最初の上司ガチャ、当たりだったかもしれない ~亡き父の思い出~
小学校5年生のころから父の仕事を手伝ってました。父が私の最初の上司です。
私はおしゃべり好きです。初対面の人とでも、話題に困ったことはありません。「こんなにしゃべったのは初めて」ともよく言われます。「お前喋りすぎ!」も頻繁に言われますが…
もしかしたら、亡き父から受けた英才教育の成果かもしれません。
私の父は、ガスの配管工をしていた。19歳から60歳過ぎまで、40年以上。最初は会社員。その後、独立してフリーランスの職人。
ガスの配管工は、いろんな場所に行かなくてはいけません。
宗教施設や高級リゾート地の別荘。暴力団事務所や保育園に病院。もちろん一般住宅やアパートも。
不審者と思われては、家に上がらせてもらえません。実際、詐欺師や泥棒に間違えられ通報されるケースもあります。
暴力団事務所で、殴られそうになったこともあるそうです。
父が仕事をしていた昭和や平成初期は、今と違って身分証明書なんてありません。
信用は、自分で勝ち取らなければいけません。誤解されたら、自分で解かなければいけない。
そのためか、非常にコミュニケーションが上手い人でした。
私は小学生のころから、父の仕事の手伝いをしていました。
父はいろんなことを教えてくれました。
例えば、個人宅訪問の心構え。
~家を褒めちゃだめだぞ。どんなに豪邸でもだ。いろんなご家庭がある。引っ越し出来な人。先祖から受けついだ家が、嫌いな人。散らかっていても、豪華でも見ぬ振りだ。
褒めるとしたら庭にしなさい。そこにある花は、住んでいる人が植えた花だ。庭木が綺麗なのも、日ごろから手入れしているからだ。庭を褒められて、嫌な気分になる人はいない。~
またお客様への対応も、徹底的に注意されました。
~父ちゃんは絶対に、相手の顔を褒めない。お前はまだ、女の子だから良い。褒められて気を悪くする人は、男でも女でもそんなにいない。
でも父ちゃんみたいな大きな男が、女の人に『美人』と言ったら、それだけで相手は怖い。
※父は高身長でした。
それに容姿は、親からのもらい物だ。褒められても、それほどうれしくはない。
褒めるとしたら、持ち物を褒めなさい。指輪でも時計でも良い。それは相手が自身で選んだものだ。センスを褒めることになる。男女関係なく喜ばれる。~
そして初対面の人とスムーズに会話するトピックも教えてくれました。
~相手の出身地を尋ねると良い。仕事や出身校は、聞かれたくない人が多いし気まずくなることも多い。でも出身地なら、無難だから。
そして聞いたら、その土地を褒める。自分の地元を褒められるのは、自分を褒められるようにうれしいものだ。例えその人が、地元を嫌っていても関係ない。
そして、その土地について質問する。名産品や歴史、観光地や有名なことについて。必ず、生まれ育った相手の方が詳しい。だから相手が、教える側になる。人間が一番楽しい会話は、相手に教えることだ。会話を楽しんでもらいたければ、自分が生徒側に回るのが一番だ。~
さりげないおしゃべりの中に、一つ一つ大切なことを忍ばせてくれていました。
小学生のころ、私の学校の成績は底辺でした。
にもかかわらず、父は一度も私に勉強しろとは言いませんでした。
しかし、仕事先の現場や、移動中の車で、父はいろんなことを教えてくれました。
花や野鳥の名前。雲の種類や、農作物の収穫の仕方。化学や物理。地理や歴史や社会情勢。昔話や親戚の逸話。適切なコミュニケーションの取り方。仕事する上での心構え。挨拶や謝罪、御礼の必要性。
父も私と同じで、学校は嫌いだったそうです。高校の時は、よくさぼったそうです。
でも父は、勉強は好きだったんだと思います。居間におかれていた、父の本棚。図鑑や地図や歴史書や小説etcで埋まっていたことを、今も覚えています。
ちなみに、私は四人姉妹です。父と母も含めて、みんなすごいしゃべり好きで、静寂な時間など一度としてありませんでした。現在は他の姉妹は家を出て、父も数年前に他界しました。
しかし、にぎやか。母と私、しゃべりまくってます。(;'∀')




