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魔女と過ごす非日常  作者: 柳乃 晟
はじまりのはじまり。
3/4

003

 ――後の祭り。

 気付いた時には後の祭りなどと使用する。

 祭りの後の山車(だし)のようにやっても無駄な事、手遅れと言う事。

 とりあえず、——気付いた時には既に手遅れだった。


 By.西藤陵介(さいとうりょうすけ)


 油断していなかったと言えば嘘になる。

 しかし、していた訳でもない。

 追われてる事を理解してからずっとずっと油断しなかった日なんてなかった。警戒する日々だった。それこそ寝ている間でさえも警戒し続けていた。その筈だった。

 それなのに。

 今日は緩んでいた。自分でも気付いてしまう。緩んでいたと。

 色ボケ、かな。こんな歳にもなって。

 自嘲的な笑みが零れる。もうおばさんなのに、と。

 それでも、後悔はしてない。後悔先に立たず、とは言うけど後悔してないんだからこれは後の祭り。

 祭りなんて始ってないけど、それでも、後の祭り。


 なんで気付けなかsったんだろう。普段の自分ならば気付いていた筈なのに。

 そう思わずにはいられない。

 今の現状が日常になって慣れていないとは言え、気付けなかった自分の心を自分でも不思議に思う。冷静じゃなかったとしか言えない。

 やっぱ浮かれてたのかな。相手はすっげー年上なのに。

 ははっ、と乾いた笑いが出る。まだガキなのにな、と。

 それでも後悔はしない。あいつ(、、、)がしてないって分かるから、自分もしない。

 だから、これは後の祭り。始まってないのに終わってしまった祭りの後。


 時刻は八時を過ぎた。

 学校が終わり、二人で遊び、陵介の家に泊まる事になり、荷物やら生活品など足りないものを取りに行ったり買いに行ったりとしていたらこんな時間だ。

 まあ、楽しかったからいいけど。なんて二人してそんな事を思いながら頬を緩めた。

 陵介は三人家族である。

 父と母と陵介の三人。

 だが、三人にしては結構広い家で、それぞれに自室が(あて)がわれている。

 尚且つ、両親には両親の寝室まであり。更には客室まで……と合計で五を超える部屋数が存在するのだった。

 だが、自分の家では無いという事もありユキには陵介の自室で休んでもらう事にした。

 当然、ユキは反対したのだが、

「俺だけの家じゃねえからさ。せめて俺の部屋を使ってほしいんだ。まあ、寝る時だけ使ってくれりゃ後は自由にしてもらっていいし。俺は一緒に寝る訳にはいかないからリビングのソファで寝とくよ」

 との言葉を受け、それでもいくつか反論したのだが陵介の言葉に渋々了承した。

 女の子に床やソファを使わせる訳にはいかない。と言われたらユキも後には引けなかった。

「ユキ、なんか嫌いなものとかあるか?」

 陵介は台所の流し台の上に存在する、小窓の様な場所からリビングで寛いでいるユキに問い掛ける。

「大丈夫」

 短く返答する。

 視線はテレビに釘付け。画面にはどうやらアニメが映し出されているようだ。

「んじゃ、適当に何か作るぞ」

「ん」

 また短く返事。

 その世間一般的な妹のような対応に思わず苦笑してしまう。

 アニメに夢中ってどんだけだよ。

 そう悪態をつきながらも心は心底穏やかだった。

「陵介」

「んー?」

 視線はテレビに向けたままユキは呼ぶ。

 陵介は陵介で冷蔵庫を空けお目当ての食材を探しながら気の抜けた返事を返す。

「このアニメに出てくる、オレンジの髪をした男は何者なの?」

「ん? あー、そりゃ死神だな、死神」

「死神? 鎌も持っていないのに?」

「そう、持ってないのに」

 そう言って目当ての食材を手に入れた陵介はまな板の上にそれを乗せる。

「てか、漫喫行ってんだからてっきり読んでるのかと思ったぜ」

「私は少女漫画派」

 ……似合わない。

 そう思っても決して口に出さない。

「……何か失礼なこと考えた」

「き、気のせいだ」

 鋭い。

 ぎくり、と肩を震わせたらり、と額に一筋の冷や汗が流れた。

 とりあえず、話題を変えようそうしよう。そう思って陵介は無理やり話の流れを変える。

「どんな少女漫画が好きなんだ?」

「……誤魔化した」

「う」

「けど、いい。――私は純愛が好き」

「純愛、ね」

 まあ、少女漫画の醍醐味の一つだろうと陵介は思う。

 別に少女漫画を読んだ事が無い訳じゃない。勧まれて読んだものだって少なくはない。けど、まあ、

(俺には理解出来なかったけど)

 小さく溜息を一つ。

 そして目の前に三枚に裁かれた魚を見て調理を再開する。


 陵介は料理が上手い。

 ユキはそう思った。

 多分、鯵だと思う。青魚の煮付け。これが絶品である。

 更に付け合わせに緑豊かな山菜の盛り合わせ、特製の出汁か何かなのだろう、それに漬して絶妙な加減で浸み込んでいる。絶品。

 更にこれだ。

 ずずっ、と小さくすする音をはしたないと思いながらも止めずにはいられない。味噌だけじゃない色々な食材の味がハーモニーを奏でている。まるで味の宝石箱のようだ。そんな絶品な味噌汁。

 どれを食べても自分好みで凄く美味しい。

 我を忘れて無我夢中に箸を動かし続ける。

「美味いか?」

 正面に座って頬を僅かに緩めながら聞いてくる陵介の声で我に返った。

 ユキは無言で頷く。

「そっか」

 そう言って今度は分かりやすく笑みを浮かべる。

 きっと喜んでいるのだろう。

 二人は四人で使える大きな食卓でご飯を食べていた。

 木製のテーブルとイス。高価な雰囲気は感じさせないがしっかりとしたそこそこに立派な食卓だ。

 そこに二人は向かい合った形でご飯を食べている。

 時刻は九時になろうとしていた。

 一心不乱で味噌汁の最後の一滴も残さず綺麗に完食したユキは、

「ごちそうさま」

 手を合わせ笑顔で陵介に言う。

「お粗末様です」

 また陵介も笑顔でユキに言う。

 人とご飯を食べるのはお互い久しぶりの事だった。

 勿論、久しぶりを指す時間はそれぞれ長さに違いはあったのだが。

 食べ終わった食器を二人で流し台へと持っていく。

 そこはかとなくお金持ちの様な佇まいである陵介の家には勿論自動食洗機が存在した。

 軽く手洗いをしてそれに食器を入れていく。後はボタンを押すだけで勝手に綺麗にしてくれる実に便利だった。

 水が噴き出す機械音を聞きながら二人はリビングへと戻る。

「そういえば」

 そこで思い出したかのように陵介は口を開く。

「今日は大丈夫かな」

 それはちょっとした不安。

 昨日の今日だ。少しくらい敏感になったって仕方が無い。むしろ今までその事を忘れていた事の方が不思議なくらいだ。

 その言葉を受けユキは悲しそうに眉を下げる。

「分からない」

 それはユキにも分からなかった。

「んー。まあ、なんとかなるよな」

 楽観的、とでも言うような陵介の言葉に今度は眉を顰める。

「そんな簡単に……」

「大丈夫だろ。俺とユキなんだから」

「……え」

 私と陵介、だから?

 どうゆう事なのだろう。

 分からない、と首を傾げて陵介を見る。

「昨日は大丈夫だった。なら今日も何があっても大丈夫。そうに違いない」

 答えは酷く単純で無理矢理だった。

 だけど、嫌な気はしない。

「ん」

 ユキはその時は、そうだ、と思って短く返事する。

 その時は。

 そして、すぐにそれが違うと分かる事になる。

 時計の針が九を過ぎ長針が六の時を指した瞬間の出来事だった。

「!」

 二人は同時に気付く。嫌な気配を。

 そして気付くとほぼ同時。


 白と、


 黒の、


 ――反転世界へと誘われた。


「陵介」

 ユキは小さく陵介に言う。

 陵介は小さく頷いて二人は背中合わせに死角を消す位置に立つ。

 言葉を交わさずとも理解出来る喜びが気を緩ませているとは気付かずに。

 そして、小さな風が吹いた。

「あらら、本当に"灰かぶり姫"ここにいるんだねぇ」

 こつ、こつ、と小さな足音が二人に近付く。

 姿を見せたのは昨日と同じ黒いコートに身を包んだ小柄な男だった。彼もまた黒いフードで顔を隠している。

 男、と判断したのは声色からだ。決して低い訳ではないが声色そのものは紛れもない男のものだった。

「誰」

 ユキは短く問い掛ける。

 気付けば右手には大鎌を握っている。

「きゃははは、愉快だねぇ愉快だねぇ、制服なんて着ちゃってさぁー。何? コスプレ? そうゆう関係なの?」

 きゃははは、と男は笑い続ける。その行動に二人は同時に眉を顰めた。

 不愉快だ。

「誰だあんた」

 今度問い掛けたのは陵介。

 一歩足を前に踏み出し。威嚇するような鋭い目付きで相手を射抜く。

 だが、そんな陵介の行動を見て尚笑い声は収まらない。

「きゃははは! ただの人間のくせに格好付けちゃってさー。何? 何? 女の子を守る騎士(ナイト)気取りですかー? きゃははは」

「てめっ!」

 馬鹿にされて黙っていられるほど陵介は気が長いほうではなかった。

 昨日は怯えビビり、恐怖していたというのに、今日はそんなのを感じる余裕が無いほどに頭に血が上ってしまった。

 男目掛けて走り出す。右手は力の限り握り締め、射程に入ると同時に振り抜いてやると固い意思を持って。

 だが、

「きゃはは、猪突猛進? 猪の方がまだ賢いと思うけど。きゃは!」

 忘れていた。

「――さあ、魔女狩りの時間さ」

 相手が魔女を狩る者だという事を。

「!」

 気付いた時にはもう遅い。

 止めようと口を開く間さえ与えてくれない。

 気付いた時には陵介は吹き飛んでいた。

「が――はっ!?」

 吹き飛ぶ。綺麗に。

 陵介は自分の身に何が起こったのか理解出来ていない。分かるのは自分の体が今宙に浮いているという事だけだった。

 ――ガシャン!

 そして飛んで行った先にある先程まで食事していたテーブルに見事に激突した。

「ぐあっ!!」

 感じるのは痛み。それも凄まじいほどの激痛。味わった事のない痛み。

 攻撃を喰らったであろう腹も痛む。テーブルにぶつけた背中も痛む。

 体中が軋む。痛みが体中を駆け巡る。

「陵介!」

 ユキは陵介のもとへ駆け寄ろうと足を動かすが、

「遅い」

「!」

 一蹴。

 たった一蹴りで無残にもユキは吹き飛んだ。

 油断した訳じゃない。

 警戒もしていた。

 なのに、全く気が付かなかった。

 そうと気付けば先程もそうだった。

 反転世界へ誘われる時、ヒビノの時とは、今までとは違い察知する事が出来なかった。

 気配だけ、しかもこんなに近付かれるまでその気配さえも気付く事が出来ずにいた。

 気付けば、異常。

 今までにない異常事態に吹き飛びながらユキは冷や汗を流す。

「"剣詩舞"の腕を奪った奴だから楽しみにしてたんだけど。――つまんないね」

 男の声に笑いが消えた。

 床に激突する瞬間左手一本で受け身を取りながらユキは相手の姿を確認しようと目を凝らす。

「だから、遅い」

 顔を上げた瞬間。眼前に男の爪先が見える。

「くっ」

 間一髪。

 体を反る事でその攻撃を避ける。

 が、

「遅い上に甘いね」

 男の蹴り上げた足はそのまま再びユキの眼前に、――今度は踵が迫ってきた。

「ユキ!」

 ――そうはさせない。

 陵介は痛む身体を無理矢理起こし、痛みに耐えながらユキの元へと走る。

「おっと」

 男は振り落としていた足を途中で無理矢理方向を変えユキを狙って落としていた踵を陵介のほうへ向ける。――そして、そのまま回し蹴り。

「くっ!」

 だが、その行動を先読みしていた陵介は咄嗟に両腕を前にクロスさせてガードしダメージを多少だが減らす。

 先程とは違い無様に吹き飛ばされる事はなんとか避けたがそれでも後退させられるのは防げなかった。

 足を床に擦らせながら倒れる事だけは何とか耐える。

「はあっ!」

 そして陵介が身体を張ってなんとか稼いで多少出来た時間。ユキにはそれだけで十分だった。

「む!」

 大きく振り下ろされた大鎌、それを先程とは違い紙一重でかわす。

「それが」

 次いで鎌を地面に突き刺し、それを軸に、しっかりと鎌を握りながらユキは飛び蹴りを繰り出す。

「君の能力か」

 今度はそれをかわすことが出来ずに陵介と同じように両腕でガードする。

 初めて攻撃が当たった瞬間である。

「――速さだけが取り柄みたいだから」

 "剣詩舞"に比べれば格段に速いが、攻撃自体はそれほど重くない。というか、力は並みである。

 ならば――

「速さだけ(、、)強化(、、)させてもらった」

 "灰かぶり姫"通称――シンデレラ、彼女の能力の由来である。

 シンデレラは零時の鐘が鳴れば魔法が解けてしまう。

 ――彼女は一日に一度だけ零時の鐘が鳴るまでは、自身に魔法を掛ける事が出来る。そういう能力を持っていた。

「へえ、なら互角に――」

「ならない」

「!」

 ――速い!

 男は目を見開き驚く。

 速さが倍増、なんて甘いものじゃない。格段に速くなっていた。

 一瞬で男の死角に飛び込む。眼が追いつかない。それこそ消えたかのように。

「?」

 因みに陵介には全く見えていない。

 男の動きでさえほとんど眼で追えなかったのだから当然えはあるのだが。

 陵介の眼にはユキが消えたようにしか見えない。

「残念だけど」

 声がするほうに眼を向ける。

 だが、そこに誰も居ない。

「速さだけ(、、)、強化してるから」

 横から風が迫ってくるのを感じる。

「今の私は君より速い」

 顔を横に向け――ようとした瞬間に右の拳が男の顔面を抉った。

「ぐあああっ!!!」

 それも捻りを効かせたコークスクリューブロー。

 ユキの拳が半回転しながら男の頬を抉る。

 ミシミシ、と嫌な音を立てながらもユキは顔色一つ変えずに拳を止めない。

 そして、拳を振り抜いた。

 ――ドン!

 まさに弾丸。大砲。男は陵介の目には留まらぬスピードで壁へと激突した。

 黒いフードはまだ、男の顔を隠すように被さっていて表情は見えないが力なく(こうべ)を垂れているところを見ると気絶しているようだ。

 ――勝った。

 陵介はその光景を見て安堵し、胸を撫で下ろす。

 今日はまだ、ユキが魔法を使っていないでくれたお陰で勝てた。

 紙一重だった。だからホッとする、安堵する。気が、緩む。

 それは陵介だけじゃなくユキも同じだった。

 ホッとした。安堵した。そして。

 ――気が緩んだ。

「!」

 初め、気付いたのは陵介だった。

 おかしい、と。

 壁に減り込む勢いで男は飛んで行った。なのに、

「ユキ!」

 壁は無傷でそこにある。

 まだ反転世界だ。

 机は壊れ。ところどころ戦いの最中壊れた箇所、物は存在している。

 なのに、壁だけが――

 そして、気付いた時には既に遅かった。

 後の祭り。

「ぐぁっ……」

 小さな呻き声。

「――きゃはは。この"風伯(ふうはく)"様を舐めるんじゃないよ」

「陵介!」

 気付かなかった。

 ユキは、気付けなかった(、、、、、、、)

 ユキは呼ばれた、だから振り向いた。

 なのに、そこには首を両腕で絞められて苦しんでいる陵介が居た。

 ハッとなって先ほど吹き飛ばした場所を振り返る。

 ――そこには何もなかった。

「いやいや、驚いた。やられた振りしなきゃいけないなーんてね」

「て、めっ……ユキに……」

「――きゃはっ、"灰かぶり姫"君はユキと呼ばれているんだねえ? いいねえいいねえ、人間っぽいじゃん。きゃははは。まあ、人間じゃないんだけどさ」

「ユキ、はっ、……にんげ、ん……ぐあ!」

「黙れよ、愚図。僕等は一般人には、ただの人間には確かに手は出さない。殺さない。だけど、お前は別だよ。僕等の邪魔をするだけじゃなく、魔女の味方をしてる反逆者。殺されないなんて楽観視しないほうがいい」

 冷たい声。先程までとは違う声色。

 愉快でも不愉快でもない感情のない平坦な冷たい声。その声を吐きながら男は両腕に徐々に力を込める。

 みしり、と陵介の首が、骨が、音を鳴らす。軋む。

「やられた振り(、、)って言っただろう? 拳は当たっていたさ。けど。それは見せ掛け。それに速さだけが取り柄だと思っていたようだけど、違う。僕は」

 そう言い男は両腕を離す。

 だが陵介の体は苦しみから解放されない。それどころかどんどん悪化していく。

「――"風伯"――つまり、風神。風が、僕の力さ」

 陵介の身体がふわりと宙へ浮かぶ。

 首を絞められた状態で身体は宙を浮き、足が地を離れる。

 苦しみは増していき、意識が遠ざかる。何も考えられずにただ苦しかった。

「君たちは僕の気配を察知出来なかったみたいだけど。風は便利だよ。気配を吹き飛ばしてくれる。知らなかったかい? 風を纏えば気配は自然と消えるのさ。まあ、纏える奴なんて僕しか居ないから分からないだろうけど、きゃははは」

 そう笑って、右手を陵介の方へ向ける。

 ぐっ、宙を握り潰すかのように力を込め、拳を作る。

「ぐあああああああああああ!!!」

 ミシミシ、何かが軋む音。陵介は自分の両腕を首へ持って行き見えない何かから抵抗するように自分の首周りを出鱈目に振り払う――が、それは宙を払う以上の効果は得られない。

「さて、"灰かぶり姫"。彼が苦しむ姿を何も出来ずに見るだけでいるのはどんな気分だい?」

 くるりと、男は笑顔でユキのほうへ振り返る。

 男の視線の先にはまるで見えない壁に閉じ込められたかのようにある一定の距離から陵介の傍へ近付けないユキの姿があった。

 口は何度も何度も開いているようだが何も聞こえない。

 手は見えない壁を叩いているかのように宙を何度も叩き付けている。

「風を上手く操れば色々出来るんだよね、それこそ壁を作ったり首を絞めたり……って、きゃははは! 風の壁の所為で声聞こえないんだっけ、きゃははは」

 ――迂闊だった。

 相手が何を言っているのか聞こえない。が、そんなの関係ない。

 陵介の顔を見る。まだ足掻く力はあるようだけど、顔色はもう限界だと分かるほどに悪い。

 むしろ死を前にしているからこそ残った力を振り絞って足掻いているようにも見えた。

 後の祭り。まったくもってその通りだと思う。

 気を緩めてはいけなかった。いつから? 倒したと思った時? いや、最初からだ。私は今日、陵介と出逢ってから本気で警戒していなかった。

 それに今更気付いた。

 きっと奴は"剣詩舞"に話を聞いてここに来たのだろう、確認しに。

 その事にもっと早くから警戒しとくべきだった。そうなるだろうと。

 陵介に泊まるように言われ賛同して正解だった。断ったままで居たら陵介は一人で戦う羽目になっていたところである。

 全てが全て今日は自分の油断が招いた惨事だ。

 速さだけ、だと思ったのも早計だった。

「君がさっき殴ったのは僕じゃなくて、今と同じ風の壁。飛んでいったのは風の力。ドン、って激突したように聞こえたのは僕がぶつかったんじゃなくて、風をぶつけた音。全部、風。ご都合主義ばーんざい……ああ、聞こえないんだよねー? きゃはははは」

 ああ、憎い。

 目の前に居る不愉快の男も非力な自分自身も。

 ああ、憎い。

 自然と顔が下がる。俯いてしまう。

 出来るならこいつを――こいつを――

「こいつを誰か……!!」

 自分じゃ無理なら自分では無理なら――

「倒して!!」

 俯きながら、今にも泣き出しそうに瞳を潤んで、願う。願う。

 願う。請う。頼む。託す。

 助けて、倒して、お願い、誰か。

 誰か誰か誰か誰か誰か――

「――同胞の願いならば仕方あるまい」

「!」

 風が止んだ。

「――そして、御機嫌よう。"風伯"――ケイロン。身体の調子はどうかね?」

 顔を上げた。

 そこには先程まで風の壁があった筈の場所。そこにさらさらした綺麗な長髪、それに長身、スタイル抜群というモデルのような、絵に描いたような美女がそこに居た。

 しかし、服装は妙だった。

 妙、というか現代風ではない。

 それはまるで西洋の昔話に出てくるような灰一色の――恐らく銀色であろう綺麗な綺麗な鎧、腰に下げているレイピア。それがその女性には似合っていて、しかしそれがあまりにも場違いで。しかしそれでも、眼を逸らさずにはいられない。そんな魅力がそこには、女性には、あった。

「……"ジャンヌダルク"――魔女共の英雄、……メイ」

 男が苦虫を噛んだような表情で呟く。

「ははは。メイ、か。その名で呼ばれるのは懐かしいな。しかし、私には似合わなくて照れ臭い」

 "ジャンヌダルク"――メイと呼ばれた女は男の言葉に苦笑を浮かべながらも満更でもない声色で言う。

 だが、その女の態度に男の表情が変わっていく。

「くっ、なんでお前がここに!」

 明らかな動揺。それこそ怯えているに近い。恐怖がその顔にはこびりついている。

「英雄、だから、かな」

 やれやれ、と女は肩を竦ませる。

 男の表情には触れない。気にしない。――興味がない。

「ときに"灰かぶり姫"」

「は、はいっ」

 突然の出来事に呆気に取られていたユキは突如呼ばれ慌てて返事をする。

 咄嗟の事で、それに相手の放つオーラが凄くて、自然と敬語が出た。

「――助けたぞ」

 一瞬、何の事か分からなかった。

 だが、一瞬だけだ。

 気付けば後は速い。

「陵介!」

 風が止んだ。壁がなくなった。なら――

 床に転がっている陵介の元へ急いで走る。

 男の横を通り過ぎるが気にも留めない。お互いに。

 ユキは陵介しか見えてない。

 男はメイしか見ていない。

 だから故に、二人はお互いを気にしない。

 陵介の元へ辿り着いたユキは陵介の体を起こす。

 呼吸はしてる。脈は乱れているが問題ない。顔色はまだ戻ってはいないがさっきよりかは良くなっている。ただ気を失っているだけのようだ。自然と安堵の息が漏れる。

「よかった」

 自然と声も漏れた。

「さて、ケイロン。久しぶりの再会だ。――ダンスでも一緒に踊らないか?」

 メイはユキが陵介の元に辿り着いたのを確認し、口を開く。

 久し振りの宿敵との再会だ。口元が緩む。

 今まで上手い事逃げられてきたが、今日こそ此処で。

 そう思いレイピアを鞘から抜く。細いしなやかな刀身が輝きを露にする。

「――死のダンスだがね」

 にやり、口元を歪める。

 男――ケイロンの肩越しから見えるその歪な笑みを見たユキは思った。

 死神だ、と。

「……君が一人で踊ってくれるのかい?」

「ははは、一緒に、と言った筈だよ」

 そう言い残すと、メイは動いた。

 速い。

 一瞬の間に間合いを詰めると右手を、レイピアをケイロンに向けて突き出す。

 それを咄嗟に紙一重でケイロンはかわす。避け切れなかった髪の毛が数本持っていかれたのが視界の隅で確認出来た。

 だが、そんな回避の余韻に浸っている暇を与えてくれず、レイピアによる突きが五月雨のようにケイロンを狙う。

 それは圧巻だった。圧倒的だった。

 ケイロンは避けるので精一杯。その上、完全に避け切れずに軽傷ではあるが確実にケイロンの身体をレイピアが掠める。

 ケイロンは避けるしか出来ない。それも長くは持たない。ジリ貧だった。

「くっ……風さえ、風さえ使えれば……!」

 呼吸を乱し、額に汗を流しながらケイロンは叫ぶ。

 風さえ、と。

 ケイロンは先程から風を操っていない。

 その為、スピードはユキと戦っていた時とは違い、遅い。それでも普通の人間と比べたらかなり差はあるが。

「使いたいか? だが、無理だな。そこまで私は優しくはない」

「くそっ……!!」

 それでも、と力を込める。

 このまま何も出来ずに終わらせてたまるかと、致命傷なんか狙わない。たった一撃何でもいい。攻撃を当てる事だけに集中する。

 集中力を上げる。避ける以外の事に意識を割く。

 右、左。突きは線ではなく点での攻撃。それを眼で追う。只管に追う。すると徐々にではあるがレイピアの動きについていけるようになっていった。

 右の拳に力を込める。

 カウンター気味に相手の面へ拳をぶち込むべく。

 しかし、

「当たらなくなった、か。ならば、少し速くしよう」

「なっ!?」

 ぐん、と速度が上がる。

 耳障りな風切り音がやたらと響く。

 右、左。上、ひだ——

「追い、付かっ——」

「それはそうだろう」

 顔を右に反らす事でなんとか刺突を避ける事に成功する。

 が、次の瞬間、ケイロンの眼前にメイの顔が迫る。にい、と唇の両端を釣り上げた笑みに恐怖を覚えるが本能が全力でアラームを鳴らした事によって咄嗟に後ろへ下がる。

 すると顔が合った位置をメイの足が通り過ぎる。

「蹴りまで使うのかよ!」

「なに、得物はこれだけじゃないのは当たり前だ」

 そう言って瞬時に突きが放たれる。それを避けようとするが頭で理解していても体は反応してくれない。

 ならば、と体勢が悪い事を理解した上で崩れるように後ろへ倒れ込む。

 体勢は立て直せそうにない。次の一撃は避けられそうにない。

 額の汗が落ちる。

 頬を伝い、顎から滴る。滴る滴る。溢れるばかりで一向に減る気配はない。

 呼吸も乱れ始め、顔色も良くない。追い詰められていた。

 だから、である。追い詰められていると自覚していたから。殺されると確信したから、

「"剣詩舞"!!」

 ケイロンは救いを求め、彼を呼ぶ。

 するとその声に応える様にケイロンを黒い光が包んだ。

 また(、、)一撃も相手に攻撃を入れる事が出来なかった自身の無力さを唇から血が滲む程強く噛み締め、ケイロンはメイの姿をしっかりと睨み付けた。

「……チッ。またその逃げ方か。芸のない奴等だ」

 黒い光はケイロンを包み込むとそのままケイロンと共に消え去った。

 それとほぼ同時に世界に色が戻ってくる。反転世界が解かれたのだ。

「ふう」

 メイは息を吐く。多少は疲れたのだろう。首を軽く回して心地良い音を鳴らす。

 色が戻りメイの髪が金髪で、鎧は銀だとユキは知った。素直に美人だと、女のユキでも見惚れてしまう美貌だった。

「さて、"灰かぶり姫"――初めまして、だな」

 くるり。身体を百八十度回転させユキへと視線を移す。

 その行動さえも美しく見蕩れるには十分な仕草である。

「私はメイ。名は"ジャンヌダルク"だ。よろしく頼む」

 そう言って微笑みながらメイはユキに手を差し出した。

 ユキはその手を見詰めながらただただ呆然とその場に佇む事しか出来なかった。

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