決意
あと1話で終わるかなぁ?
どうだろう。
牧谷邸はS高校から西へ自転車で15分程度の距離にある。市内中心部で、地元では有名な中華料理店のすぐ近くだ。この時代の地方都市とはいえ、道路の舗装もほぼ行き届いているエリアだけに、車も行きかってそれなりの賑わいを見せている地区だ。門の前に自転車を停めてインターホン――この当時では洒落た設備だった――で来意を告げると使用人の源二が門を開け枝松を招き入れた。
「あの、牧谷君の様子はどうですか?」
当たり障り無い質問に重い意味を込め――あの不可解な痙攣とその後の変容に対する疑念だ――源二に問いかけた。
「はい、御帰宅後に病院で診察を受けてからはずっとお休みです」
「そうですか。で、お医者さんは何と? 」
「精神的な疲れから来る一時的な記憶の混乱を伴う発作ではないかという事です。受験も控えた時期ですし、旦那様とも多少・・・いや失礼しました」
裕福な家庭でも――いや。だからこそだろうか、家庭の事情というヤツがあるようだ。助け合わなくても十分やって行ける。その安心感が不協和音を家庭にもたらすのかも知れない。自分の様に助け合わなくてはやって行けない家庭とは違う形の苦労があるのか。そんな事を考えながら牧谷は廊下を歩いて源二に付いて行く。磨き抜かれた柱や床材。長い年月を経て重厚感を増しているのだろうか、ずっしりとした存在感がある。一歩毎に足を押し返して来る感触もまた通行者に安心感と満足感を与える。こんな邸宅に生まれ育てば牧谷の父――和久氏の様になれるのだろうか? 自信に満ち、余裕に溢れた立ち居振る舞いが厭味でも無く尊大でも無く、ごく自然で品の良い紳士に。
程無く牧谷の私室前に到着した。源二が膝をつき,中の正明に枝松が見舞いに来た事を告げると
「ああ、僕なら大丈夫だ。お通ししてくれ」
源二が障子を開け、枝松を通す。
「やぁ、具合はどうだい? 思ったより顔色は良さそうだけど」
「まぁまぁって所かな。医者が言うには色々と疲れが溜まってるんだろうって事だけど・・・源二、何か飲み物を」
源二が叩頭しながら障子を閉じて下がるのを見届け、牧谷が声を潜めて話し始めた。
「なぁ枝松。いくら疲れが溜まったからって・・・君が見た様な症状が出ると思うか?」
牧谷が早退する際に医者に説明する必要があろうと、一部始終を説明した(もちろん言葉を選びながら)のは枝松自身である。
「正直・・・考えられないな。無論、僕は医者じゃ無いからこの考えが正しいと保証出来ない。だけど、残像が残るほどの痙攣だなんて常識的に考えられない。人間の動きが残像を残すなんてマンガの中だけさ。それよりも関節は大丈夫か? 相当に負担がかかってるハズだぞ」
「やっぱりそうだよな。有り得ない。医者もその点については気のせいか見間違いだと言っていた。いや、君が見間違えたとか言ってるんじゃ無い。目の当たりにしないと信じられないだろうって事さ。そしてソレ程の事が実際に起きた。ソレが問題なんだ。関節は大丈夫だ。多少の痛みはあったけど、もう心配無い」
「そうか、関節の方は安心しておくとして・・・有り得ない事が起きた。ソレをどう解釈すべきかって事だな」
いよいよ本題に入ろうとした所で源二がお茶を持って来たので二人は話を止め、茶をすする。枝松には茶の名前は分からないが、味も香りも別次元のモノだ。しかも熱過ぎもせずぬるくもない丁度飲み頃の温度。たかがお茶一つでもこんなに違うモノなのか。枝松が感動している間に源二を下がらせた牧谷が話を戻す。
「普通に考えれば人間の動きで残像を作るなんて事は有り得ない。プロボクシングの試合でも空手の試合でもそんな現象には御目にかかれないからね。痙攣と言う事を差し引いても・・・上半身全体でもそうなっていたんだよね? やはり有り得ない。でもそれが起きた」
「常識を超えた何かが君の身に起こった・・・ソレはなんだろう?最近君の周りで何か――そう、科学や常識と縁の遠いような出来事とかは無かったか?」
「特にコレと言って・・・せいぜい父が宗教団体のスポンサーになったぐらいしか無いな」
「ソレって『星の智慧派教会』の事か?」
「ああ、知ってるのか?」
「野崎が君にその話を聞こうとして来たんだよ。僕には正直、良く分からなかったけど」
ならばと牧谷は自分が知る限りの事を語り始めた。アメリカで異端とされ弾圧・追放されたらしい事。現地では信徒数からは考えられないほどの巨大な施設を保有していた事。何かおぞましい儀式や教義を持っているらしい事。<丘の上に現れた宇宙的なもの>とか<大いなる旧支配者>とか呼ばれるものを崇拝しているらしい事。そして――輝くトラペゾヘドロンと呼ばれる秘宝を保有していた事。
「輝くトラペゾヘドロンだって?」
「ああ。偏方多面体って感じの意味になるのかな? 10㎝ほどの大きさで黒くて表面には赤い筋が所々入っているらしいんだけど・・・」
「いや、そうじゃ無くて。発作後に君の様子が変わったって言ったろ? その時に君が言ったんだ。ええと・・・そう、『輝くトラペゾヘドロンが放つ波動が~』って」
「なんだって・・・? 僕はそんな状態で口にするほど、ソレに対して思い入れはないぞ? なのにそんな状態で口にしたのか? それに波動ってなんなんだよ。なんだか・・・腑に落ちない事ばっかりだな」
二人は何か自分達の知らないところで得体の知れない、名状しがたい恐怖に満ちた企てが行われているのではないかという疑念を抱き始めていた。単なる病気ならまだいい。だがコレが古代から連綿と続くオカルトや魔術の類だとしたら? 普段なら一笑に付した事だろう。この科学文明の世の中で何を言っているのかと。東京オリンピックも終わり高度経済成長を迎えている今オカルトや魔術など、オマジナイ好きの女子の間だけで生き残っている様なものではないか。
そんなモノが生まれた時代からすれば、ラジオやテレビの方がよっぽど不思議な現象だろう。だが今日、枝松は自分の目で有り得ない現象が友人の身に起きた所を目撃したばかりだ。また輝くトラペゾヘドロンという聞き慣れないものが奇妙な符合を示した。コレは何を意味するのか? 分からない事だらけだ。それだけに根源的な暗黒を思わせる恐怖を感じざるを得ない状況だった
。
「とにかく様子を見るしか無いんだろうな。君を疲れさせてはいけないから今日はもう帰るけど・・・もしまた同じ事が起きたら、少しでもいいから状況を探るんだ。確か真っ暗やみの中に居たんだよな? その中をとにかく調べるんだ、安全な範囲で。そういやって手がかりを探る以外に手は無いと思う」
「同感だ。やってみるよ。でも、もう起きない事を祈るがね」
二人とも不安を振り払うように笑い、枝松は牧谷邸を後にした。だが牧谷の祈りもむなしく、毎日のように発作は起こり続く。
人が変わったように見える時間は日増しに増えて行き、行いも目に見えて変わって行った。酒を飲んだり海泡石のパイプをふかしたり、車を運転して捕まる事もあった。これまでの牧谷を知る者からすれば信じ難い事ばかりだが、地方都市の常で噂は瞬く間に広がって行った。だが周囲の人々は人が変わった様な行いの直後に見せるふてぶてしいと見える態度と、本来の人格(と見える)の時に見せる相変わらず穏やかで誠実な態度とのギャップに困惑するのだった。そんな中で枝松だけは牧谷を疑う事はせず、変わらぬ付き合いを続けていた。
牧谷の豹変ぶりを単なる素行不良などではなく、得体の知れない怪奇な現象と捉えていたからだ。そしてソレは日々の牧谷との会話で確信を深めて行った。決定的なのは発作の間に体験する暗闇の中で輝くトラペゾヘドロンを思われるモノを発見したと聞いた時である
。
「いつも通り暗闇の中でテーブルの前に座っているんだけど、今回はテーブルの上を手探りで調べてみたんだ。何があるか分からないからゆっくりとね。意外に大きいテーブルのようで、ざっと横2m縦1mぐらいだろうか。分厚い本や紙の束もあったんだけど、内容は分からない。明かりが無いからね。そして恐らく椅子の反対側だと思うんだけど・・・箱があった。手探りで形を探ると洋風の宝箱の様な形でね、表面はスウェードの様な感触だったよ。鍵はかかっていなかったんで開けてみた。そうしたら・・・・黒いいびつなカットを施された宝石があったんだ。表面にはいくつか赤い筋が走っていて、7本の支柱で箱の中に浮かぶ様な形で固定されていた」
「おい、ソレって・・・」
「そう、以前言った輝くトラペゾヘドロンの描写にピッタリだったんだ。多分間違いないよ。異様な雰囲気も感じたし。何よりも真っ暗やみの中で輝きを放つなんて有り得ない。宝石や金属が輝くのは光の反射だけど、真っ暗闇なんだぜ? それに箱の中を照らす程の輝きだなんて・・・」
「こうなるとその教会が俄然怪しくなって来るな」
この頃にはもう教会施設の建設は終盤に差し掛かっていた。遠目にも分かる大きな木造3階建て。中央には尖塔がそびえる。木造でそんな造りは珍しいが、司祭の強い要望でそうなったらしい。一度覗いてみよう。もし司祭が居れば少し話を聞いてみよう。それとなく。枝松は独自調査を始める決意を固めた。
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割と理屈っぽい展開と言うか説明になってます。
ラブクラフト御大が結構科学志向な所があったりしますんで(「狂気の山脈にて』とか)、まぁいいかなと。