表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/193

アジング



 貰ったスチールボックスは縦二十センチ、横三十センチくらいの、一人で持ち運びもしやすいくらいのサイズだった。ボックスの側面には持ち手が付いていて、肩掛けにできるような平たいバンドをユフィに貰い、それを括り付けてみた。

 これでショルダーバッグみたいにできるから、持ち運びも楽になったな。


 氷の方も準備はオッケー。スタインウェイ家には一人暮らしの部屋、六畳くらいの広さがある冷凍室があって、そこから厚い板状の氷を一枚貰っておいた。



 いろいろ準備して時刻は午後四時。陽も傾いて、満潮へと向かう絶好のタイミング。あたしたちは港の桟橋に立っていた。


「じゃあ、ユフィのロッドを準備しようか」


 ラインを結ぶ方法、ノットとも言うんだけど、それはいろいろな種類がある。今回は竿の先にラインを結ぶノット、チチワ結びだ。昔は教本を買ってもらって、そこにあった絵を見ながら練習していたんだけど、今は動画なんかにアップされているから、そっちを見て憶えるのがおすすめだね。


「小さい輪っかと大きな輪っかを作るの?」

「うん。これはチチワ結びって言うんだけど、8の字結びとも呼ぶね。この二つの輪っかを利用して、竿先にラインを括り付ける。外す時も簡単だから、おすすめなんだ」

「切って捨てちゃうのはダメなの?」

「別にダメってことはないけど、糸を切ると細かいゴミが出るからね。あっ、ユフィ。釣りをしている時に出たゴミは、絶対ポイ捨てしちゃダメだからね」

「そ、そんなことしないよ!」

「うん、ユフィはそんな子じゃないって信じてるけど、一応ね。魚がいてくれる環境だから、あたしたちアングラーは釣りを楽しめる。その場所を汚すことは、アングラーにとって、あってはならないルール違反、マナー違反だからね」


 ほんとは釣りをする際、ライフジャケットを着用するのもマナーなんだけど、この世界にもあるのかな……? 一応、あたしは腰に巻くタイプのものを着用してるんだけど。帆船もあるし、もしかしたらって可能性も……。


「じゃあ、釣りを始めようか。餌はこれを使います」

「貝?」

「そう。桟橋とか船底になんかにくっ付てる、この黒い貝。ムラサキイガイを使うよ」

「海でよく見掛けるけど、そんな名前だったんだ?」


 ムラサキイガイ。一般人にもわかる言葉に置き換えるなら、ムール貝だ。パスタなんかに使われる、あれ。


「そう言えば、こっちの人は貝って食べるの?」

「魚と同じで食中りになる人がたくさん出て、食材とは思われてないよ」


 貝は中ると怖いからな……。


 貝には二種類のタイプがあって、カキとかフジツボみたいに岩なんかにくっ付いて動かない固着タイプと、サザエとかバイ貝みたいに動き回る移動タイプがある。移動タイプは海藻なんかを餌にしているんだけど、固着タイプはそこを漂うプランクトンを食べている。

 だから、このプランクトンが有毒だった場合、貝毒として取り込まれてしまうんだ。そして、この貝毒が厄介な点は、熱に強いから加熱処理できないってとこだ。


「そうなんだね。とりあえず、餌はこれ。石で殻を割って、中の身を針に付ける。後はこれを海に落とすだけ」

「けど、海に魚は見えないけど……?」


 透明度が高いお蔭で海の底までよく見える。水深は五メートル前後ってところかな。ユフィが言うように、魚の影すら見えない。


「魚には決まった家があるわけじゃないからね。いろんな場所を回遊している。だから、美味しそうな匂いで誘き出すんだよ」


 本来はコマセって言う小さなエビをばら撒いて、撒き餌に使うんだけど、ここには釣り文化がないからコマセがあるはずもない。だから、あたしは擦り潰したムラサキイガイを海に投げ込んだ。

 砕けた貝殻がキラキラと海中を舞い踊り、貝の身がゆらゆらと波に揺られる。海の中に雪が舞うような、ちょっと幻想的な感じだ。でも、状況はすぐに変わった。

 四方八方から赤黒い魚影が、海の粉雪に突っ込んで来たんだ。


「ミコト! 魚が突然集まって来たよ! あれがアジなの!?」

「そうだよ。見ての通り、今のあいつらは食欲旺盛だ。餌を落としたらすぐに食い付いてくるよ」


 ちょっと興奮気味にユフィは餌の付いた針を落とす。すると、すぐにアジはそれに食い付いて、竹ロッドを撓らせた。


 柔らかいロッドは、小さい魚の引きでも大きく撓るから面白さと豪快さがあるんだよね。


「うわっ! うわわっ! ミコト、引っ張られるよ! 海に引き摺り込まれるよっ!」

「大丈夫だよ、ユフィ落ち着いて。竿の撓りを利用して、ゆっくり引き上げてくればいいからね。特にアジは口が切れやすいから、無理しない方がいいよ」


 あんまり自分からは手を出さずに見守る感じ。お祖父ちゃんはそんな人だった。それを見習ってってわけじゃないけど、ユフィに釣りってものを楽しんでほしくて、あたしは応援に徹していた。

 もしかしたら、お祖父ちゃんもそんな気持ちだったのかなぁ……。


「上がってきたらどうしたらいい!?」

「ロッドを自分の方に傾けて。そうすれば自然と魚が寄って来るから。キャッチはあたしがしてあげる」


 海面に上がってきたアジはバタつきながらも、徐々にユフィの方へと近付いてくる。大きさはスマホよりちょっと小さいくらいかな。

 寄って来たラインを掴み、そのまま釣り糸手繰り寄せて、アジを無事キャッチすることができた。


「やったじゃん、ユフィ! 釣れたよ!」

「つ、釣れた……? 釣れた……!? 釣ったんだ、私! 自分で!」


 嬉しそうに燥ぐユフィを見て、昔の自分を思い出した。あたしも初めて魚を釣った時、こんな風に喜んでたな。

 おっと、ほのぼの眺めてる場合じゃない。潮氷、用意しないと。


「ミコト、このアジはどうすればいいの?」

「それを今から準備するから、ちょっと待っててね」


 落としたらいけないから、一旦氷は出しておいて、スチールボックスに海水を汲む。肩掛け用に付けたバンドだけど、水を汲む時にも役に立つね。

 海水を入れたら氷も入れて、これで準備完了だ。


「針を外してアジをここに入れておいて」

「は、針ってどう外せばいい?」

「ラインとの結び目を持って、くるんって返してあげると取れるよ。針を持つ時に魚が暴れると指に針が刺さっちゃうから、優しく魚を掴んであげて」


 魚に直接触れずに掴めるフィッシュグリップってアイテムもあるんだけど、あたしはそれ持ってないんだよね……。


「う、うわっ。おっ、おおっと……」


 暴れるアジに少し苦戦しながらも、ユフィは自分の手でボックスにアジを入れた。


「おめでとう、ユフィ。どうだった、初めて魚を釣った感想は?」

「な、何か……ドキドキした。ううん、今もドキドキしてるよ。魚が掛かった時の感触が、ググーってしてビビビって振動して……。何かもう言葉では表せないや」


 自分で言いながら笑ってしまうユフィが可愛くて、あたしも釣られて笑うのだった。


「ところでミコト? どうしてアジを氷水に入れるの?」

「これは潮氷って言って、普通の氷水よりも冷たくなるんだ。そこにアジを入れると、ちょっと可哀想な言い方になるけど、即死してくれるんだよね。けど、そうすることによって魚の鮮度を保つことができるんだ」


 魚の締め方にはいくつかあって、これは氷締めって方法だ。アジとかイワシなんかの、比較的小さい魚には手っ取り早くて効率のいい締め方だね。


「ここで釣れるアジのサイズは大体これくらい。これじゃ、ネリスタさんを満足させられないよね。だから、どんどん釣っていこー!」

「おー!」


 高らかに手を挙げるユフィ。無邪気さと好奇心のお蔭なのか、餌を付けるのも自分で難なく熟してる。釣りが敬遠される理由の一つに、手が汚れる、臭くなるってのがある。生餌や魚を直接触ると、生臭さが手に付いちゃうからな……。女子にとっては大きな壁だ。

 でも、ユフィはそれを物ともしなかったみたいだ。凄いなって思うのはもちろんだけど、それ以上に嬉しかった。


「ミコトはまたワームってやつを使うんだね?」

「数を釣るのはユフィに任せて、あたしはサイズを狙おうかと思ってね」


 錘と針が一緒になったジグヘッドって呼ばれるものに、小さめの短いワームを付けてアジを釣る。アジングってやつだ。

 ルアーフィッシングって言うとバス釣りが代表的だけど、その感覚でアジングは楽しめるから淡水だとバス、海だとアジングってアングラーも結構いるみたい。餌を触らないでいいから、女子にとっての大きな壁を取り払ってくれるメリットもあるよね。


 ただ、やっぱりリアルな餌と偽物とでは難しさが違う。ユフィはまたアジを釣り上げるけど、あたしの方にはアタリすらなし。


 攻めるレンジを変えるか……。


 レンジって言うのは水深のこと。あたしは今、ワームを底まで沈めて、海底付近を引っ張ってきていた。けど、今度はワームが海底に沈む前にリールを巻いて、底よりも少し上の中層にワームを泳がせることに。

 すると、


「やった、来た!」

「キスの時よりもロッドが曲がってる! ミコト、大物!?」

「どうかな……? まあまあってところかも……」


 さすがは海を泳ぎ回る回遊魚。まあまあサイズでも強い引きだ。きっとこの引きに魅せられるアングラーも多いんだろうな。


「よしっ、ゲット」

「す、凄いよ、ミコト! これ、二十センチ以上あるよね!?」

「そうだね。大体二十三、四センチってところかな」


 手を広げた時、親指の先から小指の先までの長さはあたしの場合だと約二十センチ。それよりも釣れたアジは少し大きかった。


「私もたくさん釣るぞー!」

「アジは群れを作って泳いでいるから、一匹釣れたら他にもたくさんいるはずだよ。だから、じゃんじゃん釣っちゃおう」


 あんまり遅くなるとネリスタさんに心配を掛けてしまうから、陽が沈む前には切り上げることにした。けど、それでも大漁だ。

 ユフィが主に釣ってくれた小アジが二十匹ほど。あたしが釣った少し大きめのアジが8匹。やっぱアジングは難しいな。でも、アジは暗くなった夜でも釣れるから、タイミング的にはまだまだこれからなんだよねぇ。

 名残惜しいけど、今日は終了だ。



 スタインウェイ家に帰って来ると、ネリスタさんが出迎えてくれて、ボックスの中の魚を見るなり興奮した様子で、


「これは何て言う魚なの!? どうやって獲ったの!? どうやって料理するの!?」


 と、質問の嵐。

 一つ一つ丁寧にお答えしたいところではある。あたし、居候だし。けど、娘にはまずあれをさせてほしいところなんだよね。


「ネリスタさん、ユフィをお風呂に入れてあげて下さい。手も汚れてますし、潮風に当たってましたからね。着替えもできますし」

「そうね。だったら、ミコトも一緒に入っちゃいなさいよ」


 一緒にお風呂、と聞いてユフィはどこか嬉しそうだ。そんな反応してくれるのは、あたしも嬉しい。けど、あたしにはもう一仕事あるんだな。


「あたしは先に魚の処理を済ませちゃいます。それから、お風呂貰ってもいいですかね?」

「ええ、全然構わないわ」

「ミコトとお風呂入りたかったのにぃー」


 ごめんよ、ユフィ。また今度ね。


「キッチン借りてもいいですか?」

「もちろんよ、案内するわ」


 貴族のお屋敷のキッチンってどんなんだろう……と、内心ちょっとわくわく。そんなあたしが案内されたのは、予想通りかなり広めのキッチンだった。てか、これはもう厨房って言うんじゃないかな?


「見ていても構わない?」

「もちろん」

「これから何をするの?」

「とりあえず内臓を取っちゃいます。アジ、特に小さなアジは魚の中では処理が簡単な方なので、覚えちゃえばユフィでもできると思いますよ」


 まあ、貴族の娘さんがそんなことするわけないだろうけど。ただなぁ、ユフィの性格だと「私もやりたい!」とか言ってきそうではあるよね。


 そんなことを考えながら、あたしはアジの処理を進めていった。




よければ、いいね ブックマークして頂けると励みになります。

引き続き宜しくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 釣りを題材にしてるのあまり見かけなくて読み始めました。 釣り文化が無い世界だと魚の警戒心も少なくて初心者でも簡単かも知れないですね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ