異変
予定を超えて全4話ぐらいになりそうな勢いです。
冬が終わる頃。日向にいれば少しは暖かいと言うぐらいの日。
枝松と牧谷は昼休みの間、校舎の裏手にいた。コレは別に珍しい事では無く、いつもの事だった。二人はチャイムが鳴ると同時に弁当を持って出て行き、昼飯をパクつきながら論を交えるのがお決まりだった。だがこの頃になると当初の様な激しいやり取りでは無く、極めて冷静な展開になっていた。互いに相手をやり込めるのではなく、持論の完成度を高める為の議論とでも言うべきか。まず自分の主張を聞いてもらい、欠点や矛盾点を指摘してもらう。そしてソレを改善するために知恵を出し合う。互いに認め合い信頼し合っていなければ出来ない事だった。それぞれのイデオロギーこそ変わらないものの、もはやソレを押し付け合う事もなくなり、自分の主張をとことんまで聞いてくれる稀有な存在に変わっているのだった。
この日は「自由主義経済を進めれば必ず経済格差が生じる。それを何処まで教養するのか」というテーマについて話し合っていた。弁当も食べ終わり枝松が自分の考えを展開している最中、ソレは突然牧谷の身に起こったのだ。信じられない原初的な恐怖をもたらす変化が。
「――まず格差をどういう基準で考えるかなんだよ。絶対的な金額で以てするのか。例えば年収いくら以下なら貧困とするとか。或いは平均値を出してそこから何%、いや何分の一でもいいけど、ソレ以下を貧困とするとか。いや、これだと毎年やらなきゃいけなくなるな。貧困と普通を行ったり来たりする人も――」
「うぐぅっ!! 」
突然牧谷が胸を押さえて呻いた。
「おい、どうした!?」
枝松が肩に手をかけようとする間も無く、牧谷の体が続け様に痙攣する。あっと思ううちに痙攣は酷くなり、我が目を疑う程に――残像を残すほどになっていた。
こんな動きに人間の体が耐えられるものなのか? 骨格は砕け筋肉も断裂するのではないか? そう考えた枝松は牧谷の体を押さえつけようとしたが、振り回された左腕が当たっただけで跳ね飛ばされてしまった。二人とも細い方だが、一人の人間を片腕で跳ね飛ばすとは尋常では無かった。しかも座ったままで。
自分一人ではどうにも出来ない。だがココからでは誰かに応援を頼んでも皆に声が届きにくい。誰かを呼びに行くしかないが、こんな状態の牧谷を一人残して大丈夫なのか?枝松が逡巡している間に痙攣は徐々に断続的になり、20秒ぐらい経った頃だろうか――枝松にとっては途轍もなく長い時間に感じられたが――牧谷の動きが止まった。座ったまま頭を垂れ、完全に脱力した状態だ。
「お、おい・・・牧谷。大丈夫か?」
答えは無い。緊張感に満ちた沈黙が周囲を支配する。耐えられなくなった枝松が再び声をかけようとした時、牧谷が目を開いた。
「やった・・・・・やってのけたぞ。やはりそうだ、あの輝くトラペゾヘドロンが放つ闇の波動を取り込み上乗せしなければ私には出来んのだ・・・。アレさえあれば奴の助力など・・・」
ああ、そう呟く牧谷の顔。人間の顔がこうも歪むものなのだろうか? 確かに顔立ちは牧谷のものだ。だがその表情。まるで極上の魂を見つけ、ソレを堕落させる喜びに浸る悪魔を彷彿させる非人間的な笑み。
「おい・・どうしたんだ? 牧谷」
ハッとして枝松をみるや目を閉じ小さな声で何かブツブツと呟く牧谷。すると再び残像が残るほどの痙攣が始まり――終わった。ぐったりとした様子の牧谷が周りを見渡す。
「ここは・・・・そうか、学校だ。僕はどうしたんだ?」
「こっちが聞きたいよ。何も覚えてないのか?」
「覚えて無いというより、何も見えなかったんだ。君の話を聞いていると急に気が遠くなって・・・まるで意識が体から引き剥がされるような感じがして。気が付いたら真っ暗やみの中にいたんだ。そう、椅子に座っていた。テーブルもあったように思う。両腕が何かに乗っていたから。妙に湿っぽくてカビ臭いニオイがしたな。なんだかよく分からないよ」
「分かる方がどうかしてるよ。きっと疲れてるんだ、今日は早退して病院に言った方がイイ。駅前のM病院にでも行けよ、なんなら付き添いしてやるぞ?」
「よせよ、子供じゃあるまいし。だが忠告は聞いておくよ、ありがとう。担任に言って来る」
ややよろめきながら歩いて行く牧谷を見送りながら考える。
――本当にそうか? 疲れているぐらいであんな常軌を逸した痙攣が起こるものなのか? 確かに白昼夢とか、てんかん等は実在する症例だ。だが残像が残るほどの痙攣など常識では考えられない。一体牧谷の身に何が起こったのだ?
昼休みが終わろうとする頃、牧谷が早退するのを見送り教室に戻った枝松のもとに隣のクラスで「ゴシップ係」とあだ名される野崎がやってきた。色々とヤバいネタを書きとめているいるとされる彼の手帳を巡って、教師達とPTAが暗躍していると言う噂もある。
「牧谷は早退?」
「ああ、調子が悪いみたいなんだ」
「そうかぁ、聞きたかったんだがな。教会の事」
「教会?なんだ、この辺りにもとうとうキリスト教がやって来るのか?」
「ソレは教会堂。本来は『宗教集団』ぐらいの意味なんだぜ? まぁ教会が所有する建物も『教会』って呼ぶみたいだけど」
「へぇ~、ソレは知らんかった。で、ソレが牧谷と何の繋がりが?」
「ああ、今K村で大掛かりな建築工事してるだろ? 『星の智慧派教会』って宗教の施設らしいんだけど、ソレのスポンサーが・・・」
「牧谷んトコ?」
「その通り」
野崎がぐっと親指を突き出しながらウインクする。
「ふ~ん・・・じゃ、帰りに見舞いに行くから聞いてみるよ。知ってるかどうかは分からないけどな」
「おお!! 知名度ゼロの宗教に何でスポンサードをしたのか聞いてくれ! 宜しく頼む!!」
「確かに不自然じゃあるな。信心深いと聞いた事も無いし。まぁ聞いてみるよ。」
都合のいい事を言いながら立ち去る野崎を目で追いながら、枝松は内心で肩を落としていた。代々続く資産家である牧谷邸は枝松に拭い難い劣等感を与えるのだ。軽く300坪はありそうな敷地。高級木材を惜しげも無く使った重厚な数寄屋造りの屋敷と調度品。住み込みの使用人が手入れをする庭の片隅にある土蔵。どれもこれも枝松にとっては物語の中にしか有り得ないものだった。そんな邸宅を一人で訪ねるのは単身異次元空間に乗り込む様なものだった。しかも「スポンサー」等と言う一生縁の無さそうな事を聞かなければならないのだ。だが、先刻目の当たりにした牧谷の異常な痙攣が気になって仕方が無い。そこから来る使命感が枝松の背中を押し、授業が終わるやすぐさま牧谷邸に向けて歩き出した。