難民と聖人
赤い光の中に黒々と陰となった壁に囲まれた、舗装されていない地面から湧き立つほこりですすけた路地が夕闇に沈みかけた頃。
天王町検問所。
ヨコハマ租界の西端に位置するここは、境界線で分かたれた日本と租界をつなぐ検問所の存在によって、流入した大量の難民が在留する場所だった。
大半の難民はヨコハマに入ったものの身の振りかたに戸惑い、立ち往生するしかない。難民のほとんどが日本国内の戦乱によって命からがら馴染み深い故郷から未知の土地へと追い立てられてきた人たちばかりなのだ。
人脈やヨコハマ内で就労する約束を持っている難民はほどんどいない。
そこへヨコハマ土着の職業斡旋業者が多数押し寄せ、安い労働力として売り飛ばしてゆく。
甲高い日本語を喋り散らす業者に先導され、不安げな面持ちの人々がいずこかへ連れられて姿を消してゆく。
検問所付近では、毎日繰り広げられる光景だった。
仲介業者の斡旋からあぶれた人々は、近隣の路地に座り込む。行く先の見つからない落ち着かない眼差しで、あるいは深く絶望して死仮面のようにこわばった面持ちで、手近の地面に腰を落とすのだった。
四つの人影が、わずかに残った光の帯を縫って進んでいる。探し物をするかのように周囲に目を配りつつ悠然と歩いていた。
もっとも小柄な者の周囲を長身ぞろいの影が取り囲んでいる。
小さな陰は、まだ十代前半と見えるアジア人らしき少年だった。
その周囲には、金髪碧眼がまばゆい白人女性、黒い肌に筋骨隆々のたくましい黒人の青年、引き締まった精悍な体格と柔和な顔付きのアジア人男性が並んでいた。
いずれも粗末な衣服に身をつつんだ四人は周囲から浴びせられる好奇の視線を全く意に介していないようだった。
路地の端に帽子と制服、腰に銃器を下げた二人組の警官が立っていた。いずれも褐色の肌だった。
ヨコハマにいる警官の故郷はおおよそがバングラデシュなどの東南アジア諸国を出身地としていた。警察官のような憎まれ役は弱国の出身者を配置するのがヨコハマの支配者たちが好むやりかただった。
警官たちは少年の一行に気付くと、姿勢を正して敬礼した。
少年は軽く会釈して通り過ぎる。
若い方の警官が母国語で尋ねた。
『なんであんなガキにあいさつするんスか?』
年配の警官が答える。
『協調条約警察のトップはあのガキの兄貴なんだよ。
ただのガキに見えても、あいつはヨコハマの支配者一族なんだ。
連中は警察の外部団体みたいなもんだな』
『はあ……その外部団体は何やってんです?』
『慈善事業だよ。
ヨコハマ租界を動かしてるのは協調条約都市議会なんだが、実質、こいつらは環太平洋戦略協調条約構想(PRT)を構成する各商業圏の代表者であり、出資者なわけだ。
で、一番有力なのが中華共産解放区(中共区)を代表する華僑一族なんだな。こいつらがヨコハマでもっとも権力を振るっているんだが、同時に爆発的に増えつつある日本人労働者を懐柔しようとする気遣いも忘れちゃいない。
その政策の一環が、ガキの連れてるおかしな連中、慈善団体ってわけだ』
若い警官は首をかしげて少年たちを見送った。
少年が何かに目を向けた。
「見たことがある連中がいるね」
少年が口にしたのは中国語だった。
ここ、横浜協調条約都市の公用語は英語と中国語が併用されている。
背後の白人女性がうなずいた。
「わたくしも記憶にございます」
少年の視線の先には、だらしない格好をした男がいた。
建物の間にある狭い路地の入り口を体で隠すように立っている。
少年は男のほうへ足を向けた。
「あれは日本人の斡旋業者だね。もっとも、相手によっては職を斡旋するよりは強盗に早変わりするようなチンピラだよ。挙動不審だな」
背後の三人も少年に続く。
近づく少年に気付いた男は、不審そうな目つきで睨みつける。が、少年に見覚えがあるらしく、あわてた様子で路地の奥に声をかけた。
「やべえぞっ!」
「あ?」
「あいつ」
建物の陰から人相の悪い顔が突き出された。路地の外で見張りをしていた男が少年を指さす。
そちらへ目をやった瞬間、路地の中にいた男は驚いたように悲鳴をあげた。
太った男が、カエルがジャンプしているかのように路地を飛び出した。
見張りの男は突き飛ばされ、地面に転がる。
こけつまろびつ、二人は後ろも見ずに遁走した。
「追いますか」
抑揚の少ない声音で白人女性が尋ねる。少年は頭を振った。
「ぼくたちは警察じゃない。人助けをするんだ」
少年は路地の奥をのぞきこんだ。
「ああっ」
おびえきったかすれ声が聞こえてきた。
少年は端正な顔立ちいっぱいに微笑みをたたえた。優しげな、ひとなつこそうな笑顔だった。
くすぐるようなささやき声を路地のくらがりに送り込む。
「大丈夫ですか?」
返事はない。
すでに日は傾き、太陽光線はほとんど斜めに倒れている。
建物の間には黒い闇がよどんでいた。
少年は背後を振り向いた。
「新顔のようだね」
白人女性がうなずく。
「金属反応あり。形状から機関拳銃と思われます」
精悍なアジア人男性が少年の背後に身を寄せた。
「破壊工作員ですか? わたしが相手します」
「ちがうよ……工作員なら金属反応のある武器なんか持たないさ。カーボン製の使い捨て拳銃でも持ってるだろうね。扱いづらいごつい機関拳銃なんか持ってるあたり、間違いなく日本の難民だよ。
さっ、怖がらなくてもいいから」
少年は満面の笑顔のまま路地へと手招きした。
くらがりから、ドロに汚れた初老の男が顔を出した。
不自由そうに片足をひきずっている。足指の辺りにほこりまみれの包帯を巻いていた。ケガをしているようだった。
夕焼けに映えて、白っぽい顔色は茶色へと変色する。無数の皺が額を横断し、恐怖をにゆがんでいる。丸く見開いた両眼が絶え間なく左右に揺れ動いていた。
少年の背後に控えていたアジア人と、分厚い筋肉をまとった黒人はじりじりと初老の男との距離を縮める。
アジア人は嘲るような笑みを片頬に刻みつけた。
「どうだよ? こいつもきっと日本から入国してきた犯罪者なんだろ?」
黒人はつかのま考え事をしているようだったが、つまらなそうに首を振った。
「ちがうようだ。こいつは何の犯罪歴もないつまらない年寄りだよ……衛星通信で安全保障局(フォート・ミード基地)に問い合わせてみたが、何も引っかかるものはなかったなあ」
「そうかい」
残念そうにアジア人は肩をすくめる。
「犯罪者だったら正義の制裁を加えてやったのにね」
路地から出かかっていた男の身体は、ふたたび路地の影に吸い込まれてゆく。
少年の口から達者な日本語が流れ出た。
「まあまあ、変に思うかもしれませんが、ぼくたちこれでも人助けをしているんですよ」
横浜CTCに住む日本人の大半は公用語の中国語や英語を話せない者が多い。労働者がほぼ日本人であることから、横浜では日本語も一般的に使用されていた。
少年は初老の男をなだめる。
「ぼくたちはこの“横浜協調条約都市(CTC)”で活動している“芒裕厳基金”の職員です。目的は横浜に移住してきた各国の方の手助けをすること。つまりあなた方のような……」
男は日なたに姿をあらわした。夕日に体が赤く染まる。
「難民!……って言いたいんだろ!」
いつの間にか男の表情は恐怖から怒りに変わっていた。その両脇から、ふたつの頭が顔を出す。
好奇心をたたえた丸い瞳が、少年たちを見上げた。いずれの顔も砂ぼこりで黒く汚れている。
伸ばした髪から、二人が若い女性だとかろうじてわかる。
初老の男が二人をしかりつける。
「おい! 顔を出すな、危ないぞ」
しかし、二つの顔は言う事を聞かない。
少年はいっそう穏やかに話しかける。
「ようこそ、“横浜CTC”へいらっしゃいました。ぼくは“芒裕厳基金”の職員で“芒宗鉞”と申します」
その二人のアタシ、ひとりが甲高い悲鳴をあげる。
「うわー、かわゆい!」
目を輝かせ、少年に近寄ろうと狭い路地から這い出ようとしていた。初老の男、少女ふたりと押し合いへしあいになる。
芒宗鉞と名乗った少年は一瞬、眉間に皺を寄せた。
声をあげた少女は、さらに言葉を継ぐ。
「まだこんなにちっちゃいのに~」
感激に潤った声音を宗鉞に浴びせかけた。若干不機嫌にひび割れかけた宗鉞の眉間は平らに戻った。
一瞬、宗鉞の刺すような視線が騒ぐ少女に注がれた。
「中国人なのか?」
嫌悪感の滲んだ声を初老の男は出した。
「はい」
屈託を見せずに宗鉞は肯定した。
「じゃあ、なんだ? 後ろの連中は……」
少年は背後に顔を向けた。
白人女性が口を開く。
「わたくしは宗鉞の業務を補佐しておりますオリガと申します。よろしくお願いします」
「わたしは“基金”の副会長をつとめている諚尊我。以後、よろしく」
中国人が挨拶した。
「ウィズドロー・ゲーブルだ。“基金”の書記をやってる。あと情報収集な」
と黒人。少年が説明を加える。
「CTCは国境を超えた自由な土地ですから。いろんな国の人がいます。あなたがこちらへいらっしゃったのもそれが理由ではないですか?」
先ほど声をあげた少女が勢いよく挙手する。
「そうでーっす!」
宗鉞への眼差しがきらきらと輝いている。が、宗鉞は何も聞こえなかったように無視した。
少女はかたわらのもう一人の少女に声をかける。
「あーん、なんか冷たいよう」
さきほどから押し黙ったまま、じっと事態の成り行きに目を据えていた少女はつぶやく。
「ほんとだね。子どものくせに、わたしたちを馬鹿にしてるんだよ」
「も~、生意気~、ほんとかわゆ~」
たわいもない会話をする少女たちを差し置いて、初老の男は宗鉞に答えを返す。
「……そうだ」
宗鉞はにこやかに口を開く。
「日本の方ですね? ここ数年、入国してくる日本の方が非常に多いんですよ。やはり地続きだからお気軽においでになるのでしょうか?」
おびえたように宗鉞の言葉を聞いていた初老の男はみるみる顔を紅潮させた。
「ふざけてんのかっ!」
初老の男は興奮したようすで怒鳴った。
宗鉞は全く笑顔を崩さずに首をわずかにかしげた。
彫像のように立っているオリガは平静を保っている。
諚尊我は厳しい表情を声の方向に向けた。
ウィズドローは嘲笑をもらした。
世間話をしていた少女たちは、初老の男が見せた怒りに驚いた様子で、路地の奥に引っ込んだ。
男の興奮は収まらないようだった。
「俺は戦争から逃げてきたんだよ!
横浜のほんの少し先じゃ、いまでも殺し合いが続いているんだ!
そこじゃな! 何人も何人も虫けらみたいに死んでるんだよ!
おれは見たんだ!
昨日まで住んでた家は吹っ飛ばされて、さっきまで普通に歩いてた人間がばらばらになって道に落ちてるのをな!
それも、一人や二人じゃねえ! 近所のほとんどの人間がそうなったんだ!」
宗鉞は悲しげな面持ちに変わり、男の話に耳を傾ける。
「何も持たずに逃げてきたんだ……
それも何日もあっちこっちさまよってな……
やっと着いたと思ったら武装テロリストみたいな連中がひしめいてやがって、いいようにされて……
でもなんとか逃げてきたんだよッ!
のん気な茶飲み話にされてたまるかッ!」
「大変なご苦労をなさったのですね。失礼かもしれませんが他にご家族は?」と宗鉞。
初老の男は白髪交じりの頭髪が薄くなった頭を抱える。
「しらねえ……。
宿舎がいきなり攻撃を受けて、無我夢中で逃げてきただけだ、おれは。探すひまもなかった、畜生……
言われるままに疎開してたらこれだ、一体どういうことなんだよ! 国はなにやってやがんだよ! えっ?
おまえらにおれの苦労がわかるのかよ! へらへらしやがって、そこの外人野郎どもはよ、くそったれが!
もともとヨコハマは日本の土地だったんだ!
それを勝手に居座りやがってお前らが無理矢理に取り上げたんじゃねーか!」
宗鉞は激昂する初老の男をなだめる。
「まあまあ、お気を静めてください。怪我もしていらっしゃるようですし……」
呆れたように尊我が言う。
「だいたい、日本人はみんなわたしたちが強引にヨコハマを占領したと誤解してるね。日本政府の合意があったのに。
横浜の周りにいる武装集団どもはヨコハマのCTC化反対運動の名残だから。連中は極右団体の成れの果てだ。つまり、自業自得ってことだよ、馬鹿者が」
中国語のささやきに、ウィズドローが何度もうなづく。
英語でつぶやいた。
「日本は一時期、実に平和な国だったんだがなぁ……
銃器の全面解禁は失敗だったな。経済政策の一環とはいえ、愚かなことしたもんだ。銃器にかかる税金収入より治安悪化のほうが痛かっただろうに。銃器メーカーを喜ばせただけだったな」
自ら頭を両腕で締め付けるように抱え、初老の男は声を搾り出す。
「くそ……なんでこうなっちまったんだ?
おれが大学のころは世界一平和な国なんて言われていたのに、十数年たったらすっかり変わっちまった」
「経済不況と政治力の低下が大きな要因と言われていますね。財政政策の失敗で国が破産し、外交の失敗で自国の領土内に他国の干渉を許し、内政の失敗で治安を極度に悪化させて……ついには内戦にまで到ってしまった。
典型的な破綻国家だと愚考いたします」
オリガが日本語で意見を述べた。
宗鉞は背後の三人を睨みつける。気楽そうにしゃべっていた三人は口を閉ざした。
沈鬱な空気を背負った初老の男へとりなすように言う。
「きっとわたくしたちにははかり知れない苦難を乗り越えていらっしゃったのですね。お気持ちを整理するのはまだまだ時間がかかるでしょう。それまでにせめて私どもがお手伝いできれば良いのですが……」
宗鉞は肩から提げたカバンから出したものを初老の男に手渡す。
中華共産解放区(中共区)製の携帯食料と飲料だった。
見慣れたパッケージに初老の男は目をむいた。
悲嘆を訴えていた目が、突如として呼び覚まされた飢餓に燃えている。驚愕の眼差しを宗鉞に投げた。
宗鉞はにこやかに男へ促す。
「召し上がってください。人数分あります」
男は次々とカバンの中からとりだし、男に渡した。
男は路地に隠れていた少女たちにも食べ物を回す。
「おい! 食いもんだぞ、ほら!」
「マジで? もうおなかすいて死にそうだよ!」
「うれしい……一週間ぶりにマトモなものを食べれる」
歓声を上げ、三人はその場で食料をむさぼった。
そのあいだ、宗鉞は部下の三人に振り向く。
「君たち全員を一度に連れてくると、むしろ君たちの面倒をみなきゃってなって、気が気じゃなくなるよ」
宗鉞の抗議に納得行かないように三人は互いに顔を見合わせた。
そこへ、通行人が声をかける。
「あ! 宗鉞さま! 前は本当にお世話になりました!」
親子らしい二人連れだった。母親と男の子の組み合わせだった。どうやら検問所から搬入される荷物の運搬に従事しているらしい。
背負っていた荷物を肩から下す。
見覚えがあった宗鉞は愛想よく答える。
「その後、いかがですか?」
「なんとか生活もできるようになりまして」
「それはよかった」
それを機に、周囲にいた人々がいっせいに宗鉞に挨拶し始めた。
「この間は助かりました! 、毎日一回は町で見かけるんですけど、無理しないでくださいね」
「お気遣いありがとう、でも大事なことですから精一杯頑張りたいと思います」
みんな、過去に、宗鉞からなんらかの施しを受けた者たちばかりのようだった。
「あなたほど立派な人はいませんよ!」
「いいえ。人として当然のことと心がけてます」
感謝の言葉を述べ始めたのは、通りを歩いていた人間のほとんど全てだった。褒め称える口調で、彼らは互いに宗鉞のうわさを語り合った。
「わたしも去年、ヨコハマ(ここ)にきたとき、お世話になったんだよ。
渡す物資がそのときはもうなかったからって自分の着てるコートとマフラーをくれたんだからね。
ものすごく寒かったのに。それから地味な作業着をずっと着てるんだよ」
「あの人は華僑のわりに本当に優しい人間ですね。
この間、動けなくなってたホームレスを自分で背負って病院まで運んでましたよ。離れててもものすごい匂いがするのに」
「そうなんですか、わたしが見たのは、銃を振り回してた強盗に無抵抗で説得していたところですね。
いや、驚きましたよ。
全くの素手で、相手と戦おうともせずに、銃を突きつけてるヤツの目の前でフツーに立っててね。
もうやめなさい、みたいなことを言ってたんだよ」
結局、強盗は銃を下してね。で、配給をもらって帰っていった。
警察も来てたんだけど、宗鉞さんは犯人をかばって、そういうことをしたんだ」
「本当に立派な人だな。あの人がいなかったら、ヨコハマはただの地獄だ」
そこへ、恰幅のいい男が現れた。着ている制服から、検問所の職員だとわかる。
険悪な目つきで人垣を見た。大声で怒鳴りつける。
「おまえら、何ムダ話してるんだ!
散れ! 散れ! ヨコハマじゃ日本人が5人以上集まるのは違法だぞ!
それから給料泥棒は、警察に突き出すからな!
刑務所に一週間でもいたら、ひ弱なお前らなんぞ枯れ草みたいに弱って死ぬんだぞ!
バカどもが!」
追い立てられ、人々はそそくさとその場を離れた。はじめに声をかけた親子連れがぺこぺこと職員に謝る。
「申しわけございません! どうかお許しください、宗鉞さまのお姿を拝見しましたもので、つい」
職員は顔をゆがめて吐き捨てる。
「……芒家は祖父の代からここで商売をしていた。父親も偉大な方だ。息子たちもたいした人物ぞろいだ。一人を除いてはな」
職員は検問所に戻った。
親子は宗鉞の姿を見納めるように見つめてから、職員のあとに続いた。
人が集まっている間に食事を終えた初老の男と、薄汚れた少女の三人は食事を終えたようだった。
初老の男は宗鉞に手をあわせて拝みさえしていた。
「ありがとうございます、ありがとうございます、あなたは神様です……!」
「おおげさですよ。勘弁してください」
困ったように頭をかく宗鉞に、オリガが話しかける。
「病院から車が来るそうです」
宗鉞が群集の相手をしている間に、部下たちは方々に連絡を取っていたようだった。
宗鉞は初老の男に告げる。
「少々お待ちください。すぐに皆さんを運ぶ車が来ますよ」
難民の三人は喜びの声をあげた。
初老の男は少女二人の肩をこづく。
「やったぜぇ! 逃げてよかった! お前らもほんとに助かったな!」
「やったね、おっちゃん! アタシらマジでラッキー!」
一人は鳥の翼が羽ばたくように手のひらをひるがえし、男の腕を何度も叩いた。もう一人は顔をしかめる。
「まだどうなるかわかんないけどね。あと、あんまりさわんないでくれますか? オジサン」
「こいつぅ! 素直によろこべ!」
「素直にいやがってるんです」
耳障りなサイレンが聞こえてきた。
車体がくぼみや傷で埋まっているワンボックスカーが到着した。
天井に粗末な拡声器が固定され、サイレンの音を響かせていた。
宗鉞の取り巻きは英語と中国語の混じった言葉で世間話を始める。
「珍しく本物の病院から車がくるんだな」
と、ウィズドローは驚いたようすだった。
オリガが答える。
「病院が、検査をするそうです。
募集していた検体の年齢と性別がちょうど合致したので、救急車を呼びました。なんでも、がん細胞を発生、増殖させるための検体が必要だとか」
ウィズドローが首をかしげる。
「癌なんかどうするんだよ。もうクスリで直るようになったんだから研究なんかいらねーだろ」
「延命医療に利用するらしいよ。院長からそんな予定を聞いたことがある」
尊我が説明した。
車から、病院の職員が降りてきた。
乗り込もうとする難民たちを、宗鉞が制止する。
「あの、そちらのけが人だけお願いします」
初老の男は仰天した。語気荒く宗鉞に訴える。
「待ってくれ! こいつらはどうなる?」
申しわけなさそうに宗鉞が答える。
「申し訳ありません。
病院は常に患者でいっぱいなのです。ですので、重いケガをしているとお見受けするあなただけを収容させていただきます。
他のお二人は、今夜は私どもの事務所においでいただいて、体を休めていただくことになっております。
これが、われわれの慈善活動の手順になっております。
ご理解いただきたいのですが……」
男は危惧するような目を背後の少女たちに向けた。ためらいがちに言う。
「しかし……、こいつらだってかなり悲惨な状況をくぐり抜けてきたんだからよ……二、三日入院したっておかしくねえくらい疲れてるんだが……」
少女の一人が、元気よく答えた。
「大丈夫だよ、おっちゃん。アタシらそんなヤワじゃねーって。心配しねーでゆっくり足を治してきなよ」
「……ちょっと不安だけど……」
もう一方の少女がつぶやいた。
「お前らみたいな子どもだけでなんとかなるのかよ?」
「いやいや~、おっちゃんのほうが弱まってたくらいじゃん。アタシらだけでもどうにかなるでしょ」
「すぐに御見舞いにいく」
男は苦笑する。
「たいした度胸だな……じゃ、明日にでも見舞いに来てくれ」
「わかった!」
「気をつけてね」
男は名残惜しそうに、何度も少女たちのほうへ振り返りながら、病院の車に乗った。
走り去る車を少女たちは並んで見送る。
「じゃあ、行きましょうか」
宗鉞は二人に促した。
先ほどから前向きな発言をしていた少女が声を張り上げる。
「よろしく!」
突然、宗鉞の身が雷を受けたように震えた。言葉を失って棒立ちになる。
宗鉞は少女の顔をまじまじと見上げた。藍色の影となって浮かび上がる白い顔は驚愕にこわばっているように見える。
すでに夕日は落ち、夕闇が辺りを覆っていた。
砂ぼこりでうすよごれた少女の顔はくらやみにまぎれている。
少女は無邪気に尋ねた。
「どうしたの?」
オリガも声をかける。
「宗鉞さま?」
「あっ……」
突然、夢から覚めたように、宗鉞は小さく声をあげた。
「どうかなさいましたか?」
宗鉞は頭を振った。
「なんともない。でも少し、疲れているのかもね……今日の活動はこれくらいしておくよ」
平板な抑揚のない声で宗鉞は言った。
「どうやらそのようですね……ではこの二人は私どもが事務所に連れて行きます」
オリガの提案を、宗鉞はすぐに断る。
「まあまあ、彼女たちの面倒はぼくが見るよ!……きみたちも今日はこのくらいで終わりにしてくれ。
遅くまでつきあわせてすまなかったね」
「その程度の仕事、いつもはわたしたちがしているではないですか。無理はなさらないでください。
万一のことがあれば、わたくしがお父上から叱られます」
尊我が言うのへ、宗鉞は反論する。
「だからたまには自分から下働きの辛さを知っておこうと言うのさ!……。
今日はどうせ仕事もたいして残っていない。だから君たちもぼくといっしょに来たんじゃないか。要するに、ぼくは仕事をした気分を味わいたいだけなんだよ
よけいな気を回さなくても結構」
納得いかない様子をみせつつも、三人は夕闇の中へと消えた。
ほっと胸をなでおろし、宗鉞は少女たちに声をかけた。
「じゃ、ついておいで」
少女たちは少し不安げに互いに顔を見交わした。
「早く!」
二人は、宗鉞の厳しい声に促されて歩き出す。
大火のように空を赤く焼いていた夕日は今は鎮まり、煤にまみれたような黒い天蓋がヨコハマに覆いかぶさっている。
星ひとつ見えない夜だった。