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伝統的日本企業勤めの設計者、尻ぬぐいのため夜中の倉庫に侵入す

作者: emceedt

量産には悪魔が降臨する、例外はない。


設計者として6年、幾度となく量産製造に立ち会ってきた中原は量産の度に起こる悪夢と幾度も戦ってきた。炎上したプロジェクトも平穏に進んでいたプロジェクトも、不思議と量産を迎えるにあたり大きな問題が転がり込んできた。だからこそ、自身がリーダーと設計を兼ねた此度のプロジェクトは細心の注意を払い量産に臨んでいた。


サプライヤーでの部品製造、組立工場への輸送、受け入れ、本組立...。


プロセスが進むごとに現場へ足を運び状況を拾いに行く。

試作から品質は悪化していないか?

歩留まりが悪化して欠品は生じていないか?

およそ設計という職務から離れた事柄まで中原は突っ込んだ。悪魔は思いもよらないところから顔を出してくることを、これまでの経験から人一倍痛感していた故の行動だった。デイリーで徹夜明けの朝に上司陣から詰められるほど、悲惨な日々はない。


中原の心配とは裏腹にプロセスは順調に進んだ。組み立てに際して細かい問題は起きたものの、量産から入った不慣れなライン工に起因するものばかりで、工場出張していた中原の熱烈指導で無事解決していた。生産計画に遅れはなく、歩留まりも悪くない。


終始何も起きないまま量産初週が終わり、出張期間を終えた中原は工場を後にした。


「やった!今回はやりきった!こんなに凪いだ量産は初めてだ!」

努力が功を奏した安堵を胸に、帰りの飛行機に乗りこんだ。発売後は市場反応が見られるまで1週間は余裕があるはずだ。思い切って休みを取って旅行に行くのも良いな。来週のプライベートの過ごし方を考える中原の上で、月は怪しげな輝きをたたえていた。


***


「さーて、今週から量産ラインの方だな」


「おう、谷さん。もう体調は良いのかい?」


「すっかり良くなったよ。急に代わってもらうことになって悪かったね」


「そりゃ良かった。試作からずっと谷さんが担当してた工程だからね。量産もやらないとね」


「ハハッ、単にラベルを貼るだけの検査工程よ、誰だって一緒だよ...って、あれ?」


「ん?どうかしたかい?」


「この印刷ラベル...これ試作のままじゃないか?」


「えっ..あっ...」


「上司呼んできて!早く!出荷止めないと!」


***


『【緊急招集】印字ラベルミスの対応相談』


休み明け、有給を申請しようとメーラーを開いた中原の目に飛び込んできたのは緊急招集の通知だった。いったい何が起こったのか。


製品は出荷するにあたり各地域の法に適合したことを証明するロゴがラベルで貼られる。試作段階で適合されていない場合、正規ロゴを印刷するわけにはいかないのでダミーのロゴが印刷される。今回はそのロゴが正規の物に差し替えられておらず、ダミーのまま印刷されているわけだ。

法に関わるものだ。正規のロゴに差し替えなければ売り物にならない。

しかし製品は既に工場から出荷されている。


「印字ラベル...物理的な貼りもの...」


今回のミスは設計の責任ではない。一方で、物理的な改修となるとハードウェアの管理者たる設計者が直々に行わなければ品質が担保できないとされるのがJTC(Japanese Traditional Company:伝統的日本企業)だった。シールを貼るにも肩書が無ければできないとは、本邦の社会人の何と融通の利かないものか。


サラリーマンは何があろうと適合するまでよ!半ば自棄の気分のまま中原は緊急会議に臨んだ。

状況のアップデートは2つ、工場から出荷された製品は1500個、幸いにもオフィスから電車で行ける範囲の倉庫に格納されている。

「そんなわけで倉庫の中の製品を開梱して、ラベルを貼り変えないとね。実際の製品を扱うから傷つけないようにしないとねぇ。となると、やっぱり設計屋さんじゃないとなぁ」

電気リーダーの先制攻撃、場の空気も設計が対応する流れに傾いている。ラベル貼りくらい誰でも出来ると反論するものの、設計者以外は手先に懸念があるからと上位判断で弾かれてしまった。


(はんだ付けの方がよっぽど手先を使うだろうに)


***


「倉庫の持ち主と話が付いた、19時から頼む。メンバーは手が空いている若手にお願いしておいた。」

設計部の上位者の動きは速かった。倉庫への立ち入り許可と資材準備、そして人手の確保がつつがなく行われた。


作業要員として白羽の矢が立ったのは5年目の小杉と2年目の溝口の2人だった。

小杉は中原がチューターをしていたため、今でもよく絡みがある。近く子供が産まれる予定があり、育休取得予定とのことで開発業務から外れて時間を持て余していた。

「奥さんのことはいいのか?遅くなるぞ」

「嫁ちゃんにも許可とってるし大丈夫ですよ。うちは嫁実家も近いですし。残業代稼いで来いって言われてます」

「22時以降は割り増しなんですよね?稼がないとなー」

緊急依頼にもかかわらず溝口の調子は明るい。2年目になり住民税が重くのしかかったところに業務の閑散期が重なり収入減に悩んでいたので、今回の話は渡りに船だったそうだ。

「そうだな、深夜割増だ。とはいえ終電もあるしササッと終わらせよう」


電車とバスを乗り継ぎ、3人は港近くにある倉庫までやってきた。

既に日は落ちており、ひと気が無く外灯の少ない倉庫周辺は不気味な気配に包まれていた。

取り残されたようにポツンと灯がついている管理室に向かうと、予め連絡を受けていたのだろう、警備員が倉庫の入り口まで案内してくれた。

「鍵は預けておくので終わったら必ず施錠して戻しに来てください」

そう告げると警備員は持ち場へと帰っていった。


倉庫内は暗く広く、整列している段ボールは果て無く続いているように思えた。普段意識することのない巨大な建造物と大量の工業物は、人の工業力の深さを象徴しているようだ。そんな深淵の中、天からの啓示を受けたか如く一区画だけ明かりがついており、一同は導かれるように目的の棚に向かった。


「目的の箱はあったな。これから作業に入るぞ。3人いるから『開梱』『貼り付け』『封入』の3工程に分けてライン組むぞ。開梱は溝口、封入は小杉、ラベル貼り付けは俺がやる。製品はもちろん外箱にも傷をつけるなよ。」

「傷をつけるなって、シールで封をされてますよ?きれいに剥がすの難しいです。」

「カッターでひと思いに切るんだよ。小杉が上から新しいシール貼るから大丈夫だ。」

「誰も細かいとこ見ないし気づかないよ。」


お二人ともこなれてません?と言いたそうな溝口をよそに、中原と小杉はゴム手袋を装着し床に養生マットを敷き淡々と準備を進める。言うまでも無く二人ともこの種の対応に慣れている。1年勤めていて現場対応に駆り出されていなかった溝口が、どちらかというとレアケースなのだ。


1ヶにつき10秒、1時間で360ヶ、1500ヶ仕上げるのに休憩入れて4時間半くらい。準備を進めながら作業時間の見積もりを進める。こんなくだらない尻ぬぐいで帰れなくなるのは論外だ。手伝ってくれてる二人のためにも日付が変わる前にこんな所からはオサラバだ!


準備が整うと中原は缶コーヒー、小杉はエナジードリンクを取り出し、一気に飲み干した。人間性を投げ捨て淡々と単純作業を行うマシーンになるための儀式だ。儀式を経て頭のスイッチは切り替わり、体内に取り入れたカフェインが活力を引き出している。

「始めるぞ!10分ごとの台数測りながらやるぞォ!」

急にテンションが変わった二人に気押されつつ、溝口はストップウォッチを開始した。


10分:+59ヶ

20分:+62ヶ

30分:+65ヶ


計算上10分で60ヶ作れていればよく、順調なペースだった。最初の方こそ溝口が製品の箱にカッターの刃を入れることに慎重になっていたが、10分を過ぎるころには躊躇なく封を切れるようになっていた。単純作業は思考を奪う。そして決められた動作にだけ集中することで洗練されていき、最適化されていく。もし個々人がそれぞれ1ヶずつ作業していたとしたら、半分程度の量しか捌けていなかっただろう。作業のライン化はまさに製造業の魔術だ。


2時間が経った。開ける、貼る、閉じる。機械のように早く精密に動くラインは鈍い振動音によって停止した。小杉のスマホに電話通知が来ているようだ。通知を見て、小杉の表情が硬くなったことに中原は気づいた。


「止めて申し訳ないですが、ちょっと出ていいですか」

「もちろん。ぶっ通しで作業してたし、休憩しておくよ」


そういうと小杉は少し離れたところで通話を始めた。中原も溝口も盗み聞きをする趣味はなく、静寂の中で偶然小杉の通話内容を聞いてしまわないよう、他愛無い雑談に花を咲かせた。

「初めての現場対応はどうだ?」

「意外と楽しいですね、自分の責任じゃない仕事は気が楽だし非日常的な感じで。」

「そうなんだよ、他責思考でいるとプラモでも組んでる感じで悪くないんだよな。」

「いやいやプラモ作りとは雲泥の差っすよ。」


そんなことを話しているうちに小杉が戻って来た。


「すみません、帰らなければいけません。」

そう話す小杉の口調は、何があろうと後の作業に加われないことを示していた。

小杉は真面目に現実を見つめ、自分の中に確固たる優先度を持っている男だ。人当たりも良く他者のサポートも喜んで行う一方で、自分の優先度を侵す存在とは頑固として跳ね返す強さがあった。

「家庭のことか?」

「はい...。嫁ちゃんが急に調子崩しちゃって、もしかしたらってことがあるって。だから、俺、行かないとで。」

「そりゃ大変だ、早く行きな。こんな下らない作業やってる場合じゃないよ」

「すみません、ありがとうございます。溝口も、本当に申し訳ない」

「いえいえー僕の方は全然大丈夫っす!」


「で、作業の方って大丈夫なんですか?」

小杉が抜けた後、溝口は問いかけた。

小杉から帰る話が出た時、中原は早々に作業時間の再見積もりをしていた。

1人ではラインを構成するのは難しい。1人が1ヶ終わらすのに60秒はかかるだろう。残り台数は700ヶほど、1人350ヶ仕上げるとして6時間。2人でやっても作業終了予定時間は27時頃になる計算で、徹夜仕事確定だ。

「溝口は予定通り23時30分まで作業したら帰ってくれ。あとは俺が全部終わらせる。」

「え、確かに徹夜するのはイヤですけど、中原さんにぶん投げて帰るのも...」

「気にするな、元々サポートとして来てもらってるだけで、こっちとしては手伝ってもらえるだけありがたいんだ。」

「そう言ってもらえると..。しかし中原さんが尻ぬぐいするってのも変な話ですよね。ミスしたの製造チームなのに。僕だったらバックレちゃいますよ。」

溝口のあまりに率直な態度に中原は苦笑しつつこたえる。

「俺はリーダーだからな、ハードウェアに関することは少なからず責任はあるんだよ。周りがどうであろうと自分の責任と仕事は全うする。他責思考で考え始めると仕事の質は下がるし、しょうもない人間になっちゃうからな。」

そういうものですかねぇと溝口は腑に落ちない様子だ。2年目だとまだ会社に順応してないだろうが、何れJTCなりの仕事と責任が理解できるようになるだろう。もしくは、転職するか。


その後作業を再開し、溝口は予定通り23時30分きっかりに作業を終了して帰宅した。場面的に帰りにくそうなものだが、割り切ってすっぱり帰れるところが溝口の凄い所だと中原は思った。自分が若い時に先輩に仕事をお願いして帰るのは後ろめたさがあったものだなと。


1人もくもくと作業を続ける中原の頭には様々な考えが巡り巡っていた。

製造チームはなんでこんな凡ミスをしたのか?量産を迎えるにあたっての最終チェックはないのか、工程が俗人的なものになっていたのか。何が起こったのか、どうすれば防げたのか。誰もいない暗闇の中に空想のラインを描き、何度も描きなおし、あるべき理想の工程を考えていた。中原の頭の中から当初抱いていたミスへの怒りは消えていた。作業を手伝わないと述べた時の電気リーダーのニヤケ顔も消えていた。頭の中は起こった事象の謎解きでいっぱいになっており、中原にとってそれはミステリー小説を読み解くような興味深いものだった。


最後の1箱を終えるころには夜明けが迫っていた。上長に作業終了のメールを送ると、秒速で「お疲れ様!」と返信が帰って来た。流石マネジメント層、根っからの仕事民族だ。早起きしているのか徹夜しているのかは深く考えないようにしよう。

予想していたより早く終わった。溝口が予想よりも多めに仕上げてくれていたようだ。今度コーヒーでも奢ってやろう。一晩中考え事をしていたからか頭の中は徹夜明けと思えないほど冴えており、爽やかな朝の空気が不思議と活力を与えてくれるようだった。

ふとスマホにメッセージ通知が入る。小杉だ。

「無事に産まれました!」

結局あいつも徹夜だったんだなと苦笑し、『おめでとう!』と返す。

外に出ると朝焼けが青と紫の美しいグラデーションを描いていた。色々なことに片が付き爽やかな気分だった。


「今日は流石に休むか。そしてまだ、終わりじゃない。」


***


「正規担当が病欠したこと、確認が属人的だったこと、作業員間の引継ぎが不十分だったこと、これらが発生原因です。対策として作業員への教示を徹底します。」


後日、ラベルミスの発生に対して工場側から『なぜなぜ分析』の報告が行われていた。偉大なる超大企業により再発防止を目的に発明された本手法は伝言ゲームを経て、中原の会社ではミスした部署を攻撃する武器と変化していたのだった。


「担当者の責任感が足りなかったんじゃないですかぁ?職務は全うしてくれないと」

湿度の高い言い方で電気リーダーが詰め寄る。

「上司がちゃんとフォローしてないのが悪いよ。なに担当任せにしてるの?」

品質保証リーダーは薪をくべて延焼範囲を広げようと必死だ。


中原はうんざりしていた。ミスしてしまったことは仕方がない。幸い中原たちの尽力で大事にならなかったのだし、後はいかに再発を防止するかに注力すべきだった。しかし眼前で行われているのはストレス解消のための私刑に他ならない。


「電気チーム、検査工程見てますよね?機能チェックするんですから。その時にラベルチェックしなかったんですか?」


あまりに見ていられず、中原は口をはさんだ。

突如矛先を向けられた電気リーダーの顔がみるみる険しくなっていく。

「我々はラベルの印字内容まで把握していないんだよ」

「そうですね、すべての担当者が印字を把握するのはあまり現実的ではないです。だからこそ属人的な工程となり今回のミスが起きたわけですね。」

工場担当者が頷く。

「作業員への教示を徹底するのもいいですが、根本的に対策するならシステムや工程で対策すべきです。外観検査用のカメラ工程ありますよね?あそこでラベルの内容も画像認識でチェックできないでしょうか?」

これが作業しながら考えていた、中原の再発防止策だった。既存の設備の延長でかつシステムに落とし込む。比較的すぐに対応できそうなところも良いところだ。

「アイデアありがとうございます!早速検討して、対応可否を後日報告いたします」

工場側の感触も悪くなさそうだ。何より平和で前向きな時間になってよかった。

本当はこういうのを品質保証や製造技術から提案してほしいのだけど、という一言が出そうになったが、あえてケンカを売ることもないだろう。


結局今回の量産も悪魔にやられたな。次こそは凪いだ量産を。

そう心に誓い、中原はまた新たなプロジェクトへと移っていく。

古き良きJTCの日常を残しておきたくて書いてみました。

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