14
火ノ女神と水ノ神
はじめ、世界にあるのはこの二つの存在だけだった。
二つの神にとっては お互いの存在だけが全て。
水ノ神は火ノ女神を愛おしく思っていたし、火ノ女神は水ノ神に恋をしていた。
ただお互いがそこにあるというだけで、とても幸せで、とても満足していた。
言葉を交わすでもなく、顔を合わすわけでもなく、ただそこに存在を感じているだけでよかったのだ。
何年も何年も、幾時もずっと変わらず、想い続け、それで幸せだった。
けれども
ある時、ふいに火ノ女神は物悲しくなった。
そしてなんとも寂しくなった。
特に何があったわけでなく、いつも通り、ただそこにいて、ただもう一つの存在を想っていただけなのに。
そうして初めて水ノ神に声をかける。
「ねえ、もう少し近くにいってもいい?」
それは春の陽射しのような、暖かい音だった。
水ノ神も初めて返事を返す。
「私も、貴方のもう少し近くに行ってみたいと思っていたところだよ。」と。
それは澄み切った水に響くような、涼やかな音だった。
二つの存在は一歩だけ、歩み寄った。
「ああ、なんて幸せなんでしょう。」
「ああ、なんて幸せなことだろう。」
二つとも前よりずっと幸せで、ここにあるということが嬉しくなった。
思う姿が一歩分だけ、以前より近くにある。
思う存在の声が一歩分だけ、以前より良く聞こえる。
しばらくは、それで満足していたが、またある日のこと。
火ノ女神は急に苦しくなった。
一歩分増えた幸せの中、いつも通り・・・想っていた。
ただ、それだけ。
何故だかわからないけれど、幸せの中にあるのに、苦しくて辛かった。
そうして、たまらず、声をかける。
「もう少し、近くにいっていい?」と。
すると
「私も、もう少し、貴方の近くに行きたいと思っていたところだよ。」
と恋しい存在から返事が返ってくる。
嬉しくて、近づく。
そして
もっと、幸せになり
もっと、胸が苦しくなる。
それはいくら歩み寄っても、消えない想い。
もっと もっと
もっと もっと
貴方の 近くに いたい
二つの存在が触れ合うほどに近づくまで、そう時間はかからなかった。
見詰あって、微笑みあった。
それは、遠くにあった頃よりずっと幸せで、ずっと恋しく想えたし、ずっと愛おしく想えていた。
しかし、それでも胸の苦しみは消えない。
以前にも増していく苦しみは、いつの頃からか痛みに変わって
耐え難いものになる。
火ノ女神はとうとう声をかける。
「ねえ、貴方にちょっとだけ触れてもいい?」
それは、冬の寒空の中、キラキラと揺らめく炎のような、どこか冷たく熱い音だった。
水ノ神は知っていた。
それは許されないこと
触れ合った瞬間に お互いの存在が なくなってしまう
「愛おしい貴方、私に触れることは許されない。」
それは、野道に降る雪のように、冷たく静かな音だった。
火ノ女神はとても悲しくなった。
水ノ神はとても哀しくなった。
そうして、触れられない寂しさを、消えてくれない胸の痛みを持て余し、あんなに暖かく幸せだった世界は だんだんと暗く冷たい世界へと変わっていった。
火ノ女神はここにあることが苦しくて、辛くて、水ノ神の傍から少しずつ距離をとるように離れていった。
水ノ神は離れていく火ノ女神を見て、引き止めようと、手を伸ばす。
しかし触れるわけにはいかない。
「嗚呼、愛おしい貴方。そんなに辛く苦しい思いをさせるのは私のせいか。貴方が愛おしいのに、一緒にいたいのに、私には貴方を幸せにすることができない。」
そうして一滴涙を零した。
火ノ女神は離れるほどに苦しくなる。
「嗚呼、恋しい貴方。こんなにも想っているのに、貴方に触れることができない。傍にいるだけで幸せだったのに、傍にいると苦しくて、離れてみても苦しみは増すばかり。どうしようもなく、苦しいの。想うことが苦しくて、辛くて、もう幸せを感じられない。私はどうしたらいいの?」
そうして一滴涙を零した。