第27話 健、父になる?
この日、私は会社の同僚・彩さんからこんなお願いをされた。
「結衣さん、どうしても子どもの面倒見てくれる人いなくて……明日、半日だけでもお願いできない?」
彩さんは三歳の息子・颯太くんを育てながら時短勤務をしている。旦那さんが急な出張になり、実家も遠方らしい。まあ、私も予定はあったが、在宅作業の日だったので「いいよ」と引き受けた。
——ただ、問題は、家にいるもう一人の人間だ。
そう、うちの専業主夫・健。
料理・掃除・洗濯、全てプロレベル。そして、妻への愛情表現は……もはやプロというか、もはや競技。
私が彩さんの依頼を話すと、健の目がギラリと光った。
「結衣……それはつまり、君と僕の家に天使が来るってことだよね?」
「……まあ、子どもは可愛いけど、『天使』って言い方やめてくれる?」
「父になる時が来たんだ……!」
「いや、違うから。明日一日だけだから」
私は一応、「張り切りすぎるな」と釘を刺した。だが、その夜、健はタブレット片手に『3歳児が喜ぶ遊び大全』『離乳食から幼児食への移行』など、明らかに不要な情報まで読み込んでいた。
——この時点で、嫌な予感しかしない。
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翌朝。
颯太くんが彩さんに手を引かれてやってきた。ふわふわの髪に丸いほっぺ。小さなリュックにはおやつと着替え。おそるおそる私の後ろに隠れてこちらを見上げる。
その瞬間——
「おいで、颯太くん! 僕が今日から君のパパだよ!」
「やめろォォォォ!」
初対面5秒での「パパ宣言」。颯太くんは固まった。
そして健はしゃがみ込み、急に両手を広げる。
「抱っこしてもいいかな?」
「初手で距離詰めすぎ!」
幸い、颯太くんは人懐っこいタイプらしく、おそるおそる健に近づき……そのまま抱っこされてしまった。
「軽い! 羽みたいだ! このまま一生離さない!」
「一生離せ! いや、離せって!」
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午前中は在宅ワークの予定だったので、私はノートPCを広げた。
一方、健は颯太くんを膝に乗せて「おままごと」開始。しかもなぜか本物の野菜を持ち出してきた。
「ほら、これは本物のにんじんだよ。これで君は『ミニシェフ』だ」
「なんでうちの食材を消費させるの……」
颯太くんは小さな包丁でトントンしながら嬉しそうに笑っている。
……まあ、和やかでいいか、と思った矢先。
「結衣、見て! 颯太くん、もうピーラーの使い方覚えたよ!」
「本物のピーラー!? 危ないから! 何やらせてんの!」
私は慌てて取り上げた。健は「父としての教育を……」とか言ってるけど、教育の方向性が危険物取り扱い寄りだ。
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お昼前、颯太くんが「おなかすいたー」と言った瞬間、健はシャキーンと立ち上がった。
「任せろ! 颯太くん専用、キャラ弁タイム!」
「いや、普通でいいから……」
しかし健はすでにエプロンを装着。「結衣LOVE」と同じフォントで「颯LOVE」と書かれたカラフルな文字海苔を出してきた。
「それどこで作ったの……」
「昨日、深夜に」
颯太くんは、フタを開けた瞬間に「わー!」と声を上げた。
おかずはウサギ型のにんじん、ハート型の卵焼き、パンダ顔のおにぎり。……凝りすぎだ。
しかも箸袋には「今日だけのパパより」と書いてある。字面が怖い。
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午後、公園へ。
颯太くんはすべり台やブランコで遊びたがったが、健は「危ないから」と近距離で全力監視。すべり台の下で手を広げて待機する姿は……ほぼ消防隊の救助訓練。
「颯太くん、怖くない! 僕が全力で受け止める!」
「そんな大げさに受け止められると逆に怖いわ」
ブランコも、押すたびに「君は空の王子だ!」と謎のセリフを言うから、周りの親御さんたちがこっちを見ていた。
私は苦笑しながらスマホで仕事の返信をしていたが、ふと顔を上げると——
颯太くんが健の首にぎゅっと抱きついていた。健は一瞬、目を細めて嬉しそうに微笑んだ。
……こういう時だけ、ちょっとキュンとするのが悔しい。
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夕方、彩さんが迎えに来た。
颯太くんは「けんパパ〜!」と叫びながら手を振った。……完全に懐かれている。
彩さんが礼を言って帰った後、健はしみじみと呟いた。
「結衣……僕、父になれるかもしれない」
「……いや、今日一日張り切りすぎただけだから」
「でも、もし君との子どもができたら、僕は全力で——」
「そのセリフ、ちょっと保留。まだ颯太くんで疲労困憊だから」
健は笑いながら、食器を片付け始めた。
私はその背中を見ながら、「まあ、この人なら……」と、ほんの少しだけ思ってしまった。
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そして夜。
健はベッドに入るなり、「今日の写真アルバム作ったよ」とスマホを見せてきた。
そこには『颯太くんと僕〜一日限定の父〜』というタイトル。……サブタイトルに「結衣との未来を想像して涙」と書いてあるのはどうかと思う。
……でもまあ、笑っちゃったから、負けだ。




