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聖人とスカイライン

芒宗鉞がいまだ十二歳だった、七年前。

宗鉞は初めて、自分の携帯情報端末(Mobile Information Terminal)から世界的な情報通信網インターネット接続アクセスすることを許された。

それまで、宗鉞の携帯情報端末(MIT)は、もっぱら通話と全地球測位網(GPS)のみに機能が限定されていた。

子どもが適齢期に到るまでインターネットアクセスを防止することは珍しくない。巧緻を極めたIT犯罪に巻き込まれないための当然の処置だった。

携帯電話を発祥とするMITは、小型コンピュータの機能を取り込むことで、現在では身分証明書として日常生活では必須の道具となっていた。世界の大半では電子商取引が一般化しており、金銭のやり取りが発生する場面では必ず必要となる。これがなければ、コンビニエンスストアで商品を購入することさえできない。それだけに、迂闊な取り扱いは人生を棒に振りかねない危険なことだった。

とはいえ、携帯情報端末を代表とする情報機器を使いこなすことは社会に出るにあたって必須の条件であり、成人まで全く触れさせないと言うわけにはいかない。

そのため、年齢に応じて機能を徐々に使わせ、慣れさせることが一般的な対処となっていた。

さらに、芒家は、外国で活躍する有力な華僑であり、その家族はいわゆるエリートとしての高度な能力を求められる。

末子ではあるが芒家の一員である宗鉞も、例外ではなかった。


平日の午前中、宗鉞は自室でベッドによこたわっている。

ベッドサイドテーブルには飲みかけのスポーツドリンク(“パカリスイート”)と数種類の錠剤、そしてしなびた冷却ジェルシート(“冷えペタ”)が置いてあった。

宗鉞はついさっきまで病床に伏していた。

部屋の中は静寂に凍てついていた。

宗鉞が体を動かすかすかな音がたよりなげに空気に溶けていた。

昨日、インターネットアクセスを解禁されたMITを、宗鉞はいじっていた。

“中光通信(ZXE)”の発売する最新MIT、“紫苑 ZX‐05”だった。超解像度の大型フロートディスプレイと高性能レンズレスカメラ、高速化されたOSの最新バージョンがセールスポイントの高価な端末だった。

さほど興味もわかないようすで、次々とMITの画面を切り替えてゆく。

ほどなく有名なコミュニケーションツールに行き当たった。

“スカイライン”という無料の通話や簡易な電子メール機能を提供するMIT向けツールだった。

さっそく自分のMITにツールをダウンロード、使用する。

網膜に直接投影され、空中に表示されているように見える文字入力デバイス(キーボード)を指でなぞった。

いくつかのプロフィールを登録し、ツールを持っている全ユーザーに公開する文言メッセージを入力する。

戯画化デフォルメされたライオンの画像アイコンとともに、文字列が画面に表示される。

ライオンはプロフィール登録時に選択したものだった。


○はじめまして! 本日ネット解禁になったので、記念に登録しました!


新しい文字列が表示された。

心臓がどきりと音を立てたようだった。


●おめでとうございます。私も今日初めて携帯端末を使います。登録したのも、ついさっきです!


宗鉞の青白い頬に血の気がさした。キーボードを押さえる指がわずかに震えている。


○ありがとうございます。楽しいことがあるとちょっと期待してたりしてます。

●私にはまだ“スカイライン”での友人がまだ一人もいません。あなたがわたしのはじめての友人になっていただけますか?


会話相手の文章が妙に硬い。相手のプロフィールを閲覧した。


・名前:Jose・Mirando

・性別:女性

・年齢:十二歳

・居住地域:日本


宗鉞は、慎重に文字を入力する。メッセージを送信する前に、全体を確認した。


○いいよ。ぼくも友達が欲しいから。

●嬉しいです。あなたは“スカイライン”を介したわたしの友人の一番目です。末永くよろしくお願いします。


すぐに応答が返ってくる。宗鉞は上半身を起こした。とりつかれたように文字を入力していた。


○ぼくもうれしいです。初めての友達だよ、ネットだけじゃなくて、現実リアルでも……。

●わたしはあなたの友人にふさわしいですか?

○大丈夫だよ。それに、ぼくにはこれからきみ意外に友達なんてできないからさ。

●?? どうしてですか?。

○周りには家族しかいないから。大人ばっかりなんだ。病気ばっかりして、学校もろく行ってないし、行っても誰にも相手されないしさ。

●わたしも学校にはあまり行っていません。でもわたしの周囲に存在する人間はほとんど子どもです。

○兄弟のこと? だったらぼくにもたくさんいるけど……。

●違います。兄弟、姉妹ではないですが、一緒に何十人も住んでいます。大人は、先生が五人います。

○五人しかいないの? こっちはいっぱいいるよ、お姉ちゃんが三人、お兄ちゃんが五人、お父さんお母さん、父方のおじいちゃんおばあちゃん、母方のおじいちゃんおばあちゃん、おじさんおばさん……。

●うらやましいです! どなたか私にも譲ってもらえますか? 私には父と母がいません。

○そんなわけにはいかないけど……。でもたのんでみる。君のお父さんとお母さんになってくれるようにさ。

●お願いします! こちらでも、あなたの友達になってくれるように一緒に暮らしている子どもに頼んでみます。

○本当に? じゃあ、名前教えてもらっていい? スカラネームじゃなくて、本当の名前。でないときみの友達といっしょにいるときにきみの名前をよべないから。

●□□□□です。


宗鉞は何度も画面を見直した。

しかし、表示文字列は“□”が四つ並んでいるだけだった。首をかしげつつ応答する。


○あれ? 文字がちゃんと出ない。どうしてかな?

●見えませんか? ちゃんと入力したのですが……。

○うん。どうしてかわからないけど、ちゃんとした字が出てないんだよ。なんかごめんね。

●大丈夫です。気にしていません。

○とりあえず、ぼくの本名も教えるよ。芒宗鉞です。

●??? こちらもあなたの名前が読めません。ちゃんとした文字が表示されていません。

○おかしいな……会話履歴ログを見ても入力間違いはないようなんだけど……。

●名案があります。直接、通話するのはいかがでしょうか?


ふたたび宗鉞の耳に、ひときわ大きな心臓の鼓動が聞こえた。

つかのまMITを手に唇を噛む。

「無料だから、大丈夫だよね」

自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

素早く返事を打ち込む。


○いいよ! こっちからかける!

●そうですか。それではお願いします。


汗ばんだ手でMITを握る。急激に体が熱くなり、頭の中にまで鼓動が脈打ち始めた。

指向性スピーカーとマイクが自動的に起動し、宗鉞の耳と口へ州音機能の焦点をあわせる。

通話がつながった。

「あ、あの! はじめましてぼく、宗鉞です!」

いまや嵐のように轟音へと鼓動が荒れ狂う中、宗鉞は急き込んで言った。

相手の声が耳に飛び込む。

「××××××××!」

弾けるような朗らかさと甘やかな響きを持つ声が、部屋全体に染み渡ってゆく。

しかし、相手の言葉を、宗鉞は理解できなかった。

宗鉞は納得した様子でつぶやいた。

「あ、そっか。文字列は自動翻訳されてたんだ」

“スカイライン”のメッセージは翻訳されて表示されていたのだった。そのため、一般的なものの名詞ではなかった名前は、翻訳できなかったのである。文字が表示されなかったのは、それぞれが使用している言語で使用する文字に該当するものが探せなかったためだった。相手の言葉遣いがいやにていねいなのも、単純な翻訳では砕けた言い回しやが再現できなかったためだった。

それに気付かなかったのは、プロフィールの居住地域が“日本”になっていたことが理由だった。

宗鉞の居住地域も“日本”になっている。正確には“横浜CTC”だったが、“スカイライン”では全地球測位網(GPS)で居住地域を特定する際に、横浜は“日本”と表示されていた。

何度か会話を繰り返すが、意思疎通は困難だった。

いったん通話を切断した。


○なんだか、しゃべれないね。

●そのようですね。

○でも、ぼく日本語、勉強するよ。そしたら話せるようになるよ。

●ありがとうございます。


しばらく自分の家族や住居に関する、たわいない世間話をやりとりする。いつのまにか、激しい動悸は治まっていた。

話のたねも尽き、宗鉞は“スカイライン”を終了させた。翌日もまた、話をしようという約束を交わしていた。

大きなため息をつき、耳を凝らす。

まだ相手の声音がこだましていた。

余韻がかすかなぬくもりとなって部屋の静けさをわずかに溶かしたようだった。相手のプロフィールを見ながら、宗鉞は声を思い出していた。

「ジョセ……」

名前らしき不思議な響きを宗鉞は脳裡で何度も繰り返した。


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