伯爵に呼び出されました
「よい……しょっと」
洗濯物を干し、レティは額の汗をぬぐった。
はためくシーツが気持ちいい。空は爽やかに晴れ、絶好の洗濯日和だ。
このお屋敷に来て半月あまり、レティはすっかりここの暮らしに馴染んでいた。
与えられたメイド服もぴったりで、着心地がいい。
「レティ、そろそろ休憩だよ」
やってきたサンドラがリンゴを放ってくれる。お礼を言って受け取ると、レティはちょっと首をかしげた。
「なんか……しなびてる?」
「この辺りじゃ、いい果物が生らないんだよ。みんな小さいかしなびてる。旦那様たちはさすがにいいものを召し上がってらっしゃるけど、あたしらにはこれで十分さ」
「なるほど……」
一口齧ると酸っぱくて、レティは噴き出しそうになった。
グレーデ領は、果実の収穫に適していた。草木が生い茂り、作物の実りもよかった。「緑のグレーデ」の二つ名の通り、初夏には緑、春には一面の花を咲かせたものだ。
だが、ボールドウィン領では違うらしい。
領地がひとつ違うだけで、これだけ違うのか。
この土地でレティの境遇だったら、一年で飢え死にしそうだ。
(グレーデ領でよかった……)
しみじみと思いながら、リンゴを齧る。やはり酸っぱいが、お菓子作りには良さそうだ。
あの当時、食事もまともに与えられなかったレティは、森での収穫を始めた。
木の実や草、食べられるキノコなど、森には食材が豊富にあった。パンや砂糖はなかったけれど、それは仕方ない。重要なのは、生きる事だ。
幸い、代々の当主が残した記録により、食用とそうでないものの区別はついた。保存食もばっちりで、おかげで飢え死にせずに済んだ。非常食もそこで覚えた。ご先祖さま、ありがとう。とても感謝しています。
「そういえば、畑の実りもよくないですね。森も、あんまり元気がなかったような……」
「そりゃまあ、根絶やし伯爵の領地だからね」
「なんですか、それ?」
「知らないの?」
サンドラが目を丸くする。それから「ああ」と頷いた。
「そういえば、レティは他領から来たんだっけ。幹枯らしの森も知らなかったんだもん、ボールドウィン家の二つ名を知らなくて当然か」
「二つ名?」
「――うちの伯爵家は、呪われてるのさ」
声をひそめて言われ、ごくり、とレティの喉が鳴る。
「伯爵領の木は弱り、草木は生えず、果実はしなびて朽ちていく。それすべて、ボールドウィンにはびこる呪いのせいである――ってね」
「の、呪い……?」
「詳しいことは知らないけど、確か昔――」
サンドラが身を乗り出したところで、怒鳴り声がした。
「サンディ! いつまで油を売ってるんだい、そろそろ戻りな!」
「ありゃ、呼ばれちった」
ぺろりと舌を出し、「じゃあまたね!」とサンドラは去っていく。スラリと伸びた健康的な足がまぶしかった。
それを見送り、レティは少し考え込んだ。
ここは素晴らしいところなのに、ひとつだけ不思議な事があった。
植物がまったく育たないのだ。
気のせいかと思っていたら、呪いだったとは。
そういえば、汗ばむ陽気だというのに、花が一輪も咲いていない。日の当たるところに草は生えるが、それだけ。球根もできないし、実も育たない。正確に言えば、収穫できるような作物は育たない。
レティの生活する場所は、それでも少し元気がいいようだけれど――。
「レティ」
名前を呼ばれ、レティは振り向いた。
メイド頭のマーサが、奇妙な顔で立っていた。
「旦那様が、あんたにお会いになりたいそうだよ」
***
ボールドウィン伯爵家。
何代も続く名家であり、国王陛下の信頼も厚い。建国当時から、その存在は知られていたという。
初代ボールドウィン伯爵の尽力により、各地で起こっていた内乱は収まり、バルトリアス王国が誕生した。国王は彼の献身にいたく感激し、公爵位を与えようとしたが、彼は固辞した。その決意は固く、国王もあきらめざるを得なかったという。
その後、彼は国王に忠誠を誓い、広大な領地を賜った。今でも宮廷での存在感は強い。ただし、権力にはまるで興味がなく、派閥争いとも無縁だったため、親しい貴族は多くない。
そんな中、いつの間にか囁かれる噂があった。
――ボールドウィンの領地では、作物が育たない。
種を植えれば半分が芽吹かず、芽吹いてもその半分が枯れる。成長するまでに半分がしおれ、育っても実をつけるのはさらに半分。これでは、まともな収穫は望めない。
そのため、近くの領地から食物を買ったり、育てやすい作物の研究などが進んでいたが、あまり芳しい成果はなかった。
そんな中、別の噂が囁かれるようになる。
ただし、こちらは少々疑わしいものだった。
曰く――
(呪われた伯爵、かぁ……)
お屋敷の階段を歩きながら、レティはうーんと考えた。
初代ボールドウィン伯爵は、多数の恨みを買っていた。その呪いにより、この土地は作物が育ちにくいという。そのせいか、ついたあだ名が「根絶やし伯爵」。一族郎党皆殺しと、作物が育たない事をかけた呼び名だ。割とひどい。
そんな伯爵家の血を継ぐ当主が、なぜかレティに会いたいという。
どうしよう、嫌な予感しかしない。
こわごわ扉をノックすると、「どうぞ」と落ち着いた声がした。
「失礼いたします、レティシアです。お呼びとうかがいましたので――」
参りました、という声が、途中で消えた。
「……ウィルさま?」
部屋の中には、優雅にくつろぐ青年がいた。
その隣には、苦虫を噛み潰したような顔の青年も立っている。こちらの顔にも見覚えがあった。
「……と、ビ……ルカさまも」
「お前一瞬名前忘れたな」
「いえそのようなことは!」
ばれている。
「しかもお前、ビスケットって言いそうになったろ」
「いえまったくそのようなことは!」
こちらもばれている。
「あまりにもおいしかったものですから! つい先においしい記憶が出てきてしまっただけで、ちゃんと覚えてました。本当です!」
「正直なんだか失礼なんだか分かんねえな……」
ため息をついたが、別に怒ってはいないらしい。ちょいちょいと指で招かれて、おとなしく近づく。と、長椅子を示された。
「座れ」
「ほぇ?」
「いいから座れ。足が疲れるだろ」
「いえ、あの、私はボールドウィン伯爵に呼ばれているもので、ここでのんびりするわけには……」
「こいつだ」
「は?」
「だから、こいつ」
顎で示されたが、意味が分からない。レティはきょとんと首をかしげた。
「あの、いえ、私は伯爵に……」
「僕だよ」
「はい?」
「だから、僕だよ。君を呼んだのは」
目の前に座るウィルが、にこにこしたまま自分を指す。レティはぽかんと口を開けた。
「自己紹介が遅れたね。僕はウィルフレッド・ボールドウィン。この伯爵家の当主であり、この地の領主でもあり、君の雇い主だ」
「俺はルーカス・ガレッド。こいつの幼なじみ兼、従者だ。ルカでいい」
ルカがついでに名乗ってくれる。「覚えろよ」という圧が強い気がするのは、全力で知らないふりをする。
それにしても――ウィルが領主。領主?
呆けていると、ウィルはさて、と息をついた。
「早速だけど、君を呼んだのは他でもない」
彼がふと真面目な顔になる。レティはごくりと息を呑んだ。
これはもしかして、レティの正体がばれてしまったのでは――……。
「おいしいお菓子が手に入ったんだ。一緒にお茶を飲もう」
「はいもちろん!」
即答したレティだった。
お読みいただきありがとうございます。餌付けの予感、ふたたび。




