お茶と談話
***
ようやく馬車が止まったのは、一刻を過ぎたころだった。
「少し近道をさせてもらった。馬車の旅は辛くなかっただろうか」
「いいえ、大丈夫です」
先にルカが降り、続いてウィルが降りる。手を差し伸べられ、レティもそれに従った。
「ありがとうございます、ウィルさま」
こういう作法にはまだ慣れない。折に触れて練習させてもらっているが、どうにも落ち着かなくて仕方ないのだ。まして今は、他領の領主の前である。緊張するなという方が無理かもしれない。
馬車から降りると、乾いた土の匂いがした。
(……ここが、ドルキアン)
レティも来たのは初めてだが、グレーデとはやや趣が違う。
背後に高い岩山があり、まばらに草が生えている。遠くに見えるのは草原で、馬が数頭草を食んでいるのが見えた。畑らしきものは見えないが、とにかく岩の姿が目立つ。
草原とは言ったものの、どちらかと言えば荒野に近い。乾いた空の色も、吹きつける風の音も、グレーデとは違う気がする。もちろん、ボールドウィンともだ。
そんな事を思っていると、ギルバートがこちらを向いた。
「まずは体を休めてほしい。何か必要なものはあるだろうか」
「いえ、そんな」
「遠慮することはない。人形でも、絵本でも、玩具でも。欲しいものがあれば、すぐに用意しよう」
「…………」
ん?
「先ほどは怖い思いをさせてすまなかった。怖い夢を見ないよう、ゆっくり心を休めてほしい。夜に体が冷えたなら、用場まで人を付き添わせる。水分を控えることはない」
……んん?
「まだ子供なのだから、無理はしないように」
真面目な顔で言われ、レティは反応できなかった。ちなみに、用場とはトイレの意味である。
横でルカが笑いを噛み殺している。ウィルも珍妙な顔をしていたが、特に反論しなかった。近くに他の人々がいるので、妥当な判断ではある。
「い……いえ、大丈夫です」
首を振ると、そうかと彼は引き下がった。無表情ながら、レティを心配していたようだ。やはり良い人だと改めて思う。――しかし。
(……おかしい)
子供ではないと言ったはずなのに、どうも伝わっていない気がする。
この場で伝えるべきか悩んだが、レティはすぐに首を振った。わざわざ蒸し返す話でもない。
多分、誤解はすぐに解けるだろう。
この時はそう思っていた。
客室に招かれると、すぐにお茶が運ばれてきた。
「今、部屋を用意させている。レティシア嬢の部屋は用意していたのだが、ボールドウィン伯爵と従者殿の分がまだだ。それとも同じ部屋の方がいいだろうか?」
「へ?」
「いえ、さすがに別で」
目を丸くするレティの横で、ウィルが苦笑している。そうかと頷き、ギルバートは感情の混じらない声で言った。
「養父かと思ったが、さすがに年齢が近いので、恋人かと思ってしまった。申し訳ない」
「いいいいえっ、そんな、お気になさらず」
「僕はそれでも構いませんが、彼女にその気がないようでして」
焦るレティの横で、ウィルがしれっと嘘を吐く。
「ウィルさま、嘘言ったら駄目ですよ!?」
「そうでもないんだけど、レティは嫌?」
「嫌とかそういう問題ではなくてですね、他領の領主の前で嘘つくとかはまずいです!」
下手に誤解をされた場合、領地をまたいだ問題となってしまう。別に嘘じゃないんだけどと小首をかしげるウィルは、憎たらしいほど普通の顔だ。助けてくれないかとルカを見ると、彼は眉間にしわを寄せたまま、額に指を当てていた。なぜだかものすごく機嫌が悪い。
「……失礼。発言をお許しください。我が主はいささか悪ふざけが好きなようで」
唇の端に笑みを浮かべながらも、地の底を這うような声で続ける。
「妹のように思っているとご理解ください。犬ではなく、人です」
「る、ルカさま……」
最後の発言だけが引っかかるが、それで相手は納得した。
「……なるほど、妹か」
感情のない目がレティを捉え、反射的にびくっとする。
だが、嫌な感じはしない。例えるなら野性の獣に見つめられているようだ。
誇り高く荒野を駆ける、銀色の狼。
ウィルともルカとも違ったタイプの青年は、レティが初めて見る種類の人物だった。
沈黙を紛らわせようとしてお茶を飲むと、不思議な香りが立ち上った。
「……んん?」
「どうかされたのか、レティシア・グレーデ嬢」
「これ……トーラスの葉が入ってますね。あとは……ゲレの根と、もうひとつ、何か……」
「ルコットの実を炒ったものを混ぜてある。砕いてから加えると、いい風味が出る」
少し目を見張った後で、淡々と答える。
「ああ、ルコット!」
なるほどと頷きながら、もう一口飲む。トーラスの葉もゲレの根も、どちらも山野で採れる植物だ。グレーデにも多少生えていたが、お茶にできるほどではなかった。
それに――ルコットの実、とは。
「失礼ですが、ルコットの実は毒があるのでは?」
「よく知っているな。大鍋で塩と一緒に茹でて、渋を抜けば問題ない。それを乾煎りし、細かく砕く。栄養価が高いので、こちらではよく飲む」
「なるほど……」
感心した顔でお茶を飲むレティに、ギルバートはぱちりと瞬きした。
「……嫌ではないのか?」
「何がですか?」
「毒があると知っていたら、別のものが欲しくなるだろう。てっきり、そのために言ったのだとばかり思っていたが」
「ルコットの実だとは思わなかったので、知りませんでしたよ。それに、毒がないなら飲めますよ、もったいない」
言いながら隣を見ると、ウィルも平然とした顔で飲んでいた。ルカにお茶は出されていないが、彼も普通に飲むだろう。それに気づいたのか、ギルバートはルカにも席を勧めた。
「いえ、私は」
「構わない。話を聞かれてもいいのはここにいる三人だけだ。今だけは無礼講ということで頼む」
「しかし……」
「いいよ、ルカ。お言葉に甘えなさい」
ウィルの命令で、ルカは小さく息を吐いた。
「――無礼講というと、どこまで?」
「すべてだ。この領地にいる間、周りに誰もいない時は、対等な口を利いてくれていい。もちろん私のことも呼び捨てでいいし、礼を尽くす必要もない」
「分かった。ギルバート、だな」
(ルカさまの適応能力が高すぎます……!)
驚愕に目を見張るレティをよそに、「では僕のこともウィルフレッドで」、「俺はルーカスで」と話がまとまっていく。あまりにもびっくりしていたせいで、レティは完全に置いていかれた。
呼び方が一段落すると、ギルバートは改めて話を切り出した。
「あのような頼みを聞いてくれて感謝している。それに、緑のグレーデの噂は本当だった。まさかお茶の成分を当てられるとは思わなかった」
「いえ、それはグレーデあんまり関係ないというか……」
過酷な食糧生活ゆえの、死に物狂いで得た知識だ。誰もが普通に持っている能力じゃない。
だがそれを他領の人間に話すのはどうかと思い、レティは笑ってごまかした。
「私が森で生活していたからです。偶然ですよ」
事情をよく知る二人は、それぞれなんとも言えない顔をしていたが、言ってくれるなというレティの気持ちを察したのか、特に何も言わなかった。
「だとしても、深い植物の知識を持っているのは事実のようだ。その力を見込んで、あなたに願う。どうか我が領地を救ってほしい」
「お、お力になりたいのは山々ですが……」
勢いでついてきただけで、正直あまり自信はない。それでも構わなかったのか、相手は小さく頷いた。
「分かっている。無理なことは言わない。ここに来てくれただけで感謝している」
「ギルバートさま……」
「ギルでいい。ウィルフレッドもルーカスもそう呼んでほしい」
「では僕のこともウィルで」
「俺はルカでいい。ギル、ギルだな」
舌の上で転がすように呼ぶと、ギルバートがくすぐったそうな顔になった。
「そうだ、ルカ」
(あ、なんかちょっと犬っぽい……)
飼い主に名前を呼ばれて喜ぶ犬に似ている、と思ってしまったのは不敬だろうか。
表情は変わらないのに、尻尾が揺れる様子が見えるようだ。
そしてウィルもルカも、動物が大好きな人達だ。
おそらく年上であろう領主を相手に、なんらかのスイッチが入ったようだと思ったのは――多分、いやきっと、気のせいではないだろう。
ウィルはにこやかに、ルカは仕方なさげな顔をしながら、それぞれ頷いて宣言する。
「善き隣人には最大限の誠意をもって接しよという家訓があります」
「どこまでできるかは分からないが、やれるだけのことはやってやる」
彼らの言葉を受けて、ギルバートが口を引き結ぶ。
その視線がふとレティに流れ、レティもはっきりと頷いた。
「大丈夫。みんなで一緒に考えましょう」
お読みいただきありがとうございます。領主は天然ワンコ系。




