必殺! エラ洗い!
水面に大きく水飛沫が上がって、大きな波紋を作った後は本当に静かなものだった。虚しくなるくらいの、悲しいほどの静けさ。
それを掻き消すように、あたしは盛大な溜め息を吐いた。
「はぁあああああー……」
「み、ミコト、残念だったね」
あまりの落胆ぶりにユフィも同情してくれたのか、優しく頭を撫でてくれた。今はその優しさが心に沁みる。
「今の魚、大きそうだったもんね」
「あれがスズキ、シーバスって呼ばれる魚だよ」
バスと言えばブラックバス。日本では全国の河川にいて、外来種として広く知られている魚だ。釣りのターゲットとしては、個人的に一番メジャーな魚じゃないかなって思ってる。
ルアーって言えばバスを連想する人が多いと思うし、バス釣りのプロもたくさんいる。大会は日本だけじゃなくて、世界でも行われているくらい、バス釣りの熱は高い。
そのブラックバスはスズキの仲間に分類される。だから、海のブラックバスってことで、スズキをシーバスって呼ぶんだ。
「四十は軽くいってたよね……」
「バレる前にミコト『飛ぶな』って言ってたけど、何でシーバスが飛ぶってわかってたの?」
「あれはね、シーバスの必殺技みたいなものなんだ」
「ひ、必殺技!?」
ちょっと興奮気味に、ユフィは瞳を輝かせていた。
「まあ、シーバスだけの技じゃないんだけど、あれはエラ洗いって言うの。水面から飛び上がって、頭を激しく振って、口の中の異物を吐き出そうとするんだ。シーバスはエラ洗いが得意で、フックアウトの原因のほとんどがエラ洗いだよ」
「だから、ミコトは慌ててロッドを寝かせたんだね」
「うん。魚の進行方向とは逆に誘導するのが基本だからね。飛びそうになったら下に向ける。けど、エラ洗いの寸前あいつ、あたしの方に向かって急浮上してきたんだ」
「川の底から水面に向かって泳いできたってこと?」
「そう。だから、ラインテンション、糸の張り具合が一瞬緩んで、あたしはバレちゃったかもって焦ったんだ。けど、シーバスはまだ掛かっていて、あたしが焦った一瞬の隙を衝いて、エラ洗いを繰り出してきたってわけ」
「あ、あの一瞬にそんなバトルがあったんだね!?」
更にユフィの目が輝く。
けど、それはあたしにもわかる。傍目には何でもないシーンなんだけど、その一瞬には勝負の駆け引きがされている。玄人にはわかる技術、テクニック。釣りだけじゃなくて、いろんなスポーツでもあるよね、そう言うの。
で、それを見ると胸が熱くなる。
「シーバスはよく動く魚なんだ。一瞬も気が抜けない。って、わかってるのにこうやってバラしちゃうんだから、釣りって面白いんだよね」
「おおぉ! ミコト、ギルマス感出てるね!」
「か、からかわないでよ、ユフィ……!」
それからキャストし続けながらも、少しずつ上流へ移動。
「あっ! 魚が追い駆けてきてた……! えっと、これって確か……」
「チェイスだね。チェイスがあった時、ジョイントルアーだと完全に動きを止めてやるのも一つの手だよ。ぷかぷかルアーを漂わせて、じーっと見つめる魚の前で、今度は急激なアクションを見せ付けるの。そしたら、反射的にバイト、なんてパターンもよくあるからね」
「それって、魚は驚いて逃げないの?」
「もちろん、逃げちゃう奴もいるよ。けど、例えば猫って素早い動きに敏感って言うか、いい反応見せるでしょ? 結局、魚も動物だから一緒なんだよ。動かなかったものが急に動き出した。面白い、食ってやろう。みたいなね。好奇心で思わず食い付いちゃう魚の方が多いんだよ」
トップウォーターの釣りってチェイスはもちろん、バイトの瞬間もよく見えるからスリルのある釣りだ。ユフィもそれにハマったのかな? ジョイントルアーを連投しまくっていた。
「ねえ、ユフィ。あそこに大きな岩があるよね」
ジョイントルアーでも届く距離に、川から岩が顔を覗かせていた。あたしはそこを指差し、ユフィはそっと頷いた。
「あの岩の裏、流れが当たっていない方をルアーが通るようにキャストしてみて」
「もしかして、あそこに魚がいるの?」
「いる可能性はあるよ。あの岩の裏側は川の流れが遮られる場所、反転流って呼ばれるポイントなんだ。反転流には休憩する魚や、餌を待ち構えている魚がいることが多い。見付けたら絶対にサーチしておくべきポイントだよ」
よし、と意気込んでユフィはルアーを少し上流の方へキャストする。ドリフトさせながら岩に近付け、理想のタイミングで岩の裏をルアーが泳いでいく。
何の反応もない。このまま何も起こらず、通り過ぎちゃうんだろうか。そう思った正にその時だった。
大きな水飛沫が上がったかと思うと、強烈にラインが走った。
「き、来た! ほんとに来たよ!」
「ユフィ、もう一回フッキングしておこう! 今のは完全に向こう合わせだったから、念を入れておいた方がいいよ」
「うん、わかった!」
フッキング。それは針を魚の口にちゃんと掛けること。普通は魚のアタリに合わせて、ロッドを素早く引き上げるんだけど、掛かりが甘かったかも、とか思った場合は後からでもフッキングしておくのは大切だ。
「す、凄い引きだよ……! も、もしかしてシーバスかな……!?」
「うーん……どうだろう? シーバスじゃない気がする……」
シーバスは大きな口を持っていて、餌となるベイトを丸呑みにするバイトを見せる。だから「ちゃぽん」と水が撥ねるような音じゃなくて「パコン!」と破裂音にも似た音を鳴らすんだ。
徐々に魚との距離が縮まっていく。少しずつ魚影が見え始め、シーバスじゃないってことは確実にわかった。けど、まだ正体は掴めない。
それでもあたしは静かにタモ網を構えた。
「んー……? これってまさか……」
もう疲れ果ててしまったのか、最後は何の抵抗もすることなく、網に吸い込まれていった。そして、ようやくその正体がはっきりした。
「マルタウグイじゃん」
「おっ、ミコトがちょっと嬉しそうな反応。珍しい魚なの?」
「珍しいって言うか、釣れたのを初めて見てさ。図鑑とかでは見たことあるんだけどね」
釣れたのは三十センチに届かないくらいのサイズだけど、最大で六十センチほどに成長するらしい。釣りのシーズンは春先から四月、五月くらいで、一部のアングラーにとっては春を告げる魚なんだとか。
ハイシーズンからは外れている気もするけど、異世界の暦で異世界の四季だからね。あたしの感覚とズレててもおかしくはない。
「食べられる魚?」
「うん。けど、小骨が多くて食べにくいって聞いたよ」
圧力鍋で煮ると骨も柔らかくなって食べやすいみたいだけど、こっちの世界に圧力鍋があるのかな?
美味しく料理する自信がなかったから、今回はリリースしておいた。
「けど、ミコトの言う通りにしたら、本当に釣れたからびっくりしたよ」
「ユフィのキャストが良かったんだって。そこに魚がいるってわかってても、結局はそこにキャストできなきゃ意味ないからね」
「そ、そうかなぁ」
照れ臭そうに笑うユフィだけど、実際その成長は著しいものがあると思う。あたしが生まれて初めて魚を釣ったのは、ユフィよりもっと小さい頃だ。けど、餌釣りやサビキ釣りなんかは、子供でも簡単に釣ることができる。
けど、ルアーに関して言えば、ルアーで初めて魚を釣ったのは釣りを覚えて一年以上経った頃だ。なのに、ユフィは釣りを覚えてすぐ、クロダイを釣ってみせた。
正直、成長速度はあたしの比じゃないよ……。
「ここから先は似たような景色が続いてるね。もう少し釣りしながら川を上ったら、一気に橋があるってところまで行ってみようか」
「オッケー。こんな風に二人で歩きながら釣りをするのも楽しいね」
「だね。こうやってポイントを転々としながら釣りをすることをラン&ガン、走って撃つ。略してランガンって言うんだよ」
あたしはどっちかって言うとランガンスタイル。一つのポイントで粘るよりも、いろんなエリアを回りたい派だ。別名を飽きっぽい、とも言うらしいけど。
「走って撃つ……! 何かカッコいい! 橋まで競争する!?」
「ほんとに走ってどうすんのさ……。魚が驚いて逃げちゃう――って、アタった!」
「おおっ! 今度こそ釣り上げよ――うわっ! こ、こっちも来た!」
「だ、ダブルヒット!? しかも、ユフィの方は確実に……」
シーバスだ! トップに出た水飛沫、あのバイト音。完全にシーバスのものだ。
あたしの方は手応えからして、そこまで大きそうじゃない。だったら、さっさと釣り上げて、ユフィのフォローに回った方がいいかも。
「ユフィは慎重に寄せて! あたしがすぐサポートに回るから!」
「ううん、私の方も大丈夫! 多分だけど、そこまで大きくはなさそう、かも」
「そう? じゃあ、一緒に釣り上げて、ダブルゲットといこうじゃん!」
って、意気込むのはいいけど、あたしの方もどうやらシーバスっぽい。引き自体は強くないんだけど、めちゃくちゃ走る。小さいながらも若さに溢れたファイト、とでも言えばいいかな。
「あっ……ヤバっ!」
さっきバラした光景が脳裏に浮かんだ瞬間、ロッドがふわっと軽くなった。本能的に飛ばれる、そう思った。
次の瞬間、二つの影が水面を割って飛び出した。あたしとユフィが掛けたシーバスが、まるでシンクロするみたいにエラ洗いを繰り出したんだ。
「うおっと!」
「こ、これがエラ洗い……! 凄い振動だね……!」
けど、そのエラ洗いを二人ともどうにか耐え、あたしたちは同時に同じ魚を手にした。
銀色に輝く魚体に黒光りするヒレ。獰猛なフィッシュイーターでありながら、その目は円らでちょっと可愛い。その大きな口でルアーを丸呑みにしていた。
「み、ミコト、これが……?」
「そう。シーバスだよ! しかも!」
「二人同時に釣るとか凄いよね!?」
「凄いよ! ちょっと奇跡感じちゃってるよ!」
あまりの嬉しさで、喜びを上手く表現できないらしいあたしたちは、その場でぴょんぴょん飛び跳ねているのだった。
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