鳴かない蝉
ふと気がつけば、あれだけ響いていた蝉の鳴き声がピタリと止んでいた。
「おい……」
シンと静まり返った木の幹に降り立つ。さっきまで騒いでいた蝉はチラリと横目でこちらを見ただけで、返事も返してこない。
「どうしたんだよ。蝉だろうが。もっとミンミン鳴けよ」
「──疲れた」
「はぁ⁉︎」
無気力にジジっと鳴く蝉に苛ついて、思わず翅をバタつかせる。蝉は迷惑そうに眉をひそめた。
「お前、蝉だろうが。蝉ならもっとセックスしてぇセックスしてぇって叫び続けろよッ」
大体こいつは会った時から無気力だった。
全然鳴かないし、動かないコイツに苛ついて本来縄張り意識が高い俺様が、仕方なくオレの樹に居候させてやってるのに。
なのに、疲れた、だと──⁉︎
「お前童貞のまま死ぬつもりか⁉︎ 死ぬならせめて最後まで◯ックスしてぇ! って叫び続けてから死ね!」
「イヤですよ。ってかあんたがそんな事言うから、俺が鳴くたびに、あいつセックスしたいんだなぁって思われてる気がして余計やる気無くすんですよ」
「みんなお前がセックスしたいって思ってんだよ! いいだろうが。お前がセックスしたいって叫ぶと夏が来たなって思うんだよ」
「なんですかソレ。ナンパが増える湘南の海みたいに言わないでくださいよ」
蝉は溜息をつきながら、だいたい……と呟いた。
「正直言って俺そんなにメスとセックスしたくないんですよ」
「……えっ!」
蝉のくせにセックスしたくないなんて。
「おまえ……蝉のくせに性欲ないの?」
「蝉のことなんだと思ってるですか」
キングオブハレンチ虫だと思ってるが、そんな事いまは言える雰囲気ではないので口をつぐんだ。
また大きな溜息とともにジジっと鳴いた後、蝉が何故かソワソワしながら聞いてきた。
「大体、あんたはどうなんですか。あんたも成虫になったんだ。セックスシーズンでしょ」
そう、オレもコイツと同じで、夏の間にメスとつがって、そして一生を終える運命だ。でも……。
「いや、分かってんだけどさぁ。お前がちゃんと鳴いてるか心配でメス探しに集中出来ないんだよなぁ」
だから早く鳴け、と言うと蝉は微妙な顔でジジっと言いながらこちらににじり寄る。縄張り意識が高いオレは本来近づかれるのも触れ合うのも苦手だが、なぜかコイツは気にならない。生命力が弱いからだろうか。
「じゃあ、あんたも童貞のまま死ぬんですね」
「ハァッ⁉︎」
なんて事言うんだと憤って翅をバタつかせると、蝉も翅を一瞬バタつかせた。重なり合った翅が一瞬だけ触れ合い、そこからゾワリと不思議な感覚が駆け抜ける。
「……ッ!」
「だって、俺、メスと番う気ないもん。あんたに言われたから仕方なく鳴いてたけど。俺はセックスするならあんたがいい」
「はぁぁぁぁ⁉︎」
「暗い土の中から出てきて、はじめて見たのがあんたのキラキラした翅だった。俺、よく目見えないけど、あんたの翅だけ光ってみえる。セックスするならあんたがいい」
「いやいやいやいや。オレが綺麗なのは事実だけど……」
実際はよく知らんけど。でも人間どもが、オレを見て綺麗だ綺麗だと追いかけ回してくるからきっとそうなんだろう。
「オレはオスだし。お前とオレじゃセックスはできない。落ち着け」
「セックス出来なくても、感じあう事は出来る。大丈夫。あんたの尾もすごいセクシーだよね。そこから精子が出るの? ちょっと見せて」
「ま、待て待て待てぇ……ぃ、あっ♡」
その後夏の終わりまで、蝉とオオムラサキが絡み合う不思議な光景が目撃された。