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バルドラの灯

作者: 遠野月


猫のような女だと、バルドラは首を傾げた。

もちろん耳も尻尾もない。普通の少女である。


なぜ猫のようだと思ったのか。

バルドラは再び首を傾げた。

そうしているうちに、少女の小さな身体が駆けはじめた。

剣戟飛び交う戦場の只中を、一人で、懸命に。


少女の駆けていく先には、倒れている老女がいた。

老女の腕の中には小さな赤子がいて、駆け寄ってくる少女をじっと見ている。

その様子を見て一瞬、少女の頬がゆるんだ。

けたたましい戦場の只中で似つかわしくない表情だと、バルドラは呆気にとられる。


しかし周囲もそうとは限らない。

バルドラが所属している百人隊は皆、戦場に漂う血の匂いによって半ば狂っていた。

殺意をまき散らす刃を振り上げ、目の前にいるすべてを一掃することしか考えていない。

いや、考えているとは言えないか。

人に刃を向ける者にまともな思考があるはずもない。


老女の目に、恐怖の色が揺れている。

迫る兵士が、兵士ではない民草へ襲いかかっているのだから当然だ。

死を前にすくみあがった老女は、残る理性をふり絞って腕の中の赤子を包むように抱え込んだ。せめて先ある命だけはと、祈るように。



「そんなに強く抱えたら、赤ちゃんが苦しいですよ」



小さな声が、優しくこぼれた。

けたたましい戦場の只中で、やはり似つかわしくない。



「おいやめろ」



我に返ったバルドラは、少女と老女に襲いかかろうとしている味方の兵士を殴り飛ばした。



「な、なにをする! バルドラ!」


「血に狂ったのか? そこにいるのは兵士じゃない」


「だが敵国の人間だ」


「ならせめて、捕らえればいい」



そう言ってバルドラは、未だに狂った目をしている味方の兵士を次々と殴り飛ばした。

そのうちの一人が、倒れている老女の傍へ飛ぶ。

白目をむいて気絶する兵士を見て、老女が引き攣ったような悲鳴を上げた。



「ダメです。おばあさん。赤ちゃんが」



優しい声が、悲鳴を撫でるように寄り添った。

老女に駆け寄っていた少女が、そっと老女の身体を抱く。

しばらくすると少女を見据えていた赤子が堰を切ったように泣きわめきはじめた。

もう恐れなくてもいいと本能が察したのだろう。

未だ戦場の只中であるというのに、少女の周囲だけふわりと柔らかな空気が満ちていった。



「怪我はしていませんか?」


「あ、あんた……どうして……」


「倒れていたので。さあ、肩を貸します。えっと、赤ちゃんは……元気そうですね。良かった」



少女は泣きわめく赤子の状態を確認し、にこりと笑う。

呆気にとられた老女が口をぱくぱくとさせていると、老女に対しても少女が微笑みかけ、その手を握りしめた。

細く、なめらかな手。どうやら一般階層の娘ではない。

着ている衣服は粗末なものであるが、元はどこぞのお嬢様であろう。



「兵士さん。収めてくれて感謝します」


「……早く行け。また誰かに襲われる前にな」


「ありがとうございます。それでは」



バルドラに向かって、少女が丁寧にお辞儀をする。

その姿を見て、バルドラはまたも首を傾げた。

目の前にいる少女はもはや、普通の次元の人間ではない。

明らかになにかが欠落した人間であった。



 ◇ ◇ ◇



「ねえ、バルドラさん」



少女が微笑みながらバルドラへ寄った。あの時、老女を助けた妙な少女だ。

結局、少女は捕虜となった。民間人のこの少女を捕虜としたのは、彼女の身を護るためであった。

というのも、バルドラが彼女を救ったあとも、戦場をウロウロと歩き回ったからだ。

そして誰彼構わず怪我をしている者に手を差し伸べつづけていた。


少女の手には枷が付けらていた。

しかしそんなものは気にも留めていないように見える。



「なんだ、シノ」


「これからどこへ行くの?」


「前線となっている集落だ」


「また、戦うの?」


「戦争中だ。俺たちが戦いたいわけじゃない」


「じゃあ、戦わなくてもいいんじゃない?」


「国の偉い奴は、何百万人殺してでも自分の偉大さを正当化したいのさ。そして俺たちはそいつの命令に逆らえない、ただの駒だ」


「駒には見えないわ」


「例えだ」


「じゃあ、人間でしょう?」


「……ああ。人間、だな」



捕虜となった少女シノとともに、バルドラはずっと歩いていた。

シノは身も心も幼かったが、女である。

戦場の兵士たちは狂った思考を抑えきれず、女に手を出してしまう。

民間人であろうと、どれほど幼い子であろうと、関係はない。

まるで戦争を引き起こした人間の醜さが、末端にまで染みわたっているようだ。


しかし前線の集落に着いたあとも、ずっと供にいられはしない。

バルドラは信頼のおける兵士にシノを引き渡した。

その兵士には、シノと、シノ以外の女たちが乱暴されないようにと念押ししておいた。


しかしバルドラの願いは儚く砕けた。

一刻も経たないうちに、シノを含めた多くの女性たちが連れ出されたという。



「バカな!」



バルドラは駆けだし、シノを捜して回った。

すると集落の外れにある建屋で、他よりも賑やかな声が上がっているのを耳にした。



「ここか!?」



バルドラは建屋の戸を蹴破る。

すると案の定、中には連れ出されていた女たちがいた。

しかし不思議なことに、女たちは乱暴されていなかった。

酒を飲んだ兵士たちと話をしているだけであった。



「なにをしているんだ、お前ら」


「バ、バルドラ、いや、これはその……」


「勝手に女たちを連れ出したのか」


「す、済まねえ!! で、でも、何もしちゃいねえよ!」



兵士たちが口を揃えて言う。嘘を付いているようではない。

バルドラは不思議に思い、女のひとりに声をかけた。

厳めしいバルドラを恐れた女の顔が引き攣る。

いつものことであるが、バルドラはそうした女の顔を見るたびに多少は傷付いていた。



――そう言えば、シノは俺の顔を見ても何も言わなかったな。



シノの微笑む表情を思い出し、バルドラは肩の力を抜く。

すると目の前の女にも伝わったのか、女の表情から幾分緊張が抜けた。



「何もされていないのか、お前は」



バルドラは出来るかぎり声を荒げないように努める。

すると女がほっと息をつき、小さく頷いた。



「最初は少し。でもシノちゃんが助けてくれて……」


「シノが? シノはどこにいる??」


「二階にいます。私たちの代わりになってくれたシノちゃんが、何人かと一緒に二階へ行って。しばらくしてその人たちが下りてきて、代わりにまた何人かが二階に上がりました。……降りてきた兵士さんたちは、みんな穏やかな顔になってたんです。シノちゃんにも何もしてないって。私たちはなにがなんだか……」


「……なんだ、どういうこった?」



不信感を拭えないバルドラは、和やかに酒を飲んでいる兵士たちを押しのけ、二階へ上がっていく。

二階からは、確かに幾人かの人の声が聞こえてきていた。

ところが、どうも女に乱暴をしているといった様子ではない。

いよいよバルドラは混乱し、声が聞こえてくる部屋の戸を押し開けた。



「シノ!? 無事か!?」



声を荒げ、バルドラは中の様子を見る。

すると中には、三人の兵士と、布を一枚羽織ったシノがいた。

シノの頬は赤く腫れていた。

しかし目の前にいる兵士たちがシノを叩いたようではなかった。むしろシノに対して優しく語りかけたり、泣いていたりししていた。



「なんだあ、これは……?」


「あ、バルドラさん」


「え、うわ、バルドラあ!? す、す、すまねえ! で、でも、俺たちは何もしてねえよ!!」


「……そうらしいな。だが勝手に捕虜や民間の女を連れ出したのはダメだろ」


「す、すまねえ……。シノさんも、すまねえな……」


「いいえ。皆さん。元気を出してください。バルドラさんも、皆さんを怒らないであげて」



そう言ったシノが、兵士たちに優しく微笑む。

兵士たちはシノと別れを惜しみながら一階へ降りていった。



「殴られたのか。シノ」



バルドラが言うと、シノは自らの頬を撫でてにこりと笑った。



「少し。でも、もう平気です」


「あいつらをどうやって止めたんだ」


「何もしていません。悲しそうだったから、話しを聞いていたんです」


「裸で、か?」


「そうでした。最初は服を脱がされたので。今、着ます」



そういうとシノは床に散らばっていた服を着はじめた。

それらを見るかぎり、少なくとも最初は乱暴をされるはずだったのだろう。

しかし兵士たちは途中で辞めたのだ。

狂った思考を落ち着かせるほどのなにかが、ここで起こったというのか。



「お待たせしました」



服を着たシノが、バルドラへ寄った。

シノは笑顔だった。

出会ったときと同じだ。

やはりどこか欠落しているような表情であった。



 ◇ ◇ ◇



前線となる集落に陣を張っていたバルドラたちは、捕虜のシノたちと仲良くなった。

解放することも考えられたが、シノを含め、幾人かの女たちは留まった。身寄りがないためである。



「戦争はいつまでつづくの?」



見張りをしているバルドラに、シノが声をかけた。

シノたちはすでに捕虜という立場を超えていて、自由に歩き回っている。

見張り台へやってくるのはシノだけだが。



「どちらかが負けを認めるまでだ」


「認めなかったら?」


「終わらない」


「それじゃあ、みんな死んじゃうわ」


「どいつもこいつも、他人の命のより自らの誇りのほうが重いのさ」


「誇りって重さがないわ。人間の身体には重さがあるけど。いったい、どういう意味?」


「俺が知りてえよ」


「誰が教えてくれるかしら」


「どいつもこいつも知らねえさ。知っている奴がいたら、そいつは神様のふりをして重さのない錘を振り回しているだけだろうよ」



バルドラは地平線を見据えながら言う。

シノもバルドラを真似て、地平線を覗いた。


シノと話していると、バルドラは自らの戦いの日々が虚しく思えてくる。

兵士でいるかぎり、戦いは避けられない。

死にたくなければ、敵兵を殺す他ない。

殺し合いに、意味など考える暇はない。


味方の兵士たちも、同様に考えている者がいるようであった。

彼らもシノに影響を受けている。

純粋な思考に浄化されているのか、ただ自らの穢れに気付かされただけなのか。

この戦いが終われば兵士を辞めると言いだすものまでいる始末だ。


しかし兵の士気が下がっているわけではなかった。

この戦いを勝ち抜くまではと、逆に士気が上がってる。

将校がシノを野放しにしているのも、その影響を見たうえでのことであった。



「あそこに砂塵が上がっているわ」



隣にいたシノが言った。

バルドラははっとして、シノが指差すほうを見る。



「どこだ?」


「二つの塔があるでしょ? その右」


「塔? ……あの小さいやつか? その右だと??」


「そうよ。自然に上がった砂塵じゃないわ」



シノが確信を込めて言う。

バルドラはしばらく分からないでいたが、じっと見ていると確かにシノの言う通り、砂塵らしきものがうごめいているのを見て取った。

バルドラは急いで鐘を鳴らす。

すると二人ほど見張り台に上ってきて、バルドラに詳細を尋ねた。



「なるほど。シノちゃんは目が良いんだな」


「そうみたいです」


「だけどもう下に降りなさい」


「分かりました」


「バルドラも下へ行け。方角的には、味方か、敵の敗走兵だろう」


「後者だろうな」


「そうだな。数も多いように見える。包囲網をわざと解いて、逃がしたってとこだ」



バルドラは同意し、見張り台を降りていく。

下でシノが待っていた。

バルドラはシノに避難するよう伝える。

しばらく考えたシノが大きく頷き、駆け去っていった。



 ◇ ◇ ◇




「逃がすってわけですか?」


「そうだ」



将校が短く答えた。

理由はただひとつ。敗走兵を掃討しろとは命令されていないためだ。

バルドラたちの部隊はただ橋頭保を築くだけであり、積極的に撃って出る必要はない。

指定された最前線で一点をひたすら守り抜くだけだ。



「攻撃してきたら?」


「無論迎撃する。全員に伝えよ」


「分かりました」



バルドラは敬礼し、将校の幕屋を出た。

幕屋の外には幾人かの兵士がいて、会話を立ち聞きしていた。

バルドラが睨みつけると、兵士たちは慌てて敬礼した。



「防衛のみだ。誰ひとりとして、こちらから攻撃させるな」


「承知!」


「俺はもう一度見張り台へ行く。全員配備へ就け」



バルドラの言葉を受け、皆が持ち場へ散っていく。

見届けた後、バルドラは再び見張り台へ登っていった。


見張り台から見た敵軍らしき砂塵は、さらに近付いてきていた。

攻撃するためかどうかは分からない。

少なくとも、バルドラたちがいる集落付近を通っていくほうが安全で、近道なのだ。

無論、バルドラたちが撃って出てこなければであるが。



「こっちの旗は見えているだろうな」


「見えてなければ、相当な馬鹿者だ」



先に見張り台にいた兵士が笑う。

そしてやはり、近付いてきていた敵軍はこちらの旗が見えていたようで、わずかに進行方向を変えた。

攻撃の意思はないとはっきり示している。

バルドラともう一人の兵士はほっとして、その場で腰を下ろした。



「お前、将校へ伝えてこい」


「バルドラはどうする」


「俺はここに残る。通りすぎれば良し。妙な動きをしてきたら、やるしかない」



バルドラが言うと、兵士が頷いて見張り台を降りた。

しかしすぐに誰かが登ってきて、ひょいと顔を見せた。シノだ。



「シノ。避難しておけと言っただろう」


「バルドラさんが敵に飛び込んでいかないか心配になって」


「俺はそんなに馬鹿じゃあない」


「虎の名前なのに? 不思議ね」


「親が勝手に付けたんだ」


「きっとバルドラさんの未来が見えたのね。素敵」



シノが笑う。

戦場とは思えない、妙な気分にさせてくる。



「ところでバルドラさん。あれはなにかしら」


「なに?」



突然、敵軍とは別の方角を指すシノ。

見るとそこには、ずいぶん近くまで迫っている軍隊があった。かすかに軍旗も見える。



「味方だ。どうしてここに」


「助けにきたの?」


「援軍は呼んでいないはずだ」



バルドラは首を傾げる。しかし嫌な予感がした。

シノを抱きかかえ、バルドラはすぐさま見張り台を降りる。

そして将校の幕屋まで駆けると、礼をすることもなく押し入った。



「別の方角から味方が来ています」



突然飛び込んできたバルドラに、将校が驚く。

しかし追い出すでもなく、近くへ寄れと手招いた。



「軍旗は見たか」


「見ました。間違いないかと」


「残兵狩りだな。特に何も報せは受けていないから、奴らは軍令違反であろう」


「よくあることです。どうしますか。見逃しますか」


「味方同士では争えん。彼らが敵軍に追いつけば、見ぬふりする他あるまい」



将校が言うと、バルドラは唸った。

バルドラの左下でも、唸り声が聞こえた。

見ると、未だに抱えたままのシノがぶら下がっていた。

バルドラは慌ててシノを下ろし、苦しくなかったか問う。

シノは首を横に振り、にこりと笑った。



「将校さんは、あの人たちが死んでもいいんですか」



シノが首を傾げて言った。

将校が顔をしかめ、「そんなことはない」と答える。



「助ける方法はありませんか」


「ないわけではない」


「たとえば?」


「今こちらへ向かっている味方の軍の将を説得する」


「ではそうしましょう」


「だが断られるであろう。彼は手柄が欲しいのだ。軍令違反を塗りつぶせるほどの勝ったという証が」


「もう勝っています。逃げている人を追っているですから」


「追い立てるだけでは証にはならない。それゆえ、将兵の首を取るのだ」


「錘のある証が必要なのですか」


「錘だって? ……なるほど、まあ、そういうことだろう」



将校が不思議な顔をして頷く。賢い子供だとでも思ったのだろう。

バルドラからすれば、賢いというよりは気味の悪い少女だが。



 ◇ ◇ ◇



バルドラはただ一騎で、逃げている敵軍へ駆けていた。

近付いてみるとやはり敗残兵であるらしく、皆弱々しかった。



「そちらの将はいるか」



バルドラが叫ぶと、三騎ほど駆けてきた。

一騎だけで来たのだから、敵意がないと分かってくれているのだろう。



「すまないが貴軍らの傍を通り抜けたい。敵意はない。敗れて還るだけなのだ」


「知っている。そちらの将に会いたい」


「なにを?」


「別の方角から敗残兵狩りの軍が迫っている。必ず貴軍らを襲うだろう」



バルドラが言うと、騎兵たちは互いに顔を見合わせ、しばらく考えた。

しかし長考する暇はない。バルドラが急かすと、騎兵たちは将のもとへ案内すると言ってくれた。


移動しつづけている敵の中軍へ寄ると、見るからに将と分かる者がいた。

バルドラは彼に寄り、恭しく礼をした。



「時がないので、用件のみ伝えます」


「申してくれ」


「我が軍の別動隊が貴軍に迫っています。このままでは追いつかれます。追いつかれたなら、我らは貴軍が蹂躙されるのを見ている他ありません」


「であろうな」


「そのため、将軍の兜と、軍旗と、最も高価な武具をください」


「なんとする?」


「兜を割り、軍旗を破り、武具を折ります」


「馬鹿な」


「ですが、それで兵の命が助かります。貴軍は領土へ還れます」


「奴らが止まらなかったら、なんとする」


「俺がその将を斬ります」



バルドラは目をぎらつかせて言った。

本気と分かったのか、敵将は唸りつつも承諾し、兜と軍旗を渡した。



「武具もいただきます」


「宝剣なのだ。これは渡せぬ」


「渡しはしません。折りますから。互いの誇りと、誇りより重い命のためです」


「……あい、わかった」



敵将が渋々宝剣を差し出す。

バルドラは礼をして受け取り、その場で宝剣を叩き折った。

周囲はざわめいたが、敵将が即座に沈めた。



「では、これにて」


「武運を祈る」


「お互いに」



バルドラは敵将に礼をして、兜と軍旗と、折れた宝剣を持って駆け去った。


それからバルドラは集落に帰ることなく、迫りくる味方の軍に向かって駆けた。

すると途中、妙なものが見えた。

なにかと目を凝らすと、それは人間で、バルドラ同様に迫りくる味方の軍に向かっているようであった。



「おい、シノ!」



歩いている人間は、間違いなくシノであった。

バルドラはシノの傍へ寄り、馬を降りる。



「何をしている!?」


「あの人たちを止めるんです」


「止まるものか」


「どうして止まらないと決めるの?」


「そういうもんだ」


「バルドラは戦いたいの?」


「戦いたくないから、俺の将が策を授けてくれた」


「じゃあ、私も行きます」


「……くそ、来るなと言っても歩いてくるんだろう?」


「うん」


「ああ、くそ! 仕方ねえな!」



バルドラはシノを馬に乗せ、駆けた。

シノは馬の上で楽しそうに笑った。やはりどこかおかしい。

恐怖のような感情が存在しないのだろうか。


やがて味方の軍傍まで行くと、バルドラは伝令だと言って、将のもとへ行けるよう願った。

特に断る理由もないため、バルドラはすぐに将のもとへ案内された。

バルドラとともに馬に乗っているシノの姿を見て首を傾げる者もいたが、バルドラは気にしないよう努めた。



「伝令だと?」



中軍にいた将が訝し気に尋ねてきた。

バルドラは頷き、持ってきた兜と、軍旗と、折れた宝剣を手渡した。



「敵将は旗も鎧も捨てて逃げていました。こちらは敵将の宝剣です」


「折れているではないか」


「折れたのです。しかしこれだけで十分。奴らを追い払った証となりましょう」


「なにい?」


「これで引き返していただかなければ、我らは将軍のことを報告せねばなりません」


「脅しておるのか」


「忠言です」



バルドラは目をぎらつかせつつ、跪いた。

しかし将は苛立ったらしく、バルドラに向けて剣を抜き放った。



「いけませんぞ」


「なにい?」


「ほら、足元をご覧ください」



バルドラが言うと、将が素直に自らの足元を見た。

瞬間、バルドラは飛ぶように駆けて、将の視界から外れた。

そうしてから剣を抜き放ち、将の後頭部を剣の柄頭で殴った。

殴られた将がぐらりと身体を揺らし、地面に倒れる。



「将軍が倒れて気を失われたぞ」



バルドラが言うと、剣を振り回して周囲にいる兵士を威嚇した。

周囲の兵士たちは、バルドラのあまりの速さに恐れおののき、抜剣すらできなかった。



「将軍が目を覚ましたら、躓いて気を失っただけだとお伝えしろ」


「……え?」


「ついでにここらは冷える。少し引き返せば町がある。そこで陣を張るほうがいい。将軍に風邪を引かれたら困るだろう?」


「わ、わかった。そうしよう」



兵が言うと、バルドラに礼をした。

どうやら将軍が無理矢理追撃をはじめただけで、皆は嫌であったらしい。


バルドラは集落へ戻る途中、一応シノを叱った。

シノは謝ったが、同じことがあればまたすると言って聞かなかった。

しかもどれほど強く叱っても、バルドラを恐れたりしなかった。

「やっぱり虎みたいな顔ね」と笑うのみである。

バルドラはついに叱るのを諦め、集落へ帰った。



それから数か月して、戦が終わったと報せがあった。

バルドラたちが陣取っていた集落も放棄となり、帰郷することとなった。



「シノはどうする?」



身寄りのないシノに、バルドラは一応尋ねておいた。



「どこかで暮らすわ」


「そうか」


「バルドラはどうするの?」


「俺は兵士だ。戦があれば、また戦う」


「戦わせたくないわ」


「そうはいかないだろう」


「じゃあ、私はバルドラと一緒に行く。戦わせないように見張っておくの」


「なに?」


「決まりね」


「……断ってもどうせ来るんだろう」


「うん」


「放りだして野垂れ死なれたら寝覚めが悪い。……仕方ねえな」



バルドラは眉根を寄せ、シノの頭をとんと叩く。

今だけ戦が終わった野を、ゆっくりと歩いていく。



いつか、優しいあなたが世界を救うまで。

最後までお読みいただき感謝します。


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