第18話 家事対決
朝、出勤前のリビング。
健は、エプロン姿でフライパンを振っていた。フワッと立ちのぼるバターの香りと同時に、私の目に飛び込んできたのは――オムレツの表面に、トマトケチャップで描かれた「結衣専用・世界一朝食」。しかもハート型。
「……ねえ、これ、毎朝やってない?」
「愛情に定期券はないからね。毎日更新するのが基本」
健は真顔だ。駅の改札を通るように軽く言うけど、愛情の更新頻度はそんなに高くなくていい。むしろ週一くらいでいい。
そんな健の家事スキルは、正直言ってプロレベルだ。洗濯物は色別・素材別に仕分け、アイロン掛けの仕上げは百貨店のディスプレイ並。料理は出汁から取るし、掃除は壁の裏まで拭く勢い。
……だが、それがたまに面倒くさい。
「私だって、やればできるんだから」
ふと口をついて出た。
健の手が止まる。バターがじゅうじゅう鳴る音だけが響く。
「……今、なんて?」
「だから、私だって家事できるの! もう全部任せっきりだと腕が鈍るし」
健の眉がピクリと動く。なぜか戦の前の武将のような気配を漂わせた。
「……ふっ。じゃあ勝負する?」
「勝負?」
「どちらが家事を完璧にこなせるか。今日一日で。勝った方が……相手の望みを一つ叶える」
……望み? 危険な響きだ。でも引き下がったら、負けを認めたみたいになる。
「いいわよ。受けて立つ」
こうして「家事対決」は幕を開けた。
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第一ラウンド:洗濯
「ルールは簡単。同じ洗濯物を、それぞれの方法で洗う。仕上がりで勝負だ」
健は洗剤と柔軟剤を精密計量し、洗濯機にそっと入れる。
「繊維が痛まないように水温は35度、脱水は30秒だけ」
おい、ここは料理番組か。
私はというと、普通に洗剤を入れ、標準コースでスタート。
一時間後。健の洗濯物は、色がまるで新品。ふわっふわだ。
……私のは、まあ普通。新品感ゼロ。干し方も健のほうが断然美しい。
「これは……完敗かも」
「勝負はまだ始まったばかりだよ、結衣さん」
健のドヤ顔がまぶしい。
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第二ラウンド:掃除
ここは負けられない。
私はほうきと雑巾で一気にリビングを掃除。家具の下も覗き込み、埃をきっちり取った。
「どうだ!」
健は無言でクイックルワイパーを手に、家具を動かし始めた。冷蔵庫、ソファ、テレビ台――ぜんぶ移動。
「え、それ動かすの!?」
「埃の裏側に、夫婦の未来はないからね」
意味がわからない。けど床はピカピカに光っていた。
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第三ラウンド:料理
ここは得意分野だ。
私はパスタを作ることにした。市販のソースに、アレンジでトマトとバジルを加える。盛り付けも彩りよく。
「ほら、カフェみたいでしょ」
「……なるほど」
健は、パスタマシンを取り出した。
「粉から作る」
いや、それ反則じゃない?
結果、健の生パスタはもっちもちで、香りが段違いだった。私のは……うん、普通においしいけど、横に並べると悲しい差が出る。
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最終ラウンド:アイロン掛け
「ここで決まるな」
私はシャツのしわを一気に伸ばし、形を整える。自分でも悪くない出来だと思う。
健は――仕上げに霧吹きで天然アロマをふわっとかけた。
「着た瞬間、森林浴できるシャツだよ」
……勝てるわけがない。
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結果発表。
「総合、俺の勝ち!」
満面の笑みで宣言する健。
「望みって何?」
「結衣さん、明日からの家事、ぜんぶ俺に任せて」
「……あんた、それ勝負する意味あった?」
「あるよ。結衣さんが俺のすごさを再確認するため」
自信満々。
でも、その夜、ベッドに入ってから私はぼそっと言った。
「……本当は私がやったら、健が寂しそうにすると思ったから」
健は黙って私を抱きしめた。
「バレてた?」
「最初からね」
やっぱりこの人、勝負なんかじゃなくて、ただ私と一日中家事を共有したかっただけだ。
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オチとして、翌朝。
テーブルにはオムレツが並び、ケチャップでこう書かれていた。
「家事は一生、俺担当」
……やっぱり完敗だ。




