宛ての無い歌
今日も、デパートの外に設けてある広場には沢山の人の姿が見えていた。
プロの舞台では、客が無意識の内にアーティストと壁を作ってしまう。
けど、この広場なら常に皆と平等な立場で気持ちを交す事が出来る。
自分の心を誰かに伝えたい。
楽器を使わず、自分の声だけで。
だから、俺はたった一人でもこの広場に可能な限り足を運んでいる。
「よしっ……」
備えられた椅子に座り、僅かな緊張感から思わず小さな溜め息を洩らす。
集団行動を取る若者の姿。
買い物袋を提げたサラリーマンの姿。
幸せそうな表情をした夫婦。
本当に、老若男女様々な人が俺の歌を聞きに来てくれていた。
それだけで、胸が熱くなった。
「皆さん、今日はお集まり頂いて本当にありがとうこざいます」
静かな空間に、俺の声だけが響く。
皆、沈黙したまま真剣な眼差しで俺の声に耳を傾けてくれている。
今日は、気持ちを素直に歌える。
不思議と、そんな気がした。
まるで、幼い頃にあの人から歌を教わった日の様な気分だった。
それは、夕飯の買い物の為に家族でここのデパートに来た時の事だった。
人が多くて、気が付いたらお父さんもお母さんも周りからいなくなっていた。
その時は、お腹が空いたから自分を置いて先に帰ったのかと思った。
それで、今からどうしようか考えてる内に自動ドアから外に出てしまった。
何故か、涙が溢れて来た。
もしかすると、家族と会えないまま家にも帰れないのかもしれない。
お腹も空いてるし、大人達は誰も自分が迷子だって気付いてくれない。
どうしよう……このままずっとこのデパートにいるなんて絶対に嫌だ。
そう思いながら、自動ドアを出た。
次の瞬間、目の前に広がったのは夕焼けが顔を覗かせている外の景色だった。
そこに、あの人は一人でいた。
軽く俯きながら、思い悩んだ様な表情を浮かべてベンチに座っていた。
子供ながらに、この人は何か深刻な悩みを抱えているんだなと感じた。
この人なら、迷子になっている自分に気付いてくれるかもしれない。
そう思い、恐る恐る近付いてみる。
「……坊主、泣いてるのか?」
その人は、自分の姿を見るなり俯いていた首を直して立ち上がった。
その瞬間、さっきまでの悲しそうな態度はどこかに消えてしまった。
凄く頼りがいのある、透き通った声。
不思議と、迷子になっている自分を助けてくれそうな気がした。
「うん、僕……」
警戒する必要は無かった。
包み隠さず、両親とはぐれてしまった事を素直な気持ちで伝えた。
その人は、赤の他人にも関わらず親身になって自分の話に耳を傾けてくれていた。
「……そうか。大変だったな」
心の中を出せる場所が見付かった。
そのせいで、もう止まったと思った涙がまた自分の頬を伝って来た。
「ほらほら、もう泣くんじゃない」
すると、その人は右手の指を涙が流れている場所に沿って優しく滑らせた。
それは、とても暖かくて。
不安定だった心を安心させてくれた。
「なあ坊主」
「え?」
「歌には興味あるか?」
並んでベンチに座っていると、その人は唐突にこんな事を訪ねてきた。
「う〜ん……僕、分かんない」
真面目に考える事もせず、自分は瞬間的に頭に浮かんだ事を素直に話した。
その時は、まだ教育番組や幼稚園でしか歌を聞いた事が無かったのだ。
今考えると、この時の答えによっては今の自分は存在しなかったかもしれない。
「ふふ……じゃあ、俺がすごく良い歌を坊主だけに教えてやろうか?」
「本当!?」
「ああ。じゃ、行くぞ」
そう言って、あの人は一度咳払いをした。
周りの音は遮断され、あの人の声だけが自分の耳に優しく聞こえて来た。
「わあ……」
その歌は、とても優しくて。
あの人の透き通った声と合っていた。
後ろの夕焼けが凄く神秘的で。
心に伝わる何かが秘められていた。
歌詞の意味は全然分からなかったけど。
それは、今でも覚えてる。
子供の自分でも、強く印象に残る歌だった。
「何かあったら、この歌を思い出せよ」
それが、お母さんに手を引っ張られながら聞いた最後の台詞だった。
「ありがとう、お兄さん」
自分の放った言葉に、あの人は手を振りながら小さく笑ってくれた。
それから、今日まで月日が流れてもその人に会う事は一度も無かった。
「では、一曲歌います」
この時の歌を、自分なりに変えて。
伝えたい気持ちを込めて。
今日、この広場で初めて歌ってみる。
「宛ての無い歌。聞いて下さい」
生きるって何だろう?
じっくりと考えてみた
答えは見付からない
誰も教えてはくれない
本当に大切な事は何?
答えを探す旅に出た
行く宛ての無い
長い旅になるだろう
町が夕暮れに染まる様に
僕の心も変わって行く
町に残したあの人は
今も帰りを待つのかな…
「ありがとうございました」
歌い終えた時、観客の皆からはあの人の手の様に暖かい拍手が送られた。
FIN