副編16
「そこからは、もうあまり覚えてないんだ。エリカが生きている時空を行き来し、たくさんの自分と入れ替わってきた」
神野は、テーブルの上に置いてある手鏡を手に取った。
写っているものを見ているのか、その先を見据えているのか。
俺にはわからない。
「ただ、あの日のことだけは昨日のように覚えている。エリカの代わりに、君を飛ばしたあの日」
宇宙へ放り出された、あの日。
「最初はもちろん、エリカも俺も乗るはずだったんだ。……だけど、急に怖くなった」
「………………」
「…その先に、本当にエリカがいる未来があるのか、保証はないから」
俺も、リョウも、ショウさんも。
死の覚悟を持って放たれた。
…でも、シュリちゃんは違ったんだ。
俺は、シュリちゃんに感じていた違和感のピースがハマった気がした。
望まぬ参加。
目を覚ませば、知らない家にいて。
久しぶりに見た家族は、50年という時を超えてしまっていた。
……正直、不思議だった。
シュリちゃんが実験に望んで参加したなら、ある程度の覚悟はあったんだろうと。
家族を見て、あんなに泣くことがあるんだろうかと。
命の保証すらない実験とわかっていれば、生きているだけマシだろう。
事実、過去を思い出した日、少なくとも俺はそう思った。
自分が生きていることが奇跡。
リョウが隣にいることが奇跡。
ショウさんが生きていたら、最高に奇跡。
だけど。
シュリちゃんは、根本が違う。
勝手に人の代わりに命を賭けられて。
帰る場所も、宛もない。
挙句、拠り所のダイチとは時空を超えた対魂。
一緒にはいられないなんて言われる始末。
……こんな状況、怒りが込み上げるのが普通だ。
「結局機体を空で打ち上げる訳にもいかず、エリカの食事に少し細工をして。あの日、君を1人にした」
ごめんね、と神野はもう一度つぶやく。
「エリカの代わり……だったんですね…」
小さな、蚊の鳴くような声で彼女は言った。
それは、悲しみも怒りも虚しさも感じない。
ただ、目の前に置かれた事実を淡々と飲み込むような。
そんなふうに聞こえた。
シュリちゃんが殴らないなら、俺がやるけど。
それくらい、彼女の置かれていた状況に苛立った。
…同時に、自分がどれだけ恵まれた環境だったかを思い知った。
俺は、両手をぎゅっと握りしめる。
左右の拳が、血を集めて赤くなった。
「幼少期の自分、年老いた自分。…本当にたくさんの自分に出会ってきたけど、全てに共通していたことがある」
カタン。
静かに、下を向いて置かれた手鏡が音を立てる。
その時間、ほんの数秒。
「…………」
でも、その数秒が、俺にはとても長く感じた。




