最後の日
彼の正体に勘づいてからも、二人で会う日々は穏やかだった。取り留めのない話をして笑い合う。この日々がずっと続くものではないとどこかで分かっているが、それでも終わらないでほしいと思っていた。
しかし、最後の日は想像していたよりも急にやってきた。初めて会ってから半年ほど経ったころだ。もちろんその日も雨が降っていた。
「優馬くん!」
「あ、沙紀ちゃん……」
いつもの場所に着いて声を掛けると、優馬くんは元気なく答えた。今までは必ず笑顔で迎えてくれていたのに。ちょうど雨が激しくなったのもあって、なんだかすごく嫌な予感がする。
「何かあった? 」
直球で尋ねてみた。今更まわりくどく聞いたところで仕方が無い気がしたからだ。聞かれた優馬くんは、私から視線を逸らした。それはつまり、何かあるということだろう。それなら言ってほしかった。これだけ親しくなったのに、好きな人に隠しだてされたくない。
「その……驚かないで聞いてね」
少しの沈黙が流れたあと、彼は口を開いた。この一言で、何を言われるのか分かってしまう。その言葉を聞いたら二人の関係がどうなってしまうのかも。
「俺、幽霊なんだ」
ついにこの時が来てしまった。言ってほしくて、でも言ってほしくなかった言葉だ。
「知ってる」
どうにか平静を装ってそう言うと、優馬くんはすごく驚いた顔をした。自分が秘密にしていることがばれていたら、誰でも驚くだろう。なんで、と言っているように見える。
「私の友達で、優馬くんと同じ学校の子がいるの。その子が、坂田優馬は2年前に亡くなってるって教えてくれた。最初は嘘の名前を名乗ってるのかと思ったけど……」
「そっか、ばれてたんだ。それなのに知らないふりしててくれたんだね。ありがとう」
弱々しく笑う優馬くんに、私は泣きたくなった。感謝なんてされる筋合いはない。知らないふりをしていた方が私にとって都合がよかっただけだ。
「でも、それなら話は早いかな。俺と沙紀ちゃんが会うのは今日で最後。今日でお別れだよ」
やっぱりか、と思った。予想していた通りである。このタイミングで幽霊だと告白するということは、何か状況が変わったということだろう。知っているお話になぞらえるなら、きっと彼はもうじき成仏するのだ。だが、分かっていても到底受け入れられる話ではない。私は勢いよく首を横に振った。
「幽霊でもいいよ! 私はそれでも一緒にいたい」
「俺がだめなんだよ!」
私のわがままに、優馬くんが大きな声で怒鳴った。彼のそんな声を聞くのは初めてだった。怒りだけじゃない。切羽詰まった悲しくて苦しい思いがそこには含まれている気がした。
「……怒鳴ってごめん。沙紀ちゃんが悪いわけじゃないのに」
今度は泣きそうな声で謝られる。だめだと言ったのが彼の本意ではないことはすぐに分かった。私が黙り込むと、優馬くんは再び口を開いた。
「俺が死んだのも雨の日でさ、あそこの交差点で傘さし運転のチャリとぶつかっちゃって。死んだ後、なんかよく分からないんだけど、真っ暗な空間で変なやつに声を掛けられたんだ。思い残してることがあるなら、それが叶うまで成仏は待ってやってもいい。そう言われた」
訥々と語る姿を、私はじっと見つめた。これが見納めになるかもしれない。そんな気持ちもあって、目が離せなかった。
「俺はとにかくこの世からいなくなるのが怖くて、咄嗟に恋をしてみたいって言ったんだ。誰かに恋したことがないのは事実だしね。そしたら、3つの条件つきで認められた」
雨の日以外はこの世に現れることはできない。
死んだ場所から半径500m以内でしか動けない。
恋をしたら、成仏をしなくてはならない。
それが3つの条件だと彼は言った。
「だから俺は成仏しなくちゃならない」
私は恋愛ごとに鈍くない。優馬くんが恋をした相手が誰かなんて聞かなくても分かる。話し終えてこっちを見据えた彼にそっと近づいた。雨がさらに激しさを増す。
「いつ? いつまでなら一緒にいられるの?」
努めて落ち着いて言おうと思ったが、どうしても感情的な言い方になってしまう。優馬くんは気まずそうな顔をして答えた。
「この雨が止むまで」
その返答に、私は言葉を失った。そんなの不明確だ。でも、そんなに長い時間が残されているわけではないことは分かる。おそらく夜になる前には、この雨は止んでしまうだろう。
そこからは沈黙が流れた。いつもは何も考えずにいろいろ話せるのに、一番話すべきタイミングで何を言っていいのか分からない。時間がないと思えば思うほど、言葉が出て来なくなっていった。
「雨、激しいね」
しばらくの沈黙の後、優馬くんが呟いた。声は出さずに、うんと頷く。
「仕方のないことだけど、俺ら雨の景色しか一緒に見てないね」
私はまた、うんと頷いた。声を出したら何かが決壊してしまう気がした。
「俺、沙紀ちゃんともっと……」
彼はそこまで言って口を閉じた。また静かになってしまう。もっと、に続く言葉はあえては問わなかった。