図書室で
クトゥルー奇譚②の続編と言う設定です。前作は読まなくても大丈夫です・・・多分。
それほど絡まないと言えば絡みませんし。ヒロインが何故魔道書を読み込むのか、その動機付けぐらいな感じですので、それほど気にしなくても大丈夫・・・なハズです。きっと。
学生運動の下りについては、さすがにリアルタイムに経験したワケではありませんので、ネットで調べた程度です。お手柔らかにお願いします。
O県S市にある県立S高校。その図書室の片隅に倉科京子は居た。テーブルには数冊の本が積み上げられていた。いずれも古びた黒革張りの装丁が施されている。金文字で書かれた書名を見ると「無名祭祀書」「エイボンの書」「セラエノ断章」「ナコト書本」「屍食教典儀」「ルルイエ異本」等の文字が並ぶ。
人格を疑われかねない様なタイトルもあるが、彼女は全く気にした様子も無い。2011年4月に高校3年生になった京子は、平均的な体形だが同級生達よりもやや女らしさを感じさせる雰囲気を纏っている。いわゆる「色気」では無く「女らしさ」だ。そのせいか男子に隠れファンがいるという噂もある。色気のある女の子は同性に嫌われるものだが、彼女にはそれは無かった。あまり目立たないキャラクターのおかげと言えるかも知れない。友達は多くない方だし、男子と気さくに付き合う方でも無い「大人しいタイプ」の女の子。1年前の同時期に幼馴染の長田智之を奇怪な事件(クトゥルー奇譚②のエピソード)で亡くして以来、この図書室でこれらの本を読み漁る様になっていた。
このいわゆる「魔道書」の類は貸出禁止になっている為だ。何故普通の高校にこんな本――個人による書き写しを製本したものだが――が有るのかは不明だ。敢えて推測するのならば、このS市という土地柄に関係があるのかも知れない。ここは旧石器時代から縄文時代・弥生時代の遺跡も多々ある事で知られている。特に西部では道路工事などで少し掘ればすぐに遺跡が出て来るので、なかなか工事が進まないという始末だ。
そんな地域では古い因習やしきたり、古代から続く言い伝え等も多いし、人々の想像力を刺激する様な――奇怪な出来事も多かろう。それらに関する研究の為に、こういった魔道書が集められたのかも知れない。
京子が「エイボンの書」を読み耽っていると教頭の枝松雄一がやって来た。彼はよく校内を見て回り、生徒達とも気軽に話すので校長よりも存在感があると評判である。だが定年も近く校長に出世する見込みはもう無い。彼に校長をやって欲しいとの声も大きいが、周囲のそんな声も本人は全く気にしていない。ただ一つ奇妙なのは彼が教師になって以来、ただの一度もこのS高校を離れた事が無いと言う点だった。
「やぁ倉科君・・・だったね。いつも熱心でいい事だ」
「あ・・・教頭先生。こんにちわ」
京子は「マズイ!」と言う顔でエイボンの書を閉じながら一礼した。やはり受験生が魔道書を熱心に読んでいると教頭に知られるのは幾ら何でもマズ過ぎる。
その表情から察したのだろう、京子の正面の椅子に座りながら語りかけた。
「いや、気にする事は無い。若者が何かを研究するのは良い事だし、何を隠そうそのエイボンの書は私が製本して寄贈したものなのだよ」
「ええっ!?教頭先生が?」
「ああ、巻末の奥付を見てみたまえ」
奥付を見てみると確かに「1974年 枝松雄一 製本・寄贈」となっていた。
「どうして教頭先生がコレを?」
当然の疑問に枝松は笑顔で答えた。
「話せば長くなるが・・・時間はいいかね?」
「はい」
「うむ。実は私は地元の生まれだが、家庭は貧しくてね。早くに父を無くしてしまったのだよ。父は戦争には行かなくて済んだが、まぁ激動の時代というやつでね」
「そうでしたか・・・」
「そんな私に希望を与えたのが福沢諭吉が著した『学問のススメ』だった」
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずのアレですね」
京子は参考書で読んだ事をそのまま口にしてしまった。
「ふむ。どうやら読んだ事はなさそうだね」
「え・・・分かるんですか? って言うか違うんですか?」
「教師の務めだ、説明しておこう。正確には『天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らすと言われているが実際は違うではないか』と続いているのだよ。『現実には人の上に立つ者がいれば人の下に付く者がいる。支配する者と支配される者がいる。その差は学問の有無から来るのだ』としている。万人平等を語ったものではないのだ。だからタイトルも『学問のススメ』なのだよ」
「スイマセン。不勉強でした」
恥じ入る京子に枝松は
「いや謝る必要など無い。学校でもきちんと教えないからね。で、私はソレを小学校の図書室で読み、いたく感銘を受けた。この貧しい境遇から抜け出すには学問を身に付けるしかないのだとね。そしてひたすら学問に打ち込んだ。本など買っては貰えなかったので学校でね。担任の先生にもかなり迷惑をかけた事と思うよ」
屈託無く笑う枝松に京子は親近感を感じながら応じた。
「いえ、御立派です。私も見習わないと」
「いや見習うべき人物は私などではないよ。・・・そして私は奨学金のおかげで高校に行けた。 このS高校にね」
「ええ!? 教頭先生はここのOBでいらしたんですか!?」
「そうだよ。そして私はここで運命の出会いと別れを経験をしたのだ。無二の親友との・・・ね」
枝松は遠い目をしながら語るのだった。過ぎ去った遠い日の、恐ろしく、そして奇妙な日々の事を。
1969年4月。枝松少年は奨学金制度のおかげで県立S高校に入学できた。学力は文句の付けどころが無かったが、問題は学費だったのだ。明治24年に私塾として始まったこのS高校は当時から進学校として知られていた。歴史が古いだけにいわゆる「学校の怪談」も多かったが、やはり実績が物を言うのはいつの世も同じだ。立身出世を目指す枝松少年が選ぶのも当然と言えた。そして希望と野望を胸に抱いた枝松は、入学初日に自分と正反対の少年と同級生として出会う。地元では有名な資産家・牧谷家の長男正明である。何不自由無く育って来た彼は枝松にとっては羨望と嫉妬の対象だった。
「恥ずかしい話だがね、当初は彼に対する嫉妬から彼に反発――いや、理不尽な憎しみさえ抱いていたのだよ。我ながら情けない限りだ」
「いいえ、それは仕方ないと思います。私だって、そんな生まれながらのお金持ちって人を目の前にしたら・・・羨むか媚びるかするかも知れません」
「君ならそんな事はあるまい。目を見ればわかるよ、それだけの経験は積んで来たつもりだ」
枝松は穏やかにほほ笑みながら、柔らかい口調で話しかける。それがこの人を信頼させるのだろう。京子はそんな事を考えながら聞いていた。
「牧谷は経済力からでは無く、自らの人柄と能力とで人望を得ていた。私がそれに気付くのが遅れたのは愚かな偏見と嫉妬からだが・・・加えて大した情熱と弁舌の持ち主だった。君は学生運動というものを聞いた事はあるかね?」
「・・・たしか東大とかをバリケードで封鎖したりしたアレですか? 」
「そうだ、よく知っていたね。ソレが燎原の火の如く広がり、この県内のO大学でも死傷者を出す騒ぎにまで発展した。それらは主に反権力を掲げた学生達の反発と言えたのだが・・・」
「だからと言って、死傷者を出していい理由にはなりません!! 」
珍しく京子は声を荒げた。不可解な事件で智之を失って以来、彼女は人の命と言うものに対して非常に敏感に反応するようになっていたのだ。だがソレも枝松は柔らかく受け止める。
「君の言うとおりだ。だが彼らも望んで人を傷つけたのでは無いと思う。若さと情熱が暴発した結果なのだ。無論ソレが免罪符にはなるわけでは無いが、権力への反発が目的なのであって、人を害する事が目的だったワケでは無いと思う。そこは区別しておくべきではないかね?」
「あ、ハイ。すいません、つい・・・」
「いや、いいのだよ。君の優しさから来る怒りである事はわかる。話を戻そう。学生運動そのものは戦前からあったのはあった。だが第二次大戦で消滅してしまったが、大戦後に再び起こった。学生運動家は日本共産党がバックにいたのだが、安保闘争や羽田闘争、東大闘争やベトナム戦争反対運動の頃までは支持されていた。が、内ゲバや武装の拡大などで次第に国民からの支持を失って行った」
「そうなんですか・・・平和の為や、差別をなくす為に活動していたんじゃなかったんですか? 」
「そのハズだったんだがね、世界反戦デーで火炎瓶や投石で東京がほとんど市街戦状態になったり、バリケード封鎖解除に出動した機動隊員が、重さ16kgのコンクリート塊を頭に落とされて死亡したりと、凄惨な事件が続いたんだよ。理想の為なら何をしても良いワケではないさ」
「そんな事・・・そんな事が彼らの理想とする世界に必要だったんでしょうか? 信じられません」
「さてね・・・自分を絶対の正義と信じた者が最も残酷になるとは言うが。そんな荒れ狂う情熱の嵐は、一部ではあるが地方都市の高校生達にまで広がりを見せた。牧谷もその影響を受けた者の一人だった」
牧谷家は昔、O藩城主を相手にした商いで財を成した家系である。当然の様に様々な人々が出入りする。中には異様な風体の者も散見されるという話である。そんな中の誰かに吹き込まれたのか、或いは別目的で牧谷家を訪れた者からたまたま話を聞いたのかは分からないが、牧谷正明は差別や世の中の不平等を無くす事に情熱を傾ける様になって行った。高校1年生の秋頃の事だった。
「皮肉な事に何不自由無く育った牧谷が富の偏在を無くすべきだと主張し、貧しい家庭に生まれた私がソレを不可能だと反論したのだよ。コレこそが世の中の不条理を象徴しているだろう?」
言葉も無い京子。
仕方ないのかも知れない。彼女には想像もつかない生々しい情熱のぶつかり合い。いくら時代が違うとはいえ、本当に自分達と同年代の高校生の話なのだろうか? 確かに自分も魔道書の研究と言う普通ではあり得ない事に没頭しているが、枝松の話は現実世界に根ざしているだけに圧倒的なリアリティがあった。それに比べると本当にやっているとは言え、魔道書の研究は虚構の世界の事なのではないかと自分で疑う瞬間さえあった。
「私と牧谷は暇さえあれば議論していた。同じクラスだったしね。お互いにどうしても譲れない部分があったから、余計に対立していた。牧谷は理想を、私は立身出世という夢を守らなければならなかった。彼の言う万人平等の世界になってしまっては出世などあり得ないからね。持たざる者が大半を占める世界で富を平等に分配すれば、皆が平等に貧しくなるのは目に見えている。それでは私は最初から最後まで貧しいままではないか。少しぐらいいい目を見させて欲しい。それが人間ではないか? 万人平等と言う理想は確かに素晴らしい。だがソレは皆が等しく豊かにならねば意味が無い。何故ならその世界では努力や成功は認められないのだから」
京子は何も言えなかった。今までそんな事――理想の社会など考えた事も無かったのだ。翻って今の学生達はどうだろう? 考えているのは遊ぶ事、就職の事や恋愛の悩みばかりではないのか? いや、皆が皆そんなワケは無い。スポーツや勉強、ボランティアや芸術に熱中している若者も数多くいる。自分は旧支配者の事ばかりだが。
「そんな私達の議論は冬頃にはクラスの名物になっていた。どちらかが風邪か何かで欠席すると妙に落ち着かなかったものだよ。変な親近感と言うか、いささか照れ臭いが・・・友情の様なものがいつしか生まれていた」
お互いに譲れないモノを守る為に本音をぶつけ合い、張り合って来たライバルとでも言うべき二人に連帯感が芽生え、お互いを論破すべく相手を知ろうと努力した結果と言えた。やっと安堵のため息をついた京子に枝松は不吉な言葉を投げかける。
「だが、冬が終わる頃だったろうか・・・牧谷は時折妙な変化を見せる様になったのだよ。そう、まるで別人の様な。油の様に粘液質な妖気を漂わせて」
続く。