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彼女が望んだ未来を、俺が全て手に入れる  作者: ledled


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第二話 君が欲しかった全てを掴んだ俺を、君はただ眺めることしかできない

美月からのメールを無視してから二週間が経った。


その間、俺の周囲は目まぐるしく変化していた。番組の成功を受けて、出版社から正式に本の執筆依頼が来た。タイトルは『図書館司書が案内する、忘れられた日本の文化財』。専門書ではなく、一般読者向けの教養書だという。


さらに、大学から非常勤講師のオファーもあった。文化人類学の講座で、メディアと文化保存というテーマで講義をしてほしいとのことだ。


「氷室さん、大学の講師なんて、すごいじゃないですか」


図書館の同僚が羨ましそうに言った。


「まだ非常勤ですよ」

「それでも立派ですよ。氷室さん、もしかして図書館辞めちゃうんですか?」


その問いに、俺はまだ答えを出せずにいた。


だが、状況は俺に決断を迫っていた。


ある日、三島プロデューサーから電話があった。


「氷室さん、新しい企画があります。今度は全国の美術館を巡る番組をやりたいんです。ゴールデンタイムで、レギュラー放送です」

「ゴールデンタイム、ですか」

「ええ。氷室さんの知名度も上がってきましたし、今がチャンスです。ただし、これは片手間ではできません。図書館の仕事と両立は難しいと思います」


三島の言葉は、暗に図書館を辞めることを示唆していた。


「考えさせてください」


電話を切った後、俺は図書館の閲覧室を見渡した。静かに本を読む人々。資料を探す学生。カウンターで司書に質問する老人。


この穏やかな風景を離れることに、一抹の寂しさを感じた。


だが、同時に思い出す。美月が俺を切り捨てた時の言葉を。


「図書館司書って、安定はしているけど地味じゃない」


彼女はこの仕事を、そして俺自身を見下していた。ならば、俺がこの仕事を離れ、彼女が憧れる世界で成功することこそが、最大の復讐になるはずだ。


俺は決心した。


翌日、館長に辞表を提出した。


「そうか、決めたんだね」


館長は寂しそうに笑った。


「お世話になりました」

「いや、こちらこそありがとう。氷室くんは優秀な司書だった。でも、君には新しい世界で活躍してほしい。応援しているよ」


館長の言葉に、俺は深く頭を下げた。


図書館を去る日、同僚たちが送別会を開いてくれた。


「氷室さん、テレビで見ますね!」

「本、絶対買います!」


温かい言葉が胸に染みた。俺は決して図書館での日々を後悔していない。ここで学んだこと、出会った人々は、俺の財産だ。


ただ、これからは新しいステージで戦う。


図書館を去った俺は、フリーランスの文化評論家・メディアコンサルタントとして活動を始めた。事務所は持たず、自宅を拠点にした。


新番組の収録が始まった。今度は美術館を巡り、そこに収蔵されている作品の背景や、美術館という空間の意義を語る内容だ。


俺の相方として、ある女性が起用された。


「初めまして、氷室さん。東條華子です」


彼女は三十代半ばの女性で、大学で美術史を教えている准教授だった。知的な雰囲気と、柔らかな話し方が印象的だ。


「こちらこそ。よろしくお願いします」

「氷室さんの番組、拝見しました。素晴らしい内容でしたね。今回もご一緒できて光栄です」


東條華子は、実は図書館時代に何度か資料相談に来ていた人物だった。その時は研究者として接していたが、今回は仕事のパートナーとしての関係になる。


収録が進むにつれ、俺たちの息はぴったりと合ってきた。俺が文化的な背景を語り、華子が美術史的な視点から補足する。二人の掛け合いが、番組に深みを与えていく。


「氷室さんと華子さん、相性抜群ですね」


三島プロデューサーも満足そうだった。


「このコンビ、視聴者にも好評ですよ。SNSでも『二人の掛け合いが心地いい』って声が多いです」


番組が放送されると、予想以上の反響があった。視聴率も上々で、番組の公式SNSには「次回も楽しみ」というコメントが溢れた。


そして、俺と華子のコンビに注目が集まり始めた。


「お似合いのコンビですね」

「二人は付き合ってるんですか?」


そんな質問が、取材のたびに飛んでくるようになった。


俺たちは仕事上のパートナーに過ぎないが、確かに一緒にいて心地よいのは事実だった。華子は知的で、話していて飽きない。そして何より、彼女は俺の職業や肩書きではなく、俺の知識や考え方そのものに興味を持ってくれている。


それは、かつての美月とは正反対だった。


ある日、収録の合間に華子と二人でカフェに入った。


「氷室さん、最近忙しそうですね」

「ええ、おかげさまで」

「本の執筆も順調ですか?」

「なんとか。締め切りには間に合いそうです」


華子はコーヒーを一口飲んで、少し考えるような表情を見せた。


「氷室さん、失礼な質問かもしれませんが、どうして急にメディアの世界に入ったんですか? 図書館司書という安定した職を捨ててまで」


俺は少し黙った。この質問には、どう答えるべきか。


「誰かに、証明したかったんです」

「証明?」

「俺という人間の価値を。俺が持っている知識や能力が、決して無価値ではないということを」


華子は静かに頷いた。


「誰かに見下されたんですね」

「よく分かりましたね」

「だって、氷室さんの目には時々、とても冷たい光が宿りますから。誰かを見返したいという、強い意志を感じます」


華子の洞察力に、俺は少し驚いた。


「その相手は、もう気づいているんですか? 氷室さんが成功したことを」

「さあ、どうでしょう」


実際のところ、美月が俺の活躍をどう見ているのか、俺には分からなかった。あれ以来、彼女からのメールは来ていない。SNSでのフォローは続いているが、特にアクションはない。


だが、それももうすぐ変わるだろう。


なぜなら、俺は次の一手を準備していたからだ。


美月が婚約を破棄してから半年が経った頃、俺はある情報を手に入れた。


神宮寺蓮が、局内で問題を起こしているという噂だ。


図書館時代に知り合った、業界に詳しいジャーナリストから連絡があった。


「氷室さん、興味深い話を聞いたんですが」


彼の名前は藤崎といい、芸能・メディア業界を専門に取材している敏腕記者だ。


「神宮寺蓮というプロデューサー、ご存知ですか?」


その名前を聞いた瞬間、俺の背筋が伸びた。


「ええ、名前だけは」

「実は彼、局内で問題になっているんです。過去に手がけたいくつかの企画が、実は他のスタッフのアイデアを盗用していた疑惑が浮上しているんですよ」

「それは興味深いですね」

「氷室さんの番組が成功した後、彼が似たような企画を出そうとして却下されたのがきっかけだったんです。その時、『これ、どこかで見たような内容だな』と感じた上層部が調べ始めたら、芋づる式に出てきたんですよ」


藤崎は続けた。


「数年前の深夜番組の企画、音楽番組の特集、バラエティの企画コーナー。どれも、実は別のスタッフが温めていたアイデアを、神宮寺が横取りしていたんです。彼はそういうアイデアを盗むのが上手かったんでしょうね」

「なるほど」

「それで、私は記事にしようと思っているんです。『業界の闇、アイデア盗用で成り上がったプロデューサーの実態』みたいなタイトルで。氷室さん、もし何か情報があれば教えていただけませんか?」


俺は少し考えた。ここで美月と神宮寺の関係や、俺のアイデアが盗まれたことを話せば、藤崎は喜んで記事に盛り込むだろう。


だが、それは俺の方針ではなかった。俺は復讐のために他人を利用するつもりはない。自分の手で、自分の方法で決着をつける。


「すみません、俺は神宮寺氏について特に情報は持っていません。ただ、そういう問題があるなら、きちんと真実が明らかになるべきだと思います」

「そうですか。まあ、他のスタッフからも証言は取れていますので、記事にするのに問題はありません。氷室さん、もし何か思い出したら連絡ください」


電話を切った後、俺は窓の外を見た。


神宮寺の盗作体質が明るみに出れば、彼の社会的地位は失墜する。そして、その神宮寺に付いていった美月も、無傷ではいられないだろう。


だが、俺が直接手を下したわけではない。彼らは自分たちの行いによって、自滅していくのだ。


二週間後、藤崎の記事が大手メディアのウェブサイトに掲載された。


『盗作で成り上がったプロデューサー 業界内部から証言相次ぐ』


記事は詳細に、神宮寺がこれまでに盗用してきた企画のリストと、被害を受けたスタッフの証言を掲載していた。もちろん、俺の企画については触れられていなかった。藤崎は俺の意向を尊重してくれたのだろう。


記事は瞬く間に拡散され、神宮寺は局内で大問題になった。


その数日後、業界筋からの情報によれば、神宮寺は事実上の降格処分を受け、第一線から退くことになったという。プロデューサーという肩書きは残っているものの、実質的には雑用係のような扱いになったらしい。


そして、この騒動は美月にも影響を及ぼした。


神宮寺と美月の関係は、局内では周知の事実だった。二人が付き合っていることは、特に隠されていなかったという。


問題は、美月が神宮寺の「パートナー」として、彼の企画に関わっていたことだ。企画会議にも同席し、時には意見を出していたという。となれば、美月も盗作に加担していたのではないか、という疑念が生まれる。


実際には美月は盗作のことを知らなかったかもしれない。だが、疑惑を持たれた時点で、彼女のキャリアに傷がついた。


局の上層部は、美月を地方支局への異動を打診した。事実上の左遷だ。


この情報も、藤崎から聞いた。


「早瀬美月アナウンサー、覚えていますか? 神宮寺の恋人だった人です」

「ええ」

「彼女、地方に飛ばされるそうですよ。本人は拒否していたらしいですが、局としては今の状況で彼女を使い続けるわけにはいかないんでしょうね」

「そうですか」

「可哀想といえば可哀想ですけどね。でも、神宮寺と付き合っていた時点で、リスクは承知していたはずですから」


藤崎の言葉に、俺は何も答えなかった。


美月は自分の判断で神宮寺を選び、俺を捨てた。その結果として、今の状況がある。それだけのことだ。


その夜、美月から久しぶりにメールが来た。


『透也、お願いがあります。会ってもらえませんか? お願いです』


文面からは、彼女の切羽詰まった様子が伝わってくる。


俺は少し考えた後、返信した。


『分かりました。明日の夕方、以前よく行っていたカフェで』


翌日の夕方、俺はあのカフェに向かった。美月が婚約破棄を告げた、あの場所だ。


美月は既に席に座っていた。半年ぶりに見る彼女は、以前よりも痩せて、疲れた表情をしていた。


「透也、来てくれてありがとう」


美月は俺を見て、安堵の表情を浮かべた。


「久しぶり、美月。元気そうだね」


俺は努めて明るく言った。実際には、彼女が全く元気ではないことは明白だったが。


「透也、あなたすごく変わったわね。テレビで見て驚いたわ」

「ありがとう。おかげさまで、忙しくさせてもらってる」


美月は俺の顔を見つめた。その目には、複雑な感情が渦巻いている。


「ねえ、透也。あの時のこと、謝りたくて」

「婚約解消のこと? もう気にしてないよ」

「本当に?」

「ああ。むしろ、あれがきっかけで俺も変われたから、感謝してるくらいだ」


俺の言葉に、美月は表情を歪めた。


「そう、よね。あなた、本当に成功したものね」

「美月は今、どうなの? 仕事は順調?」


その質問に、美月は俯いた。


「実は、地方への異動が決まったの。来月から」

「そうなんだ。それは残念だね」

「蓮さんの問題に巻き込まれて、私まで疑われたのよ。盗作なんて知らなかったのに。でも、局は私を使いたくないって」


美月は涙ぐんだ。


「透也、お願いがあるの。あなた、今メディア業界で注目されているでしょう? もし、あなたが私のことを推薦してくれたら、局も考え直すかもしれない」


俺は静かに彼女を見つめた。


「つまり、俺の力を使って、君のキャリアを立て直したいということか」

「そんな言い方しないで。私、本当に困っているの。あなたなら助けてくれると思って」

「美月、俺が君を助ける理由は何?」


その問いに、美月は言葉に詰まった。


「だって、私たち、五年も付き合ってたじゃない。その思い出は消えないでしょう?」

「確かに消えないね。君が俺を『地味な図書館司書』と呼び、俺のキャリアが君の足枷になると言った、あの思い出もね」


美月は顔を青くした。


「あれは、その、私も混乱していて」

「混乱? いや、君は冷静に判断したんだと思うよ。神宮寺と一緒にいる方が、君のキャリアには有利だと。そして俺は切り捨てられた。それだけのことだ」

「透也、お願い。もう一度やり直せないかな」


美月は俺の手を取ろうとしたが、俺は手を引いた。


「美月、俺は既に前に進んでいる。君は俺の過去だ。過去に戻るつもりはない」

「でも、私、あなたのことまだ」

「好き、とでも言うつもり? いや、君が好きなのは俺じゃない。俺が今持っている社会的地位や影響力だ。図書館司書だった頃の俺には、見向きもしなかったくせに」


美月は言葉を失った。


「君は神宮寺を選んだ。その選択の結果が、今の君の状況だ。それは俺の責任じゃない」


俺は席を立った。


「幸運を祈るよ、美月。地方でも頑張って」

「待って、透也!」


美月の声を背に、俺はカフェを出た。


外に出ると、夕暮れの街が広がっていた。俺は深く息を吸った。


これで一つの区切りがついた。美月は自分の選択の結果を受け入れるしかない。俺はもう、彼女に縛られることはない。


その夜、華子から連絡があった。


「氷室さん、来月の番組収録のスケジュール、確認できますか?」

「ああ、大丈夫です」

「それと、個人的に相談があるんですが、今度お時間ありますか?」

「何でしょう?」

「実は、次の研究プロジェクトで、氷室さんに協力をお願いしたいんです。詳しくは直接お話ししたいのですが」

「分かりました。じゃあ、週末にでも」


電話を切った後、俺は窓の外を見た。


新しい仕事、新しい人間関係。俺の人生は確実に前に進んでいる。


そして三ヶ月後、俺の著書が出版された。


『図書館司書が案内する、忘れられた日本の文化財』


本は予想以上に売れ、文化関連書のベストセラーとなった。書店では平積みにされ、新聞の書評欄でも好意的に取り上げられた。


出版記念のトークイベントには、多くの聴衆が集まった。そして、その会場には華子の姿もあった。


「氷室さん、おめでとうございます」


イベント終了後、華子が花束を持って近づいてきた。


「ありがとうございます。来てくれたんですね」

「もちろんです。氷室さんの本、もう読みましたよ。素晴らしい内容でした」


華子の笑顔は、心から喜んでくれているように見えた。


その日の夜、俺たちは食事に行った。


「華子さん、前に相談したいと言っていた研究プロジェクトのことですが」

「ああ、はい。実は、日本の美術館と図書館の連携について研究したいんです。文化施設同士の協力によって、より豊かな文化体験を提供できるのではないかと」

「面白いテーマですね」

「氷室さんの経験と知識が、絶対に役立つと思うんです。協力していただけませんか?」

「喜んで」


俺たちは研究プロジェクトについて、夜遅くまで語り合った。話していると時間を忘れる。それは、かつて美月とは決して得られなかった感覚だった。


美月は俺の肩書きや地位に興味を持っていた。だが華子は、俺の考えや知識そのものに興味を持ってくれている。


その違いが、俺にとってどれだけ大きな意味を持つか。


店を出ると、冬の夜空に星が瞬いていた。


「綺麗ですね」


華子が呟いた。


「ええ」

「氷室さん、今日は本当にありがとうございました。とても楽しかったです」

「こちらこそ。また、研究のこと、詳しく聞かせてください」

「はい。それでは、また」


華子が去っていく背中を見ながら、俺は不思議な充足感を覚えていた。


その夜、SNSを見ていると、美月のアカウントが目に留まった。彼女の投稿は以前より格段に減っており、地方での仕事の様子を時々アップしている程度だった。


そして、俺の本の写真が投稿されていることに気づいた。


『昔の知り合いが本を出版しました。頑張っていますね』


短いコメントだったが、その裏にある感情は容易に想像できた。


俺は何もリアクションをしなかった。美月はもう、俺の人生には関係ない人間だ。


それから数ヶ月が過ぎた。


俺の番組は高視聴率を維持し、レギュラー番組として定着した。華子との共演も好評で、二人は「最高の知的コンビ」として認知されるようになった。


そして、週刊誌が俺たちの「交際疑惑」を報じた。


『氷室透也と東條華子、親密な関係か? 深夜のデート現場をキャッチ』


記事には、俺たちが研究打ち合わせで遅くまで一緒にいた時の写真が掲載されていた。


「これ、どうしましょう」


華子が困った顔で記事を見せてきた。


「事実と違うなら、否定するべきでしょうね」

「そうですよね」


だが、俺たちが否定のコメントを出す前に、三島プロデューサーから連絡があった。


「二人とも、この件は特に否定しなくていいです」

「え、でも」

「視聴者は二人の関係に興味を持っています。これは番組にとってもプラスです。もちろん、無理に交際を認める必要はありませんが、曖昧なままでいいんです」


三島の言葉に、俺たちは顔を見合わせた。


その夜、華子と二人で話した。


「氷室さん、私、この状況を否定したくないんです」


華子は真剣な表情で言った。


「というと?」

「私、氷室さんのこと、尊敬しています。一緒に仕事をしていて、とても楽しいです。もし、氷室さんが良ければ、本当にお付き合いしたいと思っています」


華子の告白に、俺は驚いた。


「華子さん」

「急すぎますか? でも、私、正直でいたいんです。氷室さんと一緒にいると、とても自然で心地いい。これは、私にとって初めての感覚なんです」


俺は華子の目を見つめた。その目には、嘘偽りのない真っ直ぐな感情があった。


「俺も、華子さんと一緒にいるのは楽しいです。考えさせてください」

「はい。急かすつもりはありません。でも、私の気持ちは伝えたかったんです」


その夜、俺は一人で考えた。


華子は、美月とは全く違う。彼女は俺の肩書きや地位ではなく、俺自身を見てくれている。知識や考え方を共有できる相手だ。


そして、俺は気づいた。もう美月への復讐など、どうでもよくなっていることに。


俺が本当に手に入れたかったのは、美月を見返すことではなかった。俺自身が成長し、充実した人生を送ること。それだけだったのだ。


一週間後、俺は華子に答えを伝えた。


「華子さん、俺も、あなたと付き合いたいです」


華子は笑顔を浮かべた。


「ありがとうございます。嬉しいです」


それから、俺たちは正式に交際を始めた。もちろん、すぐに公表はしなかったが、周囲は気づいていただろう。


そして半年後、俺たちの婚約が発表された。


記者会見では、多くの記者が集まった。


「氷室さん、プロポーズはどちらから?」

「俺からです」

「東條さん、氷室さんのどこに惹かれましたか?」

「彼の知識の深さと、誠実な人柄です。一緒にいて、常に新しい発見があります」


華子の言葉に、俺は彼女の手を握った。


記者会見の様子は、ニュースやワイドショーで大きく取り上げられた。


その日の夜、美月からメッセージが来た。


『おめでとうございます。お幸せに』


短いメッセージだったが、その裏にある感情は想像に難くない。


俺は返信しなかった。もう、返信する必要もない。


それから一ヶ月後、俺は偶然、神宮寺の現状を知ることになった。


藤崎から連絡があった。


「氷室さん、神宮寺蓮、覚えていますか?」

「ええ」

「彼、局を退職したそうですよ。今は地方の小さな制作会社で、下請けの仕事をしているらしいです。プロデューサーという肩書きもなく、実質的には雑用係だそうです」

「そうですか」

「完全に業界から干された形ですね。まあ、自業自得ですが」


神宮寺は、他人のアイデアを盗んで成り上がった代償を、今払っているのだ。


そして美月は、といえば。


彼女は地方局で細々と仕事を続けているらしい。もう全国ネットのアナウンサーになる夢は、遠い彼方に消えた。


ある日、街を歩いていると、偶然美月を見かけた。


彼女は地方局の取材で、都内に来ていたのだろう。リポーターとして、街角でインタビューをしている。


その姿は、かつての輝きを失っていた。疲れた表情で、機械的に仕事をこなしている。


美月は俺に気づいた。


一瞬、目が合った。


彼女の目には、後悔と絶望が浮かんでいた。


俺は軽く会釈をして、その場を去った。


もう、美月に対して何の感情も湧かなかった。怒りも、憎しみも、憐れみも。


ただ、彼女は自分の選択の結果を生きているだけだ。


その夜、華子と二人で新居の準備をしていた。


「透也さん、このカーテン、どう思います?」

「いいんじゃないかな」

「じゃあ、これにしましょう」


華子は楽しそうに新居のインテリアを選んでいる。俺も、この穏やかな時間が心地よかった。


「透也さん」

「ん?」

「幸せですか?」


華子の突然の質問に、俺は少し考えた。


「ああ、幸せだよ」

「私も、とても幸せです。透也さんと出会えて、本当に良かった」


華子の笑顔を見ながら、俺は思った。


美月が俺を捨てたあの日から、すべてが始まった。


彼女が望んだ未来、全国で活躍する華やかな世界。成功者としての地位。充実した人生。


それらすべてを、俺が手に入れた。


だが、それは復讐のためではなかった。俺が本当に手に入れたのは、自分自身の価値を証明し、心から信頼できるパートナーと共に歩む人生だったのだ。


美月は今、地方で孤独に過ごしている。神宮寺は業界から消えた。


彼らが失ったものは、俺が手に入れたものと同じ価値があるのか。いや、違う。


俺が手に入れたのは、肩書きや地位だけではない。自分を認めてくれる人、共に成長できるパートナー、充実した毎日。


それは、美月がどれだけ後悔しても、もう二度と手に入らないものだ。


窓の外を見ると、夜空に星が輝いていた。


「透也さん、何見てるんですか?」

「星だよ」

「綺麗ですね」


華子が俺の隣に立った。


「ねえ、華子」

「はい?」

「ありがとう。君と出会えて、本当に良かった」

「私こそです」


俺たちは静かに星を見上げた。


過去は、もう振り返らない。


俺は未来だけを見ている。


美月が全てを失って泣き叫ぶ頃、俺はもう彼女を見てもいない。


なぜなら、俺の目の前には、新しい人生が広がっているのだから。

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