2個という話では無いという事が問題である。ベースが仕掛けた手榴弾の数は全部で8個。カイは足が支えの糸にかかり手榴弾が落ちてきた瞬間、剣と銃を併用して全てを弾いたのである。

 ただの一つも逃す事なく、且つ剣は腹で叩いて、銃は外殻に掠らせて軌道を逸らすように、まるで機械のように正確に。

「人間業では無いぞ……一体どんな動体視力をしていると言うのだ」

「いやまぁ……少しばかり、人と違うもんでな」

 そこで、ベースはもう一つの特異点に気が付いた。それまでは若干俯いていた故に見えなかったが、軽い口調と共にコチラを向いたカイの眼は――

「なんだ……その眼は……っ!」

 真紅に、染まっていた。白目の部分が完全に充血し、瞳孔を除いた全てが紅く彩られている。先程までの冷静さはどこへやら、立て続けに見せられた常識の埒外の出来事に、ベースは完全に気を乱されていた。

「教えてやる義理は無いな……それに、『時間』も無い。お前に恨みは無いがとっとと決めさせて貰う」

 そう言って駆け出したカイに、ベースはようやく我に返って表情を引き締める。

「そうだな……敵は殺すのみ、それだけだ」

 真正面から突っ込んできた相手へカウンターの要領で短刀を突き入れる。だが、それはあっさりと躱されて、迫るは上段からの振り下ろし。

 その一撃を、ベースは握りこぶしで受け止めた。鈍い音を立てて、白剣は動きを止める。篭手が千切れて見えたのは鈍色のもの。

「あぁ、メリケンサックか」

 大して動じた様子も無くカイはすぐさま剣を退いて蹴りを繰り出す。ベースはそれを上体を逸らして躱すと反撃に移ろうとして、

「……っ!」

 そのままバク転で距離を開ける。そうした理由は、ベース自身にもよくわかっていなかった。ただ、ほんの刹那の間だけ視線のかちあった紅い眼に気圧されたから、というのが本音である。

 ――なんだ、今の悪寒は?

 ただ眼が合っただけというのに感じた怖気を振り払うように手裏剣を投げつける。それらはあっさりとよけられたものの、ベースはその間にカイへと肉迫していた。

 体勢を低く、下段から蹴りあげようとしたその瞬間。

 その、『蹴りだそうとした脚を蹴られて』、動きを止められる。

「ぐっ……!?」

 続けてメリケンサックによる左の拳を突き出すも、既にその場にカイはいなかった。

「こっちだ」

 と、聞こえた声は背後から。即座に反応して撃ちだそうとした裏拳は、その直前に肩に膝蹴りを喰らって出せもせずに地面に転がされる。その反動を使って体勢を立て直しつつ敵へと向き合ったその時。白い剣が、目の前に迫っていた。

 あわや眼を貫くかといったそれを、辛うじて首を捻って躱す。代わりに抉られた頬は中々に深く、ドロリとした鮮血が溢れ出してきた。

 だが、それでもベースは反撃を試みて、目の前のがら空きの腹へ膝を入れようとして――またしても、その膝は動き出すよりも早く相手の膝を喰らって沈黙する。

 ――また、だ。また、攻撃を止められた……!

 ベースには、それがただ反撃を封じられているだけでは無い事を悟っていた。何故なら、反撃そのものを潰されているのでは無く、『反撃をしようとする』その時点で潰されているからだ。

 つまり、動きが完全に読まれている、という事。攻撃を封じられるどころではなく、動き出すよりも早くカウンターを入れられている。

 そんな時、見えた。カイとすれ違うような形となった交差の一瞬。先の爆風で焼け落ちていた右肩の袖。そうして露わになったそこに、刻まれているものが。

 逆三角形の中に、正三角形。更にその中に、『22』と数字が刻まれている。

 三度、ベースは目を見開いた。それが何を意味するのか、ベースは知っている。知っているからこそ、驚愕のままに声をあげる。

「『異端の子供』、だと……!?」

 そんな声を聞いたカイは、振り返りながらニヤリと笑みを浮かべた。

「あぁ、知ってるだろう。お前なら」

「しかし、アレは何者かが壊滅させた筈では……」

「そりゃ俺だ。俺が全部ぶっ壊したんだよ」

 そこまで聞いて絶句するベースだったが、少し間が空いた後で思い出したかのように声を搾り出す。

「待て……貴様、貴様が『異端の子供』の生き残りというのならば、『夜の一族』の知り合いというのは……!」

「そう、ラディアの事だ」

 その一言を聞いて、ベースは乾いた笑いを漏らした。

「ハハハ……確かに、己が処罰出来るような奴ではないな……さて、ならば、その眼は貴様の『異端』の作用か」

「否、これはどちらかといったら副作用だな」

 さて、と話を切り替えるようにカイは白剣を肩に担ぐ。

「最後に訊いておこう。退く気はないか? 出来れば殺したくはないんでね」

「愚問」

 即答して、ベースは立ち上がりながら短刀を構えた。。

「刺し違えてても、貴様を殺す。それが俺の受けた命令だ」

「馬鹿野郎め」

 苦い表情で呟きながらカイもまた臨戦態勢に入る。一触即発という雰囲気の中、先に動いたのはベースだった。

 先程までとは違い、短刀を指に挟んで片手で4本、合わせて8本も同時に持つという技を見せて、高らかに嗤う。

「己のとっておきだ、とくと味わえ!」

 同時に迫る8本もの短刀。だが、カイは一息吐いたかと思えば、

「終わりだよ、ベース」

 その全てを掻い潜り、ひと呼吸の間に懐に潜り込んで突き出された白剣は、ベースの胸を貫いた。

「がっ!」

 鮮血を吐き出し、短刀も指から滑り落ちる。急激に力を失い倒れ掛かる体を受け止めて、カイは呟いた。

「だから言ったじゃねぇか……退け、ってよ」

「ハハハ……何を、勘違いしている?」

「お前! まだ、意識が……!」

 白剣が胸を貫通し、どう見ても軽口を叩けるような状況ではないのにも関わらずベースは口の端を吊り上げる。

「これを、この時を待っていた。貴様と、ここまで密着出来るこの瞬間を」

 そして、口の中で何かを噛むような動作と共にカチリという音が聞こえ――

「貴様も道連れだ、カイとやら」





 シルヴィが古びた公園にたどり着いた時、そこは酷い有様となっていた。

 幾本かの枯木はなぎ倒されており、且つ焦げて炭化している箇所さえ見受けられる。ブランコの枠はひん曲がり、雲梯の柱は折れて原型を留めてすらいない。

 更に幾重にも地面が抉られていて、未だ煙が燻っているのも見えた。そのどれもこれもが真新しく、つい先程まで激しい戦闘が行われていたのは明白だ。

 だが、何より重要なのは、

「誰も、いない?」

 シルヴィが呟いたその事実である。誰かと誰かが争っていた。それは疑いようもない。だが、その誰か達は既に影も形も無かった。

「死体が無いのは良かったけど……どこに行っちゃったんだろう……」

 不安そうに辺りを見回していると、ある物が目に入った。比較的被害の少なかった鉄棒に括りつけられた、紅いスカーフ。

「あれは……カイ!」

 紛れもない、カイのものだ。そう確信してすぐさま歩み寄るとスカーフを解く。その中には、手紙が入っていた。

 シルヴィへ、と書かれたそれを急いで開いて読み進める。

 数分して、読み終えたシルヴィは思い切り息を吸い込んだかと思えばそのまま大きい溜息を吐く。

「全く……カイったら、本当にもう、お人好しというか、お節介というか……」

 一人愚痴っているように見えるが、その顔は綻んでいた。

「ま、そういう所がカイらしくて好きだけどね」

 そう言って、シルヴィは手紙とバンダナをポケットに突っ込むと公園を後にする。

「じゃぁ、『依頼』をこなさないとね!」





 ...To be continued



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