夕餉の前に
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それから少しして、ギルバートが山ほどの資料を持ってきてくれた。
「残りも随時届けさせる。書庫と保管庫への出入りも自由だ」
書庫の場所も教えてもらい、レティはありがとうございますと頭を下げた。
「礼を言うのはこちらの方だ。疲れたら甘いものを用意させよう。お茶も好きなだけ飲むといい」
「いえそういうわけには……」
「遠慮することはない。子供が根を詰め過ぎるのは体に悪い」
「ですが私は大人の女性……いえ、あの、まあ、そうですね、疲れたら……いやいや」
ちょっと誘惑に流されそうになったが、それどころではないと思い直して首を振る。渡されたのは、レティが頼んだ覚え書きや、詳しい気候に気温の図表、地質や植物の生態記録などだった。
「言われたものはできるだけ集めたが……こんなものでいいのか?」
「すばらしいと思います」
「他にもないか探させている。関係ないかもしれないが、それも届けさせよう」
「助かります。これ、ウィルさまたちにもお見せしていいですか?」
「もちろんだ。必要だと思ったら、どんな情報でも共有して構わない。この屋敷のどこでも好きに歩いていいし、領地内の調査も自由だ」
「ありがとうございます」
あまりに特別扱いで恐縮してしまう。だが、ギルバートは首を振った。
「言っただろう。礼を言うのはこちらの方だ。本当に感謝している、レティシア・グレーデ嬢」
「あ、あの……できればですね、私のことはレティと呼んでいただければと」
「だが、あなたはウィルの――ボールドウィン伯爵の特別な方なのだろう。本来ならばグレーデ男爵令嬢と呼ぶのだろうが……」
その呼び方は慣れないため、まったく使われていない。
領地の管理をウィルがしている事もあり、レティは名前だけの男爵令嬢だ。さらに言えば、今領地を守っているのはパメラであり、その称号は彼女にこそふさわしいと思っている。ちなみにパメラはウィルとフォンドア卿の口添えと、病に倒れた村人達の証言もあり、身分を剥奪されていない。よかったと、レティは心から安堵している。
そんな状況で、男爵令嬢と呼ばれるのは変な感じだ。
だが、自分よりもはるかに年上の青年に、毎度毎度丁重にフルネームで呼ばれているのも、それはそれで据わりが悪い。
お願いしますと告げると、彼は生真面目な顔で頷いた。
「分かった。では――私のことも、ギルと」
「いえ他領の領主さまを愛称呼びというのはどうかと……!」
即座に呼んだ二人の姿が頭をよぎったが、レティが呼ぶのは違うだろう。そう思って断ると、彼は無表情のままうつむいた。
「そうか、駄目か……」
(が……がっかりしている……)
「あの、ええと、そのですね……」
「ウィルとルカと同じように呼んでもらいたかったのだが、失礼なことを言って申し訳ない。私はレティと呼ぼう。私のことはどうとでも呼んでくれて構わない」
言いながら、もう少し顔が下を向く。分かりやすく落ち込んでいる。その様子はまるで――まるで。
(い……犬……!!)
しょんぼりと垂れた耳と尻尾が見えるようだ。表情は動いていないのに、ものすごくがっかりしている。
「いえ、呼びます、呼びますから! ギルさまですね、大丈夫です。了解いたしました!」
「……いいのか?」
「もちろんです!」
「ありがとう、レティ」
ふわ、と唇の端が少し上がる。そんな表情をすると、一気に柔らかい印象になる。彼が非常に優れた容貌の持ち主だと、改めてレティは理解した。
「そういえば、ドルキアンには客人をもてなす特別な料理があるのだが、レティは山のものが好きだろうか」
「大好きです」
「貴族令嬢が口にするには問題だと、家人には止められてしまったが。レティなら喜んでくれると思う」
今日の夕餉にはそれを出そうと、ギルバートが約束する。レティも楽しみですと笑顔になった。
「ですがその、私なら喜ぶというのはどういった意味で……?」
「ああ、それは」
そこでギルバートは顔を近づけ、レティの頬をそっとぬぐった。
「……頬に焼き栗のかけらがついていたので、きっと抵抗はないだろうと」
「……っっっ」
「この食べ方は上級者だ。爪もほとんど汚れていない。香ばしい匂いがしなければ気づかないところだった」
「あ、あのですね、ギルさまっ?」
「見事な手際だ、レティ。もしかすると、私よりも食べるのが上手いかもしれない」
真面目な顔で言う彼は、本当にそう思っているらしい。礼を言うべきか少し迷い、結局レティは頭を下げた。
「……恐縮です」
お読みいただきありがとうございます。次回はご飯のお話です。




