プラクティス
翌日の朝五時。予報通りのどんよりとした空だけど、雨は降っていない。いつもよりスタートが遅めなのは、天気が今後どうなりそうかを、安全だって思えるまで待っていたからでもある。
「今日はゆっくりスタートだね」
「安全第一だからね。それに、こんな曇りの日は朝マヅメのチャンスタイムが伸びる可能性があるんだ」
「そ、そうなの!?」
「空が曇ってるから朝日で照らされないでしょ? だから、魚たちがまだ朝じゃないのか、って勘違いして行動し続けることがあるんだよ」
気が付いたら朝マヅメのチャンスタイムがお昼近くまで続いてた、なんてこともあるみたい。あたしはそんなありがたい日に巡り会ったことはないけどね。
「けど今日は練習、プラクティスだから数を釣るってよりも、テナガエビがいるポイント探しを重点的にやっていくよ」
「本番前のデータ集めだね」
意気揚々と川の河口部へと向かうユフィの装備は完璧にアングラーだ。あたしがプレゼントした釣り具ケースを、ワンショルダーバッグに入れてタスキ掛け。あたしもだけど、バッグの中には新調したレインウェアが入ってる。
足許も、こっちもギルドの予算で買ったレインブーツ。まあ、長靴みたいなもんなんだけど少しタイトめで、ソールがしっかりしているから滑りにくい作りになっている。
「あそこにいい感じの岩場があるね。あそこから始めてみようか」
岸際に大きめの岩が転がり、少し沖の方にも岩が頭を出している。こう言う場所は岩が川の流れを堰き止めて淀むから、テナガエビが集まりやすいポイントだ。
「エビは魚みたいにすいすい泳ぐ生き物じゃないから、流れが強いところよりも弱いところが好きなんだ。で、昨日言ったように夜行性だから日中は物陰に隠れているんだけど、活性が高いと外に出ている時もあるんだよね。だから、まずはそーっと覗き込む」
ふむ。やっぱ連日の雨で水質はマッド、濁りが入ってる。けど、これも悪い状況じゃない。濁りがあるってことは光が差し込みづらい。水の中は暗くなるからテナガエビの活性が上がりやすいってことだ。
目視できる範囲にテナガエビはいないけど、物陰に隠れている可能性は十分にある。
「じゃあ、今回はウキ釣りをやっていこうか」
そう言えば、釣りの代名詞とも言えるウキ釣りを未だにやっていないことを思い出した。ぷかぷか浮いているウキを眺めて待って、それが沈んだらアワせる。
普通はそんな光景を思い浮かべるだろうけど、テナガエビのウキ釣りはちょっと違う。
「一般的なウキ釣りは、このウキを浮かべておいて、魚がバイトしたらウキが沈む。この時にアワせたら釣れるってわけ。けど、テナガエビの場合はウキを浮かべない、沈ませるんだ」
「んん? どう言う意味……? アタリを報せるためのウキなのに沈ませちゃうってことだよね?」
「そう、錘を調節してウキが水中で見えるようにしておく。そして、大事なのはここからだよ。テナガエビは餌を見付けると、物陰の奥に持って行く習性があるんだ。大切な餌だからね。横取りされないように、一人占めするためにね。そうなるとウキはどうなるか」
「ゆっくり引っ張られて沈んでいく」
「だよね。普通のウキ釣りなら、ここでアワせるんだけどテナガエビの場合、この状況はまだ手で餌を掴んでいるような状態なんだ。だから、じっと堪える。ウキの動きが止まったら、テナガエビが餌を食べ始めた頃だから、そこでゆっくりと竿を上げる」
説明していて思ったんだけど、これってウキ釣り経験がない人の方がいいのかも知れない。経験者はどうしても、ウキが沈むと条件反射みたいにアワせちゃうことが多いし、じっと待っていられないって人もいると思う。
ユフィみたいにウキ釣りの経験がないと、これが普通って感覚になるんじゃないかな? まあ、今度は普通のウキ釣りに挑戦した時にアワせが遅れるって弊害が出るのかもだけど。
「この時にテナガエビが掛かっていたら、ビンビンって引きがあるから、そのまま慎重に引き上げたらいいよ」
「よーし、早速やってみるよ」
「餌はミミズを使うならカットして使ってみて。バッグに小さいハサミ入れておいたから。クフカアも小さく千切って使うのがいいかな」
あたしはそのクフカアをチョイス。これで釣れるのかを試してみたい。
「あの岩陰が怪しそうだね……」
おっ、ユフィ、なかなか良さげな場所を選んだねぇ。
「うーん……。反応なし。次はあっちだ」
移動も極力音を立てず、静かに。釣り人としての動きが染み付いてきてるじゃん。
「これ、確かに穴釣りと感覚は似てるね」
「そうだね。キャストしなくてもいいし、落として待ってるだけだもん。けど、駆け引きって点で穴釣りとはちょっと違うかもね」
「駆け引きか……――あっ!」
急に水面を覗き込むユフィ。どうやらアタリがあったみたい。さあさあ、駆け引きの時間だよ、お嬢さん。
「ま、まだだよね……? も、もう大丈夫なの……?」
水が濁っている上に、弱いって言っても流れはある。揺れる水面からだとウキの動きを正確に捉えるのは難しくて、それが焦りや動揺に繋がるんだ。
「え、えーい!」
思いきって上げてみた、って感じだった。竿先は僅かに震えていたけど、針先に付いていたのは短く切られたミミズだけ。
どうやらアワせるのが早かったみたいだ。
「早アワせだったみたいだね」
「あ、あれで早いの……? この釣り、お手軽かもだけど忍耐力は凄く使うかも……」
「それは言えてるかもね。けど、あのアタリは確かにテナガエビのものだったよ。ここにいるってことがわかったのは、大きな成果だよ」
「もう一回同じところに落としてもダメかな?」
「今の感じはダメそうだね。魚でも同じことが言えるんだけど、向こうが釣り針の存在に気が付いちゃったら、警戒してもう一回バイトしてくることはないって思ってた方がいいよ。針に触れたってことだから、チクっと刺されたようなものだもんね。それをもう一回触りたいって思う?」
納得したようにユフィは首を左右に振った。
魚もエビもバカじゃない。不審なものには近付かないのが生き残るための鉄則だ。
「浅いアタリなら食い直してくることはあるけど、さっきのは少し針が掛かった感じがあった。別のポイントを狙った方がいいね」
「よしっ、次こそは釣ってやるぞー」
ユフィがテナガエビの存在を確認してくれた。ここは釣りの先輩として、ギルマスとしてあたしがお手本を見せてあげないとね。
とは言うものの、実はテナガエビ釣りってそこまで経験があるわけじゃないんだ。子供の頃は釣って捕まえるより、川遊びの時に網で捕まえることの方が多かった。
お祖父ちゃんお祖母ちゃんの許を離れてからは、何度か釣ってみたことはあるけど、どうしてもゲーム性として楽しいバスやシーバス釣りに勤しむことの方が多かったんだよね。
「けど、テナガエビが好きそうな場所は熟知してるつもりだよぉ……」
三つほどの岩が点在する隙間に、そっと餌を落とし込む。ここなら川の流れを遮ってくれるし、外敵から襲われる心配も少ない。
ここにいないわけない……!
そう思っていたら、赤いウキがすぅーっと横に移動していった。
よし! 餌を掴んだ!
「まだまだ……焦るな、あたし……」
どれくらい待った? 多分、二十秒くらい、かな……? ウキの動きが止まった! 今だ!
ゆっくりと、十センチくらい竿を上げると手許にビンビンと強い引きを感じる。これは完全に頂いた。
「おおっ! ミコト、釣れたね!」
「よっし、ゲットー! クフカアも餌に使えるじゃん!」
腕を入れて十五センチくらいかな。半透明な体に黒い筋が入った綺麗なエビ。川エビとも言われたりするテナガエビだ。
「針を外す時はピンセットを使って優しく取ってあげること。テナガエビは料理する前に締めたいから、それまでは生かしておきたいんだよね」
「じゃあ、釣った後はどうするの?」
普通はエアポンプを付けたバケツに入れて生かしておくんだけど、この世界にはエアポンプがない。まあ、バケツの水をたまに変えてあげれば問題はないだろうけど、手間と言えば手間だ。
「いろいろ考えてみたんだけど、ネットの袋に入れておくのが無難かな。逃げ出さないように口をしっかり縛って、それを川の中に沈めておく。移動する時は水を入れたスチールケースにネットを入れて運べばいいかなって」
「おおー、いいんじゃないかな」
今回の練習はユフィのプラクティスの意味と、テナガエビをちゃんと生かして持って帰れるかどうか、って練習も兼ねているんだ。
あたしはあたしで、テナガエビを美味しく頂くためのプラクティスを頑張らないとね。
「テナガエビはどう料理するの?」
「一番多いのは唐揚げじゃないかな。あとは塩焼きか」
「シンプルな料理が多いんだね」
「そうだね。大きさもさっきのがアベレージくらいだから、捌いて調理するってよりも素材そのまま料理にした方が味わいも深いんだろうね」
佃煮にするってのも聞いたことはあるけど、要は揚げるか焼くか煮るか、ってことだ。
「あのサイズが平均……。じゃあ、たくさん釣らなきゃだね」
「まーた、ユフィは食べること考えてるー。今日は釣りの練習だからね?」
「わ、わかってるよ! れ、練習のためにたくさん釣らないと、ってこと!」
慌てるユフィが可愛くて、あたしは思わず笑ってしまった。
そんな食い気が(何て言うとユフィに怒られるかな?)バイトを呼んだのか、ユフィが少し前屈みになって水面を覗き込んでいる。
「き、来たー……! よし、持ってけ……!」
静かに見守るあたしにも自然と力が入る。
頑張れ、ユフィ! 我慢だよ、我慢!
「引いてる! 引いてるよ!」
「慌てないでね、ゆっくりでいいから!」
竿先が小刻みに震える。確実にテナガエビが掛かっているんだ。だからこそ、ここでのバラしだけは避けないと。
「っとと……!」
最後は少し危なげだったけど、ユフィも見事にテナガエビをキャッチ。二十センチには届かないものの、あたしが釣ったものより少し大きそうだ。
「やったじゃん! おめでとう、ユフィ!」
「ありがとう! これでちょっとだけコツが掴めたかも」
「おっ、じゃあこの調子でじゃんじゃん釣ってこー」
「おー!」
ここの河口部であたしは三匹、ユフィは二匹をキャッチ。思ってた通り、ここは一級ポイントになりそうだ。
まだまだ釣れそうな気配はあったけど、あたしたちは他のポイントも探るべく、移動していくのだった。
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