第1話 朝5時の全力愛情
午前五時。
スマホのアラームが鳴る十五分前、私は微かな音で目を覚ました。
……いや、正確には、音ではなく匂いだ。キッチンから漂ってくる、バターとコンソメの香り。
あぁ、今日も彼は元気に早起きしているらしい。
布団の中で寝返りを打つと、背後はすでに空っぽ。ぬくもりだけが残っている。
私の夫、健は、ほぼ毎日、私より一時間以上早く起きて朝食と弁当を作ってくれる。
ありがたい。ありがたいんだけど——たまに、いや、わりと頻繁に、やりすぎる。
私はまだ半分寝ぼけた頭で、今日の朝食がどんな「仕掛け付き」になっているかを予想してみた。
過去の例を挙げると——
パンケーキに私の顔を描く(粉糖でリアルに)
味噌汁に「愛」と書いた人参(気づかず飲むと喉に詰まる)
卵焼きの中にGPS発信機(本当にやった)
……あれ、予想というより被害報告になってきたな。
そんなことを考えていると、寝室のドアがそっと開いた。
「おはよう、プリンセス」
低く柔らかい声。はい、出た。起き抜けにこれを言われると、私は返事に困る。
「おはよ……。プリンセスじゃないって」
「いや、君はこの国で一番美しいから」
「この国の定義は?」
「この寝室の中」
小声でそんなやり取りをしているうちに、彼はドライヤーを手に持ち、私の髪をブローし始めた。
私、まだ起き上がってもいないのに。
「せめて顔を洗ってからにして」
「寝癖は一秒でも早く直すべきだ」
そんな急を要する問題じゃないと思う。
結局、髪を整えられ、艶出しオイルまで塗られた状態でリビングに連行される。
テーブルの上には、まるでホテルの朝食のような光景が広がっていた。
クロワッサン、スクランブルエッグ、サラダ、そして小さな器に入ったスープ。
「今日のスープは免疫力アップ仕様。にんにくとショウガ、それに——」
「GPSは入ってないよね?」
「……入れる場所ないでしょ」
ちょっと間があったのが怪しい。
食べ始めると、味はもう完璧。
料理の腕前は本物なのだ。商社勤めをやめて専業主夫になったのは伊達じゃない。
でも、ふと視線を落とした弁当箱の中身に、私は固まった。
「……健、この卵焼き、ちょっと重くない?」
「愛が詰まってるから」
「物理的に重いって意味」
「……バレた?」
バレるに決まってる。中から出てきたのは、小型のキーホルダーサイズのGPS発信機。
「これ、会社に持っていく私の気持ちも考えて」
「だって、もしも君が帰ってこなかったら——」
「コンビニ行くのにも位置情報取られるのはイヤ」
私はため息をつきながら、発信機をテーブルに置いた。
健はしょんぼりした顔をしたが、それでもパンケーキを皿に置きながら笑っている。
パンケーキには粉糖で「ゆいLOVE」と書かれていた。出社前にこんなの食べたら、口の中まで甘ったるくなりそうだ。
食後、私が化粧をしている間、健はバッグの中身を確認し始める。
これは彼の「出発前安全確認儀式」だ。財布、定期、ハンカチ、ティッシュ、USB扇風機(夏限定)、ホッカイロ(冬限定)、予備の靴下、栄養ドリンク、そして——
「これ何?」
「会議中に眠くなったら食べる用クッキー。胃に優しいカフェイン入り」
正直、ちょっと嬉しい。でもこのままでは「飼われてる感」が増していくのではと、不安になる。
玄関まで見送られ、靴を履いた瞬間、彼がそっと耳元でささやいた。
「今日も一日、愛してる」
その言葉に思わず笑ってしまう。
……こうやって笑わされるから、やりすぎても止められないんだよな、この人。