提灯とトラップ
「ユフィ、ラインを少しだけ引っ張ったり戻したりして、あの引っ掛かったワームを揺らすことできる?」
「や、やってみる」
ロッドを軽く振ると、宙吊りのワームがちょんちょんと水面を叩くように波紋を立てる。
「いい感じだよ、ユフィ!」
「そ、そうなの!? 私には何をやってるのか、さっぱりなんだけど……」
枝に引っ掛かったワームが水に付いたり、離れたり、付いたり、離れたり……。それの繰り返しに大きな意味がある。
「ユフィにはあれがミミズのワームに見えるんだろうけど、バスにはどう見えてるかはわからない。例えばあれが、水に落ちちゃって溺れそうになってる昆虫に見えるかも。もしかしたら、泳ぎ疲れて岸際に寄ってきた小魚に見えるかも知れないよね」
何にしたって、あんな風にちゃぷちゃぷ音を立てて水面を揺らすんだ。嫌でもバスの興味を惹く。
だから、
――ボコっ!
「食った!」
「す、凄い、今の! バイトの瞬間、丸見えだったよ!」
水面が盛り上がったかと思うと、重厚な破裂音を響かせて、バスが宙吊りワームを丸呑みした。そのお蔭でラインは枝から外れ、普段通りのランディングに持ち込めている。
「うほー、あんなバイトするだけあって、アグレッシブなバスだね。よく走る。ユフィ、バスの好き勝手にさせちゃダメだよ。自分でコントロールして」
「な、何か、ブラックバスってこれまでの魚と引きが違う……!」
「バスもスズキと同じで、エラ洗いするから気を付けて」
「それ、恐怖でしかないよぉ……」
どうやらエラ洗いをするまでの体力は残ってなかったのか、それともユフィが上手くコントロールしたのか。バスが力なく浮かんできたところを、あたしが網で掬い上げた。
「おお、いいサイズ! やったね、ユフィ!」
「ありがとー! けど、ホッとして力が抜けたよぉ……」
見た感じ、四十はなさそう。でも、丸々と太った重たいバスだ。今はサイズの勝負をしているけど、バス釣りの大会だと重量の勝負もあるから、そっちだと本命クラスの一本だね。
「うーん……ミコトの記録は抜けなかったかー」
一応、計測してみたところ、五センチくらい届いてなかった。悔しそうな言葉を漏らすユフィだけど、その顔はどこか嬉しそうにも見えた。
バスを優しくリリースしたユフィは、池の水で軽く手を洗った後、その掌をじっと眺めていた。怪我でもしたんだろうか。
「ユフィ?」
「ああ、うん。大丈夫。ちょっと、痺れたなーって思って」
ちょっと興奮気味に笑うユフィに、思わず笑い声を零してしまった。
「あははっ、わかる。バスの引きって、ほんとパワフルだもんね」
「そう! そうなんだよ! 何て言うのかな……魚と本気で勝負してるって感じが今までよりも伝わってきて、一秒も気が抜けなかったんだよね」
「ユフィは凄いよ。初バスであのサイズだもん。あたしなんて、何年も掛かってようやく十センチそこらの赤ちゃんバスが初めてのブラックバスだからね」
「そ、そうだったの!? ミコトならいきなり大きいの釣りそうなイメージだったけど」
「全然だよ。だから、好きになったってのもあるかもね」
釣りってものを覚えたのは多分、小学校低学年くらいの時。そこからいろんな魚、いろんな釣り方を知って、初めてバスを釣ったのは中学一年の時。
バス釣りの歴だけで言えば、一年とちょっとくらいかな。けど、一年も掛かってようやく赤ちゃんサイズだ。今日のユフィとは雲泥の差。それでもバカみたいに喜んだけどね。
簡単に釣れないからこそ、釣れた時めちゃくちゃ嬉しい。この快感を憶えてしまった日からあたしは、バス釣りの虜になってたんだろうな。
「それにしても、初バスを提灯釣りで釣るユフィには驚きだよ、マジで」
「提灯、釣り?」
「そう。ラインを木の枝なんかの障害物に引っ掛けさせて、ルアーを提灯みたいにぶら下げて釣るテクニックのことだよ」
「そ、それはミコトが指示てくれたお蔭であって、私は何もしてないよ……」
「いやいや、あそこでラインを引っ掛けて、あたしに声を掛けなきゃ生まれなかった奇跡みたいなものだよ。ユフィには釣りの神様が傍にいるのかもね」
あたしは提灯釣りで釣ったことないしねっ。釣りの神様ってほんと手厳しい……。
「奇跡、か……。そう言われるとちょっと納得かも。同じことをもう一回やれって言われても、多分できない」
「そうだね。提灯釣りを狙ってできるのは、キャスト精度の高いプロレベル。あたしでも狙ってはできない。たまたまラインが引っ掛かっちゃったから提灯でもやってみるか、ってレベル。偶然の産物だからね」
釣りと池の調査を再開させ、ようやく半周したかなってところで小さな流れ込みを見付けた。山から流れている小川みたいで、結構な泥を含んでいる。多分、雨の影響とかじゃなく、元からこう言う色だから池全体も濁ってるんだと思う。
見た目は泥水だけど、山の養分がたくさん含まれているはずだから、ここの生き物たちにとっては恵みの水なんだろうな。
「ユフィ、あそこの流れ込みを狙ってみなよ。ああ言う場所をインレットって言って、魚が集まる一級ポイントなんだよ」
「い、いいの? 私がやっちゃって……?」
「二人で一緒に、ってのはさすがに無理だからね。ユフィに経験してほしいから、ここは譲るよ」」
「ありがとう、ミコト。よーし、じゃあ釣ってやるぞー」
「流れ込みの先を狙って、ワームを自然に流してみて。流されてきたミミズをイメージするんだよ」
キャストはバッチリ。余分なラインを回収しつつ、ワームを流れに乗せる。
行け! 食え!
「うーん……ダメだったみたい……」
「もう一回やってみよう。こう言う一級ポイントとか自分が気になったところは、二回か三回くらいはルアーを通すといいよ。濁ってるからバスがルアーを見逃している可能性もあるからね」
で、三回通すけど不発。これはユフィの腕の問題じゃなく、単にバスがいなかったってだけだ。一級ポイントでもタイミングが合わないとこうなる。
暫くインレットの周りを攻めていると、あたしの方にアタリ。けど、手応えは小さなもので、ぐーんと鈍い引き。
こいつは多分……。
「やっぱ、ゴイニーさんか。ボトムはニゴイばっかなのかな……?」
ザギンでシースー、みたいな業界用語じゃないけど、ニゴイをゴイニーって呼ぶアングラーが結構多い。他にはズーナマとか。
「み、ミコト! あ、あそこに何か大きな魚がいるよ!」
「どれどれ?」
「対岸の岩の陰!」
ユフィが指差す方、対岸の浅瀬に岩が一つあって、それに寄り添うみたいに黒くて長い魚影がじっと身を潜めていた。
「おお、ナマズじゃん」
通称、ズーナマ。
「お、大きいし何でか全然動かないから……怖いんだけど……」
「五十センチありそうだね、あれ。動かないのは多分、寝てるんだと思う」
「寝てるの!? 凄いお寝坊さんな魚だね」
「基本、夜行性なんだよ、ナマズって。ここみたいに濁った水質だと昼間でも活動してるみたいだけど、心地いい気温だから浅瀬で寝てるんだろうね」
少し前まではバス釣りの外道とされてきたナマズだけど、ここ最近はナマズ狙いのアングラーも増えているみたい。って言うのも、ナマズの引きもバスに負けず劣らずパワフルで、引き方も結構独特だったりする。
バスは直線的な引きだけど、ナマズは体が柔らかいから、くねくねした引きって言うのかな? これにハマるアングラーが多いみたい。
川や池はもちろん、用水路とかにもいるから身近なターゲットって意味でも人気なのかも。
あと、意外と美味しいんだとか。蒲焼きにすると何と、ウナギみたいって話だ。そのうち挑戦してみようかな。
「インレットの小川を越えて、対岸の方に回ってみようか」
川幅が狭くなったところを飛び越えて、寝ているズーナマさんを起こさないように静かに進んでいく。
対岸の方は雑木林になっていて、湿った腐葉土の匂いが立ち込めていた。
「ボトムはニゴイが多そうだし、トップでやってみようかな」
トップウォーターの候補はいくつかあったけど、あたしはジョイントルアーを選択した。実はまだ、この子ではバスを釣ってないんだよね。てか、この子で釣ろうと川に通い詰めてたら異世界に迷い込んでしまったんだ。
だから、そう考えると、このジョイントルアーがユフィとの出会いを導てくれたのかも知れないな。
「あそこの倒木、気になってたんだよね……」
向こう側にいた時から、対岸のここには目を付けていた。寿命なのか病気なのか、川岸にあった木が池の中へと折れて倒れていて、結構太い幹が水面に浮かんでいる。
こう言う障害物や遮蔽物は魚の隠れ家になるから、バスも集まりやすいポイントだ。カバーとも言って、他にも浮き草とか水の中に生えている水草とか立ち木なんかの自然的なカバーと、杭や桟橋なんかの人工的なカバーの二種類がある。
「木の傍、ギリギリを通すイメージで……」
倒木の少し先にキャストして、木の先端までは少し速めのリトリーブ。何かに追われて隠れ家に駆け込んできた魚をイメージして、木の傍ではゆっくりめのリトリーブ。ここでは逃げられて安心した魚を演出するんだ。
倒木のほぼ中央で完全に動きを止めて、ただ浮かべておく。すると、黒い二つの影が池の底から浮き上がってきた。
来たっ! 二匹! ルアーを見てる!
「み、ミコ――」
「ごめん、ユフィ! 今はちょっと動かないで!」
完全に姿が露わになった二匹のバス。一匹は三十センチ、もう一匹は四十アップは確実にある大型のバスだ。その二匹がじっとルアーを見つめ、少しずつ距離を縮めようとしている。
それを見て駆けてきそうになるユフィを制し、あたしは更に集中力を高める。
こっちから魚の姿が見えてるってことは、魚からもあたしたちの姿は見えるってこと。だから、必要以上に動くわけにはいかない。
「ふぅー……」
タイミングを見極め、ロッドを素早くシャクる。ルアーは急激なS字カーブを描き、ずっと眺めているだけだったバス二匹が狂ったかのように飛び付いてきた。
「ああっー! もう少し!」
あたしとバスのタイミングが合わなかったのか、フッキングには至らず。けど、バイトしてきたってことは、やる気満々のバスってことだ。まだチャンスはある。
プレッシャーを考慮して、あたしはその場で屈んでキャスト。同じアプローチを再現しようかと思ったら、倒木の先端にルアーが来た辺りでいきなりのバイト。
水飛沫が上がったかと思うと、ルアーがその勢いで吹っ飛ばされてしまった。
「う、嘘でしょ!? やる気満々すぎだよ……」
「回復傾向どころか回復しきったバスがいるってこと……?」
「そ、それは……」
ない、とは言い切れなかった。
雨のお蔭で酸素量が多くて、インレットからは栄養豊富な水。餌にも恵まれ、水温は川に比べると高め。そして何より、この世界にはアングラーって言う天敵がいないんだ。
釣り人がいない分、バスたちが伸び伸びと回復できるって可能性もないとは言い切れないもんね。
「そっちがその気なら……!」
また同じようにキャストして倒木の傍を通す。やっぱり数匹のチェイス。食いそうで食わない絶妙な距離を保ったまま岸辺までルアーが寄ったその時!
あたしは立ち上がってロッドの先端を池の中にぶっ刺し、そのまま「8」の字を描いた。何度も、できるだけ素早く、横方向に大きく。
「み、ミコト!? 一体何を……って、ええっー!?」
ロッドが8の字を描けば、当然ルアーもそうなる。ばちゃばちゃと音と水飛沫を上げて、普通なら魚が逃げていきそうなものなのに、何とバスたちは一心不乱にルアーを追い駆けているんだ。
「出てこいやぁー!」
この時のあたしには誰か別の人が乗り移っていたのかも知れない。
それはさて置き、
「よしっ! 掛かっ――」
た、と思った。手許にぐんっと重みが乗ったのは一瞬のことで、すぐに手応えはどこかへ消えてしまった。そして、騒がしがった岸辺も今は静寂に包まれていた。
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