一度目の奇跡が起こった日
「……え?」
レティが戸惑った声を上げた。
「いえ、ですが、この日はグレーデのお屋敷に行く前ではありませんか? 枯れ大樹がよみがえったのは、もう少し後だったような気がするのですが……」
日記に記された日付は、今から二月と少し前。マロリーの屋敷に戻ったのより前の事だ。つまり、この時はまだ何も起こっていない事になる。
だがウィルは首を振った。
「そうじゃない、その前だ。覚えていない? 君は、もうひとつの奇跡を起こしたはずだ」
「もうひとつ……?」
「――黄金の果実」
はっとレティが息を呑んだ。
「あれは……」
「ボールドウィンの領地で、正体不明の種が芽吹いた日。白い花を咲かせ、黄金の果実を実らせたのは、枯れ大樹の若木だった。あれを芽吹かせたのは君だよ、レティ」
それについては覚えがあった。
それどころか、一生忘れられない出来事だ。
パメラが咳流行りに罹り、生命の危機にさらされた日。
枯れ大樹の枝にレティが願った時、奇跡が起きた。
レティの体から光が立ち上り、足元の地面に注がれたのだ。光はどんどん集まって、まばゆいほどに輝きを増し、やがて新たな芽が生まれた。それこそが、ボールドウィンに伝わっていた種――正確に言えば、枯れ大樹の種だったのだ。
芽吹いた種は成長し、今では若木になっている。普通の木と変わらないが、レティにとっては家族でもある。
その時に力を使い果たしてしまったのか、元の枝は枯れてしまった。元々、そのために頑張ってくれていたのかもしれない。確か、フォンドア翁はグレーデの人間しか外に持ち出せないと言っていた。あの時までそばにいてくれたのは、レティを心配していたせいかと思う。
あの枝のかけらは、今も大切に持っている。ついこの間、不思議な輝きを帯びた事を除けば、何の変哲もない枯れ枝だ。
その後、グレーデの枯れ大樹もよみがえったが、初めの奇跡と呼べるのは確かにこの日だ。
「この日に何が起こったか。それが問題を解決するカギになるかもしれない」
「カギ……ですか」
あれからの事は、正直よく覚えていない。
パメラを助けなくてはいけないと必死で、領地の人々を治さなければと一生懸命で、とにかく必死だった記憶しかない。終わった時はほっとして、体の力が抜けてしまった。
あの時は確か、ウィルとルカに助けられたのだ。
身の安全を顧みずに領地に送り届けてくれたのがウィルで、彼の命を受け、人を率いて領地の人々を救ってくれたのがルカだ。ルカにはその後、拳骨を含めたお説教を食らってしまったが――ついでにウィルも怒られていたが――それでも彼らがいなかったら、決して成し得なかった奇跡だ。
あの時、何があったのか。
「……そういえば、森が光っていた気がします」
ルカと一緒に領地に戻る最中、森がきらきらと輝いていた。
朝露によるものかと思ったけれど、生き生きとした美しさにあふれていた。
「僕も聞いたな。それに、僕自身もそんな気がした」
「あの日を境に、ボールドウィンの森はよみがえった……」
そして領地全体もだ。レティが来てから改善した、と常々ウィルに言われてきたが、明らかに上向いたのはあれからだろう。あれが何か関係しているのか。あれは――……。
「……地力溜まり……?」
はっとレティが顔を上げた。
「地力溜まりかもしれません。ただ、ドルキアンに関係あるかは分かりませんが……」
「地力溜まり?」
地力溜まりというのはこの国に特有の現象で、大地の力が偏った場所に溜まってしまうものだ。理由は色々あるらしいが、ひとつは土地の均衡が悪い事、もうひとつは溜めておかなければならない理由がある場合だと教えてもらった。
前回の時は、枯れ大樹の発芽と成長のためのエネルギーだった。そのせいで一旦枯渇した土地の力は、ふたたび活発になってきている。これはおそらく、土地の均衡が元に戻った事と、枯れ大樹の加護によるものではないかと思われる。
当時、ウィルには大まかな説明をしていたが、その後の処理で目の回るような忙しさだったため、それっきりになっていたのだ。
ざっと概要を説明すると、ウィルは「…それだ」と呟いた。
「え? ですが、あれはボールドウィンで起こった出来事で……」
「大地に境目はないよ、レティ」
そこでウィルは地図を広げた。今度はドルキアンの周辺までが含まれたものだった。
「ここがボールドウィンで、こっちが幹枯らしの森。で、その先をずっと辿っていくと……」
「……女神の爪先?」
「地力溜まりが解消された影響は、森全体に行き渡ってる。ならその先にあるここにも変化があったと考えて不思議じゃない」
ウィルの指は、岩山の麓を示していた。ボールドウィンから直線距離にすると、さして遠くはない。グレーデからもさほど離れてはいない場所だ。
「地力溜まりが原因とすれば……エネルギーの枯渇でしょうか?」
「逆に余分なエネルギーが流れてしまったことで、本来の状態に戻っているのかもしれない。少なくとも、花の咲く場所に影響があった可能性はある」
「では、一体どうすれば?」
「分からない。分からないけど――これが突破口になる。きっと」
ウィルの勘は鋭い。単に野性というだけでなく、何かをつかむ能力が人並み外れて高いのだ。あれは真似できないと、ルカが以前にぼやいていた。とはいえ、彼の能力も相当なものだと思うのだが。
そのウィルが断言するなら、可能性はあるかもしれない。
「……やってみましょう、ウィルさま」
ひとつでも可能性があるなら、それがいい。
「そうだね。……多分、それほど時間はないはずだから」
「え?」
目を丸くすると、ウィルは困った顔になった。
「そうならないように、全力を尽くすつもりだよ」
――後悔だけはしたくないからね。
その言葉はひどく重く響いた。
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