祖父の偉大さ
アジパーティーの翌朝、キーナさんが言っていたように天気はあんまり良くなかった。防風と撥水に優れた上着を昨日の装備の上に重ね着して、寒さと飛沫対策はバッチリだ。
どうやら昨日、結局キーナさんはアサカさんの家に泊まったようだ。キーナさんは至って普通だけど、アサカさんは何度か欠伸をしていた。まあ、キーナさんが泊まってくれたお蔭で、アサカさんも遅刻せずに済んだってことだろう。
時刻はもうすぐ午前四時。陽はまだ昇っていないのに加え、天気も天気だけにかなり薄暗い。
「キーナさん、まだ暗いですけど出港して大丈夫なんですか?」
「ええ、三十分もしないうちには少し明るくなるわ。ただ、今日はゆっくり行くわ。思っていた通り、波が高そうだから」
「風もたまにですけど強く吹きますし、気を付けないと、ですね」
「そうね。だから……」
船の飛び乗ったキーナさんは船底の収納スペースを開けて、じゃーんと、あるものを取り出した。
「そ、それ、アサカさんが作ったライフジャケット!?」
「買わせてもらったわ。昨日完成したばかりの出来たてほやほやを」
「昨日出来たんですか!?」
慌ててアサカさんの方に振り向くと、アサカさんは苦笑いで頭を掻いていた。
「いやー、昨日の夕方にはほぼほぼ出来上がってたんよ。けど、最終的なチェックがまだで、うち的には未完成やった。ミコっちゃん的にはそれでもライフジャケットは着用せえやって思うかもやけど、職人として未完成のもんを装備させんのは許せんくてな」
「そ、そんなこと全然! フィーリアではライフジャケットの着用は法律とかじゃないですし、ルールやモラルの範疇です。それよりも、着用しないといけないんだって、考えてくれていることの方が大切で、あたしは嬉しいです」
「せやから、うちも……」
背負っていたリュックから取り出したのは、こちらもライフジャケット。
キーナさんのはユフィと同じ、ポケットが多めなタイプ。それに対し、アサカさんのは胸の辺りに大きめのファスナーがあって、少し膨らんでいる。
「アサカさんのライフジャケットのそこってまさか……」
「せや。あたしなり改良して、大きめのポケット、小物入れみたいなんを付けてみたんよ」
「それ、めちゃくちゃいいじゃないですか!? ルアーケースがすっぽり入りそう!」
「当然や。大きさの参考にしたんはミコっちゃんが持ってるケースやからね。そんで、更に……ミコっちゃん、ちょっとロッド貸して」
「は、はい」
言われるがままロッドを渡すと、アサカさんは何とお腹の辺りに装着されていた筒状のものにロッドを差し込んで固定させたんだ。
こ、これって……ロッドホルダーじゃん!
「ええっ!? な、何でこんなもの……!」
「ミコっちゃんとユフィ様が釣りしてるの見ててな、ミコっちゃんはルアーとか仕掛けを結ぶ時、ロッドを腰に巻いてるライフジャケットに差して固定してた。対するユフィ様は体に立て掛けたり、地面に置いたりしてて、ちょっと面倒そうやなって思ったんよ。ミコっちゃんみたく、体のどっかに固定できたら便利なんちゃうかなって」
「す、凄い……。凄いですよ、アサカさん! 凄すぎて、もうめっちゃ好き!」
この人、ほんと何なんだろう! 釣り具メーカーの人が転生してアサカさんになっちゃったんじゃない!? とか、マジで考えながら、あたしはアサカさんに飛び付いていた。
「ねえ、アサカさん。それ、私もほしいんだけど……!?」
「あ、後付けできるから全然大丈夫やよ、ユフィ様……。や、やから、そんな睨まんといて……?」
ロッドホルダーはライフジャケットに付ける以外にも、それ単体を腰のベルトに付けたりとか、バックの付属品として付けたりとか、釣り人の好みに応じていろいろ選べるのがいい。
「これ、アサカさんが言うようにラインを結ぶ時以外にも、移動の時とかも便利なんですよ」
「ああー、ロッド手に持たんでええもんな」
「海だとあんまりないですけど、川とか湖の釣りだと森の中とか山の中を歩いて移動することもあるんで、両手が空いていると安心なんですよね。あとは、ロッドを複数持ってる時とか」
複数持ちはバス釣りに多いかな。スピニングタックルとベイトタックルを二本持って、それを使い分けるんだ。
アサカさんの思わぬ発明で、何だか幸先がいいように思えてきた。天気も良くないし波も高め。船の中にも波の飛沫が入ってくる。けど、そんなことは気にならなかった。
今日は釣れる! そんな気しかしなかった。
「最初はどこへ向かえばいい?」
「朝は湾奥から徐々に沖へと攻めましょう。その方が効率的だと思うので」
「そうね。今日も風裏みたいだし、船を固定しやすいわ」
風裏。山や森なんかが風を遮ってくれる場所のことで、風の強い日はキャストが安定しないから、そう言う場所を探すのも大事なポイントだ。
船釣りの場合はキーナさんが言うように安全に釣りができる場所だ。
「何か、水面がぴちゃぴちゃしてない? あれってボイル……?」
「ううん、ボイルではないけど小魚がたくさん集まってるんだよ。だとしたら、フィッシュイーターも集まってるはず! 期待値は高いよ!」
マストを巧みに操り、最後は帆を畳んでゆっくりと船を潮の流れに乗せていく。キーナさんは何気なくやってるのかも知れないけど、あれは結構な技術と経験が必要なんじゃないかな。
「よっしゃ、今日は釣ったんでー!」
アサカさんは威勢良く声に出すけど、あたしも心の中ではそんな感じ。多分、ユフィとキーナさんも。
けど、あたしたちの気合いと反比例するように、海の中は静かだった。
「何の反応もないね……」
「相変わらず水面を何かが跳ねているようではあるけど……」
何でだ!? ベイトは確かにいるのに! だから、それを捕食する魚がまだここには入ってきていないってこと……。こんなに餌が豊富なのに?
「……ちょ、ちょっと沖に出ましょうか」
「了解。ここより多少は揺れるから気を付けて」
海藻地帯の湾奥から少し沖へと向かう。
キーナさんは気を遣って注意してくれたんだろう。揺れの大きさはそれほどでもない。ただ、小さな波が断続的に船を揺らす。
だからか、
ふわぁー……。
ちゃんと寝たのに欠伸。ちょっと酔ってきたかな……。
車酔いもそうだと思うけど、手許の近くのものを見ているより、遠くを見ていた方が落ち着く人が多いんじゃないかな。あと、最悪は寝ちゃうか。
まだ症状は軽めだから、あたしは少し凝った肩を回しながら、遠くの空を眺めた。空が白んでいる。陽が昇ってきた。天気が良ければ綺麗に見えたんだろうけど、海と雲のコントラストもなかなかに壮大で、これも結構いいな、と漠然と思うのだった。
「おっ、何かアタった……!?」
仕切り直してすぐにアタるのはいい兆しかも。でもな……かなり引きが弱い……。
「釣れた……けど、サバか……。しかも、ちっちゃいし……」
予想通りのリリースサイズ。けど、群れでいるはずだから、まだ釣れるだろう。そう思ってたんだけど、ユフィがこれまた小さいサバを釣って、それっきりだった。
な、何でだ……? 迷子になってたサバなのか……? それとも先遣隊として群れより先に湾の中に入ってきたとか……? んー……! 考えれば考えるほどわからなくなる!
もう少し沖へ、そして河口部と二つのポイントを回ってみたけど、ここも不発。釣れないってわけじゃないんだけどサイズが伸びないし、何より食いが渋い感じがするんだ。
もしかして気温の低下が原因……? そんなヒントと言うか疑問を得ただけで、朝の釣りは終わってしまった。
「はぁー……何でなんだよぉ……」
船は一旦港へと戻り、あたしたちは港近くの食堂で少し早めのお昼ご飯を頂いていた。ここは船乗りギルドの人たちがよく使う食堂らしく、十一時前でも結構お客さんがいる。
港近くの食堂って言うと、あたしの世界じゃ当然海鮮料理が売りだけど、あたしたちが注文したのはパスタやカレーやピザみたいなものだ。
「ミコト、そんなに気を落とすことはないわ。今日は天気も悪いし」
「せやせや、キーナの言う通りやって。うち、ミコっちゃんやユフィ様が簡単に魚釣るから、釣りって結構簡単なものやって思ってたんやと思う。けど、昨日と今日で考え変わったわ。釣りってめっちゃムズいんやって。ミコっちゃんが凄いだけなんやって」
「それは私にもわかるわ。狩猟だと見えている獲物に銃を向けるけど、釣りは海の中にいる見えない魚を狙うんだもの。難しいはずよ」
見えている魚を釣る、サイトフィッシングってものもあるんだけど……まあ、フォローしてもらえるのは素直に嬉しい。
「あたし、このカマス釣りはお祖父ちゃんとよくしてたんです。お祖父ちゃんが船を操縦して、お祖父ちゃんがポイントを選んで、それで仕掛けを入れたらすぐ釣れた。だから、あたしもアサカさんと同じなんです。簡単に釣れるって、そう思ってた……」
「ミコっちゃん……」
「けど、違う。あたしは全然凄くなんかない。凄かったのはお祖父ちゃんなんだ。何も見えないはずの海の中の魚の動きを、お祖父ちゃんは完全に読んでた。超能力とか才能とかじゃないんです。あたしでは遠く及ばない、圧倒的な経験値。あたしにはそれがない」
お祖父ちゃん、寡黙な人だったからな……。何を見て、何を感じて釣りするポイントを選んでいたのか、話してくれたことはなかった。今更後悔しても遅いんだけどさ。聞いときゃ良かった、なんて。
「た、例えばだけど、カマスって魚がフィーリアの海にはいないってことはないの?」
「確かに動物にもあるわよね。暖かいところが好きな動物や寒いところが好きな動物がいて、大陸によっても生息域が別れていたりする。魚にもそう言うことがあるんじゃない?」
うーん……。
「答えだけ言うと、魚にもそれぞれの生息域はあるし、地方によって違うこともあります。けど、これまで釣ってきた魚はどれもカマスと同じ環境で育つ魚なんです。だから、フィーリアにカマスが生息している可能性はかなり高いはずなんですよ」
「やから、こんだけやって一匹も姿を見られへんってのが、ミコっちゃんにとってはプレッシャーになってるわけや?」
「……そうですね。一匹だけでも姿が見れたら安心はしますね」
「わかった」
そう呟いたアサカさんは紙とペンを取り出し、あたしに差し出した。
「もう一回、カマスの絵描いてくれへん? 夕方の釣りまで時間あるやろ。それ持って、うちとキーナで船乗りギルドの奴らに聞き込みするわ。こんな魚見たことないか、って。泳いでる姿とか、最悪死骸でも見掛けたって情報があれば助かるんちゃう?」
「それだったら、あたしも――」
「ええって、ミコっちゃんとユフィ様は休んどき。それか夕方の作戦練っといて」
「……わかりました。アサカさん、キーナさん、よろしくお願いします」
任せて、と二人は満面の笑みで胸を叩く。ほんと、二人には助けてもらってばかりだ。それに報いたい。
ねえ、お祖父ちゃん。お祖父ちゃんなら、このフィーリア湾のどこを、どんな風に攻める? カマス釣ってさ、お祖母ちゃんが作ってくれた干物をあたしも作って、ある人に食べさせてあげたいんだよね。
お祖父ちゃん、力貸してくれないかな……?
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