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受身がろくに取れなかった割に、衝撃が少なかったのはこの子のおかげだろうか。
何かを潰してしまった!!と焦って体を起こした私に、コアラのようにしがみついて離れない子。
背中と腰の辺りに小さな手足が巻かれ、身動きが取れない。
潰してしまった手前引き剥がすこともできず、扉の前でその子を抱えたまま座り込むことにした。
わたるよりまだ小さな子供。
柔らかな金色の髪がくるくるふわふわあちこちの方向へ跳ね回っている。
ーたんこぶでもできてたらかわいそう。
そっと、なでるように頭を探る。
「・・・痛いとこない?」
聞くと、ふるふると胸の中で頭を横に振る。
「そ。よかった。・・・下敷きにしちゃって、ごめんね?」
あやまると、またふるふると頭を揺らす。
なんて可愛い子供!!
「ぅきゅっ!?」
思わず力いっぱい抱きしめてしまう。
もごもごと胸の中で頭が動く。
頭のてっぺんに頬ずりしてみる。
ぎゅーっと背中と腰にしがみつく手足に力が入る。
わたるを抱きしめてるみたい。
気持ちいいなぁー
腕の中の温もりにゆるゆると心が癒されていく。
「・・・姫?」
しばらくして、頭の上から遠慮がちに声がかけられる。
ああ、美青年ナツメがいたんだった。
あんまり心地よくて金髪の子供とすっかり二人の世界に陶酔してしまっていた。
声のかかったほうへ顔を上げると、ふと美青年と目が合う。
あれ?瞳の色が違う?
右は黒なのに左は青緑・・・
私を見る左目に懐かしい光を見た気がした。
しかし最初のときのような心臓の動揺はなく、久しぶりの幸福感に私はにっこりと微笑む。
ナツメはなぜか一瞬表情を硬くしたが、すぐに暖かく微笑み返される。
「痛いところは?お怪我はないですか?」
大丈夫です、と私はもう一度笑ってみせる。
「では。戻りましょう。」
すっと背中と膝裏に腕がまわされ、金髪の子供ごと抱きかかえられる。
ええぇ!!苦労してここまで歩いてきたのに・・・!?
「ちょ、ちょっと待って。・・外、わたるに・・・えと、行かなくちゃ。・・あの、私行かなくちゃいけないの。だから、お・・・!」
だから降ろして。
最後まで言えなかったのは急なお姫様抱っこに驚いたせいじゃなく、見下ろされたナツメの冷たい目のせい。
・・・じゃなくて、悲しそうな目?
「・・もうすぐ医師が参ります。貴方の御身体に何かあってはいけませんから、少しお休みください。」
華奢な少女と小さな子供とはいえ、人二人を抱えているとは思わせないスマートな足取りであっという間にベッド脇へと、たどり着いてしまう。
ゆっくりと、そっと壊れ物をいたわるようにベッドへ横たわらせる。
けれどナツメの冷たい空気は、有無を言わせない。
私は今まで寝すぎちゃってたんじゃないの?と反論するのを許さない。
「ルー様はこちらへ。」
いっそう力強くしがみつくが子供の抵抗もむなしく、ベリベリっと音がしそうなくらい強引に引き剥がされてしまう。
子供のぬくもりが急になくなり、胸元がひゅっと冷える。
「やーっ!!かあしゃまー!なちゅめ、ぃやあ!!」
ひたすら無言でしがみついていた子供はナツメの腕の中でばたばたと手足を振り回し、泣きながら抵抗をしている。
かあさま・・?
「私の・・子?・・ルー?・・・ルーズベリィ?」
わたし?じゃなくて、姫の子・・・。
姫の愛しい子。
たぶん私より若いであろうこの姫に、子供がいるとは驚きだ。
でも間違ってはいない。
私の記憶は無いのに、姫の記憶はぼんやりとした意識の中に少し残っているから。
私は本当にフレア姫ではないのだろうか。
わからなくなりそうだ。
「私は、大丈夫です。ルー、その子をこちらへ・・。」
横たえられた身体を起こし、泣きじゃくるその子に手を伸ばす。
ナツメの冷たい目が揺らぐ。
「・・・貴方は、フレア姫じゃない。水の神の愛し子よ、貴方はよくとも姫の御身体は大丈夫かどうかわからない。」
まただ。
わからないフレーズ。
さっきレニーにも言われた?カミノイトシゴ。
どう答えていいかわからず、戸惑う。
でも・・・
「あなた、私がフレア姫じゃないとわかるの?ねぇ、どうして?」
ナツメはじっと私の目を見たまま、答えない。
「ねぇ、じゃあ、私は誰?どうしてこの人になってしまったの?」
・・・沈黙。
私はそれをいいことに疑問を投げ続ける。
「カミノイトシゴって何?どうしてここにいるの?ここは・・・私を閉じ込めるための牢屋?」
少し驚いたかのように冷めていた目に力が入る。
「ここは・・・祈りの間だ。」
私に何を言うべきか迷っているのだろうか。言葉少なに一言だけ言い、また口を閉じてしまう。
牢屋ではないらしいが
「ねぇ、じゃぁ、わたるを知ってる?私の大事な子なの。何でもいいから、教えてくれない?」
すると、ナツメの腕でもがいていたルーがピタリと固まる。
若干青ざめて見えるルーは大きく息をすったかと思うと
がぶり!とナツメの隙を着いて腕に噛み付ついた。
それを見て、たいして痛くもなさそうにすっとナツメは腕をひく。
開放されたルーは勢いよくベッドに飛び込み、再度、コアラのごとく私にしがみついた。
「ぃや!かあしゃま、ルーのかあしゃま・なちゅ・・や。ルーいる、かあしゃ・ルっ・・いるっ・」
泣きじゃくるコアラの手が伸び首に腕が回される。
涙が肩をぬらす。
ああ、ごめんね。この手も口もあなたのフレア姫なのに、ほかの子の名を口にし、ほかの子を想ってあなたを抱きしめた。
「・・ルー?私の可愛い大事な子。ルーズベリィ。大丈夫よ、ここにいるから。そう、大丈夫。」
ルーの背中を抱きしめ、頭にキスをする。
直にぬくもりを求めても、ヴェールが邪魔をし手袋が邪魔をする。
ごめんね。許して。
謝罪をこめて強く抱きしめる。
今はあなたのかあさまでいられない。
わたるを探さなきゃいけないから。
どうかしばらくあなたのかあさまを私に貸していて・・・
きっと、心配してくれていたのだ。
なかなか眠りから覚めない母を、ずっと待っていてくれたんだと思うとたまらなく愛おしくなる。
それと同時にこみ上げるのは罪悪感。
私はこの子の母さまじゃない。
フレア姫をこの子から引き離して行かなくてはならない。
それでもわたるを一人で苦しませるわけにはいかない。
ごめんねと愛してるの想いを繰り返し込めて、背中をさすり頭や頬にたくさんキスをした。
どのくらいそうして宥めていたのか。
泣きじゃくる声は次第に穏やかな寝息へと変わっていった。