女王のキス
さっきカサゴが釣れた浜から少し移動して、あたしとユフィは砂浜が広がる海岸にやって来た。その道中、彼女自身のことを少し聞いたんだけど……おそらく、多分、ユフィは結構ご身分高めなお嬢様だと、あたしは感じた。
そんな子を連れ回しても大丈夫かな、と不安になったんだけど、
「大丈夫だよ、ミコト。今日はお屋敷をこっそり抜け出して遊びに来ただけだから、誰にも見付かるはずないよ」
と、もっと不安になる言葉をお掛けになってくれた。
あたし、このままだと誘拐犯とかに思われちゃうんじゃ……。
「ねえ、それよりもミコトのその不思議なアイテムは何なの!?」
「えっ? アイテムって釣り具のこと?」
「そんなの、お屋敷でも街でも見たことない! 伝説の武器が何かなの!?」
あぁー……思考が完全にファンタジー路線になってる……。これはただの釣竿。剣でも槍でもないよ。釣り堀に行けば、暇を持て余したおじさんたちが、みんなこれを持ってるよ。ユフィが言う、伝説の武器を。
「これは釣竿、またはロッドとも言うね。魚を釣るための道具だよ。持ち手の方にあるのはリール。この釣り糸――ラインを巻き取る道具だね」
「なるほど、なるほど。この先端の針に掛かった魚をリールで手繰り寄せて、引っ張り上げる。それが『釣り』なのね」
「そう言うこと」
あぁ……ユフィの反応……いい!
あたしには、本当に友達って呼べるような存在はいなかった。何気ない日常会話をする程度のクラスメートはいたよ? でも、高校生にもなって、しかも女子で、釣りをする人なんて周りにはいなかった。
だからこんな風に、同年代の女の子と釣りの話ができるなんて、思ってもみなかったんだ。
「でも、場所を変えたのは何で?」
「さっき釣ったのはカサゴって言う魚で、ああ言う石とか岩とかが転がる場所が好きなのね。で、今から釣る魚は、こう言う砂浜が好きな魚なんだよ」
「カサゴは食べられないの?」
「そう言うわけじゃないよ。カサゴもめちゃくちゃ美味しい魚。けど、美味しく頂くための道具を持ってなくてね。だから、今あたしが持っている装備でも、ユフィに美味しく食べえてもらえそうな魚を狙うってわけ」
あたしはさっきと同じ仕掛けを海にキャストする。さっきはそのまま竿を放置、置き竿にしていたんだけど、今度はロッドを握ったまま水平に構え、ゆっくりとラインを引いてくる。
「あれ? さっきと違うね? 前はそのロッド? を置いて待ってただけなのに、今度はロッドを操作するの?」
ユフィ! ナイス着眼点!
「実はあたし、ここの海に来るのは初めてなの。だから、さっきはカサゴを狙って釣ったわけじゃなくて、何でもいいから釣れたらいいなー、って釣り方だったのね。でも、今回はある魚を狙った釣りをしてる。その魚はこう言うのが好きなの」
一投目で当たりはなくて、あたしは仕掛けを回収する。錘があって、その先に釣り針。
そして、その釣り針に付けた餌――疑似餌。
「ねえ、ミコト? その針に付いたものは何?」
「これはワームだよ」
「わーむ?」
「今釣ろうとしている魚はゴカイ、イソメ、青虫……種類とか呼び方はいろいろあるんだけど、このワームみたいな海にいるミミズが好物なの。さっきは小さなカニを捕まえて餌にしたんだけど、海のミミズを見付けるのは結構大変なんだ。だから、それに似た作り物、偽物で釣っちゃおうってわけ」
「に、偽物で釣れるの!?」
「って思うよね。実は……その通り! ユフィが思った通り、難しい」
「じゃ、じゃあ、何でわざわざそんなことを……?」
「釣れた時、嬉しいからね」
疑似餌を使った釣り、ルアーフィッシング。釣りの中ではメジャーなジャンルの一つじゃないかな。最近では女性も釣りをするようになって、釣り女子とか釣りガールとか呼ばれていたりするけど、残念ながらあたしの地元にはまだ根付いてなかった。
あたしが思うルアーフィッシングの醍醐味は、期待値の低さとゲーム性だ。
実際に食べられる餌を使う釣りと、餌に似せた偽物を使う釣り。どっちが釣れる可能性が高いって言ったら、餌釣りでしょ。けど、だからこそ、ルアーで釣れた時の喜びは餌釣り以上に感じるんだ。
そして、ルアーにはいろんな種類や形がある。大体はより餌となるものに似せた作りなんだけど、中には生き物でもない姿や、自然界にはないような色合いのルアーもあって、しかもそれで魚が釣れる時もある。
季節、時間、場所、水の中の状況。それによって釣れていたルアーが釣れなくなったり、逆に今まで結果が出せていなかったルアーに突然魚が食い付いたりするんだ。
だから、その時の状況を見極めて、どのルアーをチョイスすべきか。何百、何千とあるルアーの中から、たった一つの正解を導く。そんな、戦略を練るようなゲーム性が楽しい釣りだ。
「確かに、難しいものほどクリアした時の達成感は大きいもんね」
「そうそう。あとは負け惜しみかも知れないけど、釣れなくても楽しいんだよ。こうやって自然と対峙して、対話してるような感覚って言うのかな? それだけでも楽しめるんだよ」
って、言い終えてから思った。
さすがにこの感想はマニアックすぎだよな……。
「す、凄い!」
「へっ?」
なのに、ユフィは目をキラキラ輝かせて、ちょっと鼻息も荒くさせて。本当に、あたしのことをそう思ってくれているような表情をして、そう言ってくれるんだ。
「ミコトは自然界と会話ができる、特別なスキルを持ってるのね!」
「う、うん?」
そうだけど、そうじゃないって言うか……。何かあたしに期待してくれているような眼差しを向けられると、否定しづらくて曖昧な返事になってしまった。
「じゃあ、今から釣る魚も凄い魚なの!?」
「凄い……? まあ、凄いと言えば、そうなのかも。街の料理屋さんとかだと、それなりのいい値段が付いてたりするからね。高級魚、って言われる部類に入ると思うよ」
「それが、あのゴムみたいなゴミで釣れるの!?」
「ゴミ言うな」
ただな……。それ専用のワームじゃないから、どうなんだろ……。
あたしは海釣りも川釣りも、どっちもやる。だから、どっちでも対応できる装備ではあるんだけど、今狙っている魚を釣るためのワームは持って来ていなかったんだ。てか、そもそもワームで狙うような魚じゃない。
それを手持ちのワームを千切ってどうにか似せたものを、今使っている。
だから正直、釣果は期待薄なんだけど……。
ピク。ピクピク。
手許に伝わる小さくて、小刻みな振動。
これは……アタリだ!
「ミコト?」
急に、あたしが不自然に動きを止めたから不審に思ったんだろう。ユフィは少し首を傾げている。
それに対してあたしは、にやりと笑ってみせた。
「来たよ」
「えっ?」
タイミングは普通の餌釣りよりも少し早め。じゃないと、魚に餌が偽物だってバレちゃうからだ。
素早く、そして鋭く竿を振り上げると、僅かに撓った竿先がピクピクと振動している。魚が掛かった証拠だ。あたしは慎重にリールを巻いていく。
「さ、魚が来たの? す、凄い!」
「うん。でも、慌てないのが鉄則だよ。針が魚の口に掛かっても、意外と簡単に外れちゃうものだからね」
「早く見たい! けど、逃げられるのは……困る。だからミコト、頑張って!」
可愛い応援、ありがと。
「うん。あたしもユフィにあげたいからね。あたしのキスを」
「……えっ?」
「いや、だから、キスだって」
少し間があって、ユフィは顔を真っ赤にさせて、
「えぇえええええー!?」
と、叫ぶのだった。
「あっ! 違う、違うよ、ユフィ!? あたしが言いたいキスは鱚なの!」
「そ、それって、それって……!」
「違うから! 魚の名前だから! 魚へんに喜ぶって書いて、鱚! 別名を砂浜の女王とも呼ばれる魚のこと!」
異世界人に漢字がわかるのか知らないけど、あたしはキスを釣り上げることよりも、ユフィの誤解を解くのに必死だった。
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