スズカゼ風ピクルス
「ユフィ、立てる?」
「うん、ありがとう」
先に立ち上がったあたしが手を差し出すと、それを握ってユフィも立ち上がる。けど、すぐに悲鳴のような大声も上げるのだった。
「ど、どうした、ユフィ!?」
「ろ、ロッドの先っぽが……!」
「あっ! ティップが折れちゃったのか……」
ロッドの先の部分をティップって言うんだけど、そこが折れてしまっていた。
「折れてなくなっちゃったのかな……?」
「多分、それは大丈夫。ガイドにラインを通してるから、ルアー側の方に……」
ロッドを伝うラインはガイドって言う小さな輪っかに通されている。ロッドの先端もにもこのガイドがあるから、ここが壊れない限り折れた先っちょはライン上のどこかにいるはずだ。
「ほら、あった」
「う、うん……でも……」
今にも泣き出しそうなユフィ。その頭に手をそっと置いて、あたしは微笑んだ。
無責任なことは言いたくない。だから、これには自信がある。もしも自分のロッドが折れてしまったら、迷わずあたしはそこに行くから。
「アサカさんのところに行こう。大丈夫、あの人ならきっと直してくれるよ。そのロッドだって、アサカさんが作ったんだ。修理の仕方は誰よりも知ってる」
「そ、そうだよね」
バスのサイズ対決はお預けってところかな。急いで片付けをした後、まだ不安そうなユフィを連れて、あたしはアサカさんの工房へと向かった。
工房に着いたのはお昼前のことで、いつものようにドアを開けようとしたんだけど、今日は中から何やら話し声が聞こえてきた。
そりゃ、ここはアサカさんのお店でもあるわけだから、お客さんは来るだろう。けど、何だか口論しているような、ちょっと荒げた声が聞こえる。
「いや、やから! こんなん泥塗れの野菜やん!」
「違いますって! これはこう言う食べ物なんですって!」
恐る恐る覗いてみると、中ではアサカさんと商人風の男性が何か言い合いをしているようだ。
「試しに食ったやつも、めっちゃ酸っぱいし! 腐ってんちゃうん!?」
「そう言う味わいなんですっ」
押し売りにでも遭っているのかな? そんな興味で工房へと一歩足を進めると、足音で気付いたアサカさんと目が合った。
「ミコっちゃん!? ええとこに来たで!」
「え、ええ、何がです!?」
いきなり駆け寄ってきたかと思うと、あたしの手を引いて商人の男性の前に立たせる。
「これの品定めをしてほしいんや」
受付のカウンターの上に置かれていたのは、袋に詰められた野菜と、おそらくはそれを試食するように薄くスライスされたものが小皿の上に乗っていた。
袋の方の野菜は茶色い泥みたいなものが確かに纏わり付いていて、見るからに食べ物とは言えそうにないもの。
スライスされたものにはその泥みたいなのは付いていなくて、見たところキュウリ、オクラ、ナス、みたいだ。
「彼女は……?」
「この子はスズカゼ出身で、料理の腕も抜群な釣りギルドのギルマスや。そっちがこれを食べ物やって言い張るんやったら、この子に判断してもらおうや」
「そ、それはいいですね。私もこれはスズカゼの商人に是非に、と託された品物です。現地の人の太鼓判があれば、アサカんさんも納得してくれるでしょう」
「ミコっちゃん、頼んだで!」
「お願いします、ギルドマスター様!」
えええっ!? いきなり妙なことに巻き込まれちゃったな……。けど、アサカさんにはお願いがあるから断れないし。
てか、これ……さっきから気になってたんだよな。この独特の匂い。懐かしさも漂う発酵臭。
「ちなみにこの食べ物、商人さんは何だと言われたんです?」
「スズカゼ風のピクルスだと」
マジか。
あたし、スズカゼに転移してたらもっと馴染めたのかもな……。
「一つ、頂きますね」
「めっちゃ酸っぱいで! ちょっとにしときや! 齧る程度にしとき!」
と言われつつも、あたしは一切れ丸々を口に放り込んだ。さすがに心配だったのか、ユフィも駆け寄ってきて、あたしの表情を窺っている。
久しぶりのこの味わいに、頬を緩めるあたしの顔を。
「だいぶ漬かってますね。確かに、慣れない人にはクセのあるものかも知れません」
「てことは、これって……?」
「ぬか漬けって言う、ピクルスです。一般的なものはもう少し浅く漬かっていて食べやすいんですけど、もしかしたら運ばれているうちに古漬けみたいになったのかも」
「……食べ物なん?」
「食べ物です」
「腐ってないん?」
「腐ってません」
一拍間を置いたアサカさんは、腰を九十度に曲げ、背中を真っ直ぐ伸ばし、
「さぁーせんしたぁあああああー!」
と、高校球児ばりに綺麗なお辞儀をするのだった。これには商人さんも苦笑い。わかってくれたらそれでいい、と言ってくれた。
お詫びとしてアサカさんはぬか漬けを一袋購入して、商人さんは工房を後にした。
「いやー、ミコっちゃんにも迷惑掛けたな」
「いえ、別に。あたしもアサカさんに相談があったので」
「何、なに? どないしたん?」
ユフィはカウンターにロッドと、折れたティップを乗せた。それだけで状況は理解してくれただろう。だから、あたしは折れた時のことを少しだけ話す程度だった。
「やっぱなー。壊れるとしたら先っぽかなって思ってたんよ。一番、負担掛かるところやし。もっと強度上げとくべきやったかな」
「一概にはそうとも言えなくて、ロッドの強度のメリット、デメリットはあるんです。あたしたちが持っているリールのパワーからすれば、柔軟性の高いロッドの方が相性がいいと思います」
「そんなら強度って言うよりは、しなやかさを上げた方がええな」
「できますか?」
「もちろんや。折れた部分をくっ付けて直すよりかは、上の部分を新しく作り変えた方が簡単やし、より丈夫になるやろ」
あたしのロッドをモデルにしているから、ユフィのロッドも2ピース、上下のロッドを繋ぎ合わせるタイプのロッドだった。持ち運びやすさと強度、この両方を見た時に2ピースが個人的にはちょうどいいかなって思ってる。
持ち運びにもっと特化するなら、4ピースとか5ピースのパックロッドって言われるやつがあって、このロッドなら手提げ袋に入っちゃうくらい小さくなる。
通勤用の鞄に忍ばせておいて、仕事終わりにちょっと釣りして帰る大人がいるとかいないとか。
「じゃあ、早速うちは仕事に取り掛かるけど……せや、ミコっちゃん。この、ぬか漬けやっけ? これ使って何か作れんの?」
「ぬか漬けを使って、ですか? これはご飯のお供って言うか、お米と一緒に食べるのが主流であって……――」
いや、待てよ。アサカさんち、昆布あるからな……。さっきみたいにスズカゼのものを取り寄せているお蔭か、米と豆腐もあることを、あたしは知っているのだ。
「夏本番にはまだ早いですけど、暑い日におすすめのもの作ってみますね」
「ミコトが魚以外の料理するなんて初めてじゃない!?」
「あたし、魚専門の料理人じゃないからね……」
まあ、今から作るものも料理って言えるほどのものじゃないけどね。ぬか漬けじゃなくてもいい。寧ろ基本は生野菜、特に夏野菜があれば簡単に作れるものだ。
けど、その前に。
「リールのメンテナンスを先にやっておこうか。いい機会だし、ユフィも覚えておくといいよ。道具を長く扱うには、日々のメンテナンスが重要だからね」
「うん! よろしくお願いします」
工房はアサカさんが使っているから、あたしたちはキッチンの流しを借りることにした。
「と言っても、今日は淡水での釣りだったから、汚れを取るだけでいいんだけどね。これが海水だった場合、金属は錆びちゃうから、しっかりと念入りに洗わないとダメだよ」
「そっか、いつもはミコトがそう言うメンテナンスをしてくれてたんだね」
「覚えておいて損はないしね。じゃあ、まずはリールを洗うよ。この時に気を付けるのはドラグを締めること。緩めたままだと中に水が入っちゃうから」
「りょーかいです」
「水は冷水でね。お湯だと潤滑油の役割をしてる油が流れ落ちちゃうからね。あとは、面倒臭がってバケツに溜めた水にドボンと漬けたりするのもダメ。リールの上から水を掛けて、汚れを洗い落とす」
「こんな感じ?」
「そうそう。そしたら綺麗なタオルでよく拭いてあげて、陽の当たらないところで陰干ししておこう」
洗い方と洗う水の温度。そして、最後に水気を取って陰干しする。これさえ守れば、日々のメンテナンスは完璧だ。
他にもオイルやグリスを使ったメンテもあるけど、これは頻繁にやるものじゃない。あたしは月一くらいを目安にしてるかな。
「次にルアーのメンテだね。こっちも淡水だったからって油断してると錆びる。フックが錆びると掛かりが悪くなって、フッキングミスに繋がるから大事な作業だよ。まあ、これも水洗いするんだけど、ルアーの場合は温水でも大丈夫だよ」
「油がないからだね」
「そう。塩水の場合も温水の方が汚れが落ちやすいよ。これも洗った後はしっかり干す」
「使ったワームは?」
「理想としては使い捨てがいいんだろうけど、普通に勿体ないよね。あたしはお金持ちでもないし。だから、あんまり傷付いてなくて、また使えそうなやつは使い回すようにしてるよ。明らかにボロボロのやつは残念だけど、捨てるしかないね」
ワームに関しては人それぞれでいいと思う。使い回せばパフォーマンスは落ちる。そうなれば釣果も必然的に下がるんだ。これがプロで、試合や大会だったならワームの使い回しなんて絶対にしない。
けど、あたしは単なる女子高生アングラーで、趣味で、好きだから釣りしてるだけ。絶対的なパフォーマンスよりも、お財布への優しさを重視してしまうんだ。
みんなも天秤がどっちに傾くか。それで判断すればいいと思う。
「ロッドも淡水だったら汚れを拭き取って、海釣りの場合はしっかり洗って干すといいよ。どれも同じようなことをやるだけだから、釣りから帰ってきたらメンテする、ってのを習慣付けておくのがいいかもね」
「それが道具を長く使い続ける秘訣なんだね」
「そう言うことだね。よし、じゃあメンテも終わったし、今度は料理に取り掛かりますか」
「ピクルスを使う料理かー。あんまり想像できないんだよね」
「料理ではあるんだけど、それ単体で食べるって言うよりは、何かに掛けると美味しく頂けるものを作ろうと思うんだ」
「ソースみたいなこと?」
「ニュアンス的にはそうだね。ご飯に掛けてもいいし、スズカゼ風のパスタに掛けても美味しい」
スズカゼにうどんとか素麺があるかは知らんけど。でも、ありそうだよね、ぬか漬けがあるんだから。
そして、今から作ろうとしているものも、あるんだろうか。
「へぇー、楽しみ! それは何て料理なの?」
「だし、だよ」
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引き続き宜しくお願い致します。




