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トロイワシ



 魚へんに弱いと書いて鰯。その字の通り、イワシは傷みやすい魚だ。だからここは、手っ取り早く氷締め。


 スーパーで買う場合、目が赤くなってるもの、お腹が柔らかくなってるものは避けよう。痩せて頭が大きく見えるものも選ばない。小顔で目が綺麗な、丸々としたイワシを選べば美味しいものに出会えるよ。


「やったー! 私も釣れたよ!」

「こっちもヒットー!」


 三人揃って順調な滑り出しだ。サイズもそこそこ良くて、二十センチ前後のイワシが入れ食い状態になっていた。


 結構大きな群れなのかな……? だったら、これを追う大型魚が入ってきてもおかしくないよね。すぐに切り替えられる準備はしておこう。


「何だか本当、怖いくらいに釣れるわね」

「釣り人に嬉しいフィーバータイムですよ。たくさん釣っても保存はできるし、アサカさんやシルキーにもお裾分けしたいですしね」

「イワシも干物にできるのね」

「はい。他にも塩に漬けてもいいし、オイルに漬けてもいい。本当に万能な魚なんです」


 今釣れているのはマイワシ。刺身や煮付けにされているものをイメージしてくれたらいい。他にはウルメイワシとカタクチイワシがいる。どっちも干物にされていることが多いけど、カタクチの方は煮干しって言った方が想像しやすいかもね。


 馴染み深い保存もので言うとあとは、アンチョビとオイルサーディンかな。

 アンチョビは基本、カタクチイワシ。オイルサーディンはマイワシかウルメイワシを使ってる。作り方にも違いがあって、アンチョビは頭や内臓を処理して塩漬けにした非加熱のもの。オイルサーディンは植物油と香辛料なんかで加熱して漬け込んだものだ。


 料理での使い分けも簡単。アンチョビはそのまま食べるものじゃなく、調味料として使えばいい。塩漬けだから塩辛いんだ。逆に、オイルサーディンはそのまま食べても美味しい。もちろん、料理のアクセントとしても使えるけどね。


「み、ミコト! あそこ、何だか水面がわちゃわちゃしてない!?」

「う、うおぉー! ほんとだ! ナブラ発生じゃん!」


 あたしはすぐさま仕掛けを回収して、サビキからメタルバイブに付け替えた。本当は表層を攻めたいんだけど、ナブラまでの距離が遠い。だから、それを稼ぐために重めのルアーチョイスなんだ。


「ナブラ……? あそこに何かあるのですか、ユフィ様?」

「ナブラって言うのはイワシみたいな小魚が大きな魚に追われて、水面近くまで追い詰められた状態のことだよ。だから、あんな風に水面がわちゃわちゃしてる下には、大きな魚がいるんだ」

「小魚がパニックを起こしている状態、と言うわけですね」

「うん。そこに大きな魚が食い付くような、捕食行動が出たら、それがボイル。こうなったら激アツだぁー! って、ミコトが言ってた」


 さすがはユフィ。日々の学習が身に付いている。

 ナブラとボイル。混同されがちだけど、ユフィが説明してくれた通りだ。ナブラは追われた小魚たちのことを指し、ボイルはそれを食べに襲い掛かったフィッシュイーターのことを指すんだ。

 もう一つ、ライズって言葉があるけど、これはフィッシュイーターが捕食の際に勢いよく水面から飛び上がったことのことを言う。


「船に乗っている時にたまに見掛けたけれど、あの水面のざわざわにはそんな理由があったのね……」


 一投目は何事もなくルアーが帰ってきた。けど、ナブラはまだ発生中。まだまだチャンスタイムは続いてる。


 すると、ルアーが着水した地点よりももう少し先の方で水飛沫が上がった。


「ボイルだ! うおぉーし!」


 やる気、テンション、期待値、いろんなものが上がっていく。それなのに、あたしのルアーには何の反応もない。

 暫くすると、少しずつナブラの範囲が小さくなっていき、数分後にはただただ穏やかな海面へと変わっていた。


「ナブラ、消えたね……」

「ええ。そして、ミコトの勢いも完全に消えましたね……」


 ちーん。そんな効果音が鳴りそうなほど、あたしはがっくりと肩を落としていた。


「もう帰って寝たい……」

「み、ミコト……。けど、ボイルまで起きてたのに何で反応がなかったんだろうね? 激アツのはずなのに……」

「ルアーのアピール力が弱かったんだよ。本来ならポッパーとかペンシルベイトとか、トップウォーターで水面をばちゃばちゃさせてアピールする方が有効的だった」

「何でそうしなかったの?」

「距離だよ。ナブラまでが遠くて、重たいルアーを投げざるを得なかったんだ」

「メタルバイブってそんなにアピール力がなかったっけ……?」

「普段はそうでもないよ。けど、周りにたくさんの美味しいイワシの群れが泳いでたらどうよ?」


 あっ、とユフィは口を開け、キーナさんは「なるほど」と言いたげに手を打った。


「本物の餌を前にしたら、ただ小刻みに震えて泳ぐだけのルアーじゃ弱い。水面を叩いたり、音を出したりするルアーの方が、本物の餌の中にあっても目立つんだよ。でも、もちろんメタルバイブでも釣れないわけじゃない。それは単純にあたしの実力不足だよ……」

「ミコトでも経験値が足りないなんて、そんなことがあるのね……」

「全然ありますよ。あたしに釣りを教えてくれたお祖父ちゃんには、まだまだ敵いませんから」


 さっきのあたしは、ナブラが発生したことに興奮して、ルアーを魚の群れの中に通すことばかり考えていた。その結果、本物に埋もれた偽物には気付いてもらえなかった。

 だからこの場合、敢えて魚の群れの下を通すべきだったんだ。そうすれば、群れから逸れたベイトフィッシュを演じることができただろうに。


 もちろん、そうすれば必ず釣れるってわけじゃない。善戦はできたかも、って話だ。ただ、あの場面で冷静に見極められるだけの実力がなかったのは事実だね。


「イワシの方はどうです?」

「さっきまでは釣れていたけど、随分と反応が寂しくなったわね」

「他の群れが追われているのを見て、逃げちゃったのかも知れませんね。ちょっと移動しましょうか。もう少し沖の方へ行ってみましょう」

「了解よ」


 移動した先ではアジが数匹釣れた後、暫くするとまたイワシが釣れ始めた。さっきと同じ群れってわけじゃないだろうけど、こちらもサイズは上々だ。


 そうこうしているうちに、スチールボックスの中はイワシでいっぱいになったんだけど、まだまだ釣れる気配はある。でも、さすがにもう十分だ。自分たちが処理できる分だけ釣る。処理できそうにないならリリースする。節度は守らないとね。


「今日のところはこれで終わりにしましょうか。今日のご飯どころか保存食まで作れそうですよ」

「イワシ料理、楽しみだなぁー」

「アサカ、呼びましょうか。多分、飛んでくるはずよ」


 だったらシルキーも、と思ったんだけど、領主の娘を気軽に誘っていいものなんだろうか。前に釣りには釣れ出したけど、あれはギルド活動の一環だし、今回は単なる食事だしな……。

 街へと向かう船の上で考えていたんだけど、港に着くと思わぬ展開が待っていた。


「キーナさん、場所はスタインウェイ家の屋敷でいいですか?」

「ええ、船を片してから、アサカを誘ってお邪魔させてもらうわ」

「じゃあ、先に帰ってますね。今日も船を出してくれて、ありがとうございました」

「その分、美味しい料理を期待しているわ」


 港でキーナさんと別れ、重くなったスチールボックスを肩に下げながら歩いていく。何とも嬉しい重みだ。よくお祖父ちゃんの手伝いで、バケツいっぱいの魚をお祖母ちゃんの待つ台所まで運んだっけ。

 それを思い出していると、


「ミコ姉ぇー!」


 と、明るい声。どこだどこだ、と辺りを見回すと、後ろからシルキーが走ってきているのが見えた。その更に後ろにはクライブ様の姿もある。


「おお、シルキーじゃん。どうしたの、こんなところで?」

「お父様と港の視察に来ていましたの。港をもう少し大きくしたいと、航海ギルドの方からの要望がありまして」

「そうなんだ」

「ミコ姉は釣りですか?」

「うん。ちょうど良かった。これからユフィの屋敷で、アサカさんとキーナさんとで釣れた魚を食べるつもりだったんだ。シルキーも一緒にどう?」

「い、いいのですか!?」

「シルキーも釣りギルドの仲間なんだから当然じゃん」


 クライブ様にもオッケーを貰い、シルキーはそのままあたしたちと一緒に屋敷へ向かうこととなった。


 屋敷にはネリスタさんがいて、シルキーの来訪に少し驚いている様子だった。いきなり領主の娘が家に来たら、そうだよね。連絡くらいほしいもんだ。

 そのままネリスタさんがシルキーの対応をしてくれるのかと思いきや、シルキーはあたしたちと一緒にキッチンへと向かうことに。どうやら今日釣れた魚が気になるみたいだ。


「わぁー! たくさん釣れたのですね! これは何と言う魚ですの?」

「これはイワシだよ。小さくて傷みやすい魚だから、手早く処理していかないと」


 シルキーは、この量を!? って顔してるけど、カマスの時に経験済みのユフィはそれほどでもない様子だ。何なら手伝おうか? くらいのノリだと思う。


 けど、それがいいかも。イワシはカマスなんかより捌くのが簡単だし。初めて魚を捌くならイワシが圧倒的におすすめだ。

 何てったって包丁、ほぼ使わないでいいからね。


「二人もやってみる?」

「いいの!?」

「わ、私にできるでしょうか……」

「絶対できる。それくらい簡単だから」


 二人のまな板と包丁を用意したらレクチャー開始だ。


「じゃあ、まず包丁でイワシの頭を切り落とします。力は入れなくても大丈夫だから、慎重に焦らずね。そしたら、お腹の方を切って内臓を掻き出したら、切り落とします」


 包丁を使うのはここまで。


「お腹の中をブラシでよーく洗って綺麗にします。タオルで水気を拭き取ったら、お腹の中に両手の親指を入れて、骨の上の身を裂くようなイメージで左右に動かしていく。そうしたら、開いた状態になるでしょ。あとは尻尾の部分の骨を折って、この中骨を身から引き剥がしていく。はい、これで完了」


 これがイワシの手開きだ。イワシは身が柔らかいから、指で簡単に開けてしまうんだ。寧ろ、包丁を使う方が却って汚くなってしまうくらい。


 にしてもこのイワシ、結構な脂の乗りだぞ。これは間違いなくトロイワシだ。


「じゃあ、二人もやってみて。あっ、取った骨は捨てないでね。これも料理に使うから」

「はーい」


 何だか家庭科の授業みたいだ。さすがに魚を捌く、なんてことはしなかったけど。でも、先生としてしっかり教えないとね。


 まずユフィの方は魚を触ってきた経験が長い分、動きに躊躇いがないように見える。あたしが料理しているところを一番見てるのもユフィだし、やっぱりそこの差は大きいみたいだ。

 包丁の扱いはまだまだ不慣れな感じだけど、頭を落として腹を切る、くらいの作業なら問題はなさそうだね。


「親指で身を引き剥がすイメージ?」

「指の先を骨と身の間に滑り込ませていくイメージかな。そしたら、骨から身が外れるから」


 シルキーは見ていて危なっかしさは多少ある。包丁を持つのも初めてくらいだと思うし。でも、だからこそ慎重に、丁寧に作業を進めている感じはある。血や内臓を見ても平気そうだし、意外と異世界のご令嬢は肝が据わっているのかもね。


「ミコ姉、お腹の中はこれくらい洗えばいいですか?」

「おお、十分だよ。あんまり時間を掛けすぎても身が傷んじゃうからね」


 出来のいい生徒二人のお蔭で、アサカさんとキーナさんが来る前には今日頂く分のイワシを開ききることができた。


「二人とも、手伝ってくれてありがとう。最後の方は結構スピード上がってたね」

「そ、そうかなぁ」

「けれど、それでもミコ姉には敵いませんでした」


 さて、ここからはあたしが腕を振るわないとね。このトロイワシをどう料理してやろうか。


 ……うーむ。

 めちゃ悩む……。




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引き続き宜しくお願い致します。

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