第3話 ランチの伏兵
昼休みの予定を立てるのは、たいてい朝の出社前だ。
同僚の美咲と「今日はあそこのパスタ食べに行こう」と決めて、私はルンルン気分でオフィスに向かった。
もちろん、家を出る時は夫・健には言っていない。なぜなら——
「お昼にどこ行くの?」
「えーっと、まだ決めてないかな」
「ふーん……(沈黙)……じゃあ、帰ってからでいいや」
この“沈黙”が危険信号なのだ。GPS卵焼き事件(第一話参照)で学んだ。うっかりランチの予定を漏らすと、何かしらの方法で現場に現れるのがうちの専業主夫である。
だから今日は完全シークレット。
……のはずだった。
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12時ちょうど、美咲とオフィスを出てパスタ屋へ向かう。
店のドアを開けた瞬間、カラン、と鈴が鳴って——
「お待ちしておりました、奥さま」
……は?
私たちの目の前に、エプロン姿の健が立っていた。
「今日だけ厨房をお借りしてます。さあ、こちらへどうぞ」
何がどうなってるの。え、パスタ屋に出向アルバイト制度とかあった?
混乱する私の腕を、健はしっかりホールド。美咲はポカン顔だ。
「いや、ちょっと健、なんでここに——」
「ランチはしっかり食べないと、午後も頑張れないからね」
「……いや、それはそうだけど!」
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席に着くと、すでにテーブルの上には前菜が並んでいた。
サラダのトマトはハート型にカットされ、ドレッシングの香りはまさに我が家の味。
これは……完全に健の仕業。
「奥さん、今日はカルボナーラですよ。卵は今朝、僕が割ったやつです」
「いや卵の出所情報いらない」
美咲が笑いをこらえきれず、吹き出す。
「奥さんって……あ、でも奥さんだもんね、由紀さん」
やめて。余計恥ずかしい。
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食後、健はデザートのティラミスを運んできた。
上にはココアパウダーで「YUKI LOVE」とデカデカ書かれている。
美咲、今度はスマホを取り出して記念撮影。SNSに上げられたら、会社でしばらく“愛され嫁”キャラが確定するやつだ。
「……健、これ毎日やるつもりじゃないよね?」
「え、望むなら毎日でも」
「いやいやいや、遠慮します」
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店を出た帰り道、美咲がぽそっと言った。
「由紀さん、幸せすぎて逆に疲れそう……」
わかる。めっちゃわかる。
愛情って、カロリー高いのだ。