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透明な悪魔



 ロイドさんに案内されて、あたしたち四人は港近くの浜辺へと向かった。時刻は六時を過ぎていて、薄暗い浜辺にはいくつかの灯りが見える。

 襲われたのは子供だって聞いたから、親や街の大人が集まっているのかも。


「すまない、ミコト。領主様の件で忙しいと言うのに……」

「いえ、作業はほぼほぼ終わってたので。その領主様の件は明日のお昼で大丈夫なんですか?」

「ああ。だが、夜に遅らせることも可能だ。だから、まずは子供を助けてやってほしい」


 あたし、医者じゃないんだけどな……。


 お目当てのカマスが釣れたことと、食事会の日程を報告しにロイドさんは領主様のところを訪ねた。その帰りに、透明な悪魔とやらに襲われた子供に出くわしたそうだ。


「キーナさん、透明な悪魔って?」


 あたしに助けを求めるくらいだから海に関する魔物なんだろう。この中で海に精通するのはキーナさんだ。


「その名の通り透明な、とても見えにくい魔物よ。海の中を漂いながら、気配を消して近付き、人間を襲うの。触れられただけで電気が流れたかのような衝撃が走り、火傷のように皮膚が赤く腫れ、いつまでも患部が痛むそうよ」


 うーん……それってもしかして……。


「おーい、通してくれ! 専門家を連れてきた!」

「ろ、ロイド様! うちの子の手が……手がこんなにも痛々しく……!」


 泣きじゃくる子供は十歳そこらの男の子だった。その傍らにはお母さん。駆け付けた野次馬連中が五、六人。みんな、ランプを持って来てくれているから周りが明るくて助かる。


「掌がめっちゃ腫れてるやん……。いや、腕にも赤い発疹があんで……」

「これは透明な悪魔の仕業よ。奴らは長い、触手のような腕を持っているそうだから、手に巻き付かれたのかも」


 ふむふむ……。

 透明で海を漂い、触れたら電気ショックみたいな痛みが走る、長い触手のような腕を持つもの……。


 いやそれ、クラゲじゃん!


「この子、海に入ってたんですか?」


 ほぼほぼクラゲで確定だろうけど、念のために確認はしておかないとね。


「いいえ、海には入らないように言っていたから、そんなことはないと思うわ」

「おばさんはお子さんと一緒じゃなかったんです?」

「ええ、この子は船を見るのが好きで、よく浜辺で遊んでいるんです。その時に魔物に襲われたんだと……」


 おや? これはちょっと話が違うぞ……?

 クラゲは海の生き物。海に入らないと襲われることなんてないはず……。けど、この子の傷は確かにクラゲに刺された時のような……。


 はっと息を呑んだあたしは、忙しなく辺りを見回した。そこで目にしたのは、小さくて丸みを帯びた半透明の物体だった。


「ら、ランプ貸して!」


 野次馬の一人から借りたと言うより引っ手繰ったランプを持って、半透明な物体を覗き込む。少し青みが掛かって、見る人によっては、


「何やこれ? 綺麗なガラス細工みたいな――」

「ダメ! 触らないで!」


 そう見えなくもない。だから、この子みたいに知らずに触れて、怪我してしまう人があたしの世界にも山ほどいるんだ。


「な、何なの、これ?」

「これはカツオノエボシ。多分、みんなが透明な悪魔って呼んでる生物のことだよ」


 名前が独特だし、たまにニュースでも取り上げられるし、何よりクラゲの中でも特に強力な毒を持っているから、海や釣りに興味がない人も聞いたことくらいはあるんじゃないかな。


「こ、これが魔物だと!? み、みんな、離れろ!」


 ロイドさんの大声に場が騒然となる。だから、魔物じゃないんだって。

 それを知ってもらうためにも、あたしは努めて冷静でいることにした。


「大丈夫です。こいつはもう死んでます。触れなければ問題ありません」

「そ、そうなのか……?」

「これはクラゲと言う、海の生き物です。魚と同じで水の中じゃないと生きていられません。けど、死んでも腕にある毒は残ったままです」


 今日もそうだけど、ここ数日風が強い日が続いた。多分、そのせいで浜に打ち上げられたんだろう。カツオノエボシ自体にはあんまり遊泳能力がないから、漂流先は風に左右されるんだ。


 浜に打ち上げられると、見た目はさっきアサカさんが言ったようにガラス細工みたいで綺麗なんだ。だから、誤って触ってしまう人が後を絶たない。


「ど、毒!? じゃあ、早く水で洗い流さないと!」

「待って! 真水はダメ! 海水を汲んできて、それで手を洗って!」

「う、海の水なんて、そんな……! あんな汚いもので洗ったら余計に――」

「自分の子供死なせたいの!?」


 冷静でいようって思ったばかりなのにな……。思わず声を荒げてしまった……。


「あたしはロイドさんに連れられてきた専門家です。こんな小娘じゃ説得力はないかも知れませんけど、今はどうかあたしを信じて下さい」

「この者は領主様もお認めになった釣りギルドのマスターだ。海のこと、魚のことには精通している。皆、彼女の指示に従ってくれないだろうか」


 ロイドさんの後押しもあって、その場は丸く治まったみたいだ。あたしの話も静かに聞いてくれるようになった。


「このカツオノエボシだけじゃなく、クラゲに刺された時は真水じゃなくて塩水で洗い流して下さい」


 その理由はペーハーショック、真水と海水の浸透圧の違いとか、ちょっと小難しい話になるんだけど、簡単に言わせてもらうなら……。


「クラゲは海に生きる生物です。それに真水を掛けたらびっくりしちゃいますよね。クラゲはその長い腕に小さな毒針を持っています。これは、クラゲ本体が死んでも機能しています。じゃあ、その毒針を持つ触手に真水を掛けたらどうなるか」

「触手もびっくりする……?」

「そう。可愛い言い方ですけど、実際は毒が更に回ります。そして、洗う時も触手が付いたままの可能性もあるので擦らず、慌てないで慎重に洗い流して下さい。サポートしてあげる側も素手で絶対に触れず、ピンセットや厚手の手袋で患部から触手を取り除いてあげて下さい」


 バケツに汲んだ海水で手を洗っている間も、男の子はずっと泣き叫んでいた。痛いんだろう。あたしはカツオノエボシの危険性を子供の時から知っていたから、刺されたことは一度もない。だから、その痛みは聞いた話でしかない。


 専門家と名乗りながら、この子の痛みに共感できないのが何だか辛くて、情けなくて……。あたしは自然と男の子の頭を撫でていた。


「ねえ、ミコト。うちの船乗りギルドの間では透明な魔物――そのクラゲと言う生物に襲われた時にはお酢が効くと言われているんだけど、それは本当?」

「半分正解、ですかね」

「半分?」

「効くものと効かないものがあります。今回のカツオノエボシで言えば、効かない。寧ろ、逆効果です」


 そもそも、クラゲに刺されていきなり酢を用意できるなんて思えないから、あたし的にはとりあえず海水で洗うのが一番の応急処置だと思う。


「氷水、用意できますか?」


 ロイドさんに尋ねると、すぐに取り計らってくれて、バケツ一杯の氷水を大人たちが運んできてくれた。


「よし。じゃあ、傷口をここで冷やそうか」

「う、うん……」


 痛みが引いてきたんだろうか。ようやく会話ができるくらいには回復したみたいだ。


「あの透明なやつ、触っちゃった?」

「……うん。浜辺に落ちてて、何だか綺麗だったから……。ごめんなさい……」

「謝ることじゃないよ。あたしたち専門家でも間違って触っちゃうことがあるんだ。けど、その後の対処法を知っているから大事には至らない。それはきみも同じでしょ?」

「えっ……?」

「もし、きみの友達が同じように傷付いた時、きみはその友達の助け方を知っている。ううん、そもそも友達が傷付く前に、クラゲを触らないように注意できる。きみは海の恐怖から誰かを守れる強い子、なんだよ」


 ようやく笑ってくれた男の子は大きく頷いて返事するのだった。


「ここでできる応急処置は以上です。痛みが残ったり、腫れが引かないようなら医者に診てもらった方がいいですよ」

「わ、わかりました……。どうも、ありがとうございます」


 あの子、カツオノエボシに刺されたのは初めてなんだろうな。二回目じゃなくて良かった。アナフィラキシーショックってスズメバチでよく聞くだろうけど、カツオノエボシでもそれが起きることがあるんだ。

 だから、実際に死亡例もあるくらい危険な生き物なんだ。それが浜辺に転がっている。


「ミコト、助かったよ」

「い、いえ、そんな……――」


 照れ臭くなって頭を掻いていると、どこからともなく拍手が聞こえ、それが徐々に広がっていくように野次馬のみんなが手を叩き始めた。

 最初、何のことか全然理解できなくて唖然としていたんだけど、この拍手があたしを褒めるものだって気付いた時には、火が出そうなくらい顔が熱くなっていた。




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引き続き宜しくお願い致します。

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